第22話 vsテトラディ 2


 鋭く薙ぎ払われた短剣の切っ先から、真っ赤な血が尾を引いて飛ぶ。呻きをあげながらムーナは後ろへよろけ、しかしテトラディのほうもまた、感心したような声を上げた。

 

「ほぉー、今のを避けるかっ! お前の方が強かったりするか? 従者だしあり得るな?」


「このォッ!!」


 その背中に追いついたユリエッティが大振りに殴りかかるもひょいと躱され、振り向きざまの反撃が返ってきた。だがユリエッティは退かず、刃を手の甲で弾きひたすらラッシュを仕掛けていく。テトラディを引き付け、ムーナへの追撃を防ぐために。


「……従者じゃねぇよ、ボケ……っ」


 その甲斐あってか、ムーナは悪態を残してさらに大きく後退し、テトラディの至近から離脱することに成功。ユリエッティの目に一瞬映ったその顔には、両目を裂くような横一線の傷と夥しい量の血が見られたが……

 

「アァクソッ……眼球の再生は高いんだぞ……! しかも両目……!!」


 叫びながら、治癒魔法も絡めて手早く止血と応急手当をする様子に、ひとまず命の危機はないと安堵する。当人も驚いていた通りテトラディは本気で殺すつもりで刃を振るったはずで、目の前にいた自分が全く反応できなかったその致命の一撃から辛くも逃れたムーナに、ユリエッティも感心しきりであった。


「流石、良い貴族様は良い従者を持ってるなっ!」


「黙りなさいなっ!」


 やはり、正面きっての打ち合いでならテトラディを引きつけられる。そのことを再確認しつつ、ムーナが無事だったことで、ユリエッティも多少なり落ち着きを取り戻した。無論、義憤は燃え盛ったまま。ぴたりと張り付いて連撃をしかけつつ、先の異様な挙動へと思考を巡らせる。


(歩法の類ではない……気配の完全な断絶と再出現、あれは……!)


「ユリっ、たぶん空間跳躍だぞアレッ!!」


「ええ、分かっていますわ……!!」


 少し離れた位置からのムーナの声に同意するユリエッティ。「一発で気付くか、流石っ」とニヤける魔人の顔面に右拳を打ち込むも躱され、伸びた腕へ迫る刃は左手で弾く。もう一太刀が振るわれる頃には右腕はコンパクトに引き絞られており、今度は脇腹を狙ってのボディーブロー。その次はカウンターの短剣を逆に叩き折ろうと目論む左拳骨、そのまた次は右フック。殴る、殴る、ひたすらに殴りかかる。そうしながらも考えることはやめない。


(空間に干渉する魔法は高難度中の高難度……多くの制約が課されているはず……!)


 そも、いつでもどこでも好きに転移できるのであれば、自分たちもクレーナも、イングルト子爵邸にいる全員がとっくに殺されている。今も先も、こうして近距離戦に応じる必要すらないはず。現時点でギルドが持っているテトラディの情報に、空間跳躍の魔法に関するものはなかった。ここ数年の潜伏期間中に習得した可能性が高く、それゆえ出力も極端に高いとは考えにくい。

 おそらく連発はできず、長距離を跳ぶこともできないのだろう。しかし近距離であれば、今しがたのように目視していない後方への転移も可能。ギルドへ緊急連絡を入れてきたイングルト子爵は警報器が作動しなかったと言っていたそうだが、転移によって潜り抜けたのだと考えれば合点がいった。


「あっははっ! そうだよなっ警戒するよなっ! いつまた跳ばれるか分かんないもんなっ!?」


 完全無欠でこそないが、本人の言う通りその魔法があるというだけでテトラディ側が大きく優位を取っている。正確な跳躍距離も分からないのだから、安易にムーナを逃がすこともできない。大事な人が手の届かない先で襲われる焦燥を、ユリエッティはこの短時間で二度も味わっている。


「だがそれでも戦い続けるその意気! 義憤に滾る眼差し! 素晴らしいっ、素晴らしい!! 首とライセンスでも王都に持っていけばっ、どの家の方かも分かるだろうか!?」


「……っ!」


 言葉通り首筋を狙って飛んできた一太刀をのけぞって躱し、反動を利用して右ストレートを放つユリエッティ。待ち構えるように縦に構えられたもう一本の短剣の刃を、突き出した拳の、人差し指と中指で挟み込む。そのまま引っ張って武器を奪おうとするも上手く抜けられ、相手がそちらの攻防に集中しているうちに下方から左拳を振り上げて──しかしやはり、それもギリギリで回避されてしまった。


(拮抗している、攻めきれませんわ……! しかし悠長にしていては……ッ)


 次の空間跳躍はいつ来るのか。狙われるのは自分かムーナか。大きく動かず自分の視界に収まる位置に佇んでいるムーナへ一瞬だけ意識を向け……そしてユリエッティは彼女の頭部から、どんな時でも脱がなかった耳当て帽が取り払われていることに気づいた。髪色と混じる淡い金の毛並みの三角耳がピンと立ち、だがそれよりもなによりも、もっとずっと目につく特異なモノが一つ。いや一対。


(……み、耳……?)


 側頭部、獣耳を持たない種族の耳が生えている位置に、横向きに尖った褐色の──まるで森人エルフの耳のようなものが生えている。髪をかき分けてぴょこりと覗く、もう一対の耳。獣の耳と合わせた二対四つのそれらが、まるで失われた視力の代わりを務めるかのように、小刻みにせわしなく揺れていた。

 中腰のまま動きを止め、何も聞き漏らさないとばかりに意識を集中しているムーナの様子に、背を向けるテトラディは気づいていない。後方にも最低限の警戒はしつつも、しかし至近で拳を振るうユリエッティから目を背ける余裕は、さしもの魔人種にもないのだから。


 しかしテトラディにとってはそれで良かった。跳躍の準備さえ整えばどうとでもなる。後ろの獣人は戦える状態にはない。であれば次は、目の前のこの素晴らしい貴族様を戦闘不能にしてしまおう。それから目の前で従者を殺し、そう遠くへはいっていないだろうイングルト子爵家の者たちを殺し、もっと義憤に燃えたぎらせ、そして殺そう。そうだ、それが良い。

 ニヤニヤと変わらない表情の下にそんな意思を隠し、テトラディは体内の魔力を操作して跳躍の準備に入る。先ほどと同じく、傍目に察知することは不可能だ。それでもこの貴族様は、ただ死角に跳んだだけでは反撃してくる可能性がある。それほどまでの使い手、貴族様らしからぬ武闘派。しかし力の使い方は間違いなく、自分が心奪われた良い貴族様と同じ。

 だからテトラディは、もう一度従者の方を狙うと見せかけた。盲目の獣人の前に跳びつつ、慌てて踏み込んでくるであろう貴族様の両腕を切り落とす。そんなつもりで、空間跳躍の魔法を解き放つ。


「──アタシの目の前二歩分ッ!!」


「あいさァッ!!」


 そのに、そんなやり取りが聞こえた。

 そして転移が発動し、気配の消失、一瞬後の再出現。テトラディの視界に見えるものは全く変わっていなかった。つまり、間近に迫るユリエッティの拳である。


「──ゴハァッッ!?!?!?!?」


 並のモンスターであれば頭部が捻じ切れるような右ストレートに、ムーナのエンチャントまでもが乗った渾身の一撃。テトラディの顔面は完全に陥没し、その痩身は「あぶなっ」と叫びしゃがみ込んだムーナの頭上を、きりもみ回転しながらぶっ飛んでいった。


「な……ッ、ば、がなッ……!!」


 強かに地面に叩きつけられたテトラディは、揺れる視界のなかでただひたすらに驚愕していた。魔力の制御もままならず、身体強化の魔法も機能を停止している。指一本動かせず朦朧とする意識の中でどうにか、何が起きたのかを考える。

 空間跳躍は間違いなく成功していた。にもかかわらず目の前にいたということはつまり、発動タイミングと位置を予見し、転移と同時に踏み込んでいたということ。おそらくあの獣人の声に合わせて。だが解せない。空間跳躍はただの高速移動などとはワケが違う。いくら猫の獣人種が音や気配に敏感だからといって、事前に察知するなどと。いや、しかし、思えば殺すつもりで放った最初の一撃が躱されたのも、咄嗟の反射ではなく、直前に気づいたからなのか? 分からない、分からない。


 ただ一撃で立ち上がることすらできなくなったテトラディ。地に伏し混乱するその眼前にムーナとユリエッティが立ち、そこでようやく彼女は、ムーナの側頭部に生えた長耳を視認した。


「悪いね。アタシは生まれつき耳が良くてな」


「ははっ……そ゛ういうのは俺も゛っ……初めて見た゛な……っ!」


 探知したのは気配ではなく魔力の流れ、魔法の予兆だったか。いやさしかし、獣人でありながらエルフでもあるなどと、結局わけの分からないことに変わりはない。テトラディの脳内で混乱が止むことはなく、しかしそんな状態でも確実に一つ、理解できることがあった。もはや逃れ得ぬ、と。

 

「ムーナさん、お願いできますかしら?」


「はいよ」


「あぁー、あ゛っははっ! ぁ゛あ゛っ……! 素晴らしい゛っ最高だっ良い──」


 ざんっと一度、長剣が振るわれ。テトラディ──多くの命を奪った大罪人の首が、ついに落とされた。

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