海の夜明けから真昼まで ⑧

翌日。海は大しけ。


入り江の上。断崖絶壁で荒れ狂った海を見下ろしながら、短い人生だったが、わるくなかったと思った。辛いことの方が多かったが、この半年間はアイを含めた大切な人たちのお陰で、幸せだった。


お別れは辛いけど、アイを救うために私は靴を脱ぐ。


「なにやってんだ!」


片足を脱ぎかけた瞬間、アイが降り立った。やはり、天使の感で、私がここにいるのを察知された。


絶壁の淵で振り返り、アイと対峙する。


「神様に直談判するの。アイを地獄に送らないでって」


「おい……それってってことだぞ」


私はここから飛び降りて、天使になろうとしていた。そして、神様にアイ人間汐後さんを傷付けたのは、私を守って起きた事故だと証言する。


「私は、アイに助けられてばかり。だから、今度は私が――」


「そんなの許すはずがないだろ」


「アイの許しなんて、必要ない。これは自分で決めたことだから」


「やめろ!」


アイが私を止めようと向かって来るが、それは既に対策済み。アイの足に仕掛けてあったロープが引っかかり、そのまま吊し上げられた。


「ロ、ロープ⁉」


「万が一に備えて、アイ用のトラップを用意していたの。こんなにあっさり引っかかるとは思っていなかったけど」


「クッソ‼」


アイは体を起こして足のロープを解こうとするが、そうしている間に私は崖から飛び降りる。


お兄さんアイ、ごめんなさい。わがままな妹で……」


アイを目に映しながら、体を空中に委ねる。


「瑠海‼」


最後に、私の名前をアイが呼ぶ。そして、私は崖下の藍色の海に沈んで、消えていくんだ……


だが、体の浮遊感がなくなると同時に、片手を誰かに掴まれた。見上げると、浦風くんが私の手を握って、落ちないように食い止めている。


「クッ……も、もう……」


だが、彼の細腕では数秒しか持たず、一緒に崖下へ転落した。


『きゃあぁぁぁぁぁ……』


落下の最中、大きな羽根のシルエットが見えた。アイは、私たちが海面に叩き付けられるまえに救出して、側の入り江に下した。


「……ア、アイ」



―パチン‼—



唖然とアイの名を呟くと、頬を叩かれた。


「アイさん!」


「瑠海、おまえ。自分がなにをしたのかわかってるのか‼あと少しで、浦風くんまで巻き込むところだったんだぞ‼それに、瑠海が病院にいないことを知らせたのは、浦風くんだ‼こいつがいなかったら、俺はなにも知らず、おまえは死んでいた‼」


アイがこんな剣幕で怒るなんて、思ってもみなかった。頬も痛かったけど、それ以上に心が痛かった。


「だって、だって。アイが……お兄さんが消えると思ったら、私、私……」


目に涙が浮かぶ。海の水のように塩辛くて、心の痛みに沁みる。


「瑠海。もう、いいんだ。妹の自由を奪った俺なのに、こんなにも想われて充分幸せだった。だから、もうバカなことはするな」


いつもなら、私が言うような台詞なのに。これじゃあ、立場が逆転だ。


「う、うん。もうこんなことしないか……側にいてよ。藍波お兄ちゃん……」


このまま、アイが消えるかと思うと甘えてしまう。この場には、浦風くんだっているのに。


「それは、不可能だ」


『‼』


天から声がした。雲の間に亀裂が入り、光が降り注ぐ。


「……神様」


どうやらこの声は、天国の神様の声。


「藍波よ。おまえはルールを犯したが、本日天使としての役目を果たした。おまえを想う妹に免じて、特別に転生を許す」


「……役目って?」


神様が言う役目がなんなのか、アイ訊ねた。


「天使の役目は、死ぬべきでない人間を百人救うこと。さっき瑠海たちを助けて、百人分の命を救ったから……」


つまり、アイの魂は消えなくていいってこと。でも、生まれ変わるってことは、もう二度と会えないんじゃ……


「これは、特例だ。早く天国にて、転生の儀式を行う。早く、天に戻れ」


「わかっているよ。神様」


アイは、神勅に従い、飛び立とうとする。


ここでいま、私がなにをしても結果は変わらない。アイの魂は消えないが、アイという存在はどこにもいなくなる。


「瑠海」


名前を呼ばれ、アイを見つめると頭を優しく撫でられた。


「入り江で瑠海と再会したとき、赤ちゃんだったおまえがこんな素敵なレディになっていて、驚いた。フルートの腕も俺と張り合えるくらい。瑠海は、俺と自分を比較しているけど、瑠海のフルートには俺が持ってない洗練された音がある。瑠海のフルートならきっと、ロック界でも通用するよ」


アイは言う。自分と比較せず、自分の思うがままに音楽をしなさいと。


「いまだから言うけど、俺は親父のこと嫌いだったんだ。いつも家にいないのに、外では有名音楽家としてチヤホヤされる親父が。だから、あいつのまえではいい子のフリしてた。そうすれば、必要以上に関わらなくて済んだから」


父が言った人物像と、アイが違ったのはそういうことだったんだ。


「お袋は普通だったけど、俺が瑠海の立場だったら。親父もお袋も嫌ってた。でも、瑠海は俺と違って、どんな親を大切にする優しい子だ。二人にとって瑠海は間違いなく自慢の娘だよ。お袋は、いまちょっと疲れているだけだ」


家族のことで煩慮する私の苦しみを少しでも減らそうと、両親にとって私がどれほど大事な存在なのか伝えてくれた。


「浦風くん。さんざん、迷惑をかけたけど、きみになら瑠海を任せられる。きみはこの会話も忘れるだろうけど、瑠海をお願い」


「はい。強い男になります」


よくわからない会話を浦風くんとする。


「瑠海、今度こそさようなら。おまえは俺みたいに早死になんてするなよ。ちゃんと寿命で死んで、天使にもならず、直様転生しろ」


なんだか、辛気臭い雰囲気だったのに、最後の最後にカランと笑うアイに、私も釣られて笑った。


荒れていた海も、アイの笑顔に呼応するかのように美しく光った。

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