海の夜明けから真昼まで ③
翌日。父に連れて来られたのは、路地を通り抜けた先にある古びたレコードショップ。
「私のむかしからの行き付けなんだ」
「そんなんだ」
「音楽に興味を持ったのもここがきっかけで、毎日通った。母さんから聞いていないか?」
聞いてない。そもそも、こんな人通りの少ない場所にレコードショップがあることすら気付かなかった。
「総一郎、帰って来ていたのか!」
「久しいな。店主」
父が挨拶するのは、父より年が行っている男性。
この店が、父がまだこの町に住んでいたころの行き付けだから、そのころから店主をやっているのなら、当然父より年上なんだろうけど。フランクに父に話しかける人を見たことがないから、意外に思える。父からしたら、むかし馴染みだから当たりまえなんだろう。
「今日は、久しぶりに来たからサービスだ。好きなレコード一枚やる」
「いいのか?」
「あぁ。もう直ぐ、この店も終いだから」
「……やめるんだな」
「わしも年だからな。孫には商売の才能がないし、わしの代で店仕舞いだ」
「……」
店がなくなると知った父は黄昏ていた。父でも、こんな物思いに耽ることがあるんだと知った。
店内でレコードを見て回る。まえの家にレコードプレイヤーがあったが、ここで購入したレコードを流していたのかな?
クラシックの棚に、ドビュッシーの交響詩『海』があった。一番好きな曲なのと、バンドでよく演奏するアレンジ曲の原曲だから、目に止まった。文化祭で演奏する曲もこれの第一楽章が元になる。
「ほしいのか?」
じーっと見ていたから、父にそう思われた。
「違う」
「遠慮するな。これをもらっていこう」
「でも、うちにレコードプレイヤーないよ」
「古いタイプだが、母さんが持っていたはずだ。流すとき、借りなさい」
有無を言わさないで、レコードを手に取る。店主のおじいさんに軽く挨拶をして、店を出た。
「次はどこに行く?希望はあるか?」
「特にないかな」
「……少し早いが、昼にしよう。十分くらい歩いた所に、喫茶店があるんだ」
そこなら言ったことはないけど、三上先輩がレトロでオシャレな所だって言っていた気がする。
しばし歩くと、外壁が赤レンガで昭和を思わせる喫茶店が現れた。中を覗けば、なぜかテーブルにゲームが備え付けてあって、隅には用途のわからない赤くて丸い物が鎮座していた。
―チリン、チリン―
扉を開けるとベルの音がなる。アンティークのシャンデリアが店内を淡く照らし、落ち着きを感じた。
「好きな物を頼みなさい」
席に着きメニューを渡されたが、好きな物と言っても初めて来たお店だからわからない。
「私はここのナポリタンを好んでいるが、瑠海の好きなエビフライとピラフのセットなんて物もある」
「本当だ。これにしようかな」
ウェイトレスを呼び、父はナポリタン、私はエビフライとピラフのランチセットを注文した。
「最近、フルートはやっているのか?」
待っている間、また父とのやりとりが始まった。
「うん。むかしみたいに、フルート奏者になるつもりはないけど」
「そうか。……進路はどうする?音楽以外でも、父さんはかまわない。進学費用も気にせず、大学に行っていいからな」
「ありがとう。……でも、まだ決めてないから」
本当は行きたいなと思っている所がある。将来やりたいことも。でも、最近ふと思い浮かんだ、稚拙な考え。だから、言える訳がない。
「まだ、二年ある。そう焦らず、考えなさい」
「……うん」
「お待たせしました。カルボナーラとエビフライとピラフのランチセットです」
注文していた料理が来た。進路の話しが憂鬱で、料理に夢中になっているフリをして、モクモクと食べた。だから、味がわからなくて、しょんぼりする。
そこから来る食べ足りなさから、立てかけてあるメニューをチラ見していた。
「デザートほしいか?」
「そんな、つもりじゃ――」
「すみません」
「はい」
父は料理皿を回収しに来たウェイトレスに「氷イチゴと宇治金時一つずつ」と追加注文した。
「かしこまりました」
ウェイトレスが注文を厨房に伝えに行くと、「私も甘い物が食べたかったから、ついでだ」と言う。
どう考えても口実で、私のために注文してくれた。
「ありがとう」
「……」
照れ臭そうに、頬をかく父。
だが、程なくして身構えを正し、私と向き合う。
「いままで、すまなかった」
唐突に頭を下げ、テーブルに額を着ける。
あまりに突拍子もない行動に、私も周囲の客もお店の人も目の玉が飛び出る。
「あ、頭を上げて。お母さんのことでお父さんを恨んでないから」
「それもあるが、私はおまえを知らな過ぎだ。だから、いまからでも知ろうと色々尋ねたが、おまえは多くは語らない。そうなったのは、私が仕事ばかりにかまけて、おまえが自身を話せる環境作りを怠った結果だ。本当に、すまない」
いまの話した内容から、父も私のことを知ろうと努めてくれていたのがわかった。
私も少しまえにそう決意したのに、昨日会った母に怯えて、父とちゃんとした会話をすることを避けていた。
父がこうして、真正面から向き合ってくれたんだ。私も、自分の思いの丈を正直に話そう。
「お父さん。私、本当は進路のこと決めていました」
私の言葉に、父は顔を上げ息を呑む。
「音大に行きたいんだ」
父は大層驚いた顔をしていた。フルート奏者をやめた娘が、音大を希望したのだから。
でも、将来の音楽家としての理想像は、フルート奏者ではない。
「いま、学校の先輩たちや浦風くんとロックバンドやっているの」
「瑠海が、ロックバンド?」
娘がロックバンドに入っているなど、予想だにしない情報に父は困惑する。
「でね、先輩たちは音大に進学して、いまのロックバンドを続けるつもりらしいから……私も、ずっとバンド続けたいと思っている」
「……」
父は顎に人差し指を乗せながら、考え込むように私の話しを聞いた。父の鋭い視線が私に刺さる。
「でも、ダメだと思っていた。お母さんの理想とはかけ離れている上に、お父さんも流石にロックバンドには賛成しないと思っていたから」
瞠目する父の目。それを私は言わなくても当然だというように、娘に絶望しているんだと捉える。
「お父さんが賛成してくれないのなら、学費は自分でなんとかする。だから、邪魔だけはしないでください。私、フルート奏者には怖くてなれないけど、フルートも音楽も好きだから。バンドのメンバーと音楽を続けていきたいんです」
今度は私が額をテーブルに着け、「お願いします」と連呼する。
そんな娘をまえに父は「反対するもなにも、おまえの人生だ。文句を言う権利など、私にはない」とあっけらかんに許した。
「い、いいの?指揮者とピアニストの娘がバンドだなんて―—」
「世間の体裁など、くだらない。人生は、人間が持つ最大の所有物だ。親が指図する物でも、他人がどうこう言う物でもない。斯故、私もおまえの死んだ爺さんと将来のことで揉めて家を飛び出した口だから。おまえが親を気にする気持ちはわかる」
父と祖父との間にそんな過去があるなんて知らなかった。祖父は私が生まれる数年まえには死んでいたから、どんな人柄だったのかも知らない。
「母さんは私の将来に特段反対はしなかったが、家出同然に出て行った私を半ば呆れていた。ちゃんと父さんと話し合わず、東京に上京して、父が老衰で倒れてから帰ったから。母さんからしてみれば、お互いの気持ちを語り合えば、納得のいく答えが出たかも知れないのに、手遅れになってから父さんと向き合ったから、どうしようもない息子なんだろう」
父に対する祖母の対応が粗雑なのは、それが理由みたいだ。
「でも、瑠海のことは大事に思っているから、母さんも瑠海の夢を応援しているはずだ。明佳乃……酷なことを言うが、あれはもうどうしようもない。おまえがフルート奏者になろうがなるまいが、一生口出ししてくる。これ以上、おまえにとって害意にしかならないのなら、あいつを精神科の病院に行かせることも考えている。最悪、強制的に入院させて、おまえと距離を置けるようにするつもりだ」
「お父さん……」
「でも、そのまえにおまえの本心を聞きたい。瑠海、おまえは明佳乃を……自分の母親のことをどう思っている」
正直に言って、難しい。母のことはいまでも怖いし、なるべくなら関わりたくもない。でも、彼女だって最初からあんなだった訳ではない。大好きだった息子をなくして、その心の穴を埋めたかっただけなんだ。
不憫な人だから精神病院に入れるなど、被害を被るのが私一人なら望みはしなかった。
「私の正直な気持ちは、お母さんを好いてはいない。でも、あの人は過去に……お兄さんに囚われた可哀想な人だから、これ以上辛い思いをしてほしいとは思わない。けど、このままの状態の放置をするのはお母さんのためにもよくないし、昨日私の同級生にまで手を出しかけた。このままにしたら、いつか私以外の人に理不尽を強いるときが来ると思う」
だから、母の今後のためには精神病院に入れるべきなのかもしれない。だけど……
「お待たせしました。デザートの氷イチゴと宇治金時です」
話しの途中で、かき氷が来た。まだ、言いたいことがあったが、「一度、気持ちを落ち着けるためにもクールダウンしよう」と父がスプーンを手に取った。
溶けるのも勿体ないから、私も氷イチゴを掬う。生のイチゴ入りシロップに練乳がかけられていて、贅沢なかき氷だった。
ふと、父の方を見ると宇治金時を口にして、乙女のような顔をしていた。
今日、新たに知った父の一面。甘い物好き。
喫茶店を出るまえに、テイクアウトでバームクーヘンを購入した。
明日フランスに帰るまえに、浦風くんへお礼を言うとき用の手土産だそうだ。
最後に、海に行くことになった。てっきり普通に浜辺に行くのかと思ったが、実際に来たのはアイの入り江だった。いま、アイは天国だから、珍しく波音しか聞こえなくて静かに思えた。
「この入り江の海は青が濃くて、むかしと変わらない」
「お父さんもここ、知ってたんだ」
「あぁ。おまえの兄さんが見つけた場所だからな」
兄も来たことがあったんだ。私はまったくと言っていいほど、兄を知らない。こうして、兄の話題が上がってくることもなかった。
「兄さんって、どんな人だった」
自分から兄のことを聞くのも初めて。いままでは母に遠慮して、聞けるような雰囲気ではなかった。
「私があの子のことを語っていいのかわからない。仕事ばかりで、瑠海以上に放置していたから。でも、真面目でいい子だったよ。礼儀正しくて、物静かで、どこに出しても恥ずかしくなかった」
「そっか」
父が私に目を配るのは、母の件があるからだろう。私としては、仕事に集中できなくさせて申し訳ない。
「明佳乃のことだが、今後の様子を見て病院への通院を検討する。そのときになったら、おまえにも伝える」
「わかった。だけど、まだ言いそびれていることがあるの」
「なんだ?」
父は私を注視して耳を傾ける。そうして真摯に私の話しを聞こうとしてくれると、話す覚悟ができた。
「お母さんを病院に連れて行くまえに、文化祭でライブするから見に来てほしい」
「なんだって‼︎」
ここ一番、父が驚いた。私から母に関わろうとしたのは初めてで、それも文化祭に連れて来てだなんて。父からしたら、耳を疑う事案だろう。
「私はお母さんが怖いけど、どうしたってあの人は私の母親だから、私がバンドを続けるのならいずれそのことを知る日が来る。そのまえに私の演奏する姿を見てほしい」
「だが、それでまた明佳乃したら」
浦風くんに手を出しかけたときのように、他人に当たり散らさないか懸念している。それに、私がバンドなんてしていると知った日には、私自身母からどんな目に遭うかわからない。
「でも、それを止めるのがお父さんの役目だよ。私はお父さんを恨んではいないけど、お父さんは後悔している。私に負い目を感じている。だから、お母さんを止められなかった責任を取る場は作ってあげないとと思った」
アイが教えてくれた。罪悪感を……罪を拭えないことの残酷さを。
だから、私としては必要を感じないけど、父に責任というものを取る贖罪の機会を作ることにした。
それだけなのに、父は涙ながら「ありがとう」と言い続けた。
ようやく、父とも真正面から向き合えたようで、私は嬉しかった。
私を家まで送ったあと、父は旅館に母を迎えに行き夜の飛行機に間に合うように夕方ごろ電車に乗ると言った。
父たちが丁度電車に揺られているころ、私は今日レコードショップでもらったドビュッシーの『海』を聴こうと、物置でレコードプレイヤーを探していた。奥から引っ張り出したそれは、”蓄音機”だった!しかも、手回し式!
父も古いタイプとは言っていたが、ここまで古いとは思わなかった。
実際に流してみると案外使えて、古いレコードにアンティークの蓄音機がマッチしていた。
むかし、父もこの蓄音を機使っていたかもと想像し、ニンマリする。
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