月が食われた瞬間(中)

離れていても、あなたと同じ月を見ていられる。その瞬間だけは、一緒です。

という言葉を、昔聞いたような気がする。科学的には、人体が受け入れる光の量と、屈折率、色の認識力の差などで、まったく同じ景色を見るのは不可能だ。色弱が極端な例だ。赤色が見えない人と、緑色が見えない人、この二人が見る風景、その色はまったく違うものになるはずだ。そして人体は、機械のように0,1で構成されていない。両極端があって、平均的に一番多く分布されている…つまり最大の共通認識になるのが常識として呼ばれる。色弱の人、つまり障害を持っていたり、普通ではない人にその常識は通用しない。


「私たち今、全世界と繋がっていますね」

「ああ、かもな。」


が、今日は何か、非科学的な感想で良いと思ってしまう。それに気づいてしまった。いわゆる感受性ってものか?


「僕も聞いた話だけど、科学を知れば知るほど、物事の美しさをより良く把握できると言う科学者がいたって話。知っている?」

「知らないです。その話、もしかして科学は知らなくても良いと言う芸術家が登場したりしますか?」

「出るよ。たしかに最初は、芸術家目線の意見を聞くことになる。」

「きっと、知的感受性?なんて無くても、平等に芸術は美しいもの。みたいな話をしてそう」

「うん。その芸術家はきっと『人に対する視線が綺麗なタイプ』の人間なんだよ。」

「なんですか?それ」

「人それぞれが持っている知識の量で差別をしないってこと。人はみんな一緒だからという考え方だよね。」

「誰もが平等な『人間』…今のところ、私は差別しない側につきそうなんですけど、大丈夫ですか?」

「それでいいのよ。言い方、表現の仕方の問題だから。そして、差別する側を呼ぶ素敵な表現があったっても、いいのよ。」

「まるで無差別が残酷な思考だとも言えそうな感じですね」

「大事なのは、差別か、無差別かの、0と1じゃない。白と黒じゃない。ってこと。」

「グレーが大事ってことですか?」

「それは違うよ。それはもう一つの0と1、白と黒になる概念として認識されている。」

「グレーだから、白でも黒でもないじゃないですか」

「グレーか、グレーではないか。」

「あっ」

「そうなるからだよ。」

「グレーな人と、グレーではない人が生まれてしまう」

「そしたらグレーな人か、グレーではない人が、向こう側は『違う』と言い始める。」

「やばいです。戦ってしまいます。ボコボコにしてしまいます」

「力を持っている側ならボコボコにできるかも。そこで力を持っているグループと、力を持っていないグループというタグ付けがまたされてしまう。力だけではなく、たくさんの、0と1のタグがね。」

「それって、結局、何も分類するなって話にならないんですか?めちゃくちゃになってしまいますよ?何も分類されなくなって、何も定義されなくなっちゃいます」

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