第20話 襲撃


 テトラディという人物を、クレーナはもちろん知っていた。

 貴族殺しの大罪人の手配書は、フィール・コントレクト伯爵令嬢を殺害した翌日には王都中にばら撒かれたのだし、王都貴族筆頭たるシマスーノ公爵家の令嬢側仕えであったクレーナも当然、その人相を頭に叩き込んでいた。

 そんな危険人物がまた姿を現したと聞いたのが、ほんの一月足らず前。二週間前には王都へ向かう道中でイングルト子爵領に侵入する可能性があると伝えられ、そして数日前には領内の、ここ子爵邸がある街の隣町で目撃情報があった。

 

 だから今日この夕時、屋敷の扉を蹴破りエントランスに踏み込んできた女が、ローブを羽織り両手に短剣を握ったその長身痩躯が、愛憎の末に自分を刺しに来た町娘などではないことはすぐに分かった。


「──お邪魔。お、真ん中のお前、メイドじゃなさそうだな。子爵様の親族? 娘か? 貴族様か? 子爵様には大事にされてるか?」


 細く骨ばった青い手に握られる短剣は血に染まっていた。番兵たちを、もしかしたら外門からここに至るまでに遭遇した家令たちをも、既に手にかけているのだろう。恐らく緊急連絡を入れる隙も与えず番兵を殺害し、方法は分からないが警報器も作動させずにここまで侵入している。

 明らかに格の違う殺人者を前に、クレーナはナイトウェアの背が冷や汗で肌に張り付くのを感じた。だがそれでも、そばに控える侍女二人の怯えを少しでも取り払うべく、努めて鷹揚に頷いて見せる。自身が侍女であった頃の、主人の姿をなぞらえながら。


「……ええ、それはもう」


 嘘は言っていない。父はうら若い時分に不相応な虫がつかないようにと、一人娘でありながら公爵家へ奉公に出させるくらいにはクレーナを溺愛していた。よりにもよって仕える相手が理由で追放され、クレーナ自身も彼女の影響から“男と結ばれるつもりはない”と断言したせいで、現状、父娘の関係はヒリついてしまってはいるが……それでも、二十も後半になったクレーナを屋敷においてくれる程度には、イングルト子爵は肉親の情に厚い。

 クレーナの振る舞いからそれを読み取ったのか、青肌の女は笑みを浮かべながらフードをおろした。


「あぁー良いね。お前は良い貴族様かもしれない」


 そこにあったのは、まさしく手配書通りの人相だった。短い髪に捻くれた角、白黒逆転した凶悪な眼差し。貴族殺しの魔人種、テトラディ。その顔が露わになった瞬間にはもう、遠話器イヤーカフを用いてクレーナは父へと、侍女たちは警備兵へと緊急連絡を取っている。


「さてここからどう動く? イングルト子爵家は良い貴族様か ?相応しい振る舞いを見せてくれるか?」


 三人が小声で襲撃を伝達するのをテトラディは止めることもなく、しかしそれでいて、一歩ずつ距離を詰めてきた。ゆっくりとした歩みだが、クレーナの目からは到底逃げられるようには見えない。気圧され、思わず後退ってしまう。彼女の震える手が触れた瞬間に、侍女たちは揃ってクレーナの前に出た。


「お、お逃げ下さいクレーナ様っ」


「子爵様と奥方様と共に、早くっ!」


 クレーナ以上に震わせたその体でもって、主人を庇う。命を捨てる覚悟をした声音。きっと数秒も耐えられないだろうが、それでもという従者としての矜持がその背に見えた。クレーナが何かを言う前に、テトラディが声を上げる。


「あぁー良いねぇっ、その感じ実に良い! 素晴らしい従者っ。そしてお前も良い! 葛藤してるっ、迷ってるな? お前は良い貴族様だ、そうだろう!?」


 ひどく上機嫌に、貴族殺しが笑っている。スキップでもするかのように、足取りも軽やかに。全く理解の及ばない姿に、クレーナの恐怖と混乱は増していくばかり。きっと逃げるのが最善で、けれども侍女たちを見捨てるなどと、しかしここで突っ立っていては、それこそ彼女たちの意思を無為にしてしまう。逡巡する僅かな時間のあいだに彼我の距離はもうあと十歩程度のところまで近づいており、そしてそのタイミングで、エントランスの左右から警備兵たちが駆け込んできた。近くにいたのだろう、数にして十に満たない軽鎧の者たち。


「止まれ!!」


「クレーナ様には指一本──」


「はいドーンっ」


 テトラディの、短剣を持ったまま左右にかざした両手から、黒々とした魔力弾が発射される。ほとんど予備動作なく放たれたその二発は、挟撃しようとしていた警備兵らを両翼まとめて吹き飛ばし、彼らが通ってきた通路の入口までも容易く破壊した。呻きをあげる者がいる。鎧ごと体がひしゃげている者もいる。瞬時に息絶えた者も。

 クレーナの顔が歪んだ。その前、恐怖で喉を引きつらせ話すことすらままならない侍女二人が、クレーナの体を後ろへ後ろへと押す。その三人と倒れ伏す警備兵たちの様子に、テトラディはますます笑みを大きくしていた。


「素晴らしい献身っ! 確かな忠誠心っ! それはお前が、それを向けられるに足る良い貴族様だからだっそうだろう!!」


 テトラディは貴族に恨みを抱いているのではなかったのか。目の前の女はまるでこちらを讃えているかのようだ。しかしそれでいて、白い瞳に宿っているのは明確な殺意であり、やっていることは襲撃と殺人。クレーナの精神はもう限界に近かった。暴威そのもののような存在が、全く理解できない行動原理でもって、この家の者たちを皆殺しにしようとしている。

 

 なぜよりにもよって私たちの元へ。冒険者ギルドは“イングルト子爵領も通過する可能性のあるルートの一つ”だと言っていた。その一つを引き当てた、いや目の前の狂人が選んでしまった。イングルト家を狙ってか? なにか理由があってか? それともただの気まぐれか? なんにせよひどい不運だ。不条理だ。恐怖からクレーナの思考は現実逃避めいた嘆きに変わり、不運を呪い、やがて救いを求め始める。

 眼前の不条理を打ち払えるものはないのか。何かないのか。過去を辿る。経験と記憶に活路を求め、けれども一介の子女であるクレーナには、その人生の全てを費やしてすら、テトラディの魔の手から逃れるすべを持ち得なかった。

 結局、走馬灯とも呼ばれるその数秒の没入がクレーナにもたらしたのはなんの解決策でもなく、ただ彼女の知る中でもっとも頼もしい女の顔で。


「──そこまでですわよ!!!」


 そしてそれがそのまま現実に投影されたかのように。

 もう会うこともないと思っていた主人──ユリエッティが外套をはためかせながら、破壊された扉の向こうから飛び込んできた。

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