風と海との対話 ⑤
「なにしているんですか?」
「あっ……潟湊さん……」
朝教室に入ると、浦風くんが私の机を吹いていた。机には掠れてはいるが、以前の教科書やノートに似た落書きがあった。
「ちょっとこちらへ」
浦風くんを連れて使われていない空き教室に入る。
「あなた、なに考えているんですか?」
「だって……今朝来たら机にイタズラ書きがされていたから……」
「人目のある所であんな目立つ行動を取ったら、あの人たちに目を付けられます。汐後さんたちも見ていました」
全員はいなかったが、汐後さんを含めたグループ数人、浦風くんが私の机を綺麗にしているところを目視していた。二人で教室を抜け出すときもクスクスという嗤い声が聞こえた。
「このままいくと、浦風くんもいじめられてしまいます」
「……」
「昨日まで傍観していたのに、今日になってどうしてですか?」
「頼みごとをするのなら……誠意を見せないとだから……」
彼はまだ私のバンドへの加入を諦めていなかったようだ。
「そういう理由なら、庇ってこないでほしいです」
「もちろん、こんな理由で今更助けようとするなんて、ズルいのはわかっている」
「卑しいとかそういうことではなく、そんな理由で身を滅ぼしかねないことはしない方がいいって言いたいんです」
やっかいごとは避け、安全圏から出ない。それが社会という荒波で生きていく上で、最善の方法だ。
「ということだから、もう私には金輪際関わらないでください。掃除の手伝いも結構。次に庇っているところをあの人たちに見られたら、浦風くんも間違いなくいじめの標的にされます」
もう二度と
だが、浦風くんは忠告を無視して私にかまい続けた。
掃除は勿論のこと。お昼を食べるときや移動教室でも私の近くに来て、バンドへの加入を懇願する。
汐後さんたちが見ているまえで堂々とだから、あっという間に浦風くんもいじめのターゲットとなった。
彼はいま、自分のお弁当が捨てられたごみ箱のまえで茫然としている。
「……」
「浦風、そんな生ごみ食べる気だったのかよ‼信じらんねぇー‼」
だから、関わるなと言ったのに。
「浦風くん行きますよ」
「あっ……」
けれど、このクラスで私を気にかけてくれたのは浦風くんだけだから、放置するのは忍びない。彼を引き連れて、人気のない場所を目指す。
「おっ!嫌われ者夫婦が爆誕!」
「うっわー!潟湊さん、趣味悪!」
「浦風なんかと付き合うなんて、音楽家としての感性を疑っちゃう!」
「根暗夫婦の逃亡ってまじまんじ!」
教室の方から聞こえる野次に、浦風くんは青ざめた顔をする。
「あ、あの……ぼく……」
「あんなの言いたいだけ言わせておけばいいんですよ。それより旧校舎へ行くので、付いて来てください」
私たちは、旧校舎の音楽室で適当な席に座った。
「購買のパン、半分あげます」
「ありがとう……」
「これからお昼の用意は購買か、お弁当だったら保冷剤と一緒にロッカーに入れておく。そして、お昼は人気のない所で食べることを勧めます」
「うん。そうするよ……」
半分に分けた焼きそばパンを咀嚼する。正直、おばあさんの煮物より、購買のパンの方がおいしい。
「どうして僕を庇ったの?」
浦風くんは焼きそばパンを数口しか食べず、先ほどの私の行動の疑問を聞いてきた。
「いじめを庇わないのが賢い生き方だって言ったのは潟湊さんなのに、こうして逃がしてくれて、お昼も分けてくれて……」
「賢い生き方を選んでないだけです。私は自分で言うのもなんですけど、かなりドライな性格だから、並大抵のことは耐えられます。でも、浦風くんは違うでしょ。だから、庇った。それだけです」
「僕は卑怯者だよ。いままで助けなかったのに、バンドに入ってほしくて、庇い出した。そんな僕は庇護される資格なんてない……」
「今まで助けてくれなかったことを非難する気はありません。けど、バンドには絶対入らないので、自分を卑怯だと思うならもう私とは縁を切ってください。もういじめのターゲットにはなってしまったけど、先生とか親とかに相談すればいい」
「……ごめんなさい」
「だから、謝るくらいなら私のことは忘れて―—」
「まえ、教室の掃除をしていたとき、僕過呼吸になりかけたよね」
「……えぇ」
「あのとき、言えなかったことなんだけど……」
浦風くんが私の言葉を押し退けてまで言おうとしていること……彼は、重い口をこじ開け紡ぐ。
「もともと、いじめられていたのは……僕なんだ」
「やっぱり」
「えっ……」
「なんとなくそんな気はしてました。浦風くん内気だし、汐後さんたちに怯えているみたいだったから」
「……うん。中学のときからあいつらに目付られて、最初は殴る蹴るの肉体的な暴力も受けた」
「先生や親には言いましたか?」
「いや。中学の先生は放任主義で僕の話しを取り合ってくれなかった。親には心配かけたくなくて……」
「子どもが知らない所で傷付いている方が親に悪いです」
まともな親の場合だけど。母の執拗なまでのレッスンに私が疲弊していることを知った父は、いままでにないほどに悔やんでいた。寡黙な父が娘に土下座をして、泣いて謝っていた。仕事で世界中を飛び回っていたから、仕方なかったのに。こんなことなら、最初から父に告げていればと、私も悔悟した。
「実は一度自殺したことがあるんだ」
「‼」
「失敗しちゃったけど、それがきっかけで肉体的な暴力は受けなくなったけど、ずっと辛かった。苦しかった。でも、潟湊さんが転入して来て、僕はいじめられなくなったけど、誰かを身代わりに助かるなんて間違ってる。だけど、どうしても汐後さんたちが怖くて、堂々と助けられなかった。本当にごめんなさい」
「浦風くん……」
雪乃世さんもこんな気持ちだったのかな。でも、耐えられないのなら、逃げてほしかった。私のような誰にも必要とされない人間より、雪乃世さんや浦風くんみたいにちゃんと居場所がある人が生きていくべきだらか。
「先生でも、親でも、誰でもいいから大人に相談しなさい」
「……相談」
「うちの担任は頼りないけど、汐後さんたちがやっていることをちゃんと問題視しています。いまは阻止できていないけど、むかし浦風くんが自殺まで追い込まれたことを話したら、学校全体に共有してくれるはずです。もし先生や親にどうしても話したくないのなら、いじめ専門の相談窓口があるから電話しなさい」
持っていたメモ用紙に九桁の数字を書きつけ、それを浦風くんに渡す。
「これ電話番号」
「そんなの知っていたのなら、潟湊さんも電話すればよかったのに」
「……私には必要ないので」
いじめられなくなったとしても、私には居場所がない。だから、いじめられても、いじめられなくても、変わらない。
「それじゃあ。私はもう行きます」
音楽室から出ていく私の背中に、浦風くんの視線が刺さる。それがまるで打ち寄せる波の潮を纏った風のようで、潮風が傷口を掠めるように痛かった。
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