第一楽章

海の夜明けから真昼まで ①

新学期から、二週間ほど経過した。


本日のホームルームは、一ヶ月後に行われる文化祭の出し物を決めることになっている。


「では、いくつか候補を出してください」


クラスの文化祭実行委員が取り仕切り、生徒からやりたいことの候補を求める。しかし、この学校では食べ物などの飲食系のお店を出せるのは二年生からで、一年はできることが限られている。


話し合いの結果、郷土資料研究発表となった。




文化祭までの間、クラスで資料制作を行うが、転校してこの町に詳しくない私は役に立たないからと教室を追い出された。


それは建前で、汐後さんたちを学校から追い出した私が怖いのだろう。怪我をしてまでやったから、怒らせたら手段を選ばない冷酷無比な人間に思われているのかもしれない。


でも、なにもしないでクラス全体での発表とするのは気分がよくないから、資料作りに使うペンや模造紙などの買い出しに立候補した。これで、最低限の義務は果たしただろう。


私は一人でもよかったが、なぜか浦風くんも買い出し係に立候補した。


いまは放課後で、町の小さな文房具店に来ている。


「バンドで一緒にいること多いからって、私に付き合わなくてもよかったのに」


「でも、この量を一人で運ぶのは大変だよ。それに、潟湊さんがこうして買い物をする羽目になったのは――」


「いつまでも気にしないで。汐後さんたちのイヤがらせよりずっとましだから。そんな風に気に病んでいると私まで申し訳なくなる」


「……ごめん」


結局、また謝った。いつまでもいじめのこと心を痛めていないで、三上先輩たちのように普通に接してほしい。


珠衣のときは私も良心の呵責に苦しんでいたから、お互いに納得のいく落としどころを見付けられた。相手を想うなら、自分を責めない方がいいと。


しかし、浦風くんの場合は一方的に自分を責めているから、私がなにを言っても響かない。


しかも、私のことを好いているんじゃないという御託をアイが言ったがため、浦風くんがなにも言わなくてもぎくしゃくしてしまう。


これなら、一人の方が精神的には楽だったなと内心思った。




その夜。テレビ電話で珠衣に、浦風くんのことを相談した。


最初、アイに相談したが、またおかしな発言をしただけで無駄だった。本当に、普段はなんの役にも立たないんだから。


先輩方に相談するのは、バンド内の空気を悪くしたくなかったから気が進まない。


珠衣は浦風くんと似た経緯を持つから、相談しやすかった。勝手にいじめられていたことを話すのは浦風くんに悪いけど、いつまでも気に病んで心労で倒れてしまうのを危惧した。


浦風くんをいじめていたクラスメイトが標的を私に変えたこと。以前話した浦風くんと共通の知人が、彼のまえで私を好いていると指摘したこと。それで彼とますます気まずくなっていること。すべてを話した。


『それは、難しいね』


「珠衣もやっぱり、そう思う」


『私も瑠海をいじめに巻き込んだ立場だから。それに私たち、事故のあとお互いに話し合えなくて、きっと嫌われたんだって思っていたでしょ。浦風くんとは学校で会えているけど、心の内では瑠海は許していないと思っているのかも。海の家で働いているとき、私もそう思っていたから』


「私も珠衣もそうだったけど、浦風くんにはほぼ毎日気にすることないって伝えているんだけどなぁ……」


『だったら、なにが原因で浦風くんはいつまでも気に揉んでいるんだろう?』


二人で頭を捻るが、答えが出てこない。


そんな中、スマホの画面に知らない女性が映った。顔立ちが珠衣に似ているが、背が高くてスレンダーな美人だ。


「たま。のりかしてくれる?私の切らしちゃって……電話中?」


『あっ、お姉ちゃん』


『どうしたの?眉間に皺寄せて?なにか、悩みごとでもあるの?』


『私じゃなくて、友達の……そうだ!瑠海、私のお姉ちゃんに相談してみてもいいかな?』


「珠衣のお姉さん?いいのかな?それって、迷惑じゃない?」


『いいの、いいの。お姉ちゃん、カウンセリングの仕事しているから、むしろこういった人間関係のアドバイスは慣れているんだ』


お姉さんはフルートをやっていたと聞いていたが、音楽以外の職に就いているみたいだ。


『もしかして、潟湊さん。私、珠衣の姉のかなでです』


自己紹介をされ、こちらも頭を下げた。


「はじめまして。潟湊瑠海といいます。妹さんには色々と助けてもらい――」


『頭を上げて。助けてもらったのはこっちよ。あなたは妹の恩人だから、ありがとう』


奏さんは私以上に深々と頭を下げると、『妹がお世話になった分、私で力になれることなら存分に頼って』と胸を張った。


「では、お言葉に甘えて」


私は奏さんに、先ほど珠衣にした内容と同じことを話した。


奏さんは深く考え込み、『その浦風くんって子は潟湊さんが責めないから、自分を責めているのかもしれない』と言った。


「私が責めないから?」


『えぇ。あなたが責めない分、良心の呵責が増して、重荷になっているのかもしれない。私とかなめ……双子の弟のね同級生にもいたんだ。高校時代に要が大怪我をしたことがあって。事故だったんだけど、その子を庇って起きた事故だったから、彼自分を責めちゃって。要は気にしてないって伝えたけど、それで仲違いして、そのまま』


「そんなことが……。もしかして私、浦風くんを逆に傷付けていましたか?」


『そうかもしれないけど、潟湊さんは悪くないわ』


『そうだよ。きっと、浦風くんの責任感が強いだけだよ』


自省する私を宥める珠衣と奏さん。


『潟湊さんにとったら少し煩わしく思えるかもしれないけれど、少し様子をみましょう。いじめにしろ、なんにしろ、心に傷を負った人はいつまでもそれを抱えてしまう。時間とともに薄れることはあっても、完全に消えたりしない』


奏さんの言葉で思い出すのは、母の歪んだ顔と彼女が兄と私を比べる言葉の数々。


『話しを聞く限り、浦風くんはさっき話した私たちの同級生ほど自分を追い詰めてはいなさそうだから、潟湊さんと距離を取ることはしないはず。でも、たまにガス抜きさせてあげた方がいいから、潟湊さんが話していた浦風くんと共通の友達、彼に遊びに誘うように頼んでみたら』


「それは……なるべくならしたくないです。また、変なことを言うかもしれないので……」


『あぁ、その人なんだっけ。浦風くんが瑠海のこと好きなんじゃないって言ったの』


「まったく。せめて、珠衣や三上先輩みたいに本人のいない所で言ってほしいよ」


『でも、その人も反省しているんでしょ。もう軽率なことは言わないと思うけど』


「珍しく少しは気にしていたけど、あいつはまた絶対に言う気がする」


『そっかぁ……』


珠衣も話しでしか知らないアイに落胆する。


『私は浦風くんに会ったことがないから、彼が潟湊さんを好いているのかはわからない。だけど、話しに聞くその人がなにを言うのか危惧してないで、浦風くんのメンタルケアに協力してもらえるのなら、してもらった方がいいと思う』


奏さんの勧めに顔には出さないが、げんなりする。アイだと、ことを荒立てそうだから。


『仮に浦風くんが本当に潟湊さんに行為を寄せているとしたら、あなたにこれ以上負担を強いるような真似はできないと思う。いじめに巻き込んでしまったし、好いてなくても女の子に頼るなんて男としてのプライドがあるからね。でも、男同士なら話しやすいと思うの。その人がまた同じことを言ったとしても、そんなことは男子同士のじゃれ合いでよくあるわ。潟湊さんがいない所で言うように忠告すればいいんじゃない』


「ん~。あいつが私の忠告を聞くかな?」


「ふふ……」


アイに浦風くんのメンタルケアを頼むべきか悩んでいると、画面の向こうで奏さんはクスクス笑っていた。


『急にごめんなさい。要と喧嘩したときのことを思い出してしまって。あなたのいまの顔、要が私に突っかかって家族を困らせて、悩んでいる私と似ていたから』


『あっ、私もそう思ったことがある』


『まぁ、仲がいいってことよ』


「はぁ……」


『ともかく、その人にも今日上がった話しは伝えることを勧めるわ。彼も浦風くんの友達なら、協力してもらえなくても、知っているだけでなにか違ってくるから』


「まぁ、考えておきます」


『浦風くんのことで火急な点はいまのところないけど、もし彼のメンタルに異常があると感じたら連絡して。直行でカウンセリングに行くから』


「わざわざ、ありがとうございます」


『それじゃあ。今日は、この辺で』


『瑠海、また電話しようね。おやすみ』


「珠衣もおやすみ」




今日の昼休みは、音楽室に用がある。


「遅くなりました」


「瑠海ちゃん、浦風。来たね」


「それじゃあ、文化祭に向けて練習始めるか」


穐葉先輩が言ったように、私たち深い海ディープ・ブルーは文化祭でライブ演奏をすることになった。


部活でもないバンドが文化祭で演奏できるのは、汐後さんたちがいなくなって吹奏楽部の演奏が不可能となり、空いた枠を三上先輩の直談判でもぎ取ったそうだ。


文化祭で演奏できると知ったときは、メンバー一同大いに喜んだ。


「はしゃいでいるが、まずは作曲だ。新曲でやろうといったのは誰だ」


深い海ディープ・ブルーで演奏する曲はすべて、建昭先輩と早勢先輩が作曲している。


「これからはフルートの分の曲作りもあるから、その分時間がかかる。少し待て」


『藍の波』のときは、私の分の曲を作り足すだけだったけど、今回は六人分だから大変そうだ。早勢先輩は、建昭先輩と二人で頑張ろうと励んでいるけど。


「だって!だって!文化祭で演奏できるなんて夢のようだろ!」


建昭先輩の苦言も穐葉先輩には無意味で、狂喜乱舞に叫ぶ彼を早勢先輩が宥める。


「穐葉先輩、少し落ち着いてください」


「ムリにだって!俺らは三年で来年には卒業だから、高校生最後の文化祭で大きなライブができるなんて!ワクワクが止まらない!」


そういえば、三年の先輩方はあと半年ほどで卒業だ。そしたら、深い海ディープ・ブルーはどうなるんだろう。


私はいま頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出した。


「先輩たち三人が卒業したら、深い海ディープ・ブルーの活動はどうなるんですか?」


「しばらくは休止ね。だけど、一年くらいで再開するつもり」


「一年くらいで?」


おうむ返しに尋ねると三人は目を合わせて、三上先輩は「あたしと穐葉と建昭は東京の同じ音大に進学を考えているんだけど、萠江ちゃんと早勢もその音大に進学希望しているんだって」と詳しく説明すると、今度は二人に視線を向けた。


「それでね。僕たちの進学を機にバンドを再開する予定なんだ」


「二人が来るまで、俺たち三人は音大でスキルアップに集中する」


早勢先輩と建昭先輩が附言してくれてよくわかった。でも、一人だけ名が上がっていない人がいる。


「浦風くんは……」


―ビクッ!―


浦風くんの名前を出すと、彼はこむら返りを起こした。その反応に口を噤むが、浦風くんの妙な反応には気付かず、穐葉先輩が説明してくれた。


「こいつは音大を進学するか迷ってんだ。俺が卒業するまえまでには決めてほしいぜ」


「その期間、長引くかもな。おまえ一度でも定期テストで赤点取ったら、留年決定だろ」


「それを言うなよー‼これでも、気にしているんだー‼」


今度は苦言が効いた。いくら穐葉先輩でも、『留年』はイヤらしい。


それはともかく、私には浦風くんの自責を止められないどころか、私という存在が拍車をかけている。これはもう、アイに協力を求む他ないな。

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