風と海との対話 ②
入り江で天使だと名乗る青年に遭遇してから二日後。今日から私は、この港町唯一の高校に通う。
「
クラスも学年ごとにたったの一つで、一クラスあたりの総人数は三十人にも満たないようだ。
自己紹介を終えると、三十人未満の視線が刺さる。
「『潟湊』ってあれじゃない!音楽一家の!」
「あぁ。指揮者の『潟湊
「本人もフルートのコンクールで何度も賞を取っている、すごい人!」
「どうせ、親の七光だろ」
「そういえば、今年の六月のコンクールには不参加だったけど。どうしてだろう?」
騒々しくなった生徒を鎮める担任教師の叱責が教室のうしろまで響いた。
「おーい。全員、静かにしろ」
けれど、もっと早く注意してほしかった。
やっぱり、ここでも音楽家の潟湊夫婦の娘。そのレッテルは棲家を変えても私に纏わり付く。
ホームルームが終わると矢継ぎ早にクラスメイトが押し寄せてきた。
「潟湊さんって、やっぱりあの天才フルート奏者の潟湊瑠海だよね。名前、同じだし」
「ねぇ!吹奏楽部に入らない!私はホルンやっているんだけど、一緒に演奏しようよ!」
「賛成‼︎潟湊さんが入部してくれたら、うちの部にとって心強いよ」
「ってか、いまここで演奏してみて。俺は楽器やってないけど、フルートすごいんだろ?興味あるから、吹くとこ見せろよ」
興味本位で集まってきた人たちの中には、先ほどの喧騒の最中、私の受賞暦が親の七光によるものだとコケにした者も入っている。
私は周囲の人と壁でも作るかのように、わざと敬語で返事をした。
「悪いけど私のフルートは見世物ではないので、学校には持ってきていません」
恐らく、この中に本心からフルート奏者としての私を欽慕している人は一人としていないだろう。だから、はっきり拒絶の意を見せる。
『えっ……』
「それから、部活するつもりもありませんから。私は、もうフルート奏者でもなんでもないので」
仮にいたとしても、もう公衆の面前で演奏することのない。一般人の私にはもう関係ない。
『………』
「これ以上、用がないのなら、自分たちの席に戻ってください」
一蹴した途端、好機の目が不満、憤怒、嫉妬、蔑視などに変化した。
これだから、上辺だけの人間は嫌いだ。
体育の授業から戻ってくると、教科書やノートが机の上に散乱していた。端がボロボロになっていたり、破れていたり、『七光り‼』『高飛車‼』『カンチガイのブス‼』なんて落書きがされていた。
―クスクスクス―
うしろ穢く嗤う声。
「あーあ。酷いなこれ」
「転校初日で生意気な態度取るから、こんなことになるのねー」
「まぁ、礼儀知らずの潟湊さんには、いい薬になったんじゃない」
「ぷっはは!言えてる‼」
確か、あれは吹奏楽部だと名乗った人たちだ。彼らが中心になって、私を侮蔑する。
私に吹奏楽部に入って欲しいと懇願したくせに、断ったらこの仕打ち。礼儀知らずはどっちよ。だから、ちょっとした意趣返しをした。
「確かに、酷いですね。これ」
「なに、落ち着いてんの?他人事みたいに」
「数学の問題をまともに答えられなかった人たちがこんなことで嗤っている暇があるのかなって思うと可笑しくて、こっちの方はどうでもよく思えましたから」
『⁉』
「嗤ってないで、今日の授業の復習をした方がいいと思いますよ」
『ぐぬぬ……』
「あっ、どちらかというと、こんなくだらないことをする人たちに言うべきだったかもしれませんね」
私の煽りに、顔を真っ赤にして悔しがる吹奏楽部。
「いまのはあなたたちに言ったわけじゃないのに、どうしてそんな顔をするのですか?まるで『犯人は自分たちです』って言っているかのよう」
最後の言葉に反応したら、自白したも同然になる。それだけは避けたいようで、それ以降なにも言わずに退散した。周囲の人たちも重い空気に耐え兼ね、大多数が教室をあとにする。
「……?」
ズタボロにされた教科書などの扱いに思い悩んでいると、一人の男子生徒がこちらを見ていた。男子にしては髪が長く、目元まで伸びている。
「なにか?」
「……に、逃げたいと思わないの?」
「逃げる?」
「こんな理不尽な目にあって……」
「あんなバカのすることにいちいち過剰な反応をして逃げていたらキリがないです。あんなのは、脳みそ虫食いだらけの珍獣と変わりありません」
「ち、珍獣……」
「えぇ。いつまでもあんなの続けていたら、そのうちしっぺ返しを食らうに決まってます」
「……」
「あなた、名前は?」
目のまえの男子は、初対面で名乗らず私に根掘り葉掘り聞いてきた人たちと違い、ちゃんと名乗った。
「
「浦風くん。これからよろしくって言いたいところだけど、なるべく私には話しかけないのを推奨します」
「えっ……」
「私と話しているところをあの人たちに見られたら、きみまで理不尽な目に遭います。私のことは空気だと思ってください」
「……」
それから、浦風くんは一言もしゃべらなかった。いや、かける言葉が見つからないと言った方がいいだろう。けれど、それが正解だ。もう誰も巻き込みたくないから。
あれからあからさまなことはされなかったけど、掃除当番を押付けられた。まぁ、教科書の件と違って誰がやったかは確実なのと、我先帰るところを目撃されているから、先生にありのままを報告した。
どうやらあの吹奏楽部の人たちはもともと素行がよくなく、部活もあの人たちの所為でまともに機能していないそうだ。
本当に入部しなくてよかった。だけど、音楽をやる者として、せめて部活動は真面目にやってほしい。
気分をすっきりさせたくて、家に学校かばんだけ置いて、入り江に向かう。もちろん、フルートを持って。
私は嫌なことがあると、一曲吹いて気を紛らわせる。
「ゲッ!」
なのに今日もあの天使(?)が入り江にのさばっていた。
「やっ!二日ぶり!」
「なんでまたここにいるんですか?」
「出会い頭に『ゲッ!』って奇声上げたり、そんなこと言って、きみ言葉キツいよ」
「だって、あなたみたいな奇妙奇天烈な存在、信用しろって方がムリです。それに、『天使』って名乗ったけれど、どうして翼の色が白じゃなく、藍色なんですか?」
天使の翼は、白というイメージが強い。ギリシャ神話の
「あぁ。この色ね。天使の羽は、自然の物に触れているとその触れた物の色に染まる性質があるんだ。まぁ、一日経てば戻るんだけど、俺は日がな一日この入り江で遊泳しているから、ずっと藍色なんだ」
「へぇー。暇なんですね」
「そう。暇なんだ」
開き直った。
「あと、天使って名乗ってけど、天使は名称であって、名前は別にあるんだ」
「じゃあ、本当はなんて名前なんですか?」
いつもならこんな奇妙な人物の名前など尋ねたりはしないが、彼はこの入り江に居座っているらしい。早く出ていってほしいから、とりあえず彼のことを知った方がよさそう。いま、出てけって言ったところで素直に従わないだろうから。
「本当の名は名乗れないけど、そうだな……『アイ』って呼んで」
「アイ?藍色だから『アイ』。なんか単純ですね」
「ひど」
彼……アイは悲観しながらも、ケラケラ笑っていた。こんな他愛のないことで笑っているアイに呆れはしたが、同時に羨ましくもあった。
「ってか、どうして敬語なの?」
「初対面なので、一応。尊敬できる人柄かどうかはともかく」
「あれ?いま、俺貶されなかった?」
アイは単純だった。また悲観したと思ったら、「まっ、いっか」とすぐに立ち直る。
「ねぇ、これからは普通に話して」
「どうしてですか?」
「同じ年くらいなんだから、敬語なんて可笑しいだろ?」
「天使に年齢とかってあるんですか?」
アイは「ん-……。一応は、十六歳なんだけど……」と首を傾げる。
一応って、なによ。一応って。
でも、面倒だからここは言われた通りにしておこう。
「アイ。わかったわ。敬語は使わないから、安心して」
「そうそう。こういう普通の会話がしたかったんだ」
これが普通の会話なのか疑問だ。話法はともかく、会話の相手も話す内容も異様だから。
話しの流れで、アイに本当に天使なのか、そもそも天使ってなんなのか尋ねてみた。
「あなたは本当に天使なの?天使って、一体なんなの?」
「天使ってのは、要するに神様に仕える者」
「ふーん。でも、アイは全然天使っぽくない」
「嘘!」
「だって、一日中ここで暇を潰しているんでしょ。ニートと一緒じゃない」
「あー。それね。俺の仕事は、まだ死ぬべきでない者の命を救うことだから」
「まだ、死ぬべきでない者?」
「そう。まだ寿命が残っている人間が事故かなにかで死にそうになったとき、助けるのが仕事」
「それってサボったらまずいんじゃないの?パトロールとかしなくていいの?」
「あぁ、平気、平気。パトロールしても、こんな田舎じゃ事件とかは起きないし、陸の事故より海の事故の方が多いから。海辺で待機している方が都合がいいんだ」
「言われてみたらそうかもしれないけれど、だったら人の多い浜辺を監視するべきじゃないの?こんなところで泳いでいたら事故が起きたとしても気付けないわよ」
「それなら大丈夫。こうして体の一部を海に浸けていれば、近くの海で異変が起きると直ぐにわかる」
そう言ってアイは海に浸かり、出会ったときのように空を仰ぐ。藍色の翼が海に同化して境目がわからない。
「それも天使の力なの?」
翼が簡単に変色や脱色するように、
「うん。そうだよ。人間の第六感を百倍にしたようなもの」
「海以外の事故はどうやって知るの?」
「陸地でも、地面に足を着けていればいいし。空ならなにもしなくてもわかる。空は俺ら天使のホームグラウンドだから。流石に、遠すぎると関知できないけど」
するとアイは「少しは尊敬した?」と聞いてきた。
ここで正直に言ったら図に乗ると思い、そっぽを向く。そんな私に、困ったものだという感じで今度はアイがため息を吐く。でも、アイは微笑ましいものを見るような目で私を映す。
アイは砂浜に上がり、私の隣に戻ると「俺のことは話したんだから、瑠海のことも話してよ」と懇願する。
「あれ?私、名前言った?」
アイのペースに乗せられて、すっかり失念していた。だが、アイはそんなことには構わず「まぁ、いいから。いいから」と話すように促す。
アイは、私の荷物に目をやり「それ、フルートケースだよね。瑠海は、フルート演奏できるの?部活も吹奏楽部だったりして」。
「まぁまぁ、吹ける。アイの予想通り、中学では吹奏楽部だった」
「まえの学校では?いまの学校じゃどうなの?」
誰があんな珍獣たちがいる部活に入るものか。
「答えたくない」
「しらけているなぁ。でも、フルートは吹けるんだ。ここで吹いてよ」
「それもイヤ」
「えーーー!あっ、じゃあ、このまえ助けたお礼ってことで、聴かせて」
「絶対イヤ。常語で話すようになったのをお礼ってことにして」
「えーーー!」
「『えーーー!』じゃない。そもそもあのときは、アイの翼に躓いて溺れたんだから」
「そんなぁ。お願い。ちょこっとだけ」
「ダメ」
「ほんの少し」
「イヤ」
「どうしても」
「ムリ」
こんな押し問答に付き合っていられない。当初の目的はできなかったけれど、家に帰る。
しかし、アイと話している内に、憂鬱とした気持ちは晴れていた。
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