海の夜明けから真昼まで ⑦

文化祭ライブから、二ヶ月。秋も過ぎて、すっかり冬になった。冬の海は冷たくて、どこか薄寂しい。


こんな凍える海に毎日浸かるアイに流石に寒くないのか尋ねたが、天使はあまり外気温を感じないと答えた。思い返せば、夏場もアイはあまり汗をかいていなかった。天使の体を改めて不思議に思った。


この二ヶ月の間、学校の勉強やテストの合間にライブハウスで演奏をした。三年の先輩たちは受験もあって、それほど数はしていないが、毎回観客とともに演奏は盛り上がっていた。


そして、穐葉先輩は……


「赤点、取っちまった……」


留年が確定した。


「ちゃんと勉強しないから」


「自業自得」


「先輩、元気を出してください。来年、同学年になるので、勉強教えます」


「つ、次は、きっと大丈夫ですよ。早勢先輩もいますから」


「そんな風に言うなよ!逆に惨めになる……」


嘆いている穐葉先輩に、「私は少し嬉しいです」と声がかかった。


「尊敬する先輩が三人もいなくなってしまうと思ったから。それに、再来年の卒業式で、穐葉先輩と一緒に卒業できると思うと嬉しいです」


「な、直身……。なんていいやつ」


「だけど、また留年したら、今度は浦風たちと同級生になるな」


「いや、最悪瑠海ちゃんたちのあとに卒業を迎えたりして」


ここぞとばかりに、穐葉先輩をディスる三上先輩と建昭先輩。


「おまえら!幼馴染なんだから、もう少し優しいこと言え!」


なんにしても、穐葉先輩が残るから、また来年賑やかな学校生活になりそうだ。




一週間すれば、新年が明ける。


今日は年末の大掃除で、家中の物を整理していた。家からも倉庫からも古い物が大量に出てきて、捨てる物を取捨選択する。


「これって、なんだろう?」


「あー、それ。むかし、おじいさんが着ていた着物だけど、もう虫食いだらけ。捨ててしまいましょう」


「こっちにも、ボロボロの衣服がある」


「それも捨てるから、ゴミ袋持って来て」


「はーい」


今年は私がいるから、なかなかできなかった倉庫の整理もできると祖母は喜んでいた。


押し入れ内の物も引っ張り出す。色々詰まっていて、家の歴史が感じられた。


上の方から取り出そうとしたが、誤って雪崩を起こしてしまう。


「イタタ……?」


散乱した物の中に、アルバムらしき物があった。


「これって、おばあさんの若いころ?ってことは、隣のはおじいさんだ。お父さんにソックリ」


一番古い物から見てみた。こういう家族の思い出の品に触れるのは初めてで、掃除も忘れて見入った。


祖父母の結婚以前の物から、父の子ども時代、母と出会ってからなど、家族の歴史を感じた。


「この赤ちゃん……お兄さん?お兄さんの写真、ここにあったんだ」


兄と父の幼児期の写真を見比べ、こちらもソックリだったから、家族の繋がりってものを感じてほっこりする。


でも、ページを進めると違和感を覚えた。


「あれ?お兄さんの顔……」


成長するに連れ、兄の顔が見覚えのあるものに変化していく。最後、幼少期の私を抱いている兄は、あのふてぶてしい天使の顔そのものだった。


「アイが……私のお兄さん?」


あり得ない。だって、以前父が話した兄の人物像は、アイとかけ離れている。


でも、アイの普段の言動を思い返せば、兄として振る舞っていることが多く、色々なことの説明が付く。


私は祖母に断りを入れ、写真を片手にアイの元へ向かった。


天気は悪く、昼間なのに灰色の雪雲が太陽を遮り、海も悲しい色をしていた。


いまにも雪が降りそうだが、かまわず走り続けていたら思わぬ人物に出会った。


「元気にしてた。潟湊さん」


「汐後さん……」


半年ぶりにあった彼女は、ただならぬ様子だった。私に向ける目は濁った海のように、なにも映さない。


「あんたの所為でこっちは、人生めちゃくちゃよ。どうしてくれるの」


「それはあなたが私や浦風くんをいじめたから――」


「そんなの、どうだっていいのよ。あんたさえ、いなければ」


汐後さんは銀色に鈍る鋭い物……を取り出した。


「死ねぇぇぇぇぇ!」


「!」


咄嗟の出来事に反応が追い付かず、瞬間的に目を瞑った。しかし、痛みなど感じられず、目を開けば浦風くんが汐後さんの手を抑えていた。


「潟湊さん、大丈夫?」


「う、浦風くん……」


彼の姿に安堵を覚えるが、「浦風!おまえも許さない!おまえも殺してやる!」などと汐後さんは抵抗する。


浦風くんに抑えられたナイフを渾身の力で振り回し、彼の頬を掠める。


「浦風くん!」


血が走った頬を目にして、酷く同様する。心の中で、誰かに助けを求めた。すると……


「瑠海ぁぁぁ!」


アイが颯爽と飛んで来た。アイは、浦風くんと汐後さんの間に割り込み、ナイフを奪った。


「なんなの!これ!」


アイが見えない汐後さんは、自体がわからず困惑していた。だが、今度はなにか青い液体が入った瓶を取り出した。


「まさか!硫酸!」


とんでもない物を持ち出して、なにをするつもりなの。


見えないはずのアイに抵抗しながら、瓶を開ける。それは私と浦風くんに向けられたが、アイが咄嗟に瓶の口の方向を変えた。


「ギャァァァ!」


硫酸は汐後さんの手にかかった。溶けた手を抑え悶える彼女をまえに、私は起きたことがあまりにも衝撃的で気を失った。




目が覚めた病室で、警察の事情聴取や事件の詳細を聞いた。


なんでも、ようやく退学が解け家から出られるようになった汐後さんは、私に復讐をしようとナイフと硫酸を持ち出した。硫酸は念のために用意しただけだったが、ナイフが言うことを聞かなくなって瓶の蓋を開けたらしい。だが、手を滑らせ、自身の手にかかってしまったというのが警察の見解だ。


私は精神的ショックだけだったが、念のために一日入院することになった。私を庇った浦風くんも軽傷だが、同様に同じ病院にいる。


だが、それよりもアイの方が気がかりだったのと、アイがもしかしたら兄かもしれない。それを確かめたくて、病院を抜け出してしまいたかった。しかし、あとから事件を知った祖母や先輩方が見舞いに来て、脱走は叶わなかった。




真夜中の病室。冬の冷たい空気で目が覚める。


閉まっているはずの窓が開いていて、そこから風が入って来ていた。窓を閉め直そうと起き上がれば、窓の側に人影が見える。


「アイ……」


大きな羽根で病室に舞い込んだアイは、いままでで一番天使らしく見えた。


「今日は、お別れを言いに来たんだ」


「お別れって、どうして……」


「昼間、瑠海たちを襲った女の子に怪我を負わせただろ。人間を傷付けた天使は罰せられ、羽根を失い地獄に堕ちるんだ」


そんなのってない。汐後さんの手に硫酸がかかったのは、事故のようなものだ。そもそも、彼女が持っていた物で、アイに非はない。


「どうして、アイが罰せられるの?悪いのは、汐後さんなのに」


「いかなる理由でも、さっき言ったルールは適応される。多分、三日以内に天国からの使いが来て、俺は地獄に行くから、こうして会話できるのはあと僅かだ」


「そんな……」


「ごめんな。最後にこんな形でお別れなんて……。まぁ、瑠海なら一人でもやっていけるだろ。せいぜい、バンド頑張れよ。じゃあな―—」


「待って‼」


窓から飛び立とうとするアイを呼び止める。


「お兄さんなの?」


「……」


「アイが私の、お兄さんなの?」


「……バレちゃったか」


兄であると認めたアイは、振り返り「俺の本当の名前は、潟湊藍波あいは。十五年まえに死んだ、おまえの兄ちゃんだ」と正体を明かした。


「俺はむかし、この町の海で溺れ死んで、そのまま天使になった。人間は死ぬと地獄に堕ちるか、転生して新たな命として生まれ変わる。だけど、ある理由で生まれ変わらず、地獄にも行かない魂は天使になる。そして、天使はあるノルマを熟せば、もう一度生まれ変わるチャンスが与えられる。その為に、俺は二年前に地上に降り立った。でも、一度でもルールを犯せば、地獄に魂を送られそのまま食われる。だから、瑠海に正体を言うことができなかった」


「一度、ルールを破るだけで地獄だなんて。しかも、魂が食われる……」


「いいんだ。これは、きっとおまえから自由を奪った罰だ」


珠衣の相談をしたとき、『大切なものを奪った』という話しだ。


「本当は、ノルマを達成するまで、側で支えて償いたかった。でも、もう俺がいなくても、浦風くんや他のバンドの仲間、それに雪乃世ちゃんがいる。俺の役目は終わった。だから、さよなら――」


「勝手なことを言わないで!」


「‼」


「さんざん、振り回しておいて、言うこと言っていなくなるなんて、許さない!」


「でも――」


「今日は帰って!アイの顔なんて見たくもない」


「……わかった。また明日にでも、ちゃんとお別れに来るから」


そうアイは、窓から出て行く。


絶対にアイを地獄へなんて遅らせない。どんな手段を使っても、お兄さんアイを救ってみせる。

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