第15話 ムラムラ


 ムーナの生活には娯楽が少ない。

 ユリエッティの影響で加減を覚えたとはいえ、やはり基本は節約節制我慢切り詰め。依頼に出向かない日はもっぱら次の依頼の準備か、あるいは文字通りの休息に当てられる。それこそ、週に幾度かのユリエッティとの晩酌(晩餐(女子会))が唯一の娯楽のようなものであった。当人の前では言わないが。

 そして、そんな生活の中で一度大きな刺激を与えられれば、その影響をもろに受けてしまうのも致し方ないというもの。


「──ふふっ……もうすっ……り、おね……りが上手……、なり……たわねぇ」


 このまま行けばB級昇格もほど近いとギルドの誰もが噂する女二人のうちの片割れが、盗み聞いたもう片割れの嬌声にすっかり心を奪われているなどと、一体誰が分かるだろうか。遠征依頼をこなしてから数週間。気づけばムーナは毎夜、隣室との壁に耳を当てるのが日課になってしまっていた。


「こち……のお口も、欲しい……しいとよだ……をたら……て……すわよ?」


 すっかり居着いてしまったこの月極宿の壁は、いつぞやの街の宿以上に防音機能がしっかりと施されている。より厚い板材、より優れた防音魔法処理。それなりの宿泊費がかかるだけのことはあり、生活音も嬌声もしっかりカット。そこに、不備は全くと言って良いほどない。


 しかし、ムーナの常人ならざる力──聴覚を中心とした鋭敏な五感と優れた魔法感知能力は、その気になればそれを突破できてしまう。あの日の夜にやってしまったのと同じように、壁に施された魔法処理の継ぎ目を見つけ出し、淡い金の毛並みの三角耳をピタリとつければ。音と振動、あるいはもっと曖昧模糊な気配とでも呼ぶべきものを拾えてしまう。


「わた……しの指が欲……い……しょう? ならもっと……そう、そ……、いい子ですわ……」


 たしか今日連れ込んでいた女は、いつだか討伐依頼中に助けた王都民の娘だったか。頭の隅に思い浮かんだ考えはしかし瞬時に流されていき、ムーナの耳と脳内には、ただ上気したユリエッティの声だけが入り込んでいた。完璧に聞き取れるわけではないが、いやむしろだからこそ、想像が掻き立てられる。吐息に籠もった熱、妖しげな眼差し、口元に浮かぶ笑みはきっといつもの微笑などではなく、もっと深く凶悪なそれなのだろう。


「はっ、はっ……く……っ!」


 体の奥から湧き上がってくる熱をどうにか逃がそうと、ムーナは息を荒げる。座り込んだ両足を、もどかしげにすり合わせながら。



 

 ◆ ◆ ◆




 そうして悶々と過ごすこと、また少し。 

 ユリエッティが女を連れ込まなかった──つまりムーナと夕餉を共にしたある日の夜、毎度同じくユリエッティの部屋にて。食後には瓶の三分の一ほど残った酒をゆっくりと飲みながら駄弁るのがお馴染みの流れではあるのだが、とはいえこのところのムーナはもう、ユリエッティの部屋にいるというだけでどうにも落ち着かない気分に苛まれていた。


「……、……っ」


 いつ訪れても綺麗に清潔に整頓され、ベッドだって白いシーツがピンと張られている。声だけでも熱気が伝わってきそうな情交など、全く行われていないかのように。その落差がまたムーナの思考をチリチリと炙り……そしてそんなふうに、相方の様子がこのところずっとおかしいことに、ユリエッティが気づかないはずもない。


「ムーナさん」


「……っ、なにさ」


 名前を呼ぶその声に今までにない熱が籠もっているように思えて、ムーナは思わず声を上ずらせた。なにぶん盗み聞きやましいことをしているだけあって、変に身構えてしまう。


「これはわたくしの、直感のようなものなのですが」


「ん、んだよぉ……」


「ムーナさん、ムラついておりますわね?」


「ム……ッ!?」


「ムラムラムーナですわね?」


「はぁっ!?!?」


 図星である。

 齢17、この歳まで──現ヒルマニア王国民にしては珍しく──まったく“性”というものに関わってこなかったムーナ。もちろん知識としてのアレソレはあるが、しかし自ずから湧き出る性衝動というものに彼女はとんと無縁であった。ついこの前までは。だからこそ今、それをコントロールできずにいる。


「振る舞いを見ていれば分かりますわ。ムラムラする、ムズムズする……そう、きっとムーナさんは抱かれたい方ですのね」


「な、ぁ、はっ……!?」


 ド図星である。

 知ったふうな口を利きやがってという反骨心と、実際その通りだと言語化されてようやく自覚した願望とがぶつかり、どろどろに混濁した激情となってムーナの心をかき乱した。最初こそ耳にしたのはユリエッティの自慰の声だったが……何度も何度も壁に耳を当てているうちに、連れ込んだ女を蕩かし乱す彼女の声音と言葉が、ムーナの情欲に輪郭を与えてしまった。自分にもあんなふうに、囁きかけて欲しいと。


「くっ……ぅぅ、……ふっ……!」


 羞恥と怒りそして興奮によって、いつの間にか息は荒くなり、自分では大きくも小さくもないと思っている胸が上下する。立ったり寝たりと忙しない両耳を落ち着けるひまもなく、口角を上向かせたユリエッティの追撃が。

 

「もしもお相手を探しているというのであれば、このわたくしが立候補いたしますわよ?」


「お゛っ!?」


 座ったまま半身をのけぞらせるムーナに対して、ユリエッティはここが攻め時とばかりに身を寄せる。ムーナ自身も無自覚のうちにユリエッティへと向けた右側の三角耳に唇が寄せられ、熱くなった吐息が触れる。


「おセックスフレンド……ですわ♡」


「〜〜〜ッ……!!」


 ほんの小さな囁きだった。

 しかしじっとりとねっとりと、そうまさしく、毎夜盗み聞いていたのと同じ声音。壁も魔法も挟まずにダイレクトに流し込まれてしまえば、情欲に目覚めたばかりの少女に、それを跳ね除けることなどできるはずもない。


「さあ、どうされますの?」


「っ……」


「ムーナさん?」


「っっ……!」


「ねーぇ、ムーナさん?」


「っ、くっ……ぅぅうううッ……!!!」


 しかしまだ消えてはいない跳ねっ返りな一面が、その唇をぐにゃりと歪ませ。褐色の肌に赤を重ねながら、キッ……! と精一杯作った強気な表情で、ムーナは悔しげに声を絞り出した。


「………………っ! 相手ってのはっあくまで、その……性欲処理のって意味であって……っ!」


「ええ、ええ。理解わかっておりますわ。セフレですものね」


「そうっ、だからき、キスとかはしないしっ……! あ、あと、マッパにもならないし……帽子も取らないからなっ……!!」


「そっちのほうがむしろやらしい感じになってしまいますが……まあ、わたくしは着衣ックスも嫌いではないので問題ないですわ」


 同意を得た。

 その瞬間のユリエッティの動きは、さながら蛇のように静かにしなやかに俊敏に。ムーナの体を引き寄せ、自身の足の上に座らせて。同時に胸元も腕も何もかもを使って、バックハグで抱え込み逃げられなくする。


「さあさあ……最初ですから、ゆーーっくりと……ムーナさんの体のイイところを探していきましょうね」


「…………手慣れすぎだろっ……」


 あまりに無駄のない動きに、じっとりとした視線を投げかけるムーナだが……ユリエッティにしてみれば、上目遣いに可愛く睨んできているようにしか見えない。お返しににんまりと笑みを深め、より密着するように体を押し付ける。やや小ぶりながらも形の良い胸がムーナの背中でひしゃげ、なにかむわりと、色香のようなものが噴出した気がした。ムーナの脳みそは痺れ、抵抗の意思を削がれていく。


「ふふ、ではまずは……」


「っ」


 質素なシャツの上から肌を撫でる、爪の先まで整えられた、ユリエッティの長細い指。その向かう場所は、ムーナにとっては意外なことに、くたりと投げ出された彼女の右手で。触れるか触れないかの力加減で手のひらをくすぐってくるその感覚に、抱かれる女の背中が泡立つ。


「やはり仕事柄、マメができていますわねぇ。まあ、かく言うわたくしもなのですが」


 指を広げ、手を握られて。ユリエッティの柔らかく滑らかな手のひらの所々には、たしかに小さな円形に硬化した部分があって。自分のマメにそれをかりかりと擦りつけられるたび、ムーナの指が微細動する。


「右手はしばらく、右手同士で仲良くいたしましょう? 代わりに左手で……」


 囁くのと同時、シャツの裾をめくるかどうかといった指使いで、ユリエッティの左手がムーナの腹部を弄びだした。右手からの刺激に夢中になっていたムーナには、反応も反抗もできず。


「……っ。ん、ふ……」


「ふふ、理解わかっておりますわよ。なるべく肌は晒さずに、ですわね」


「んっ……!」


 服の上からへそをくすぐられ、上ずった声と共に体を揺らしてしまう。


「大丈夫、ゆっくりゆっくり……夜は長いですもの、ねぇ?──」


 耳に入り込む言葉の通り。この長い長い一夜で、ムーナの体はユリエッティの指先を丹念に覚え込まされた。

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