第5話

つまり、見て見ないふりをしていたのだ。この関係が可笑しいとは自覚してながら、なぜか手放すことができなかったのだ。その理由はわからないけど、たしかにこの平穏は、そんなに気持ち悪いものではなかったから…


「行ってきます!」


あいつが学校に行っている時間には基本一人でいれる。あの写真でもらった金が残っているし、大して働く意欲が湧いているつもりでもないが、写真を撮るのは最初からそれが目的じゃなかったしね。


有名な話がある。写真は何かを撮るためにどこを行くことより、偶然の出会いから生まれたものだと。しかし僕にはそれよりもっと好きな話がある。本当に待ち望んでいたあの瞬間が来たら、何もしないという話だ。シャッターを押したりなんてしない。カメラに閉じ込めずに、自分の目でその景色を切り取る。その瞬間と出会えるために写真をやっている人がいて、またその瞬間と出会いたくて写真をやる人がいるって話だ。


昔はそうでもなかったが、最近はそういう考えをたまにするようになった。特に自然と接するときには、自然が生み出した偶然に何回も出会えるわけではないから、その一瞬一瞬を大事にするという。今の目的地もそういう出会いができる場所だ。O山、まさか同業者がいるとは思ってもしなかったが。


「はふへへ!」 (助けて!)


その女性は、地面に埋もれていた。上半身だけが。助けを求める声からは切実な生への願望を覗き見ることができ…


「はひゃふ!はひゃふはひふへ!」 (早く!早く助けて!)


のような考えをする時間すらもったいなさそうな状態だ。かなりレアで、かなり奇妙なこの現象。


「どうやら、好きな話と好きになるのは違うものだったのか。」

「はひひっへんほ!ふひゃへんは!」 (聞き取れない。何かを喋っているようだ。)


僕はカメラを出した。スカートは重力の影響を受けて、そうなるべき自然な角度になっている。綺麗な曲線と直線のシンポジウム。あれ、シンポジウムってなんだっけ。


シャッターを押す。点滅する。数枚撮ってから、角度を変えてまた数枚。被写体に対するマナーだ。このような撮影を行う場合、僕の理想より被写体の理想が反映されたショットが一番いいものだけど、被写体とのコミュニケーションが取れないこの状況に合わせて、様々なバリエーションを用意して…


「ひゃっ!はひ!はひほひへふほ!」 (ひゃっ!なに!なにをしてるの!」

「すみません。少し静かにできますか。集中の邪魔になるんで。」


したら、女性は暴れだした。困ったな。


「苦しいかもしれませんが、姿勢は変えないでください。多様な角度で色んなショットが撮れるまでもう少し待ってもらえますか。」


したら、女性は足を体操選手のように曲げてスプリングのように地面を蹴って。


「ふざけんなあああ!!!」

「自力で脱出した。凄い。」

「それ言っている場合か!死にかけていたぞ!」

「大体の場合、上半身が地面と合体したとしても、命に危険はないです。」

「合体してなかったし!」

「なぜ誰の助けも来ないはずの場所でそういう姿勢になっていたのでしょうか。」

「いるじゃん!ここにいるじゃん!」

「いいえ。僕にその気はなかったんで。」


顔面にパンチが飛んでくる。やばい。回避しなきゃ。

その瞬間、後ろにあった木の根に足を引っかけてしまって、僕は地面と合体してしまった。上半身だけが。


「ふひはへん。ふほひはふへへほはひはひほへふは。」 (すみません、少し助けてもらいたいのですが。)

「遠慮しておきます」


そうやって、僕の短い人生は終わりを告げられてしまったのだ。木の根によって。

ダメだ。衝撃で意識が遠くなる。もう…無理…



目を開けると、全裸になっていた。


正確には、全裸になっている感覚。ベッドから起き上がり、周囲を把握する。テキサス風の古い木造住宅。あれ、なぜ僕がテキサスに?まるで実験体になった主人公が、ウイルスを注入された直後のようだ。

白衣の女性が現れる。誰だ…?見覚えがある。…下半身を観察したらすぐわかった。上半身が埋もれていたあの女性だ。あの足のラインを忘れてなくて助かった。


「意識が戻ってきたようだな」

「僕の体に何をした。」


自分の声に違和感がある。まるで風邪をひいているような。若い女性の声のような声が自分の喉を通して出ていた。


「そうね。少し危ない薬を打ってあげたのよ。二度と戻れないタイプのやつをね。」

「まさか、お前…」

「そう、女になる薬よ。助けを求めている女性を救おうともしないだなんて、本当最悪の男ね。男しての資格すらないわ」

「なんだと、てめえ!」


頭に血が上る。暴力なんて振るうことないこの僕でも、流石に拳が右ストレートの軌跡を描いた。


「無駄よ」


弱い。発した右ストレートはあっけなく阻止されてしまった。右ストレートのはずだった右手は、逆に囮になってしまった。白衣の女性は僕の右手首を握って、自分の方へ引っ張り出したのだ。


夢でよくあるパターンだが、夢の登場人物はおかしい行動をする。つまりここでは、


ズキューン


キスをされた。



「はっ!」


よし、夢だったな。股間の無事を確認する。感覚がある。健康だ。


「意識が戻ってきたんですね。良かったです。」


その女性は、ベッドのとなりに立っていて、たぶん僕を看護してくれていたようだった。誰だっけ。知らない顔だ。いや、見覚えがないわけでもないが…。


「すみません、何が何かわからないですが、とにかく、ありがとうございます。」

「どういたしまして…とでも言うとでも思ったか!このゲスやろ!」


やばい、回避しなくちゃ。

起き上がった直後で体が上手くコントロールできるわけでもなく、倒れるように上半身を前屈させたが、ベッドから倒れ落ちる様になって。右手が何かに、布に引っかかる感覚があって…。待て、布?

目の先には、脱がれたズボンがあって、女性の足が見えて…。


「あ!上半身合体女!」

「誰が上半身合体女だ!殺すぞ!」


右ストレート。綺麗な直線を描いて、僕の顔面に直撃する。

また、意識が遠くなっていく。

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