私の告白:人殺しの時効
さばだに
第1話
日本に来てからちょうど15年が経った。
ついに、この日が来てくれた。
このありがたい、記念すべき日まで、残しておいた事が一つある。
誰にも言えなかった、あの日の真実を、出版社に届けることにしたのだ。
そう。私の、告白を。
2009年03月13日
(中村ソヒの日記から抜粋)
服役中の彼女と出会えたのは、幸運だった。日本に住んでいる在日韓国人の処遇改善のため、彼ら/彼女らが抱えている苦痛について調べる活動をしていたのがきっかけで、僕は15年前の2010年、彼女と出会うことができた。当時の在日韓国人の犯罪率は、韓国に住む韓国人より遥か高く、その理由には複雑かつ様々な要因が絡まっていた。殺人犯だった彼女と出会うことには大きな勇気が必要だったが、異国の地で苦しむ我が同胞たちが、なぜ犯罪を起こしたのかについて、どうしても知りたかった。
「…それで日本社会には適応できず、在日は在日のコミュニティの中でしか生活しなくなる。そうすることで選択肢は少なくなっていき…」
ということを考えながら、待機室で彼女を待っていたのだろう。当時の僕は、社会のことなど何も知らない、大学を卒業したばかりのひよこ新聞記者だった。面会は15分。どんな感じの人が現れるのだろう。そのひよこ新聞記者に、「殺人犯」という存在は、平穏な日常とはとてつもない距離がある恐ろしい人物だった。彼女と会う前まで。
彼女はとても、普通だった。どこに行っても見かけることができる、普通のおばさん。少し太っていて、「となりのスーパーよりは遠いけど、ここの卵が安いのよ」と話しかけてくれそうな、普通の女性の人だった。簡単な挨拶をしてから、その感覚はよりはっきりとなってきた。予想外だったが、話が通じない人ではなかった。急な来訪者にも、淡い笑みを浮かべながら挨拶をしてくる人だった。僕は、彼女と仲良くなることにした。
そこでの短いお話は、だいたいつまらない内容だった。自身のことについてはあまり言及せず、天気の話とか、昔聞いた音楽の話とか、スピーッツのライブを見に行きたいとか…。おしゃべりのおばさんかよ。ここから出れるのも遠い先の話だし、そのときまで活動しているかもわからないのに。どこか平和性まで感じる、日常味をまとったあの会話は、必死に何かを隠しているようにも見えて、ほんの少しだが、ゾッとさせる何かがあった。思い出してみると、意図的に話題を逸らしていたのかもしれない。
「とりあえず今日の回想はここまでにしておこう」
閉まったカーテンを片手で触りながら、窓の外を除く。赤くなっていく空を見て、僕は現実に戻る。過去のことを思い出しても事件にたどり着くヒントが見つかるわけではなく、ただなつかしくなるだけだが、なぜか今日はどうしてもそこが気になったのだ。どうしても。
今さらだが、辞めた方がいいかもしれないと思う自分もいる。既に刑を終えて、社会に復帰できた彼女の名誉にかかわるかもしれない問題だからだ。一事不再理、彼女の犯罪に対する罰はこれ以上のものになってはいけない。それを許容してしまう瞬間、負の連鎖が起きてしまう。人を殺したから死んでもいいなどの飛躍に繋がってしまったら、新しい犯罪が一個増えるだけだというありきたりの感想が脳裏をよぎる。しかし、そういう「ある意味道徳的な」お話に納得が行かないのは、きっと大切な家族を失った被害者の遺族がいるからだろう。社会の秩序維持という言葉で逃げることでしか、殺人の刑を終えたという事実を受け入れる方法がない。人間という労働力、その経済的な価値を考えてみると、犯罪者が社会復帰してくれないと、国は困る。懲役自体にも税金がかかって、犯罪者が本来持っていた職業と収入が消えることにより、その分の税収も消える。これを極端にさせてみよう。日本中の人5割が一気に罪を犯して、それを全部懲役刑にした。その場合、一気に全労働力の5割が減少し、経済的な破綻が起きるはずだ。だからこそ懲役以外に罰金という制度が存在するのか?かもしれない。
そのとき、玄関のチャイムが鳴り、ドアをノックする音がした。殺風景な独身者のマンションに訪れた珍しい訪問客だ。NHKKや宗教の勧誘以外なら話でも聞いてあげようと思って、ドアをあけたら、そこには馴染みがあったかどうか曖昧な顔面が待っていた。少女だった。とにかく細くて、気づいたら彼女の名前を口にしていた。
「中村…ソヒさん?」
「はい、お邪魔します~」
「おい、ちょっと…!」
少女だった。中村ソヒさんの娘?いや、違う。そうだ。目元のほくろが一緒で、あれ?15年前の彼女が30代前半だったから、今は40代になっているはずだが、どうしても今の少女は15歳前後の…
「待て、何勝手に入ろうとしてんだ」
「え、だっておじさんが呼んでたし、当たり前じゃん」
「僕が?お嬢さんを?」
「うん。急いで、そろそろ始まるから」
「なにが始まるっていうんだ。そもそも…」
「は?忘れてしまったの?一緒にライブ行くのに決まってるっしょ」
思わず、思考が止まった。ライブ…ライブ?
「スピーッツの?」
「そうよ!今さら思い出すなんて最悪!」
そう言いながら少女は小悪魔のように笑う。有り得ない。きっと偶然か、何らかの錯覚だ。雰囲気が似ているだけの誰かが…
「15年前の約束、ちゃんと守ってくれるんだよね?」
なにかが、間違っていくような、時計の針がうるさくて、しようがない、夏だった。
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