第27話 国境を越えて


「もしもし、わたくしですわ。ユリエッティですわー」


〈お疲れ様です、ユリエッティ様〉


「ディネトさんこそ」


〈国境はもう越えましたか?〉


「ええ、たった今」


 出国のために王都を発ってから三週間ほど。

 ユリエッティとムーナは今、ヒルマニアとヨルドを隔てる関所を通過したところだった。


〈予定通り、中央大関門から?〉


「ええ、ええ」


 大陸を東西にほぼ二分する形で存在する両国の国境線、その中でも大陸中央部に位置する関所で諸々の最終検査を終え、西から東への移動が間違いなく果たされたところで、ユリエッティはディネトへと連絡を入れていた。隣ではムーナが、耳をぴこぴこさせながら周囲を見回している。大きく堅牢な建物の中を行き交う人混みは、ヒルマニアよりも明らかにヒト種の比率が少ない。もっとも、国境を越える者のほとんどは商人の類で、その他には少数の観光者がいるばかり。少なくとも今この場において、移住を目的に国境を越えたのはユリエッティとムーナの二人だけのようだった。


「ムーナに付いてきた形とはいえ、なんだか感慨深いものがありますわねぇ」


〈そちらは、こちらとは少し勝手が違うとは聞きますが……まあ、ユリエッティ様なら適応できそうですね〉


「こっちでもヤること、もといやることは変わりませんもの……っと、ムーナがものすごくそわそわしてますので、今日はこの辺りで。身請け先のギルド支部に到着したらまた連絡しますわ〜」


〈はい、いえあの、そう頻繁に連絡してこなくとも良いのですが〉

 

「何をおっしゃるのです、せっかく波形交換しましたのに。それもディネトさんのほうから」


 王都を出てからのあいだ、今日に限らずユリエッティはディネトとこまめにやりとりをしていた。もちろん彼女が手空きになるタイミングを見計らってのことであり、まあディネトも嫌というわけではないのだが……


〈それはそうなのですが、いえあくまで、ギルド職員と冒険者としてという形であって〉


「職員と冒険者として、個人の遠話器イヤーカフの波形を?」


〈……そういうこともあるのです〉


 事実、有力な冒険者が活動拠点を変える場合に、元いた地区のギルド職員と個人的な繋がりを維持するというのは無い話ではない。冒険者側も広く情報を得られるようになるし、また職員側も、高ランク冒険者との良好な関係それ自体が本人の評価にもつながる。

 そもそも今回のムーナらの移住に際し、冒険者ギルドからの口添えという形で出国申請の手助けをしたのもディネトであった。彼女個人としては、自分の所属する支部に来た有望株を手放すのは惜しかったが……究極的に言えば、冒険者ギルドは国ではなく自身らと冒険者たちのための組織である。準A級冒険者からの要望を無下にすることはできない。

 ならばせめてもと申し出た遠話器イヤーカフの波形交換がまさかこれほど頻繁なやり取りにつながるとはディネト自身も……まあ正直、予想してはいたが。新天地へ足を踏み入れたのだからしばらくは根を下ろすことに集中して欲しいという、なんだか親心にも似た気持ちが彼女の胸中にはあった。


〈……とにかく、今は私よりもご自身とムーナ様の事を優先して下さい〉


「はーい、分かりましたわ。でもひとまずの拠点が決まったらまた連絡しますわ」


〈……ええ、もうそれで良いですから〉


「ふふ。ではではディネトさん、ごきげんよう」


〈はい、ではまた〉


「──終わった? 終わったか?」


「ええ。すみません、わたくしとしたことが待たせてしまいましたわね」


「や、別にいいんだけどさ」


 そばを離れず律儀に待っていたムーナの様子に、悪いと思いつつも微笑んでしまうユリエッティ。ヨルド共和国の景色を最初に見るのは、二人一緒にでないと嫌だったらしい。そんな恋人に手を引かれながらユリエッティは関所を抜け、よく晴れた空の下へと足早に向かっていった。




 ◆ ◆ ◆




 乗り合いの大型魔動車を利用し、中央大関門から東南方向へと下ること数日。

 身受け先のギルド支部がある街ヴァーニマに到着するまでに二人が見たヨルド国内の様子は、なるほど確かにヒルマニア王国とは大きく異なっていた。自然環境、植生などは──経緯度による変遷はあれども──そこまで大きな違いはないが……対して道や建物といった人工物は、全体的に王国よりも広く大きく作られている。

 獣人の中でもとくに大柄な者、トゲや角など体の一部が大きく突出したタイプの爬人や有角種、背に翼を持った有翼種、ヒト種の二倍以上の背丈を誇る巨人種など、ヒト種だけのスケール感では収まりきらない住人たちが当たり前に存在しており、例えばユリエッティらが利用した乗り合い魔動車だって、縦も横も高さも広々とした正真正銘の大型車両だった。

 道行く他の車もサイズは大小さまざま、あるいはルーフが取り払われたオープン型などもヒルマニアよりもかなり多く見られる。生活基盤やその水準は似通っていながらも、明らかにそれがヒト種を中心としていないと分かる景色。真新しくもあり、けれども全く理解不能な異文化というわけでもない、ムーナとユリエッティにしてみればそんな塩梅。しかし何よりも新鮮だったのは、人類種全体の人口が明らかに多いことであった。

  

「到着っ」


「ですわっ」


 異国の様相にちょっとばかり観光気分に浸りながらも、目的の街へ辿り着いたムーナとユリエッティ。背負う旅行鞄は二人のシルエットが膨らむほどに大きく、けれども移住者の持ち物という意味では少なすぎるほどに少ない。両者とも宿暮らしで、家財をほとんど持っていなかったがゆえに。


「ひとまずギルドへの顔見せと、宿の場所の確認ですわね」


「だな」


 移住後しばらくは(慎ましくではあるが)生活していけるだけの資金も用意してある。冒険者ギルド ヴァーニマ支部にも事前に連絡を入れ、数日分の宿の手配も頼んでいた。なのでのっけからそう忙しくする必要もないと、ゆったりとした心持ちでギルドへと向かう。ヴァーニマはヨルド国内ではそれほど大きな街ではないようだが……やはり町並み全体のスケール感と、途中で車を降りあちこち眺めながら歩いていたことが相まって、二人がギルドへ到着したときにはもう日も傾きかけていた。


「お邪魔しますわ〜」


 サイズ感は少々違えど、冒険者ギルドの館内はどこも似たようなものである。活気に溢れる脇のテーブルスペースをちらりと見やりつつ、ユリエッティは受付のほうへと向かっていく。後ろから、ここ数日で多少は落ち着いた……つもりのムーナが、顔はまっすぐ耳だけをあちこちへ傾けながらついて歩く。


「失礼、少しよろしいかしら?」


「はーいはい、あんた見ない顔だねぇ。新人……ってわけじゃなさそうだけど」


「ふふ、流石のご慧眼。わたくしたち、こういう者ですわ」


 朗らかで恰幅の良い中年女性職員──見たところヒト種のようだった──へと、ユリエッティは書状を渡す。さらさらと目を通した職員が笑みを大きくし、ついでに身振りも大きく、二人への歓待を示した。


「おぉーおあんたらが! ユリエッティちゃんにムーナちゃんね!」


「ええ、わたくしがユリエッティ、こちらがムーナですわ。以後、どうぞよろしくお願いいたしますわ」


「よろしく」


「たったの一年そこらで準A級の超大型新人っ、期待してるよっ!」


 よく通る声で言うものだから、ギルド内の他の冒険者たちも二人のほうへ意識を向けてきた。耳に拾ったいくつもの囁き声から事前に話が広まっていたことが窺えたムーナだが、ユリエッティのほうは視線を気にする素振りもなく受付とのやり取りを進めている。そのまま今夜の宿の確認まで滞りなく終え、ほんの十分足らずで顔合わせは終了となった。


「ではまた明日あらためて。宿の手配のほう、感謝いたしますわ」


「いいんだよ、その分しっかり働いてもらえればねっ」


「ええ、この家名無きユリエッティとムーナにお任せくださいな」


「アタシまで名乗りに加えんな」


「良いではありませんの」


 だははと笑う職員に会釈して、受付から離れる二人。張り出し依頼の確認も明日に回して、今日はもう宿で休むべく、そのまま出口へと向かっていく。


「さてさて、こちらの宿はどんな塩梅なのかしら? 楽しみですわねぇ」


「ってもしばらくは安宿だろ、懐具合的に……っと」


「おうおうおうテメェら! ヒルマニアから移住してきたそうだが、こっちはあっちほどヌルかねぇぞ──」


「わたくしとしてはやはり、防音がしっかりしたところが良いのですけれども……」


「同じ準A級でもテメェらとオレたちとじゃ潜ってきた修羅場がちげぇ──」

 

「あっ、そういえば行きがけにお夕飯も買っていかなくては、ですわね」

 

「っおい聞いてんのかァ!?」


「そうだけど……いや、さすがのスルーヂカラだな……」


「? 何がですの?」


「うん、そういうとこ」


 人が多い分ヒルマニアよりも賑やかだ。そんな風に思いながら、そして何故かムーナにジト目を向けられつつ、ユリエッティは冒険者ギルドをあとにした。

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