波の戯れ ⑤
二週間ほど経過。今日は海の家最終日、ライブ当日。
昼間の営業は三上先輩のご両親と珠衣に任せて、
「うん!いい感じ!」
「本番もこの調子でいこうぜ!」
「穐葉先輩、くっ付かないでください。暑苦しいです」
「連れないことを言うなよ。はーやせ」
「ライブまえくらいは、大人しくしてろ」
「建昭はお堅いな。ライブまえだからこそ、ある程度のゆとりもいるんじゃないか」
「それで、迷惑がかかっているって気付け」
まえに三上先輩が言った通り、穐葉先輩って間が悪いな。先ほど早勢先輩は直身先輩に声をかけようとしていたが、そのまえに穐葉先輩が絡んだ。
それに気付かずひょうきんな態度の先輩を見ていると、アイを思い出してしまう。
「萠江ちゃん、ありがとう。昼間はうちの店でリハーサルできないから、助かった。その上、あとから車でドラムやらキーボードなんか運んでくれるって言うし」
「流石に普段の練習で私の家を使う許可はもらえませんでしたが、今日くらいならと両親が許してくれましたので」
あとから知ったことだが、バンド練習の場所が確保できないでいるとき。最初、直身先輩はご両親に、自身の家を使わせてもらえないかと直談判したそうだ。もともと、今日のような直前のリハーサルなんかでは、広い直身先輩の家でやっていたそうだ。
しかし、普段使いするのは流石に許してもらえなかったらしい。
「こうして、みなさんのお役に立てられて、恐悦至極です」
「萠江ちゃんったら大袈裟。でも、かわいい!」
「せ、先輩……くすぐったいです……」
三上先輩が直身先輩に頬擦りしていると、直身先輩の母親が「クッキーが焼き上がったので、みなさんよければティータイムにしませんか?」と焼き立てのクッキーと上品な香りの紅茶をキッチンワゴンに乗せて来た。
「お母様、ありがとうございます」
「いいのよ。では、みなさんごゆっくり」
いただいたクッキーとお茶で一息吐く。
「直身先輩、このクッキーとてもおいしいです」
「紅茶もダージリンで、とってもおしゃれ」
「直身の家はいいよな。お菓子はいつも母親の手作りか、お菓子メーカーの高級品。俺の家なんて、おせんべいだぜ」
「後輩の家の菓子ごときで、そこまで羨むな」
「ふふふ……」
穐葉先輩の言葉に、直身先輩は微笑する。その柔らかい笑みは、愛情のある家庭で育った人の顔だ。
「まえから気になっていたんだけど、直身ってどうしてうちのバンドに入ったの?」
「……どうしてとは、一体どういう意味なのですか?」
「だって、こんな大きな家のお嬢様が、俺らのような高校生のバンドに加入するなんてよく親が許したなって」
「あんた!いまのは萠江ちゃんに失礼よ!」
「穐葉先輩、もう少し言い方ってものを――」
「三上先輩、早勢くん。私は大丈夫。気にしていません」
二人を宥めた直身先輩は「それに、穐葉先輩の言葉は、世間一般のイメージとして当然だと思います」と質問されたことを詳しく話してくれた。
「家の跡取りには弟がいますし、お父様もお母様も私の好きなようにしなさいと、特に反対はされませんでした」
「お優しんですね。直身先輩のご両親は……」
羨ましさから、ついそんなことを言ってしまった。でも、表面上には妬みなどの感情が乗っていなかったため、全員が私を話しの聞き手の内の一人としか認識しなかった。
「でも、それってバンドをやっている理由とは直結してないな」
「はい。三上先輩には話しましたが、私はもともとピアノを習っていて、家でレッスンを受けていました。自身の腕にそれなりの自信はありましたが、私より上手な人は五万といて、私はそこそこの弾き手でしかありませんでした。家族やピアノの先生はとても褒めてくれましたが、力量が足りない自信に腹が立ちました。切迫感に押し潰されて、好きだったピアノもだんだんイヤになりました。そんなときに三上先輩と出会い、自分の思うがままに奏でるメロディーに惹かれ、いまに至ります」
「なるほど」
「私は
……楽しむための音。
「いやー。萠江ちゃんの考えることはロマンチックで素敵ね」
「直身らしい考えだな」
他の先輩方が直身先輩を褒める中、私はなにも言えなかった。
「少し早いけど、そろそろ楽器を運び出そう」
「そうだな。時間に余裕があれば、慌てずに済むし」
「このまえは、穐葉がグータラしていたから、俺まで焦った」
「なんだと!こんやろー!」
「絡むな」
賑やかな先輩方を遠目で見ながら、私も荷物の整理をする。と言っても、私はフルートでそんなに大荷物ではない。早く終わり、大型の楽器で運ぶのに苦戦している建昭先輩と直身先輩のお手伝いをする気でいた。
だが、「先輩方、すみません。僕、潟湊さんに用があるので、少し先に出ます。ライブまでには海の家に行くので、心配しないでください」と手を掴まれた。
「やっぱり、浦風は……」
「よっ!浦風、男らしいぞ」
「あの浦風くんが……」
先輩方も驚いていた。私だって、彼がこんな行動をするなんて信じられず、最初誰だかわからなかった。
直身先輩の家をあとにした私は、浦風くんの手に引かれるがまま海のある方向へ連れて行かれた。しかし、海の家を素通りして行く。
「ちょっと、待って」
浦風くんとは気まずいままだったのと、彼の行動に呆気を取られ、されるがままだった。でも、この先へは行きたくないから待ったをかけた。
「この先は、入り江でしょ。なんのつもり――」
「潟湊さん。最近、アイさんの所に行ってないよね」
「そ、そうだけど……」
「アイさん、寂しがっていたよ」
「それで浦風くんに頼んだの?」
「いや、これは僕の独断」
「わざわざ、どうしてそんなことを?」
「潟湊さんこそ、どうしてアイさんに会わないでいたの?」
「それは……」
「……」
純粋な瞳に押し負けてしまった。言えば軽蔑されるようなことを平気で言った。
「依存したくなかったの」
「……依存?」
私の母は死んだ兄に依存していた。そして、私もアイに頼り切っている。このまま、アイがいないとなにもできなくなれば、母のように狂った人間になってしまう。それがイヤだった。
浦風くんには、母のことはぼかして話した。
「最低でしょ。こんな他力本願で、さんざん助けてくれたアイから逃げるような人間」
「潟湊さんはそんな人なんかじゃ――」
「いや、かなり私捻くれているよ。実際、直身先輩の家庭状況や彼女の音楽の価値観を聞いて、先輩を妬んだ」
私の家も裕福な方だが、母に縛り付けられ自由なんてなかった。父は優しいが、いつも家にいない。
音楽も楽しいなんて感覚、私にはなかった。珠衣のお陰で、母の強制で始めた音楽でも、ちゃんと向き合っているって思えたが、楽しいかどうかはわかんない。
恵まれた家と、純粋に音楽に勤しむ直身先輩を羨む私はとんだ捻くれ者……いや、歪んでいる母のように、私も歪んでいた最低な人間だ。
「それで最低な人間なら、僕なんて極悪人だよ!」
ふいに、浦風くんが悪人宣言をした。
「潟湊さんをいじめの身代わりにして、バンドに入ってほしいうしろめたさから助けようとして、最終的に怪我まで……」
「私は気にしていないから――」
「僕が気にする!だから、今度こそ力になるから!」
浦風くんに引っ張られ、入り江に連れて来られた。アイは、いつものように海に浸かっている。
「瑠海に浦風くん‼来てくれたんだ」
アイは私に迫って、「瑠海、来てくれて嬉しいよ~。会いたかったよ~」と抱き付いた。
「最近、忙しかったから」
「そっか、そっか」
「いい加減、離して。暑苦しい」
「いいだろ。もう、ちょっと」
「……」
「あれ?いつもなら、イヤがるのに」
アイに依存したくなくて心疚しく、いつものような会話ができない。
波の音だけが聞こえる中、アイは私の首になにかをかけた。
「お守り。今日のライブで着けてくれ」
首には、藍色の貝殻たちで作られたネックレスが飾られていた。
「あとで見に行くから、急げよ。そろそろ行かないと準備の時間がなくなるぞ」
アイに背中を押され、私と浦風くんは海の家に向かう。
海の家では、早勢先輩が出迎えてくれた。
「浦風くん、潟湊さん。お帰りなさい」
「先輩。迷惑かけてすみません」
「いいよ。浦風くんがあんな大胆な行動を取って驚いたけどね」
「……」
「それよりも、全員デッキで待っているから、二人も急いで上がって」
ライブは、デッキの上を使わせてもらう。見晴らしがよくて、ライブ会場としてピッタリだ。
先輩方とお手伝いで珠衣も、楽器の設置に取り組んでいた。全員に戻った胸を伝えると、珠衣と三上先輩が私の首元に注目した。
「わぁ!瑠海、そのネックレス素敵」
「どれどれ。なにこれ!綺麗な色!もらい物?」
「えぇ……」
「いいなー。にしても、浦風に感謝しないとね」
「どうして、浦風くんに?」
「浦風なんでしょ。くれたの」
直身先輩の家を出るとき、浦風くんに連れられてだった。そのあとにネックレスを付けて来たのなら、そう思われても可笑しくはない。
「違います。これは、その……以前話した、あいつからもらって」
「あー、瑠海ちゃんのお兄ちゃん的な存在。なんだー。つまんない」
珠衣にだけでなく、三上先輩からもそういう解釈をされるようになったんだ。
そう思われるようになったのは、私がアイを頼りにし過ぎたからかもしれない。不甲斐ない自分にため息を吐いていると、誰かが私の肩に手をかけた。
「潟湊さん、大丈夫?」
「直身先輩……」
「初めてのライブで緊張するかもしれないけれど、普段通りにやれば問題ありませんわ。それでも不安なら、私たちを頼ってください」
「でも、先輩方の甘えを受けるのは申し訳ないです」
「甘えだなんて……。仲間なんですから、頼ったり、頼られたりするのは当然です」
「えっ……」
「直身の言う通りだよ。潟湊さんは自分のことは全部自分でなんとかしようとする節があるけど、一人ではどうにもできないときに頼り合うのが人間なんだから」
直身先輩に同意するように、早勢先輩も頼れと言った。
「そうだよ。自分のことどころか、他人の問題まで抱えたりするんだから……」
「期待しているけど、困ったことがあれば、このつばさに相談しなさい」
浦風くんと三上先輩まで……
「私は
「……珠衣」
事情を知っている人にしかわからない言い回しとはいえ、あんな残酷な出来事を思い出すだけで、勇気がいるはずなのに口に出した。案の定、事情を知らない浦風くん、直身先輩、早勢先輩は珠衣の話したことに困惑する。しかし、三上先輩は親戚だから、少しは知っていたのだろう。とても顔を曇らせている。
それでも珠衣が話したのは、私のことを思ってだ。人に頼ることを拒絶する私の考えを変えるために。
ずっと、人に頼るのはいけないこと……いや、そもそも人に頼るという概念すらなかった。普通、子どもが真っ先に頼るのはきっと親なのだろう。しかし、私は自身の両親にすら、頼れる状況になかった。
でも、いまは
「珠衣、ありがとう」
「る、瑠海~」
感極まって、涙腺が緩む珠衣。少し大袈裟だよ。
「先輩方や浦風くんもありがとう」
「かわいい後輩なんだから、これくらい当然よ」
「それから、直身先輩。すみませんでした。私は先輩に、とても酷いことを」
「なんのことでしょうか?」
訳がわからず、直身先輩は狼狽する。綺麗な彼女でも、こんなに慌てるのだなと可笑しくなった。
「先輩、私の問題なのでそこまで気にしないでください」
「そうですか。ならよかったです」
「おまえら、手が止まっている。早くしないとライブの時間だ」
「そうだ、そうだ。早くしろ」
建昭先輩と穐葉先輩に注意され、全員いそいそと作業した。
それから十数分後。もう、すっかり宵の口。
私たちの演奏を聴きに、町民がデッキの下でいまかいまかと待ち焦がれている。
観客のまえで演奏するのは幼少期から慣れているはずなのに、急に不安が押し寄せた。ここまで来て、なにを怖気付いているのだと自負するが、足が震える。
「怖いよね」
「早勢先輩……」
「僕、吹奏楽部だったからコンサートでの演奏とライブで客層が全然違くて、始めのころは慣れなかったな」
「そうですよね。コンサートとの齟齬に身構えてしまいました」
コンサートだと静かにするのがマナーだから、精神統一しやすかった。だが、これはバンドライブ。コールなどが鳴り響き、私たちの演奏がかき消されてしまう気がして怖くなってきた。
「観客もそれだけ、あたしたちの演奏を待ち望んでいるってことよ」
三上先輩の言葉に観客を眺めた。全員が期待に胸を膨らませている。
「潟湊さん、あれ」
浦風くんの指さす方にはアイがいる。他の観客は狭いのを我慢しているのに、アイは飛んで空中観覧というズルをしていた。
「もう。アイったら」
「瑠海ちゃん、浦風。二人ともどうしたの?空中になんかいるの?」
「大きな虫がいただけです」
アイという、お邪魔虫がね。
「緊張、解けているね」
アイの行動に呆れ果て、気付かなかったが、三上先輩の指摘通り肩の力が抜けていた。
「そろそろだ。行くよ、みんな!」
「よっしゃぁ!気合入れるぜ!」
ようやく演奏のとき。今日まで、様々なレッスンに励んだ。ロックの勉強、バンドでの音の合わせ方、私が入ることによるフルートの楽譜作り。その集大成を聴かせるんだ。
ステージに上がると、ライトアップで照らされた。
「瑠海ー!つばさお姉ちゃーん!」
珠衣も下から応援している。彼女のまえで、恥ずかしいところなんか見せられない。
「町内のみなさん、
「イェーイ!」
三上先輩の挨拶で、盛り上がる観客。私までもがドキドキしてきた。
「それでは今日の演奏はクラシック音楽の海をアレンジしたソング。『藍の波』!」
演奏が始まった。穐葉先輩のギター、建昭先輩のドラム、直身先輩のキーボード、早勢先輩のサックス、浦風くんのベース、そして私のフルートで音を鳴らす。響き渡る音に三上先輩が声を乗せて、それが観客に届くと私たちの演奏に合わせ盛り上がった。
なんだか、いままでにない高揚感で心が躍り出す。メンバーや観客と一体になって、一つの芸術を作り出している気がして、この時間がずっと続けばいいのにと思った。
フルートだと体事態はあまり動かないが、気分が向上して自然と体も動いてしまう。
すると、ライブ演奏と観客の声で掻き消えていた波の音が聞こえ出した。しかし、海岸の方からではなく、直ぐ近く、まるで私自身が波音を立てているような。
しばらくして、音の発生源はアイがくれたネックレスからだった。このネックレスの貝殻も、アイの羽根が入っている。波の音が聞こえるという貝殻の特性が強化されて、揺れるだけで音が会場全体まで聞こえるようになったんだ。
私の微かな動きだけで、ライブ演奏と張り合える音が出るなんて驚いたけど、この波の音は演奏を阻害するような邪魔な音ではなかった。むしろ、私たちの演奏と一体化して、水飛沫が飛ぶような強く生命力のあるメロディーを奏でている。
ようやく、私らしい自由な音楽を作り出せた。心が波音とともに踊り出す。
水飛沫も鳴りを潜め、演奏が終了した。会場は演奏で、気持ちが高ぶった観客のコールに包まれ、私たちは大満足だ。
ふいに、会場の隅に佇む女性の存在に気が付いた。
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