第25話 これからのこと
眼球の再生処置そのものにひと月ほど。その後、視力が元のレベルに戻るまでさらに数週間。当然ながらその間ムーナは冒険者として依頼を受けることができず、貯蓄を崩しながらの生活を送っていた。
もっとも先のテトラディ討伐において、元の報酬にイングルト子爵家やその領地近隣の貴族たちからの個人的な謝礼が上乗せされた相当額の実入りがあり、また治療費に関してもギルドの補助制度を利用できたため、懐具合への影響は思ったよりも小さく済んでいる。
「至れり尽くせりって感じだよなー」
「わたくしもムーナさんも、もう準A級相当冒険者ですもの。ギルドから見ても優遇して然るべき相手ですわ」
帰ってきて以降すっかりお馴染みとなったムーナの部屋での晩酌中。当然という顔をしているユリエッティに対し、ムーナは苦笑を浮かべた。
「いやそっちじゃなくて。この状況がね?」
「??」
視力が戻るまでは、と言って何くれとなく世話を焼いてくるユリエッティに対しての言葉であったが、当人は自覚もない様子。自炊こそできはしないが、今日も今日とて飯から酒まで全て用意してくれた彼女が、当初は治療費まで出そうとしていたことはムーナの記憶にも新しい。流石に断ったが。
もう包帯も取れ、傷も残らず、けれどもまだ薄ぼやけた視界に、ユリエッティの姿を捉える。ムーナのサポートをしつつも以前通り種々様々な依頼を精力的にこなしている相方が、今日も優しく微笑んでいるのが見えた。
「まあとにかく……視力が戻ったあと、いくつか依頼を受けて完全復帰を証明できれば。いよいよムーナさんの目標も叶いそうですわね」
「だなぁ」
自分のことのように嬉しそうに言ってくれるものだから、ムーナも嬉しくなり、そして同時に、さみしくも感じてしまう。別れてもなんとも思わないのかよ、と。いや“別れる”ってのは付き合う別れるの別れるじゃなくてべつの道を行くって意味での別れるなんだけど……などと、頭の中で一人言い訳しながら。
「……なあ」
「はい?」
「ユリの方はなんか、目的とかないの?」
酒瓶を傾けながら、なんでもないことのように聞いてみる。
「素敵な女性と仲良くなる……というのは当然としまして。それ以外に人生の指針があるかと言われると、微妙なところですわねぇ」
ちょっと嘘だ、とムーナは思った。
以前にさらりとこぼしていた人助けという言葉に、テトラディとの問答。それらを加味すれば、貴族という立場を失った今でも自分にできる形で市井のために動いているのだということくらい、ムーナにも察せられる。それを明言しない理由が、貴族失格という負い目に起因していることも。
コイツ意外と負い目とか気にするタイプっぽいよな、とムーナも理解しつつある。アレコレ世話を焼いてくれているのだって、そもそも自分がテトラディ討伐に行こうとしたからだ、とでも思っているがゆえなのだろう。
ムーナは迷っていた。付け入って誘ってみるなら今しかなく、しかしそれはものすごく狡いやりかたで、でも言うだけならタダだ。だが言ってしまえば、必ずしこりが残るだろう。それはイヤだ。ああでも、離れるのもイヤだ。ここ最近のムーナの脳内はずっとこんな調子で、要するに、ユリエッティについてきて欲しいのだ。隣国、ヨルド共和国まで。それが今のムーナの、偽らざる本心であった。
だが、元は貴族に生まれたものとして市井のために、というのなら、それを邪魔する権利は自分にはない。そもそもが行きずりの関係だ。息は合うし、体のほうも相性は良いと思うけれども。だけど。それでも。そんなふうにぐるぐる考え、そしてそれは今日に限った話でもないのだから、当然ユリエッティに勘付かれる。覗きに耽っていたあのときと同じように。
「……何か悩みごとでもありますの、ムーナさん?」
「ぅ……」
もう隠し仰せるものでもない。ここで誤魔化して、一緒にいられる残りの時間をどこか気まずいまま過ごすのもイヤだ。今夜はすこしばかり、酒の量が多かった。だからムーナはもう少しだけ悩んで……それから、もう一息に言ってしまうことにした。
「……………………さみしい」
「あらまあ」
「こんなに仲良くなれた人、生まれて初めてだし。離れるの、やだ」
「あらあらまあまあ」
だけど、移住を取り止めることはできない。ずっと抑圧されたままでは生きられない。人生の目標だったそれを諦めるのは、怖い。
「だから」
だからそう、せめて。残りの、あと少しのあいだくらい良い思いをしたっていいんじゃないか?
いよいよ誤魔化しも枷も外れたムーナの口から、ぽろぽろと本音がこぼれ出る。
「今だけさ、そのー……恋人、的なー、ノリというか、思い出というか、そういうのが欲しい気分なんだけど……どうですかね……?」
「あらあらあらまあまあまあまあ」
なに言ってんだろアタシとか思わないでもないが、一方で口にしてようやく、明確に分かった。目の前の女と深く繋がっていたいんだろうと。離れていても恋人同士、というのはコイツの追放前の恋人が実証してるわけだし。そういう、ずっと続く絆が欲しい。そんなすっきりとした気持ちから、ムーナの表情がやわらぎ。
「……ど、どうなん?」
「……もしもムーナさんが恋人になってくださるというのなら」
「なら?」
「わたくしは喜んで、ムーナさんについていきますわよ?」
「…………」
「…………」
「……はぁっ!?」
そして混乱の渦に叩き落された。
「ついていきますわよ?」
「繰り返さんでもいいからっ! え、なに? どういうこと?」
「貴族時代にできた恋人とはもう会えない、という話は前にしましたわよね? もちろん、離れていても恋人同士であることに変わりはありませんが……それはそれとして、あんな寂しい思いはそう何度もしたいものではありませんもの」
「まあ、そりゃあ、そうだろうけど……」
「だから次に恋人ができたときには、そばから離れないようにしようと……あ、決してムーナさんがあの子の代わりというわけではありませんですわよ?」
「いやうん、それも分かってるけど……」
そういう最悪なことはしない女だとは……いやまあ、何人も手を出してる時点で最悪っちゃあ最悪だが……というか当たり前のように恋人複数作ろうとしてんだな……いや言い出したのアタシのほうからだけど……てかそもそも何人もセフレがいる時点で今さらだけど……等々、ムーナの思考は乱れに乱れていく。
「え、え、いやほらっ……アンタあれじゃん、人助けーみたいな、そんな感じで冒険者やってんじゃなかったのっ?」
「それはそれ、これはこれですわ」
「えぇ……」
貴族たれなかったことに罪悪感を覚え、少しでもそれを償おうとしていたのは間違いない。だが一方で追放によって自由を得たのもまた確かであり、ユリエッティは当初も今もこれからも、その二つを両立する気満々であった。それを今この瞬間、ムーナはぼやけた視界の中で理解する。
「あーですが……ムーナさんは恋人的なノリ、とおっしゃっていましたわねぇ……ということはあくまで、そういうプレイをご所望という解釈で」
「あー待って待ってっ、ちがっ、それはつまり……っ」
「つまりー?」
「……その、恋人に、なって欲しい……? してほしい……? です……」
勢いで言わされている感がハンパない。
が、初めてヤったときもこんな感じだったし。自分は根本的に、この女の魔性には敵わないのかもしれない。酔いと混乱と喜びで急激に茹だっていくムーナの意思は、そうやってユリエッティへの敗北を認めつつあった。ふんわり優しく、しかし同時に無邪気な喜色をたたえた満面の笑みを向けられれば、なおのこと。
「はい、喜んで」
「ぅ、じゃあまあ、改めてよろしくっていうか、なんていうか」
「ええ、ええ。たくさんよろしくなかよくいたしましょうね、ムーナ?」
「あぅ……♡」
しかもそれが、一瞬で妖艶な捕食者のそれに変わってしまうのだから恐ろしい。かてない。
酒瓶を取り上げられ、ぐいっと抱き寄せられる。薄く魔力を纏わせた舌をエルフ耳に這わせられれば、悩みもとろりと溶け出して、頭が幸せでいっぱいになってしまう。それでいいかと流されるムーナは、翌朝正気に戻り、己の痴態に悶える羽目になることをまだ知らない。
──準A級冒険者、ムーナとユリエッティ二人の出国移住申請が受理されたのは、それから数カ月後のことであった。
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“♡”好き。
というわけでこれで第1章完結となります。ちょっとだけ間を空けまして、第2章ヨルド共和国編は来週から、月・水・金の週3投稿を予定しています。ここまで読んでいただきありがとうございました、2章以降もまた読みに来てくださると嬉しいです!
それから、いつもブクマ、♡、☆、コメント等々もありがとうございます!!まだの方はどれでもいただけますと泣いて喜びますので、よろしければぜひ!!
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