風と海との対話 ⑧
最終的に、私は祖母に引き取られることになり、母からも離れられた。
しかし。今だから思うが、もう少し上手く立ち回ることができていれば、雪乃世さんはフルートを続けられたのではないだろうか。そもそも、私がまえにでなければ、音楽家生命を絶たれるほどの怪我をしなかったのではないだろうか。
私ばかりが母親の呪縛からも薮下さんのいじめからも逃れられ、雪乃世さんの未来を奪った。
自責の念からフルートを捨てようとも考えたが、フルートを私の中で特別なものにしてくれたのは、雪乃世さんだったから。彼女への贖罪として、続けなければと思った。
いや、建てまえだ。それなら、自分の演奏したいときにだけ演奏したりしない。せめて、人まえでは吹かないようにしている。けれど、私は雪乃世さんからフルートを奪っておいて、自分のやりたいようにフルートを続けている。
雪乃世さんはそんな私を恨んでいるだろう。引っ越しの件で母と揉めて、雪乃世さんと会う余裕がなかった。謝罪を綴った手紙を送ったが、返事がなく、音楽スクールでのいじめ問題で父が雪乃世さんの親と顔を合わせたそうだが、彼女は私のことに関してなにも言わなかったらしい。
二度と同じ轍を踏まないように、いまの学校では人間関係を絶ち、いじめの被害が私だけに向くようにしていた。だけど、以前と変わらず、また浦風くんが自殺なんてバカな真似をするかもしれない。
他人と深く関わらないよう、冷たい態度で突き放し。接触を拒むように、他人行儀で話しているのに。
結局、私はまた……
人との関りを拒んでも、こうなってしまうのなら……私が次にすべき行動は……
本校舎の音楽室が使えない間の授業も、旧校舎の音楽室で行われた。心なしか以前来たときより机やイスに傷があり、壁には穴が開いている所も見受けられた。
放課後、わざと忘れたリコーダーを取りに旧音楽室に出向く。すると、私のリコーダーを見つけた汐後さんたちがそれをバッキバキに折っていた。
「人の物になにをしているんです」
音楽室の扉を開け、批難をする。相手は悪びれもせず、「忘れる方が悪いのよ」と責任転嫁した。
「音楽を嗜む者としてあるまじき行為ね」
「なに!」
「他人のとはいえ、楽器を傷付けるなんて。しかも、授業であなたたちのリコーダーを聴いていたけど、とても吹奏楽部に所属しているとは思えないヘタな音だった。手入れも行き届いていないし、最低ね」
「くっ……いつもは、敬語で低姿勢な口調のくせに。今日に限って、態度だけじゃなく、言葉まで生意気」
「私が敬語でいたことを、腰が低いからって見ていたんだ。ただの他人行儀をそんな風に見るなんて、おめでたい頭だこと」
「これ以上、生意気なこと言ったら、ただじゃ済まないから!」
「どうただじゃ済まないの?もしかして、殴る?そんな気でいるのなら、あなたたちは音楽家として本当に底辺なのね。演奏で使う大事な手を自分で痛めつけるのだから」
最後の挑発に、汐後さんたちは最高潮で怒り狂った。私は血が出るほどの暴行を受けた。
手を集中的に狙われたが、当然の報いだと抵抗しない。雪乃世さんと同じように、まともに演奏できなくなってもかまわない。
「あー‼すっきりした‼」
「景気づけに酒飲みに行こう‼」
「いいな‼」
「ビールも買わない‼」
「マジで最高‼」
三十分ほどで汐後さんたちは満足して、自身の楽器とともに帰宅する。まだ部活の時間なのに、練習そっちのけで未成年飲酒だなんて、本当に残念な人たち。
汐後さんたちの気配が完全に消えてから、教室の棚に隠していた物を取り出した。それを家に持ち帰り、怪我の診断書をもらいに病院へ行った。
数日自宅で療養してから学校に登校すると、教室の席が四つほど空席だった。
あのあと、病院でもらった診断書と隠しカメラの映像を証拠に、先生たちに汐後さんたちの行いを報告した。今回のあの人たちの行為を重く受け止めた教職員は会議を開き、汐後さんたちの長期停学という決断を出した。
退学も検討されたそうだが、挑発した私にも多少は非があるからムリだった。しかし、汐後さん以外の三人は親たちが責任を取らせ、ここよりも僻地の高校に転校させたそうだ。リーダー格である汐後さんは町に残るそうだが、今回の一見は町中に噂として広まっている。一度、家の外に出れば針の筵だ。これでもう、好き勝手なことはできないだろう。
相手をわざと怒らせて証拠を作るなど褒められた手段ではないけれど、うまくいってよかった。
「潟湊さん」
顔や腕は包帯や絆創膏だらけで、周囲の人は私を遠巻きにしていた。それ以前に普段の態度や、汐後さんたちを学校から追い出したという噂で、クラス中私のことを一線置いているのに、浦風くんだけは声をかけた。
「僕の所為で、手を――」
「浦風くんの所為ではないから。あの人たちに突っかかったのも、個人的な理由だから」
突然他人行儀をやめた私に、浦風くんは少なからず驚いていた。
「怪我の方も見た目ほど酷くはないみたい。気にしないで。痣は残るだろうけど、動かす分にはなんら支障はないみたい」
「本当に!だったら、僕らのバンドに――」
「それはお断り。用事があるから、もう行くね」
その日の授業が終わると直ぐに行く場所があった。あれからバタバタしていて、なかなか行けなかったが、アイにお礼を言いに入り江に向かう。
「アイ。久しぶり」
「……瑠海。久しぶり」
邂逅の一瞬、アイは私の姿に息を呑んだが、なにも聞かずに言葉を交わす。
「この間はありがとう。お陰でやりたいようにできた」
「ふふ。もっと俺を崇め称えよ」
「さっきの言葉取り消すわよ」
「ちぇー。ケチ」
普段と変わらない会話のやり取り。唯一違うとすれば、アイがやたらに私の顔を見ている。
「さっきからなに?」
「やりたいこと。本当に全部できた?」
「だから、できたって言ったでしょ」
「本当に?」
「しつこいわ。いい加減に――」
ふいに視界が埋まる。しかし、この感覚は直近でもあった。アイが泣いたときと一緒だ。
「我慢しなくていいんだ。俺のように泣きたいときは泣け」
「我慢なんて……」
アイに背中を撫でられ言葉が濁る。私がしたように、波のような繰り返しで何度も何度も。
本当は殴られたとき怖かった。腕が使い物にならなくなって、二度とフルートが演奏できないと思った。
手の動作には影響ない怪我だと、診断されたときの安堵は信じられないほどだった。
けれど、雪乃世さんに申し訳ない。彼女を思えば、こんな感情不謹慎なのに……
様々な感情が込み上げ、涙が出てしまう。
アイは手を背中に置いたまま藍色の翼を器用に動かし、私の涙を拭う。目元を羽根が掠めて、くすぐったい。
今度は私が慰められてしまった。これは
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