波の戯れ ③

「おはよう。潟湊さん」


「浦風くん、おはよう」


『……』


お互い気まずさから、目を逸らす。


「昨日、アイが言ったこと、気にしなくていいから。アイはふざけた言動が多いって、私より付き合いの長い浦風くんの方が知っているよね」


「いや……僕がアイさんに会うのは二、三ヶ月くらいの周期で、そこまで長く話さないから。でも、アイさんが言ったことは、その……潟湊さんの方こそ気にしないでください。そもそも、僕はきみと釣り合うような人間じゃない。女の子がいじめの身代わりになっているのに放置したり、話しも盗み聞きする卑怯なやつだから」


「浦風くん……」


「二人とも、朝からどうしたの?そんな所に突っ立って?」


『三上先輩。おはようございます』


「おはよー。今日と明日はお店でバーベキュー大会だから、忙しくなるよ!瑠海ちゃんも浦風も、しっかり働いてね」


その日はもう、息吐く暇もないほどの大仕事が待ちかねていた。通常労働に加え、バーベキューに使う道具の設置、材料の準備、料理の配膳、etc. ……。


結局、自身を卑下する浦風くんや、私によそよそしい態度の雪乃世さんと、まともに会話する時間が取れなかった。全員へとへとで、今日のバンド練習は休みになった。




「よっ!今日の労働お疲れさま」


「昨日、あんなこと言っといて、叱られる覚悟はできているの?」


なにもなければ、今日の疲れを取るためにさっさと家に帰っていた。しかし、前日から、仕事終わりにアイにお小言を言う気でいた。


「浦風くんのことはごめん。場を和めせるつもりで言ったんだけど」


「それで傷付けたら、元も子もないでしょ」


「おっしゃる通り」


珍しく反省しているみたいだ。


「でも、浦風くんが瑠海のこと好きなのは、間違いないよ」


訂正。反省してなかった。


「いい加減にしなさい!浦風くん、自分のこと責めていたよ。根本的な原因が違うけど、アイがあんなこと言わなきゃ――」


「瑠海は、本当に優しいね」


「なんなの、急にそんなこと――」


「もともと昨日は自分のことで相談に来たのに、今日は浦風くんを傷付つけた俺に説教しに来た。自分より他の人のために行動できる瑠海は、特別優しい子だよ」


「……優しくなんてないよ。他の人の大切なものを……雪乃世さんって人からフルートを奪ったのに、私はまだフルートに縋っている。こんな人間が優しいなんてありえない」


「でも、後悔しているんだろ」


「当たりまえだよ。誰が好き好んで人の腕をダメにするの」


「だったら、素直に謝ればいいじゃん。瑠海がそんなに想う子なら、その雪乃世ちゃんって子もいい子なんだろ。誠心誠意謝れば、瑠海の気持ちわかってくれるよ」


誠心誠意なんて、アイには絶対似合わない台詞が出た。それに、誠心誠意謝ってもムリなのはもう知っている。


「もう、謝ったよ。手紙でだけど……返事はなかった」


「そうなの?なら、今度は面と向かって謝れば」


「簡単に言わないでよ。ここ数日、雪乃世さんと顔を会わせているけど、お互いまともに顔を見れないんだから」


「えー……、そんなのもったいないよ。せっかくの贖罪のチャンスを自分で握り潰しているようなものじゃないか。それに、雪乃世ちゃんも気まずくしているのなら、その子にも思うところがあるって証拠だ。それがいい意味か、わるい意味かはわからないが、よく言うだろ。『当たって砕けろ!』」


「……アイの言う通りかもしれない。ほんのちょっとまえに、雪乃世さんから怪我を負わせたときのことを蒸し返されそうになった。その場では邪魔が入って流れたけど、もし……もしあのときのことを責められたら、私は今度こそフルートを二度と演奏できない。それどころか、手にすることすらできなくなる」


本心では、雪乃世さんと向き合う決心ができてなかった。本当は忙しさを理由にして、内心話すのを避けていた。私は、やっぱり優しくなんてない。とても、とても、ずるい人間だ。


「せっかく、バンドに誘ってもらったのに、新しい音楽との関わり方を知るチャンスなのに、手放したくない」


「やめたくないなら、やめなければいい。例え、フルートを演奏する瑠海を雪乃世ちゃんが責めても、それをフルートをやめる理由にしなければいい」


そんなの虫がよすぎる。フルート奏者としての人生を奪われた彼女には、私からフルートを奪う権利がある。その強制権を拒むなど、罪から完全に目を背けるようなもの。


「そもそも、雪乃世ちゃんとの会話を拒むことが一番ひどいことだ。瑠海は一番ひどい行いはフルートを続けることだと履き違えて、現在進行形で雪乃世ちゃんのことをおざなりにしている。そんな状態で毎日瑠海と顔を会わせて、きっと雪乃世ちゃんは辛いはずだよ」


説得力のあるアイの言葉は衝撃的で、目からウロコが落ちた。


今日の雪乃世さんは、仕事の忙しい合間でもなるべく私の側にいようとした。その影を落とした顔は、過度なレッスンを強いる母から逃げ出したくても逃げられなかった私と同じだった。


「昨日、『俺はその大切なものを奪ったやつ』って言ったの覚えてる?」


ゆくりなく、アイが昨日のことを持ち出した。そういえば、浦風くんがいて聞きそびれていたな。


頷くと、アイは昔語りのように話し出した。


「俺は生前、生まれたときから続けていたことがあったんだ。だけど、中途半端な状態で俺が死んじゃって、俺が果たせなかった責任は家族に押し付ける形になってしまった。そのことをずっと後悔しているんだけど、天使には生前のことを軽々しく話してはいけないっていうルールがある」


「えっ……なら、いまこうして話しているのも――」


「これくらいなら、大丈夫。やっていたことがなんなのかも言ってないし、名指しもしてないから。でも、このルールを恨めしく思うよ。こんなルールがなきゃ、残して行った家族に謝れるのに。さっき、せっかくの贖罪のチャンスを自分で握り潰しているようなものって言ったのは、俺と違って謝れるのが羨ましいんだ。大切なものを奪った側で贖罪もできない俺は、瑠海に指図していい訳ないのに、ごめんな。だけど、瑠海には俺と同じ思いをしてほしくない」


「……アイ」


後悔の滲んだアイの表情に、以前死んだ兄の話しをしたときのことを思い出した。もしかしたらアイは、母の期待を背負った中死んだ兄と自分を重ねて、あんな風になったのかもしれない。


そしていまは、雪乃世さんに謝れない私と重ねている。


「瑠海。他人からなにを言われても、自分の好きをやめるのももったいないことなんだ。音楽家に限らず、タレントや政治家とか、有名人は世間の評価を受ける。いちいち賛否両論で自分の意志が揺れていたら、この先身が持たないぞ。それでも、雪乃世ちゃんの言葉を気にするのなら、俺が雪乃世ちゃんを説得してやる。なんたって、俺はおまえの兄ちゃんみたいなもんだからな」


「……こんなちゃらんぽらんな兄はいらない」


「酷!」


「それに、アイと雪乃世さんが会話できるのかわかんないでしょ。天使が見れる人って稀なんだから」


「あっ!盲点!」


脇が甘いな。でも、自分がいるから安心しなさいと言わんばかりの言葉で、少し勇気付けられた。


「でも、ありがとう。今度こそ、ちゃんと向き合ってみる」


私の言葉に、はにかむアイ。実の兄もこんな風に笑うのかなとなんとなく思った。




バーベキュー二日目。昨日よりもお客さんの入りが多くて、目が回る。


「五番テーブル、ラムネ三本です」


「はーい。あと、これ八番テーブルに運んで」


「わかりました」


今日はひたすら注文を受けたり、料理を運んで行く。昼食も口にまかないを慌てて詰め込んで、味もわからなかった。


気付けば夕日が海に沈みかけていて、オレンジ色の海が段々闇に染まる。


「みんな、おつかれー。本日の売り上げ、この夏最高額でした。パチパチパチ」


三上先輩は上機嫌に手を叩くが、他の先輩方や浦風くん、雪乃世さんは疲れ切ってうなだれていた。


「三上先輩は海の家の人だから嬉しいかもしれませんけど、僕らはそこまで喜ぶ体力残っていません」


「右に同じ。勤務時間は変わんないから、バイト代も変わらないし」


「あらあら、早勢と穐葉ったら、だらしないわよ。今日はまだ、イベントが残っているんだから」まさか


「つばさお姉ちゃん。まさか、まだ仕事をやらないといけないの?」


雪乃世さんの言葉を皮切りに、全員地獄に落とされたような感覚に陥った。


「ふっふーん。そんなんじゃないんだな。頑張ったみんなにご褒美。今夜はバーベキューの残りで、いっちょあたしたちだけのパーティーをします!」


バーベキューパーティー。全員が歓喜の声を上げた。


『やったー‼』


「ただし、二日休んだ分、明日からの練習は厳しくなるから」


『はい‼』


昨日と今日の疲れはどこに行ったのやら、全員が海の家のデッキでバーベキューの準備に勤しんだ。


「けっこう、食材が残っていますね」


「今夜のために、多めに受注したからねー」


「三上!ナイス!」


「三上先輩、ありがとうございます」


それからは、みんなでワイワイと肉や野菜に舌鼓を打つ。雪乃世さんが来てからずっと張り詰めていたから、こういう和気藹々とした楽しいひとときに心が癒される。


気持ちに余裕のあるいまなら、雪乃世さんと真正面から話せるかもしれない。


「雪乃世さん、ちょっといいかな?」


ふいに呼びかけられた雪乃世さんは、少々驚いた顔をしていた。


「話したいことがあるの。少しの間だけ、海の家の裏に来てくれない?」


私の要望を彼女は、快く承諾してくれた。


「つばさお姉ちゃん、私たち少し席外すね」


「じゃー、ついでにお店から予備のしょう油取って来て。これからモロコシ焼くんだけど切らしちゃって」


「私、焼きトウモロコシという物を食べたことがないので、楽しみです」


「でも、少し遅くなるかもしれないけど、いい?」


「了解。のんびりモロコシの準備しているから」


デッキから降り、建物の裏手に回った。あのときできなかった話しの続きをするのなら、同じ場所にしたかった。


「あのときは人の喧騒でわからなかったけど、建物の裏でも波の音って聞こえるんだね」


「そうですね。昼と夜だと、やっぱり違う」


フルートを吹かなくなっても、まだ雪乃世さんは音楽家の耳を有していた。こんな微かな波の音、常人なら気付けない。


「……敬語」


「?」


「仕事中も私にだけそうだったけど、むかしに戻っちゃったね。そうだよね。あんなことに巻き込んだ相手と、仲良くなんかしたくないよね」


「……」


雪乃世さんは、なにを言っているのだろう。まるで、自分が恨まれているかのようなことを……


「あのときは、ごめんね。私の所為で、コンクールに出れなくなって。引っ越ししたのも、多分私の所為だよね。こんな、音楽教室一つない田舎に追いやってごめんなさ――」


「ちょっと、待って」


「‼」


「どうして、雪乃世さんが謝るの?私もあのとき怪我はしましたが、もう完治しました。むしろ、一生残る傷を負ったのは雪乃世さんでしょ」


私が余計な介入をしなければ、まだ雪乃世さんはフルートを続けられていたかもしれない。


「ずっと、私のことを恨んでいたんじゃないのですか?だから、手紙の返事を書かなかったのではないですか?」


「えっ……。書いたよ、手紙……」


「……えっ」


「瑠海ちゃんが引っ越しする数日前にポストに直に入れて、引っ越しの前日に直接謝りたいから近くの公園に来てほしいって書いたんだけど、来なかったから……」


「……知らない。そんな手紙……」


「……そっか。そっか」


雪乃世さんは、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。私も釣られて、目じりから涙が溢れ出す。


「来なかったから、てっきり嫌われたと思ったけど、そうじゃなかったんだ。良かった。本当に、良かった」


「でも、私の所為で怪我を――」


「私の怪我は、自業自得だよ。知らなかったとはいえ、瑠海ちゃんをいじめの身代わりにしていたんだから」


浦風くんと、似たようなことを言う。全然気にしてなんかいないのに。


「それに、フルートを演奏できなくなったけど、それほど気にしていないんだ」


雪乃世さんは語る。音楽は好きだけれど、演奏家より楽器職人になりたかったことを。


「私のパパ、楽器職人でね。お姉ちゃんは音楽教室に通っていたけど、私は楽器を演奏するより、作るパパに憧れて。でも、お姉ちゃんがフルートを習っていたから、私も音楽教室に通うようになったの。そこで、瑠海ちゃんに出会った。職人を目指す上で、フルートを習うことも経験になるって思ったし、楽しかったから、寂しい気持ちもあるけど、瑠海ちゃんより、フルートに対して情熱がある訳じゃなかったの」


「……でも、私の方が情熱なんて欠片もありません。私は母親の操り人形だったから」


私も語る。母や死んだ兄を。フルートをやっていた経緯を。


でも、フルートをやるようになったのが、母に兄の代わりとなるようそうさせられたと知ったにも拘わらず、雪乃世さんはさきほど私が言ったことを否定した。


「情熱がない、なんてことないと思う。だって、瑠海ちゃんの演奏は、むかしもいまもとっても素敵だから」


いまもって、この町に引っ越してから私の演奏を聴いたのは深い海ディープ・マブルーのメンバーだけなのに。


「実は、海の家でお手伝いする前日にはこの町に来ていて……その夜こっそりみんなの練習覗いていたの」


「……気付きませんでした」


「ごめん。でも、ロックな演奏の瑠海ちゃんも魅力的だった。瑠海ちゃんはフルートをやるようになったきっかけが自分の意志じゃないことや、真面目過ぎる性格から、自分には情熱がないって勘違いしているんじゃないかな?私は、真摯にフルートや音楽と向き合うことが瑠海ちゃんの情熱の表れだと思う」


「雪乃世さん……」


「その『雪乃世さん』っていうのは、もうやめて。下の名前で呼んで。あと、むかしみたいに普通に会話しようよ」


「……たま……」


アイを覗いて、呼び捨てできる相手がいなかった。気恥ずかしくて、うまく呼べない。


「私、もう一度瑠海ちゃん……瑠海と友達になりたい。お互いを大切にしたい」


「……た、珠衣。こんな、私でいいの?かなり面倒な性格だよ」


「それは、私の台詞だよ。元いじめられっ子だよ」


「もう、いじめられていない?」


「うん。高校では、それなりに友達がいるから」


「よかった」


いまも囁く波音のように、私たちの間に穏やかな空気が流れる。


「おーい!いつまで待たせるんだ!早くモロコシ食いてー!」


穐葉先輩が催促してきた。ここからデッキまでそれなりに距離があるのに、よく響くな。


可笑しくて、私も珠衣も思わず笑っちゃう。


「早く、つばさお姉ちゃんに頼まれた物を持って行こう。私、実は焼きトウモロコシが好物なんだ」


「そうだったんだ。直身先輩と同じで、私も焼きトウモロコシ食べたことないの」


「えー。それ人生の半分は損しているよ」


「そんなにおいしいの?」


「食べてみればわかるよ」


しょう油を持ってデッキに戻ると、新鮮なトウモロコシが炭火で焼かれていた。そのあと、しょう油を塗って追い焼きすれば、香ばしい匂いで食欲が刺激された。


食べてみれば、信じられないおいしさだった。珠衣が言った、『人生の半分は損している』もわかる気がする。


でも、この中で珠衣が一番ガッついていた。それほど、トウモロコシが好きなのだろう。


こうして、おいしそうに焼きトウモロコシを頬張る姿を見ると、引っ越すまえは珠衣のことをあまりよくわかっていなかったのだと痛感する。


私以上のフルート奏者としての才能があるのだから、将来は確実にフルート奏者を目指していると思い込んでいた。実際は楽器職人を目指していて、父親もそうであることも。お姉さんがいて、現在も継続しているのかわからないが、フルートをやっていたなんで寝耳に水。


でも、これからは少しずつ珠衣と会話を繰り返して、彼女のことを知っていきたい。そして、私のことも知って欲しい。


アイ以外であれほど自分をさらけ出せたのは初めてで、お互いに信頼関係を結んでいきたいと思っている。

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