29  まだ輝く夏

 さんさんと照りつける太陽の光は、田舎ならではの島の風景を鮮やかに映している。海はキラキラと光の粒を浮かべ、息をするように寄せては返している。

 防波堤の上を歩く折谷の後ろをついて歩く。いつぞやもこんな風に折谷の後ろを歩いた。


 その時は泥をかぶったように心が重く、晴れ晴れとしたこんなさわやかな風が吹く夏の島とは、相反する空気を味わっていた。

 それなのに、今じゃこうして二人一緒にいることが当たり前になっている。風に揺れる黒髪に、風を受けて膨らんだシャツ。折谷の背中をまじまじと見つめながら、柄にもなく感慨に浸っていた。


「先生と話はついたのか?」

 俺は風に負けないように声を張って尋ねる。

「うん。一ヶ月補習を受ければ、停学処分は免除だって」

「そっか」


 夏休み中に折谷が起こしたポスターを破る事件は、被害届が出されなかったものの、学校はこれを問題視していた。停学処分も検討されていたらしい。

 しかし、れいさんや浮島さんなどの多数の大人の助力に、当人の反省の意思を聞いた学校は、一ヶ月の補習を受けることを条件に、停学処分を失くすことにした。

 不意に、後ろに腕を回した折谷が振り返った。

「そういえばさ。お父さんに言ったの?」

「は?」

「マリンフェアリー。あたしたちが見つけた場所、教えたの?」

「ああ、そのことか」


 俺は輝くコバルトブルーの海に視線を投げる。水平線に見える船が陽気な海原うなばらを進んでいた。

「父ちゃんは自分の手で探したいんだよ。俺が答えを言っちゃあ、ロマンもクソもない」

「あたしが言ってあげようか?」

「俺の話、聞いてた⁉」

「ふふ、冗談よ」

 俺をもてあそんで満足したのか、再び防波堤の上を歩き出した。


 すでに九月に入っているが、海岸には観光客らしき人も見受けられる。それでも、島の人口は確実に減っており、夏休み期間だった七月、八月と比べると、あきらかに海岸にいる人は少ない。

 活気に満ちていた海岸の光景を見ているだけに、なんだか物悲しい気分になる。

 その時、折谷は立ち止まり、両手を広げた。

 俺は突然立ち止まった折谷に驚き、足を止めた。


 深く息を吸い、吐き出す。折谷の表情はうかがえなかったが、あの日以来、折谷は何かが吹っ切れたように清々しい顔をしている。そんな折谷を見られていることに、胸のすく思いだった。

 だが、一つ深呼吸をした折谷が視線を移した時、その瞳はうれいだように儚く見えた。

「お父さんが求めていたマリンフェアリーは、海の伝説でも、海の精霊でもない。この海で、ひっそり生きていた子たちだった」

 神妙に語る折谷に、俺は息を呑む。夏の暑さに滲んだ汗を拭う、吹きつける風を受け止めながら。

「この先、マリンフェアリーも生きていかなくちゃいけないんだよね。きっとあの光を見たら、守っていきたいって感じると思う」

「お前がそう思ったようにか?」

 折谷は海を見つめながら、優しく微笑んで首肯する。


「決めたんだ。あたしは、お父さんが好きだったマリンフェアリーが生きられる海を守っていこうって。お父さんなら、応援してくれるかな?」

「当たり前だろ。お前がやりたいことなら、お前の父ちゃんは全力で応援する。それが、お前の父ちゃんだろ?」

「そうね」

 折谷は俺に正面を向ける。微笑みかけられた俺が不思議に思っていると、折谷は何か企んだような瞳を向けて口を開いた。


「もう一つ、決めたことがあるの」

「もう一つ?」

「あたし、大学に行こうと思う。希央と」

「へぇー、大学に……ん?」

 俺は耳を疑った。


「今、『希央と』って言った?」

「そうよ」

 折谷は当然のように言った。

「いやいやいや! 俺一言も大学に行くなんて言ってないと思うんだけど⁉」

「あたし一人に行かせる気?」

 折谷は慌てふためく俺を楽しそうに見つめながら問いかける。


「でもよ、将来に関わることだし、そんな急に言われても……。それに、俺の頭じゃ大学なんて行けるわけないし」

「勉強する時間ならたくさんあるでしょ?」

「は、はぁ……」

 俺が決めかねていると、折谷はすんと真顔になる。


「『似合わねえと思うけど、俺たちならなんだってやっていける。お互いに、最高のバディがいるんだからな』、あれはウソだったのかしら?」

「う……い、言ったっけ? そんなこと」

「ほんと、君って口だけ」

 久しぶりにののしられた。なんだろう、塩っ辛いぜ……。

「わぁあったよ‼ やりますよ! やればいいんでしょ‼」

 やけくそになった俺を見て、満足そうに肩を揺らして笑うと、折谷は手を伸ばしてきた。


「荷物、貸して」

「ああ」

 俺は言われた通り、折谷のカバンを渡した。

「君のも」

「え、いや持ってもらうには及ば」

「いいから」

「……」

 どうやら聞く耳を持つ気はないらしい。


「携帯はカバンの中?」

「そうだけど?」

 何を考えているのやら。恐々と俺のリュックも渡した瞬間、折谷は俺のリュックと折谷のカバンを、防波堤の下の地面に放り投げた。

 突然のことに目を見張り、二つの荷物を目で追った。


「おい、なに……」

 俺が食ってかかろうとした時、俺の体に衝撃が走った。

 俺の体は浮き上がっていた。いや、正確には、落ちていた。折谷を見上げるように傾いた俺の視界は、折谷から離れていく。混乱と不安が頭の中で渦を巻いて間もなく、俺の視界は青く濡らされた。

 体は水を纏った。身をよじり、海面へ浮上しようとする。細めた目で海面の方向を捉えた時、海面が大きくたわんだ。

 波紋を立てる海面の中心から、ゆっくりと向かってくる影。それは少しずつ解像度を増して、俺の目の前に来た。


 ———そう理解した瞬間、俺の唇が優しく覆われた。

 ふわりと重なった唇から、少しずつ息が零れていく。

 注がれた息が俺の口の中へ入ってくる。


 厚く、濃厚な息を、慎重に小さく開いた口の中へ呑み込んでいく。

 重なった二つの唇から零れた息は、気泡となって浮き上がる。

 消えた気泡は海に溶けて。波にかき消されていく。

 数秒か、それとも数分か。俺たちは優しい海の中で、二人で交わした想いの丈を確かめ合うようにキスをした。


 限界になった俺たちは、急いで海面に顔を出した。

 互いにぜえぜえと息をしながら視線を交わしていると、どちらからともなく笑った。

 おかしな二人の時間はひとまず終了だ。

「これから海美だってのに、体力使ってどうすんだよ」

「準備運動よ」


 それにしては刺激が強すぎるだろうに。

 折谷は俺の首に回していた手をほどき、背を向けて泳ぎ出した。

「このまま海岸へ行ってくる。荷物、お願いね!」

「溺れんなよ!」

「過保護すぎ!」

 やれやれ……。

 俺はずぶ濡れになった制服で防波堤を上り、地面に放られていた二つの荷物を持つ。

 俺は勢いよく駆け出した。防波堤に沿って泳ぐ折谷の姿を捉えながら、水気を飛ばして走っていく。


 俺の体はまだ熱さを感じている。この先、何があるかわからないが、頼りになる相棒が俺にはいる。

 都合がよすぎるかもしれない。

 だけど、マリンフェアリーがいたこの島で俺たちが出会ったのは、偶然じゃない気がするんだ。


 誰だって一人じゃ生きられないから、共に手を取って生きている。この島にいる人たちだって、同じはずだ。マリンフェアリーも、そうして生きてきたはずだ。

 今こうしてワクワクする日々を送る中で、あの日見たマリンフェアリーは、光に乗せて俺たちにこう語りかけていたんじゃないかって思うんだ。


 ———夏は、まだ始まったばかりだ。




                               了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マリンフェアリー 國灯闇一 @w8quintedseven

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ