《初配信/紅日マナ》

 五月五日、こどもの日。

 東京都内某区に存在するとあるビルの一室。

 そこではある少女によって配信が行われようとしていた。


 同時接続者千人。

 マイナーどころか、初めての箱なのに規格外の数字だ。

 炎上中であるという点を除けば、だが。



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◯始まる

◯ktkr


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 待機所から配信画面へと移り変わる。

 画面上にはマゼンタの少女が一人、バストアップで映っていた。

 

 癖のある長い髪を左側頭部で纏めた姿は、中の人である愛歌の容姿からインスピレーションを受けた、と合歓垣が語っていたのを思い出す。

 ただ纏めただけではなく、編み込みのアレンジが入っているのは、キャラクターとしての情報量を上げるためなのだろう。

 

 詩音といろはは息を呑む。

 これがアステリズムという箱の初配信。

 愛歌ならば、マナならば心配ないと思っているのと、緊張することは別問題だった。



「みなさーん、こんにちはー!

 アステリズム所属バーチャルタレントチーム『プライマリー』マゼンタ担当、紅日マナでーす!!!」



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◯かわいい

◯胸デカいな

◯ねむのきさんがママになったと聞いて

◯うるさ

◯元気


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 流れていくコメント。

 少し辛辣な言葉もあるが、荒らしと言えるものはまだない。

 荒れると思っていたが、杞憂だったのだろうか。



「今日はですね、初配信ということで!

 じゃーん、自己紹介をしていきたいと思いまーす!」



 可愛らしく装飾されたスライドが映し出された。

 マナは話しながらスライドを進めていく。



「紅日マナです、紅日ってこう書くのでちゃんと覚えて下さーい!

 性別は女の子。身長は一六ニセンチ、結構高いんですよ!

 体重は秘密です、乙女なので。

 年齢もですよ、女性に年齢を訊くのは失礼ですからね!」



 身長のデータは愛歌と同じだ。

 そうでなければ立体モデルにしたとき、違和感が出てしまうらしい。

 バーチャル世界でなら、と身長を盛ろうとした詩音といろはの野望は打ち砕かれたのだった。



「次、趣味ですね。私の趣味は……動くこと!

 特にダンスが好きです!

 ロンダートとかバク宙とかもできます」



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◯フィジカル強者?!

◯つおい

◯ゴリラ?


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「ゴリラじゃないです!」



 しっかりコメントを拾うこともできているようだ。

 その後もつつがなく配信は進んでいく。

 手筈通りなら、もう“あれ”を言うのだろう。


 愛歌は、マナとして生きる上で“あれ”は隠したくないと言っていた。

 それが、紅日マナとしての誠実さなのだ、と。


 あたし一人だけでも。

 マナはそう言っていたが、詩音シノいろはイオも同意見だった。

 ファンには嘘を吐きたくない。

 偽りたくない。変わりたいことを隠したくない。


 だから、三人は隠し通すことよりも、公にすることを選んだのだ。



「ここで、重大発表があります。

 あたしがあたしとして生きていく上で、絶対に言わなきゃならないことです!

 だからどうか、聞いてください」



 ────あたし、紅日マナは注意欠如・多動性障害。所謂、ADHDです。



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◯は?

◯初配信で言うことか?

◯萎えたわ

◯何言ってんの?


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 言葉の弾丸がマナを貫く。

 初配信で言うことではない。

 その考えは当たり前だ。


 めでたい門出の場。その暖かい場の温度を下げる言葉。


 しかし、マナは決意していたのだ。

 どんなことを言われたって、紅日マナを全うすると。



「皆さん、色々思うことはあると思います。

 あたしがこれを言おうと思ったのは、皆さんに隠したくなかったからです。

 あたしのマイナスの面、暗いところ。

 でも、それだけじゃ終わらない。終わらせたくない」



 マイク越しに聞こえるほど、マナは大きく深呼吸した。

 吸って、吐いて、また吸って。

 はっきりと言い放った。



「あたしは、理想のあたしになります! ここで、この世界で!

 だから、皆さん見守ってください。

 私が変わっていくところ。そして、これから先の未来まで!」



 ああ、強いな。愛歌は、マナは。

 ボクなんかとは、違う。


 詩音は今にも逃げ出したかった。

 少女の太陽のような光を見た。影すら焼き尽くす光を見た。

 だから、自分は彼女のようにできないと解ってしまった。


 でも、逃げない。諦めない。決めたことを曲げたくない。



「……大丈夫、みたいだね」



 隣のいろはがそう呟いた。



「え、なんで?」

「いや、詩音って緊張しやすいじゃん。

 逃げたいとか思ってそうだなって」

「そうだけどさ。

 でも、逃げたくない。皆頑張ってるから」

「……そっか」



 画面上ではマナの決意表明に対し、賛否両論が巻き起こっていた。

 『頑張れ』と肯定する者。『下らない』と否定する者。

 今のマナにとって、ある意味どちらの主張も意味はないのだろう。

 彼女は何と言われてもやる、と決めたのだから。



「何か暗い雰囲気になっちゃいましたね。

 と、いうことで明るくします。ダンスで」



 マナがそういった途端、画面が暗転する。

 カミングアウトすれば、雰囲気が暗くなる。

 それは予め分かっていたことだった。


 だから、場を暖める方法を用意しておくことにした。

 マナの特技で。


 マナの特技、ダンス。

 ジャンルは問わず、ありとあらゆるダンスを得意とする。

 ジャズ、ヒップホップ、社交。


 そんなマナがダンスで明るくしようと思いついたのは────『パズルダンシングゲーム』だった。


 画面が明るくなる。

 そこにいたのは冒涜的な怪物であった。


 蛸や烏賊に似た、複数の目玉を有する頭部。

 髭のように生やされた無数の触手は鋭く、赤黒い。

 背から飛び出す一対の翼は、竜にも蝙蝠にも思える。

 鉤爪と水掻きを備えた手足は、緑の鱗と瘤に覆われたグロテスクな胴体を支えていた。


 某有名な旧き神、それを模したぎんがくんだ。



「はい皆さん、見えますか〜?

 今から『パズルダンシングゲーム』しまーす!

 あっそうだ。立体モデル、まりもみたいだなっていう苦情は受け付けませーん!

 かわいいですよね、ぎんがくん」



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◯?!

◯ま り も

◯か わ い い

◯冒涜的な見た目では……?

◯くとぅくとぅしてきた


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 パズルダンシングゲーム。

 ルールは単純。

 お題が書かれたカードを用意し、一定の枚数を組み合わせることで一つの課題とする。

 課題を入れたダンスを即興で熟し、審査員の基準をクリアできれば成功、というものだ。


 マナが考案したゲームであり、これを行うには立体モデルが必要になる。


 しかし、かなり修羅場であったスタッフに紅日マナのモデリングを行う余裕はなかった。


 だが、立体モデルが無いわけではない。

 テストとして作っていたモデル、ぎんがくん。

 彼だか彼女だか分からぬ生物には、立体モデルもあったのだ。



「ルールも分かったところで、始めまーす!

 スタッフさーん、お願いします!」

 


 恐らく、スタッフであろう声が入る。

 内容は『イタリアンフェッテ』『ダブルエリオ』『ジャックハンマー』



「簡単ですね! それではミュージックスタート!」



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◯簡 単 で す ね

◯あの……プロでも難しいやつ……

◯できるわけないだろ


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 音楽が流れ出す。

 事前にいろはが作り、スタッフへ渡していたものだ。

 マナは床を爪先で二回蹴り、そして踊りだす。


 イタリアンフェッテ、ダブルエリオ、ジャックハンマー。

 課題の三つをそれぞれ違和感なく繋げるように、間にもいくつか技を入れて舞う。

 重力が存在しないと思わせるほどに軽やかな動きは、皆を魅了した。


 コメントの動きが止まる。

 止まったコメント欄の中で気になるものが一つ。




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◯調子乗ってんじゃねーぞ非処女のくせに


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 遂に来た。

 男女混成チームであることの懸念、その理由。

 男性Vライバーを嫌悪する者が。






「皆さん楽しんでくれましたかー!

 名残惜しいですけど、そろそろ紅日マナの初配信は終わります!

 次の配信は黄月イオくん!

 よろしくお願いします!」



 数秒後、配信は終了する。

 帰ってきた愛歌はとても笑顔で、やりきったという表情をしていた。


 次はいろは、黄月イオの番だ。



「じゃ、行ってきます」

「……頑張れ」

「頑張ってねー!」



 二人に見送られ、イオは配信スタジオへ向かう。

 その背中に、詩音は一抹の不安を感じていた。

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