15  ただ、心配だっただけなのに……

 俺はたまたま出くわした柴史さんと一緒にマリンショップへ向かった。だがれいさんはすでにいなかった。どうやら事情はすべて聞いたようだ。


 ここ数日、商店や電柱などに貼られたポスターが破られる被害が相次いでいたことから、警察も動き出していたようだ。そうして、警戒していた住人が犯行を目撃したのだ。

 その犯人が、折谷菜音歌だった。


 動いていた警察も駆けつけ、折谷は補導された。

 初犯で、かつ目撃した住民が澪さんと知り合いだったこともあり、今回は大事にならずに済んだらしい。

 俺の携帯も折谷の話で埋め尽くされた。折谷ご乱心武勇伝という冗談めかした話で盛り上がったが、俺は少し不安を覚えた。この件で、折谷の立場が危うくならないか。

 海美活動団の人たちはたぶん大丈夫だと思うが、学校ではどうだろうか。距離を置こうとする人がいてもおかしくない。折谷ならそれくらいのこと、わかってると思うんだが……。


 のそりとペダルを踏み込み、向かい風を受けながら深いピンクをあしらった二階建てのマンションに辿りついた。

 マンションの正面にひし形状の階段が迎えた。階段の下をくぐり、右端のドアの前に向かう。

「ここ、だよな?」

 俺は携帯の画面と表札の部屋番号、隣のドアと順に視線を移していく。左手に持っていた携帯を右手に持ち替え、人差し指をインターホンに照準を合わせる。

 すんでのところで、俺の左手が無意識に硬直してしまった。それに相反し、心臓の音が跳ね上がり、左手に伝う血管が脈を早めている。


 ただインターホンを押す。たったそれだけのこと。なのに、どうしてこんなに緊張するのか。

 初めて友達の家に訪れる時もこんな感じだったか? しかも相手が折谷で、女の子の家を訪ねるとあっては、おくしてしまう。みんなそうなんじゃないか? 違うのか? これほど自分がヘタレであると突きつけられているみたいで、心が落ち着かない。

 俺は渇いた口にわずかに残った唾を飲み込むと同時に、インターホンを押し込んだ。


 いよいよ後に引けなくなった。腹をくくり、ドアの向こうに俄然意識を集中させる。

 ドアの向こうで小さな物音が鳴っていると認識して数秒後、ドアがゆっくり開いた。ドアが半分開いたところで、折谷の顔が映る。

「よ」

 俺の顔を認識した瞬間、折谷の顔がほんの少し不快を帯びたような……。

 共に静止の間が流れた後、ドアが閉じようとする。

「おい‼」

 俺はドアノブに手をかけ、抵抗する。不快感を露わにした折谷は、渋々ドアを開いた。

「なんか用?」

 相変わらず冷たい対応に呆れるも、妙に安心した。


「様子見に来たんだよ」

「あっそ。じゃあ」

「いやいや‼ 待てって!」

 折谷はさっきより強く引こうとしたドアを引っ張る。苛立ちを募らせた猫みたいに鋭い瞳が突き刺した。今日ばかりは怯むわけにはいかない。ヘタレの心を奮い立たせ、睨み返す。


「話聞けよ」

「あたしは話すことなんかない」

「そう言うなって。少し話できないか?」

 警戒。疑いの視線が問答無用に俺の顔をなめ回す。

「入っていいか?」

 すると、折谷の表情がスンと無表情になった。

「変態」

「なんでだよ!?」

「通報してほしくなかったら今すぐどっか行ってくんない?」

「通報するなら話の後にしてくれないか? なんなら、どっか適当な場所でもいいけど」


 ここまで来たんだ。何もせず帰るくらいならへこんで帰る覚悟だ。

 どうなることかとうかがっていると、折谷は視線を逸らす。考えるような素振りを見せた後、諦めたような口調で小さく零した。

「五分待って」

「わ、わかった」

 俺はドアノブから手を離し、閉まるドアを見送る。バタンと音が鳴った瞬間、糸が切れたみたくどっと疲れが押し寄せた。次第に体が熱を持ち始め、嫌な汗が頬を伝っていく。

 どこで待っていようかと視線をさまよわせる。もたれかかってくる熱気に顔をしかめ、心の虫を払うように胸を擦っていた。



 部屋から出てきた折谷の後ろをついていく。数メートルの間を保って。

 なんか、悪いことをして連行されていく人みたいだな……。いや、悪いことなんてしてないんだけどさ。むしろ、悪いことをしたのは向こうなわけだが……。


 それはそうと、折谷の格好はなんだ。野球帽を被ってシャツに短パン。男……に見えなくもない。

 まあ今の折谷は、島中の腫れ物になってるようなもんだからな。平然と島を歩けないんだろう。

 足を使わされ、やってきてみれば、緑に囲まれた神社に辿りついた。

 折谷は何も言わず、階段を上がっていく。やっとついたと思ったら長い階段がお目見えし、観念して足を運ぶ。


 上りきった先に仏でも眠ってそうな建築物があった。右手の緩やかな上り坂を進み、折谷が建屋たてやに入っていく。

 折谷はベンチに座り、物憂げな瞳で建屋から一望できる住宅街を見据える。

 俺はリュックから飲み物を取り、建屋に足を踏み入れる。

「ほれ」

 俺は合図を出し、手に持ったドリンクを見せつけると、下から投げる。

 折谷はペットボトルのドリンクをキャッチし、『何?』と言いたげな視線を向けてくる。

「暑いだろ。熱中症にご用心ってな」

 折谷はいつもの喧嘩腰の態度を収め、ペットボトルの蓋を開け始めた。


 シュッと炭酸の抜ける音を聞きながら、俺もベンチに腰かける。喉を鳴らし、炭酸ジュースを口に含むと、猫目の瞳をスッと投げる。

「話って何?」

 俺は熱に吸い取られた水分を補うため、炭酸ジュースを一口含み、意を決して口にした。

「お前がマリンフェアリーを嫌ってるのは知ってるし、理由もだいたいわかってる。だからって、水を差すような真似までして、誰がむくわれるんだ?」

 折谷は視線を足下に向け、眉間に皺を刻む。


「島の人たちは、あたしのお父さんがどうしていなくなったのか知ってる。なのに、なんであんなポスターを飾れるの? お父さんなんて、最初からいなかったみたいに」

 折谷は左手に持ったペットボトルを強く握る。ペットボトルがボゴっと悲鳴を上げる。

「もし、マリンフェアリーのイベントに来た人たちの誰かが探し出したら、あたしのお父さんみたいになるかもしれない。誰も学んでないのよ」

「つまり、お前の父ちゃんみたく、マリンフェアリーを探すヤツを徹底的に根絶やしにしたいってことか?」

 折谷の鋭い瞳がし込む。

「言い方に悪意があるでしょ」

「お前には敵わねえって」

 折谷の鋭い視線をいなし、嘆息する。


「同じ思いをしてほしくない。そうなんだろ?」

 折谷はベンチに片足を置き、膝を抱える。

「別に、お前の父ちゃんがいなくなったことを忘れたわけじゃねえと思うけどな。すげえ綺麗な景色だなって思うのもダメなのか?」

「その中に、マリンフェアリーを探す人が出てくるかもしれないってのに見すごせっての?」

「命がけで探そうとするヤツがホイホイ出るもんでもないだろ」

 折谷は唇をゆがめて黙り込む。納得はしてないみたいだ。


「島の連中に目を光らせたって、マリンフェアリーを探すヤツは世界中にいるかもしれないだろ。仮にお前がマリンフェアリーを探すヤツら全員を止めたって、お前の父ちゃんのとむらいになるわけじゃあるまいし。お前のやってることって、ただの八つ当たりじゃねえの?」

「……せぇ」

 折谷の声はうまく聞き取れなかった。

「は?」

「ごちゃごちゃうるせえって言ったんだよ‼」 

 折谷の怒声に全身が金縛りにあったみたいに萎縮する。

「少し知ったくらいで何もかも見透かしたつもり? バカにすんな‼」

 これで何度目だったか。睨まれるのもいつものことだ。けど、ただ一つ違ったのは、瞳から大粒の涙があふれていたことだった。


「大切な人を失った気持ちが、あんたにわかってたまるかっ!」

 折谷は対面に座る俺に殴りかかろうとする勢いだった。

 どうやら余計なことを言ったっぽい。

「何が不死身よ‼ 子供だからって安請け合いしやがって!」

「な、何言ってんだよ……」

「必ず帰ってくるって約束してくれたから。危険だってわかってて、あたしは止めなかったの!」

 こいつ……。ただ嫌悪や善意でやってたわけじゃなかったのか。

 折谷はぐしゃぐしゃと涙を拭うも、とめどなくあふれてくる。結ぼうとする唇も震え、涙声は漏れていく。唇を噛んで、うつむいてしまった。


 突然泣き出した折谷を前に、鉛みたいに重くなった心は、俺から言葉を奪ってしまった。激怒されるのは覚悟の上だった。だが、泣かれてしまうという予想外の状況は、俺に罪悪感を植えつけた。

 泣いている折谷と戸惑う俺。水気と熱気を帯びた風が、無垢に俺たちの横を通りすぎていく。

 気を揉んでソワソワしている間に、少し赤くなった瞳は目頭に雫を留めていた。落ち着いたようだと、しばらく閉ざしていた口を開けたが、弱々しい姿を見せられたせいか、俺の口は依然として言葉を発してくれなかった。

 折谷は力なく立ち上がり、グッタリと首を傾けて歩き出した。

「もう、ほっといて……」


 か細い声でそう言い、折谷は木漏れ日が降り注ぐ階段の下へ消えていった。

 嫌に湿る空気は融解し、木々がざわめく。疲労感に肩を落とし、俺の視界は揺らいだ。石造りの床で、群れからはぐれた一匹の蟻がさまよっている。

 もどかしく、途端に湧き上がってきた自分への怒り。俺は持っていたペットボトルを乱暴に投げた。


 ペットボトルはさっきまで折谷がいたベンチにぶつかって、弾かれたペットボトルが机の端に当たり、ボトンと鈍い音を立てて床を転がった。

 しっかり蓋を閉めていなかったせいで、青白い炭酸ジュースは水たまりを作っていく。そして、地面をさまよっていた一匹の蟻は、零された炭酸水の波にまれた。

 張り切って臨んだつもりだった。澪さんに話を聞いて、俺しか助けになれないと思った。

 結局、俺はアイツの心に土足で踏み込んだだけだ。

 夏から隠れた建屋の中で、無力な自分を噛み殺した。

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