月が食われた瞬間(上)

目を開けると、夜だった。となりには誰かがいて、誰だっけ…


「良かったですね。タイミングぴったりです。今からなんで」

「間に合ったのか、月食に。」

「私が手加減してあげたんですからね」

「はいはい。わかりました。」


月が、食われる。


昔から月は何らかの信仰とつながった神聖なもの。どの地域でも月が消えてしまうこの現象は、長い間人々にとって不吉を予言するようなものだった。月食が兵士の士気に影響を与えて、落ちてしまった城がいるくらいに。純粋に夜中に唯一明るい存在、月の光が消えるだけでも十分怖いことだが、それほど月食は不思議で、稀な、恐怖のアイコンだった。


「月が綺麗ですね」

「あれが?消えていく姿から審美的感想が浮かぶのは相当いかれているよ。」

「お月様は夜の独裁者ですからね、今日のように引きずり落されることがあるとは思ってもみなかったはずです」

「たしかにそうだな。」

「それが美しくないですか?昔の月は消えて、新しい月が出てくる。今までのお月様は食われてしまって、新しいお月様が生まれるようで」

「実際にはなんの変りもないけどな。」

「いつも同じことを繰り返している月にも、そういう劇的な変化があったと信じるのが、もっと面白い世の中で生きているような気持ちになるのです」

「あんた…いや。聞いておこう。名前、なんていうんだ?」

「藤原です。下の名前は香里。」

「藤原さんか、お礼を言うよ。今夜、たしかに素敵な月食風景だ。」


カメラを出して、写真を撮る。あの「瞬間」ではないが、なかなか見れないこの光景は、同じときに同じものを見た人を響かせるかもしれない。


「誰もが見れるものだから、撮ったんですね?」

「わかるのか?この気持ちを。」

「大体は、ですね」


そう言いながら彼女もカメラをバックから出す。天体観測用ほどではないが、長くて柔らかいレンズと、シャープなボディーを組み合わせたものだった。たまにだが、こういうのも美術品のように見える日がある。今日がその日だ。


「あなたの目と私の目を交換できる唯一の魔法ですから」

「新人賞でもあげたいな。新しい詩人さんが誕生する瞬間を目撃できて大変嬉しい。」

「あなたの目だけぶっ潰す手もありますからね♡」

「すいませんでした。ごめんなさい。」


まったく同じ場所に立つことなど、我々にはできない。同じ場所に立っていたとしても、同じ角度で見えなかったり、同じ彩度で見えなかったり、焦点が変わったり、色が違ったり。様々な要因により「同じものを見る」ってことは不可能になっていく。カメラの設定を変更するたびに、新しい写真が生まれるように。


だから「誰が撮っても」という想定は最初から何の力も発揮できない。

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