16  波間に消える

 今日はどこもかしこも騒がしい。だいぶ離れたところで台風が猛威を振るっているそうだ。風が空気を裂き、ボウボウと音をかき鳴らしている。

 波もいつもより高く、サーファーにとっては絶好のサーフィン日和ってとこだろう。

「今日は早めに切り上げよう」

 海中の清掃を始める前に、浮島さんがそう言って班を割り振った。

 班ごとに担当するエリアが決められ、団員はそれぞれの持ち場へ向かった。


 青く染まった海の中へ潜入する。ゴボゴボと気泡が昇っていく。俺は海底に沈んだゴミを捉え、慎重にゴミを拾った。

 俺は顔を上げ、フィンをつけた足をゆっくり動かしていく。大きく揺らめく海面に向かって、浮上した。


 海面から顔を出し、レギュレーターを外して大きな空気を吸う。それでも、どこか息の詰まる感覚が喉奥に残っている。ダイビングをしている人が必ずそうなるわけじゃない。まだ引きずっているってことだ。

 俺は周囲に視線を配る。大きな波のせいで海面上の視界は悪い。

 俺は目を凝らし、波間に見えた影をどうにか捉える。海面から頭を出す折谷は強い波や風にも動じず、淡々と作業を続けている。次に波が折谷の姿を隠した時には、折谷は見えなくなっていた。


 あれから折谷とは、一言も言葉を交わしていない。十代で鋼の心を持てというのは酷じゃないだろうか。ただ謝れば済むことだ。だがいざ折谷に話しかけようとしたら、折谷はスタスタとどこかへ行ってしまう。ガン無視だ。

 完全に嫌われた、らしい。これからずっとこんな感じでやっていくのかね?

 海美活動があると知った前日は、憂鬱極まりない。


 ともあれ、折谷自身、自分の気持ちに折り合いがついてないようだった。

 少し時間も経てば、学校も始まる。あの事件で、変な噂が立たなきゃいいけど……。

 かといって、俺に何ができるかなんてわからない。でも、何かしら力になれたらって思う。余計なお世話かもしれねぇけどさ。

 気落ちしても仕方ない。さっさと終わらせるべく、再び海の中へ潜った。



 四苦八苦しながら海中のゴミを拾ってきた。そろそろ終わらないとヤバそうだ。海の中の様子がおかしい。流れが微妙に変わってるし、波も高くなっている。

 俺は海面に浮上し、折谷を探した。

「折谷! 折谷!」


 声を上げながら折谷の姿を探す。波が顔を殴ってくる。

 風も強い。空では厚い雲が異様な速度で流れている。

「折谷!」

 周囲を見渡し、声を張り上げて呼びかける。すると、海岸からだいぶ離れたところに手が上がっていた。でも何か変だった。なんとなく瞬時に悟った違和感に任せ、視線を留めていた。

 海面に出ている手は、何かを掴もうとするかのように海面を何度も叩く。そして、一瞬海面から覗いた顔は、苦しげに大きな口を開けていた。

 折谷……⁉


 折谷の顔はまた海中に消えてしまった。

 あきらかに様子がおかしかった。溺れてる!

 泳ぎは俺よりうまいくらいなのに、なんで折谷が⁉

 考えている暇はなかった。

 俺は急いで折谷のもとへ向かう。

 必死に海水を捉えて手を動かしていく。近づいているが、まだ距離がある。しかも流れが異常だ。体が持って行かれる。

 構うもんか!

 海流の助けもあって、折谷まで目と鼻の先まで来た。

 折谷はどんどん海中へまれていた。折谷の手は指先しか見えていない。近づいている間に、折谷は見えなくなった。


 俺は海中へ潜る。視界は最悪だ。塵一つ見逃さないくらいに目を配っていく。下へ視線を投げると、邪魔する気泡の影に紛れて捉えた。折谷の体は薄暗い海底へ沈もうとしていた。

 見えない海の流れに逆らい、岩礁を蹴って必死に手を伸ばした。

 伸ばした手が折谷の腕を掴んだ。おもいっきり引き寄せ、折谷の腕を取って首に回す。

 折谷は空気を吸入できるレギュレーターをくわえていなかった。意識を失っているようだ。

 早く、岸へ戻らないと!

 俺は一旦浮上しようとした。しかし、力強い海流は強引に俺の体にぶつかってきた。俺はバランスを失い、視界が揺らいだ。

 なんだ、この感覚。体が思うように動いてくれねえ!


 俺はボーという唸り声のような音を聞きながら流されていく。さっきまで全力で泳いだせいか、力もうまく入らない。折谷を離さないようにするのがやっとだった。

 クソッ、どうすりゃいい?


 どうにかしようと辺りを見回す。岩場があれば掴まれる。

 右奥に岩の影が見えた。あそこに掴まれば、少し休憩できる。

 俺は力を振り絞って、泳ぎ出す。


 体が重い。流されながら岩まで近づいていく。黒い岩にめいいっぱい手を伸ばして片手で掴む。力を入れて掴むも、強い流れが俺たちを引き込もうとする。

 俺は歯を食いしばり、耐える。体を岩へ近づけようと、左手に渾身の力を込めた。

 岩を掴んでいた手に感触がなくなった。俺の希望は呆気なく離れていく。

 焦る間もなく、俺は背中の衝撃に息を詰まらせた。

 視界がぐるりと回転する。かすかに別の大きな岩が見えた。どうやらあの岩にぶつけたらしい。


 さっきぶつかったせいでレギュレーターが口から離れてしまった。

 俺はすさまじい流れの中でレギュレーターをどうにか掴み直し、口につけ直す。

 ッ!? 空気が来ない?

 残圧計を確認すると、みるみる下がっていた。

 こんな現象が起こるのは一つしかない。タンクから空気が漏れている。さっきぶつかったせいでタンクに穴が空いたんだ!

 このままじゃ二人とも死んじまう。折谷は意識を失ったまま。水を飲んでるかもしれない。

 息を止めてられる時間も残ってない。このまま海上に上がる体力もない。なら、まずは生きることを考えるべきだ。

 この流れに逆らわず、空気を確保する方法は……!


 俺は生死をわけるかもしれない選択を迫られ、決断するしかなかった。俺は自分の体を見下ろし、器材を固定するフロントバックルを外す。次に折谷の体を正面へ持ってくる。左右のショルダーベルトを外し、器材を捨てた。

 俺は折谷のレギュレーターを掴み、折谷の口にレギュレーターをはめる。レギュレーターのボタンを押す。レギュレーターが気泡を出していく。


 生きてくれ! 折谷!


 折谷の口からレギュレーターを外し、俺の口にもレギュレーターをはめ、空気を吸う。

 今は温存だ。流れに逆らわず、安全を確保する。

 またレギュレーターを折谷の口にはめ直す。

 絶対死なせねえぞ! 折谷!

 俺は折谷の頭を手で覆い、離さないようにする。必ず生きて帰ってやると覚悟を胸に灯し、うねる海に連れ去られた。

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