第2話
やはり錯覚だった。そんなことがあってたまるか。少女は、中村さんと似ているただの他人だった。若返ったように見えたのも、気のせいだった。だって、彼女は既に…
「死んでる?おじさんぼーっとしすぎじゃない?ねーねー。もしかして死んでるの?」
「お前は少しでも黙ってられない性格なのかよ」
バスの排気口から鳴る振動に身を委ねる。そう、なぜか子供連れでスピーッツのライブなんかに行くことになったせいで、僕は初めましての女の子と2時間しゃべり続ける行為に飽きてしまっているところなのだ。
バスから降りてから数百メートル歩いて、なぜかポケットに入っているチケットを入口で見せる。はしゃいでいる民衆、若いカップルから僕と同じ世代の夫婦まで、子供連れは相当珍しいタッグだったらしくて、となりの視線が気になる。そういえばチケットなんか買った覚えないけど。
「お前、いつの間に…」
「シー。そろそろ始まるよ」
暗転。どよめき。スピーカーの振動。そこはまさに、最高のミュージシャンがここにいると主張するような熱気と、客席の熱狂に包まれた。流石にここでおしゃべりなんかできねえわ。
ライブを楽しんでいる少女の横顔が、なぜか記憶に残りそうになって、僕はたまにステージから目を離しながら、会場の熱気に完全に同化することなく、最後の曲を迎えた。
「アンコール!アンコール!」
違った。最後の最後が残っていて…
(4分後)
「アンコール!アンコール!」
違った。最後の最後の最後の曲が残っているらしい。
(さらに4分後)
「アンコール!アンコール!アンコール!」
そろそろトイレ行きたいや。
(以下略)
「アンコール!!!」
ダメだ。このライブ、終わる気がしない。化け物かあれは?汗でびしょぬれになっているスピーッツは、自分たちの曲を全部歌う勢いで…つまり30年間ずっと発売してきたすべての曲をやりきるまで終らせない勢いで、ステージを盛り上げていた。
(終演)
拍手と歓声が身体を揺さぶるような大きさで鳴り響く。こういうものだったのか。だから見たかったのか。もしかしたらここに彼女がいるかもしれないと思って、客席に目線を投げてみるが、たとえいたとしてもここで見つけることなんてできないか。
「おじさん、感動した?感動して固まってしまったの?」
「違う。帰るぞ。」
「はーい」
帰り道。この電車に乗っているみんなが、さっき同じ場所であれほど騒いでいた人たちなんだ。彼らにも戻る場所があって、今日の非日常ではない、いつも通りの生活に、今戻っているんだ。そんなことを考えながら、となりの席で寝込んでしまった少女が、とにかく起きないようにを祈るだけの、帰り道だった。
電車が減速する。帰り道は少し長かった。いや、時間や距離が変わったわけではないが…疲れているせいか、電車に乗っているこの時間が、普段より少し長いと感じていた。
「起きろ。終点だ。」
「え?もうついたの?」
少女には、短かったようだ。
「飯、食っていくか?」
「おじさんのおごりで!」
「は?嫌だよ。」
「あー!このケチ!ここは絶対ごちそうさせてくれるとこじゃん!」
「だったのか」
「そうだよ!」
…
「ラーメン二つ」
「あいよー!ラーメン二丁!」
僕たちはラーメン屋に行った。券売機などない古いラーメン屋。メニューはラーメンだけのラーメン屋。
「おじさん、良く来るとこでしょ?」
「ここ?」
「女の感てやつよ!」
「いやいや、肯定する前にドヤ顔するな。たまに来る程度だし。」
「はは、これは噓ですね。恥ずかしがりやがって!」
「んなわけあるか。」
麺をすする音。少女の割りばしは、変な持ち方をされていた。
…
「ごちそうさまでした!」
「ご馳走様です。」
「あ~おいしかったな!」
「うまかったな。」
「ね~つぎまた来よう!」
夜の空気が涼しくて、気持ち良かった。
忘れていた感覚がある。少しなつかしい感覚。良く思い出せないけど、とにかく悪くはなかった。中村さんと出会ってから15年、僕はフリーの記者になって、世界を旅しながら世の中の色んなこと、今まで知らなかったこと、知るべきだったことをたくさん見つけて、みんなに届けようとしていた。貧困、戦争、そして平和。どこかは平和で、どこかはそうではなくて、そういう当たり前で、あまり気にしないけど、当然として存在する事実のありのままが見えたらいいなと思っていた。そして、あの写真が変えたんだ。そう、あの写真があったおかげで、あの写真があったせいで…色んなことが変わってしまった。僕が、変えてしまったんだ。
「ねー、聞いてる?」
「ああ。」
「また変なこと考えたんでしょ?スキルが足りないっつのー」
「スキル?」
「そう、騙すときには徹底的に!それが我が家の美学だからね」
「別に騙す気なんてないけど。」
「ちーがーうーよ。本当のこと以外は全部噓なの!聞いていなかったから騙していたの!」
「屁理屈だな。」
「こっちのセリフだおら!」
娘を思い出していたのか。僕は。
「明日、学校あるか?」
「当たり前よ!誰だと思っているの?ぴちぴちのJK様なんよ!」
「ぴちぴちのJK様はぴちぴちなんて使わん。」
「つかいますーぜんぜんつかいますぅー」
夏、日曜日が終わろうとしている、ありきたりの7月風景。普通の日常。馬鹿馬鹿しいほど、どうでもいい会話。何一つ明日の役に立たない無駄な時間が…
「はは…」
「あ!いまバカにしたんでしょ!」
「ああ。そう。馬鹿だな。お前も、僕も。」
「お似合いですね!バカとバカで、バカバカしい!」
ハイタッチ。その響きが、なぜか気持ち良かった。
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