第26話 第二王女の寝室


本日この話の前にもう一話更新しています。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「──ぁ、はぁ……」


 薄暗く静かな寝室に、湿った吐息が溶けていく。

 その王宮の一室の主──ヴィヴィアラエラ・ヒルマ・ダインミルドは、今しがたのの後始末を五分後の自分に任せ、ベッドの上で全身を脱力させていた。横たわったままネグリジェをたくし上げたはしたない格好を見る者は誰もおらず、けれども彼女のまぶたの裏には確かに、恋人の姿が残っている。


「エティ……」


 ぬらついた右手の指をシーツ……の上に敷いたタオルの上で遊ばせながら、名前を呼ぶ。毎週、七の日の夜に互いを想いながら自分を慰める、という約束をヴィヴィアは欠かさず守っていた。そしてそれはきっと恋人──ユリエッティの方も。

 やっていることはただの自慰行為であるはずなのに、自分を追い立てるのは自分の指であるはずなのに、ユリエッティに抱かれているときと同じような高揚と安心感がある。錯覚や思い込みという言葉で済ませるには、真に迫りすぎているほどに。その感覚がヴィヴィアに、今でも変わらず気持ちが通じ合っていることを教えてくれていた。


(とはいっても、貴女は他の女性もたくさん抱いているのでしょうけれども)


 きっと変わっていないのだろう恋人の性分に、くすりと笑みをこぼすヴィヴィア。ユリエッティ・シマスーノ公爵令嬢の追放から一年以上が過ぎた今、王族たる彼女の耳にも、家名無きユリエッティと名乗る冒険者の話は入ってきていた。


(……悪名高きテトラディの討伐、何の因果と言うべきか……)


 王都貴族にとって忌まわしき悪夢そのものであるテトラディが排除されたとなれば、当然それを成した功労者の子細も貴族社会にまで伝わってくる。活動記録から見る限り、僅か一年ほどで準A級にまで成り上がった新進気鋭の女性冒険者。本来なら与えられてもおかしくなかったはずの国をあげての褒賞は、けれどもその名前が判明した瞬間に取り下げになった。すんでのところで救われたイングルト子爵家、そしてシマスーノ公爵家、両家ともがなんとも言えない表情を浮かべていたというのは、ここ最近の婦人・令嬢方々の茶会での定番ネタになっている。


 一時は、その功績をもってユリエッティを貴族界に呼び戻すべきだという声も──主に彼女の毒牙にかかった女性陣から──あがりはしたが……無論、そんな意見が通るはずもなく。けれどもそれだけ彼女を慕う者たちがいるという事実そのものが、ヴィヴィアには嬉しいことだった。


(それに……呼び戻すと言っても、今はもう)


 家名無きユリエッティなる冒険者が少し前に隣国ヨルド共和国へと移住していったという話も、当然ながら伝わってきている。共に活動していた獣人の少女と連れ立って、という部分も。彼女を疎んでいた者たちからは、国から出て行ってくれてありがたいという声もあり。彼女を慕っていた者たちからは、寂しいけれども、向こうのほうが色々と自由だと聞くしこれで良かったのかもという声もあり。


(その子は? それとももしかして、新しい恋人でしょうか? 少し気になりますね)


 ユリエッティが数多の女を惹きつける女だと理解しているがゆえに、嫉妬はなく。ただそれでも、自分にはできなかった“共にいる”という選択を取れたその少女が、一体どんな人物なのか。興味がないと言えば嘘になる。といってもまあ、確かめることもできないのだが。追放処分に係る接触の禁止、物理的な距離、その両方によって。

 

(……ヨルド共和国。話には聞いていますが……貴女が実際に見て、いま生きているその場所は、どんな景色が広がっているのでしょうか。どのように過ごしているのでしょうか)

 

 女好きなところも、遊び歩いているように見えて義憤に厚いところも、腕っぷしも変わらず、けれども確かに新しい人生を歩んでいる。いろんな意味で名が轟いているのも、相変わらず。しかし、そんな恋人の話を耳にすれば、翻って自分はどうか、などと考えてしまうのもまた、人のさが


(……私も、いつまでもお姫様のままではいられませんものね)

 

 兄・第一王子は隣国との外交を積極的に取り仕切っている。対して第一王女である姉は内政に注力し、では末娘たる自分はなにを成すべきなのか。それがヴィヴィアの目下の課題であった。

 今現在、臣民の王族への支持は決して低くない。出生率低下という苦難に国をあげて立ち向かうと宣言し、実際に様々な助成制度を打ち出し、また自身らが手本を示すかのように、現王は三人の子を見事に育て上げている。貴族であっても一人息子、一人娘が珍しくない……どころか、なかなか跡取りに恵まれず窮している家すらある現状において、王室三兄妹の存在そのものが王権の力強さに寄与していることは間違いなかった。

 だが、それにあぐらをかいていて良いということでは勿論なく。日に日に労働力・国力が減衰しつつあるヒルマニア王国をどう導くかというその舵取りに、ヴィヴィアも関わっていかなければならない。今ひとまずは王女教育と並行して、ときおり兄や姉の政務に同行し勉強させてもらっている身だが……


(……そういえば、近々お兄様と共にエティの兄──バルエット卿との会談がありましたね。あの方も最近はますます精力的に活動なさっているようで)


 執政に関しても、人口減少への抵抗も。正妻と愛人を抱え、両者に一人ずつの息子を持つバルエット卿、シマスーノ公爵家次期当主が、この一面においては妹と似た気質を有しているように思えてならないのは、きっとヴィヴィアの勘違いではないのだろう。


(妹のである私個人には興味が無い様子なのは、一人の女としてはありがたい話ですが……)


 しかし、いつまでそう安心していられるか。

 今はユリエッティの所業のおかげせいで触れられずにいるが……こんな時世、王族、いずれは話が舞い込んできてしまうのも確実だろう。正直なところ、“しばらくは公務に集中したいので”などという通るかも分からない言い訳をしたいがためというのも、ヴィヴィアが執政に身を入れようとしてる理由の一つであった。


(…………まあ何にせよ。後始末をして、今日はもう寝てしまいましょうか……)


 思いのほか長い間、考え込んでいたようだ。

 すっかり乾いてしまった指先を眺めながら、ヴィヴィアは平熱に戻った溜め息をこぼした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




お待たせいたしました、今日から第2章開始します!

予告通り毎週月・水・金の週3更新でやっていこうと思いますので、ぜひまたよろしくお願いします!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る