風と海との対話 ⑨
今日はこの間行われた期末テストの返却日だった。突き付けられた結果に歓喜する者や逆に悲哀に満ちた者がいた。
「もう直ぐ夏休みですが、テストで赤点だった人は補習があるので来てください」
夏休みの補習に赤点取得者たちは、更なる絶望の底に突き落とされた。
「うちの担任はともかく、理科の松田が厳しいからな~」
「俺の夏休み終わった……」
「私、夏休みの予定もう決めてたのに!」
私は全教科赤点もなく、半分以上は平均点より上だったから補習はない。でも、これといった予定もなく、夏休みは持て余すのだろうと考えていた。
屋上での昼食もあと僅か。一人黙々と苦手な煮物を食べていたら、浦風くんが来た。
「……」
彼はまた購買の袋を押し付け、そのままなにも言わずに去った。
「ちょっと、待って」
呼び止めたが、一切の躊躇なくいなくなる。
袋の中にはプリンとメモ。そして前回はなかったチケットらしき紙切れが一枚。
メモの内容は……
『一度、僕の所属しているバンドの演奏を聴きに来てください。
同封したチケットにライブの場所と日時が記載されています。
追伸
汐後さんたちのこと。本当にごめんなさい。』
字はとても震えていた。彼の自責の念からだろう。
私は行くかどうかとても迷った。
「へー。場所はこの町唯一のライブハウスで、今日の七時からか。行けばいいのに」
「行く気しない」
もらったチケットの扱いに困り、アイに渡した。大抵の人間はアイを見れないから、なくてもライブハウスには入れるだろう。でも、無銭入場は倫理的によくないから。
「けど、このチケット一枚で二名入場可能って書いてあるよ。一緒に行こうよ。きっと、楽しい夜になる」
「夜遊びなんて、ダメに決まってる」
「もう高校生なんだし、夜の七時くらい別になんともないよ。帰りは俺がエスコートするから」
「アイのエスコートなんて、うざいだけ。もう帰るね」
お尻についた砂を払い、入り江をあとにする。うしろからアイが文句を垂れたが、気付いてないフリをする。
下で夕食を食べ終え、自分の部屋に戻ると机の上にアイにあげたはずのチケットと彼の羽根が置かれていた。
羽根に触れると頭の中に声が響いた。
『フルートは俺が持っている。返してほしかったら、ライブハウスまで来い』
頭の中に直接語りかけたアイの声。それが終わると、羽根は空気に溶けるように消えた。羽根にはこんな使い方もあったらしい。
それにしても、私の部屋に忍び込んで、フルートを持ち出すなんて。これじゃ天使じゃなくて泥棒じゃない。
ここで文句を垂れても仕方がないので、不本意ではあるが、ライブハウスに行く。
「おばあさん。少し出かけてくる」
「あら?こんな時間に外出なんて珍しいわね」
「やっぱり、ダメ?」
「いいのよ。もう、瑠海ちゃんもお姉さんだからね。ただ、気を付けるんだよ」
「うん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ライブハウスには歩きで三十分以上かかるが、タイミングよく近くのバス停にバスが止まり乗り込んだ。ゆらゆらと揺れるバスの壁に体を預けながら、ライブハウスに到着するのを待つ。
ライブハウスのまえにアイは佇んでいた。
「遅かったな」
「遅かったなって……他人の大事な物勝手に持って行って言うことがそれ」
「だって、こうでもしないと来てくれないだろ」
「だからって、泥棒と同じことをするなんて。天使の名がすたる行為よ。あと、どうして私の家がわかったの。住所教えてないのに」
アイは親指の人差し指の間に顎を乗せ、「それは俺が天使だからさ」とキメ顔をする。
「気持ち悪い上に、ますます天使として不適切」
軽蔑の眼差しをアイに向けていたら、ライブハウスから人が出てきた。以前、旧音楽室で浦風くんと一緒に汐後さんたちと対峙していた女性だ。
「あなた、潟湊さんよね。浦風から話しは聞いているよ。来てくれてありがとう」
彼女は私の手にあるライブチケットで、ライブ鑑賞に来たと勘違いした。
「いえ。ちが――」
「あたしは
どことなくテンションが高くて、リーダーシップのある人だと思った。
「早くしないとあたしたちの演奏が始まっちゃうから、急いで入って」
「え、あの。待って……」
背中を押され、建物の中に入ってしまった。三上先輩はあと少しで演奏が始まるとかで、舞台裏に行った。しかし、ここまで来て帰るのは流石に失礼なため、仕方なく演奏を聴くことにした。
「余計なことして。アイの所為なんだから」
「ん?なんのこと?」
付いて来たアイに小声で文句を言うが、彼にとってはどこ吹く風。ライブだけに集中しよう。
浦風くんたち深い
完成度の低い演奏に落胆していると、深い
深い
原曲に比べると粗削りだし、調和を保っていないが、なぜだか惹かれてしまう。うねりを上げる海に体や魂までもが持って行かれるような感覚。
風と海に心が捕らわれている内に演奏は終了し、辺りには歓声が響いた。
「なっ!来てよかっただろ!」
アイの言うことを認めてしまうが、聴きに来てよかった。こんな風に他人の演奏で気持ちが高揚したのは雪乃世さん以来だった。
次の日。浦風くんを屋上に呼び出した。
「昨日は来てくれて、ありがとう」
「本当は行くつもりなかったんだけどね」
「……そっか」
「誘ってくれたバンドの件だけど」
落胆の表情がますます降下していた。私が断ると思っているらしい。
「いま更だけど、加入させてもらえないかな?」
予期していなかった私の言葉に、浦風くんは言葉も出ない様子。
「どうして、急に……」
音楽活動を再開することに負い目がなくなった訳ではない。だけど、このままフルートに対する燻った感情を放置したままなのもよくないと以前から思っていた。
「あの演奏聴いて、やっぱり音楽続けたくて……」
そこに目が覚めるような蒼いメロディー。あの音を一度耳にしたら、この感情を止められようがない。
「散々断っておいて、虫がよすぎるけど。いいかな?」
私の言葉に浦風くんは、はにかむような笑顔で「もちろん!」と快く加入を受け入れてくれた。
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