風と海との対話 ③
「潟湊さん。今日も掃除当番よろしくね」
「潟湊は告げ口が趣味みたいだから、いいネタ作ってやったぞ」
「私たちに感謝してよね」
そんな捨て台詞を吐きながら、珍獣は一目散に校門を目指す。
この学校に来てから早一週間。彼らが掃除当番の日は毎回押し付けられた。無視してそのまま帰ってもいいけれど、それだと学校が汚いままだから。
あの人たちは、私の放課後の時間を奪えて満足なのだろう。しかし、なんの部活にも入らず、学校外での用事も特にないから、痛くも痒くもない。寧ろ、私にノーダメージで、彼らは翌日には先生に𠮟責を受けるのだから、自分で自分の首を絞めるようなものだ。それすら気付けないのだから、心底脳が空っぽに違いない。
私がたんたんと机を動かしていると、毎回たった一人だけ手伝ってくれるクラスメイトがいる。
「手伝わなくていいって言っているのに」
「
汐後さんとはさっきのメンバーの一人だ。彼女を筆頭にうちのクラスの吹奏楽部が幅を利かせている。あの人たちに怯えて、誰も私に味方しないのに、浦風くんだけはこうして手を貸してくれる。
転校初日の翌日。
その日あの人たちは理科室の掃除当番だった。理科室は無駄に広く、授業で使う器具や実験の薬品なんかも置いてあって、一人で掃除するには普通の教室より大変だった。
『手伝うよ』
固定されている机を避けながらほうきを掃いていたら、浦風くんがモップで床を拭いてくれた。
『昨日は手伝えなくてごめん』
罪悪感いっぱいにモップを動かす。
気にしなくていいよと言っても、浦風くんはかまわず毎回手伝う。
「どうして毎回手伝ってくれるんですか?わざわざあの人たちが帰った隙を狙って」
他のクラスメイトは自分たちの掃除をしたり、部活動に行ったりしているのに、浦風くんだけだ。こうしてくれるのは。
「これくらいしかできないよ。僕だって卑怯者だ。汐後さんたちのまえだと隅に隠れて静観している。なにより……」
浦風くんは、重い口をどうにか開こうとする。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
でも、掠れた息しか出せず、このまま放置したら過呼吸で倒れてしまいそう。
私は彼の首を手刀で軽く叩く。
「クッハ‼」
「無理して話さなくていいので。あの人たちのまえで助け船出さないことも気にしていませんし」
「でも……」
「目立たず、じっとしている。それが賢い生き方です」
私にかまわなくていい。助けなくていい。もうあんなことになってほしくないから。
「こんな話しはやめにして、早く掃除終わらせてしまいましょう」
だけど、掃除に関しては少し甘えよう。せっかくの厚意だもの。
「急がないと日が暮れますよ。浦風くんも放課後は用事あるんじゃないんですか?」
「う、うん」
私たちは、急いで掃除を終わらせた。
放課後。あの入り江に行くことが私の中で恒例となっていた。
「アイ。また遊んでる。海に入っていればいいとはいえ、少しは真面目に働いたら」
「いいだろ。この町の海は澄んでいて、泳ぐと気持ちいいんだから」
最初、胡散臭くて信用ならなかったアイとは、友達とは言いづらいけれど、それなりに打ち解けていた。
でも、アイは海から離れられないから、砂浜に腰を据えて会話をするくらいしかしていない。
「にしても、まだ信じられないな。アイが天使だなんて」
「なんだと。翼の色を無視したら、どっからどう見ても天使だろ。瑠海を助けたときも、飛んでたじゃないか」
「大前提として、いままで天使という存在を見たことないし、天使の存在自体突拍子もないから」
「それはそうだけど、実際に目のまえに翼を生やした空想上の生き物がいるだろう」
「その軽薄な性格で、余計に天使だと思えないんだけど」
「また、辛辣。俺、傷付いちゃう」
そういうおちゃらけた態度が不信感を与えていることに気付かないかなぁ。
「天使を見たことないのは当たりまえだと思う。天使は数はあれどほとんどの人員は天国の神様の元で働いていて、地上で活動しているのはごく僅かだから。それに、大抵の人間は天使を視認できないし」
「そうなの?」
「あぁ。でも、例外はある。霊感の強い人間だったり、死にかけた経験のある人間だったり」
かなりスピリチュアルな体質が求められるらしい。
「あと、天使の生前……つまり人間だったころに関わりのある人間も、その関係性のある天使だけ視認できたりするんだ」
生前?人間だったころ?……これではまるで、むかしは人間だったと言っているよう。
「あー。これはまだ教えていなかったか。天使はもともと死んだ人間なんだ」
予想は正しかった。アイはむかし人間で若くして亡くなったんだ。
「……」
アイは、自分は十六歳だと言った。つまり、死んだのは私と同じ歳、つまり高校生のときだ。そんなに早く亡くなったのに、辛くはないのだろうか。
「同情はしなくていいから」
「‼」
「死んだのは十年以上まえだから、もう気にしてもいない。だから、これまで通り友達として接して」
「……友達」
「うん。友達だろ俺ら」
「……」
友達なんて作る気はなかった。そもそも私の人生において、友達という関係性の人間はできた試しがない。
こういうとき、どうするのが正解なのだろう。否定するのはアイに悪い。
いつもなら擲って、キツい言葉を返す私。だが、こうしてアイを憂いるあたり、彼を憐れんでいる自分がいる。
返答に窮し押黙っていると、アイがいつになく深刻な表情で海を見た。
「アイ?」
「ごめん。今は声をかけないで。集中できないから」
アイは自身の肉体を海に沈め、瞑想する。ほどなくして、「あっちだ‼」と翼を羽ばたかせ、海水浴場の方へ飛んでいった。
私も陸地からそちらを目指す。洞窟を抜け、でこぼこ道を走り、海道から浜辺に降りる。
海開きをしている海水浴場の波打ち際に人が集中していた。その中心には肌色を青くさせた意識のない子どもが横たわっている。周囲の大人たちは人工呼吸や心臓マッサージを施し、懸命に救命し続ける。
子どもの側にはアイもいた。
「頑張れ!まだ間に合う!その道を引き返すんだ!」
アイは、力なく垂れ下がる子どもの腕を握る。
「俺の声のする方へ足を向けて!」
必死で子どもを呼び止める姿。これが
次第に子どもの顔色に生気が戻り、息を吹き返す。
「ガハッ‼」
「息を吹き返したぞ‼」
「坊主、大丈夫か?」
「ごめんね。ごめんね。お母さんがちゃんと見ていなかった所為で、怖い思いさせてごめんね」
周囲の大人たちの歓声を背に、アイが私のいるところまで飛んできた。
「瑠海も来ていたんだ」
「うん。ちょっと心配で……」
「心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫。水は全部吐いたし、命に別状はないだろう。それより、俺の活躍っぷりはどうだ!かっこよかっただろ!」
子どもを救ったときのアイの神秘性はすっかり鳴りを潜め、いつもの能天気な彼に戻っていた。
「助かったとはいえ、溺れ死にしかけ子どもが近くにいるのよ。不謹慎よ」
「そうかもだけど、もう助かったんだし」
理解した。これがアイという天使なんだ。平常時はおちゃらけていて。でも、誰かの命が危機に瀕したときには、颯爽と駆けつけ命を救う。
そこに
深く考える必要なんてなかったんだ。素直で、単純で、陽気なこの天使に、気遣いも憐憫も必要ない。それがどんな過去であろうと。
「あーーー。本当に私の友人は阿呆で困るわ」
もう認めなきゃ。アイといると、楽しい。アイは私の初めての友達だ。
私たちは入り江に戻って、いつものように話し合う。
それは「さっきのこと、褒めて」など、「ご褒美として、フルート聞かせて」など、相変わらず厚かましい。
でも、この天使と友達になった以上諦めなきゃ。こういう天使と友人として付き合っていくのだから。
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