波の戯れ ④

バーベキューから二日。今日の私のシフトは入っていない。久しぶりに昼間から入り江に来て、アイに差し入れにアイスを持って来た。四六時中ここで天使としてのお勤めをしているアイへの労いと、珠衣のことでのお礼だ。アイが背中を押してくれたから、珠衣との関係修復ができて、友達になれたようなものだ。


「それでね、珠衣とはそれからバイト以外の時間でも会うようになったんだ。今日の午後も一緒に夏休みの宿題をする約束している」


「へぇー。よかったな。仲良しの友達ができて」


「それもこれも、アイのお陰だよ。感謝している」


「そう思うなら、天使の俺をもっと尊敬して――」


「それとこれとは別。調子に乗ったこと言うなら、そのアイス返して」


相変わらずのお調子者に、アイスを返せと言い返してやった。


「へっへー。遅いぞ」


私の言葉のあと、一気にアイスを飲み込む。勝ち誇ったような顔をしているが、急激に冷たい物を食べたために頭痛に苛まれた。


「イッ、イッテーーー……」


「慌てて食べるから」


キンキンとする頭を抑えるアイを冷ややかな目で見る。


「いま更だけど、天使って普通に人間の食べ物を口にできるんだ」


「本ト、いま更だな。アイス持って来たのは瑠海なのに」


「昨日、アイがアイスがいいって言ったからじゃない。私は小型の音楽プレイヤーにするつもりだったんだよ」


「もらっても、ずっと持っていられないだろ。こんな潮風に晒せられ続ける場所だ。音楽プレイヤーなんて、一瞬で壊れる」


「でも、まえに聴かせてくれた貝殻の音、ドビュッシーの『海』でしょ。アイも音楽が好きなんじゃないの?」


「好きだけど、もらうなら食べ物の方がいいかな。あとに残らないからね」


食い気優先。ますます呆れる。


「それはそうと、天使って本当に不思議ね。当然のように物を口にできるし、痛覚もあるなんて」


私は、頭痛でアイが抑えていた箇所をポンポン叩いた。


「あんま叩くなって。頭わるくなったらどうするんだ」


「もともと、からっぽじゃない」


「瑠海は、俺をそんな風に思っていたの?」


「うん」


「即答!」


珍しく、かなりのダメージを受けたようだ。


肩を落としながら、アイは「まぁ、食べる必要はないし、怪我をしても酷くなければ数時間で塞がるんだな。これが」と呟く。


普段のアイの言動と人間らしい生き生きとした性格に忘れてしまいがちになるが、アイは既にこの世の人ではないんだ。


「でも、この体わるいことばかりじゃない。人に見えないから、駄菓子屋の当たりくじをこっそり調べられるからな」


「それ犯罪行為なんじゃ……。天使が泥棒をするなんて。まえにも、私のフルートを勝手に持ち出したし」


「ちゃんと代金は払ったぞ⁉」


「……」


「そんな、ゴミを見るような目で見るなって‼」


もうバカバカしいから、話題を珠衣のことに戻した。昨日の練習でフルートの手入れのアドバイスをもらったことや、彼女が楽器職人としても優秀だということを話す。


ふと、「そういえば、一つだけわからないことがあって。珠衣がポストに入れた手紙、どこにいったのかな?」。


普段、両親が家にいなかったから、朝に郵便物を取り出すのは毎回私がやっていた。母の仕打ちに耐え兼ねて一度こっちに来たときは別として、引っ越す数日まえは荷物の整理でまえの家にいた。その間も、郵便物のチェックは毎朝欠かさなかった。学校がなく、レッスンもないと、やることがそれしかなかったから。


「確かに気になるけど、済んだことだし気にしなくていいんじゃないのか。今日はずっと雪乃世ちゃんのことばかりだけど、そろそろ浦風くんとの仲も――」


「珠衣との約束があるから帰るね」


面倒なことを言われるまえに、スタスタその場を去った。


後方で、「こらー!まだ、話しは終わってないぞー!」と喚いていて、煩わしいことこの上なかった。




海の家からほど近い平屋が、三上先輩の家だ。私は夏休みの間、珠衣が借りている部屋でノートと睨み合っていた。


「現代文って苦手で、イヤになる」


「そうかな?私は、数学の方が難しいと思う。数式って覚えづらくて」


「数学は、決まった答えがあるでしょ。国語系にはそういうのがないから、いまいち好かないんだよね」


「そういう人は、多いって聞くけど……」


「物語文なんて特にわからない。登場人物の心情を推測しなさいって言われても、いもしない人の気持なんか、わかるはずないのに」


「私はそういうときは、楽器を調律するつもりで答えを考えることが多いな」


「楽器を調律するつもり?」


「そう。物語を書いた人って、なにか伝えたいことがあったからだと思うんだ。そして、楽器職人は音楽家と演奏を聴く人に、自分の楽器作品で最高の演奏を届けたくて、楽器を作り、調整をしているの。伝えたいこと、届けたいことがある。そういう意味では、楽器職人も文筆家も似ていると思う。だから、楽器を作るときや、調律するときのことを思い出しながら、物語を読むようにしているの。まぁ、これってパパの受け売りなんだけどね」


「伝えたいことかぁ……」


音楽家にも、そういったものがある人は多いだろう。単純に、好きな音楽を多くの人に知ってほしい。作曲家などは、曲に伝えたい意味をそのまま込める。


母にされるがまま音楽を始めた私にはそれがない。


「たまちゃん、瑠海ちゃん。おやつ持って来たよー」


「三上先輩、ありがとうございます。でも、海の家の仕事は?」


「いまは、休憩タイム。バーベキューのときに比べて人いないから、暇で暇で抜け出して来ちゃった」


「わーい。つばさお姉ちゃん、ありがとう。このトウキビスナック大好き」


「本ト、たまちゃんはトウモロコシが好きだよね」


「では、私もいただきます」


「遠慮せず、どんどん食べて」


先輩の休憩が終わるまで、ちょっとした女子会ムードになっていた。主にしゃべっていたのは先輩と珠衣で、いまはバンドの男性陣の話しで持ち切りだった。


「穐葉は論外かな?あいつ顔はいいけど、間が悪いというか、変なタイミングで会話に入って来ること多くて」


「あっ、わかる。私も瑠海と話しているときにあった」


「あいつ、この短期間でたまちゃんと瑠海ちゃんにまで……。空気読めないっていうか……」


アイにもそういうところがあるけど……。


「でも、わざとじゃないんだよねー」


あいつはふざけてわざとっぽいから、たちが悪いよ。心の中で、アイへの不満を独り言ちる。


「逆に、建昭さんは無口だけど、そこがクールでかっこよくて、素敵じゃない」


「あー。あいつはダメダメ。確かに根はいいけど、言葉をオブラートに包まないところがあるから、友達少ないんだよね。同じクラスだし、幼馴染で付き合い長いけど、あたしと穐葉以外の人間とまともに話しをしている記憶ないもん。それに、あたしのかわいいたまちゃんを、あんな仏頂面になんか渡さないんだから!」


「もう、つばさお姉ちゃんったら。それに、タイプって言っただけで、本気で好きとは言ってないよ」


これが世の女子が好きな異性の話しをする、恋バナってやつか。音楽以外に関心を向けなかったから、初めてで会話に入りにくい、まぁ、興味ないからいいけど、二人だけでしゃべっていて寂しい。


だけど、思わぬタイミングで、私にとんでもないキラーパスが来た。


「ところで、瑠海ちゃんは最近、浦風との仲はどうなの?」


「浦風くん?」


「だって、あんたたち付き合っているんでしょ」


「⁉」


三上先輩の言葉に驚いて、飲んでいたジュースを思わず吹いてしまった。


「だ、大丈夫?」


「へ、へいき……」


背中を摩ってくれる珠衣に大丈夫だからと、手を退いてもらう。


「えっ……違っていたの?」


「そう見えていたんですか?」


「違うんだ。ごめんね。でもじゃあ、浦風の片思いか」


「私もそうだと思う」


珠衣まで、根拠のないことを言い出した。


「だって、浦風くん。よく、瑠海ちゃんのことを見ているよ」


「そうそう。あと、知らないかもしれないけど、うちの店にチャラそうな客が来たら、瑠海ちゃんが対応するまえに、あいつがオーダー受けたりしてたんだよ。あいつ気が弱いから、瑠海ちゃんがいなかったら進んで接客しないって」


「それは好意からではなく、負い目からだと思います」


『負い目?』


「先輩はご存じかもしれませんが、バンドへの加入。かなり渋っていたんです。それでも浦風くんは勧誘してきて、無理やり入れた感があったからだと……。でも、最終的に加入したのは自分の意志で、いまでは入って良かったと思っているので」


流石に、いじめの件は言えなかった。同じ高校に通う先輩なら、大体のあらましを知っているだろう。


でも、生徒数が少ない割に校舎が広くて三年と一年のクラスは離れている。その上、加害者はともかく被害者の名前はあまり広まっていない。バンド内で余計な波風を立たせないためにも、それっぽい理由を述べた。


「えー、でもー――」


「もしかして瑠海、誰か好きな人がいるの?」


『⁉』


どうしたら、そういう話になるの⁉珠衣の根拠のない指摘に瞠目するが、私よりも三上先輩が興奮していた。


「そうなの!そうなの!相手は誰!うちのバンドメンバー!それとも学校の人!同級生!先輩!先生!」


「先輩、落ち着いてくださいぃ……。首が締まるぅ……」


私に問いただす勢いで、胸元を掴まれて苦しい。


「あっ……。ごめんなさい」


離されると苦しさから反転、開放感が来た。息と皺の寄った服を整える。


「そんな人、いませんって。珠衣も、どうしてそんなこと思ったの?」


「あそこまで否定するってことは、好きな人でもいるのかなぁって」


「じゃあ、逆に聞くけど。仲のいい男子とかいないの?うちのバンド以外の男子も含めて」


「まぁ、いると言えばいるんですけど……」


「本ト!あたしたちの知っている人!」


「いえ、知らない人です」


「どんなタイプ!かっこいい!かわいい!年上!年下!」


「す、少し、落ち着いてください!あいつとは先輩が思うような、甘い関係ではありません!」


ハイテンションで詰め寄る三上先輩以上に声を上げたから、二人とも度肝を抜いた。


「まずですね、あいつは……」


積もりに積もったアイへの不満が、ここで爆発した。あいつへの愚痴を、微に入り細を穿つように語る。


「……大体、あいつは常にデリカシーがなくて、その上ちょっと褒めると調子に乗る!そういった言動だから、尊敬できそうなところの評価も下がっているのがわからないのって話しです!この間も――」


「瑠海ちゃん、ごめん。さっきから、惚気話と痴話喧嘩にしか聞こえないや」


私は烈々たる憤怒の感情を述べていたのに、三上先輩にはそんな風に捉えられて、思いの外ショックだった。でも、先輩と友達のまえでムキになって、醜態を晒したようなものだと冷静になる。


鬱憤を理解してもらえなかった虚しさと見苦しい自分への羞恥心で、顔を覆い隠した。


「気にすることないよ。つばさお姉ちゃんは恋愛脳が強めだから、瑠海の話しを大袈裟に解釈している部分があるから」


珠衣が慰めてくれるが、言い振りからして珠衣から見ても惚気話や痴話喧嘩に聞こえるところがあるのだろう。哀れみを受け更に消極的になるが、そのあとの珠衣の言葉は思っていたのとは違っていた。


「聞いてみると惚気話ってより、兄妹ケンカに近いね」


「兄妹って?さっき話していた人と私が?」


アイも私のことを妹みたいって言ったことがあるけど、会ったことのない珠衣がそう捉えたってことは、私はアイに似ているってことなの?あんな、ちゃらんぽらんと同類なんてイヤ!今日一番、受け入れたくない出来事だ。


「まえに、お姉ちゃんがいるって言ったでしょ。実はお兄ちゃんもいてね、お姉ちゃんと双子なんだ。でも、二人とも生まれたときから一緒だから、なにかと張り合いがちなんだ。私は一回り以上年が離れているから兄妹ケンカってあまりないけど、二人は凄まじいっていうか。お兄ちゃんの方があとから生まれたんだけど、お姉ちゃんに弟扱いされたくないっぽくて、お姉ちゃんに食ってかかるの」


なんだか、その気持ちはわかる。見た目の年は私と同じくらいなのに、アイはときたま私を年下扱いするんだもの。


「だけど、内心はお互いを大切に思っているから、どんなにケンカしていても、そこにいるだけで安心して、素直に色々言い合っているんだ。話している最中、瑠海もそんな安心を含んだ目だったよ」


気心の知れた相手だからこそ、なんでも言い合えてケンカしているって感じなのかな?


「流石にあれほどの大ケンカは怖くて私はムリだけど、家族が側にいると不思議と心が落ち着くのはわかるから、年の近い兄妹って羨ましいんだ」


家族って、そういうものだろうか?私の母は、兄への執着で可笑しくなっている。父は私のことで心を痛め、気にかけてはくれるものの、仕事で一緒にいられる時間が少ない。


だから、家族がいると安心するって心理はいまいち理解できなかった。


でも、アイとの記憶を振り返ると、あの入り江だと……アイの側だと、誰にも言えない本音や家庭事情をあっさり話している。つまるところ、内心私はアイを兄のように思っているってことになるのかもしれない。


アイの言った通りになるなんて、釈然としない。しかし、アイが側にいるだけで、妙な安心感があるも明確な事実だ。実際、アイのアドバイスで上手く物事が進んでいる。


でなければ、未だに私は汐後さんたちにいじめられ、浦風くんももっと酷い仕打ちを受けていた。フルートとも向き合わずに、以前とは違う音楽への関わり方を知らないまま、雪乃世さんへの罪悪感たっぷりの孤独な演奏をしていた。また、彼女とこうして話せてなどいなかった。


私にとって『アイ』は、なくてはならない存在になってきている。

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