第11話 ムーナとユリエッティ 3


「……あ、石鹸切れてら」


 ある日の夕方。

 晩飯もあらかた作り終えたところで、ムーナはふと気がついた。以前であれば、億劫ながらも時間的にギリいけると買いに出るところ。しかし今は違う。右耳の遠話器イヤーカフを起動し、隣人 兼 相方へと連絡を取る。


〈──はーいこちら家名無きユリエッティですわ。ユリでもエティでも可ですわ〜〉


「もしもしアタシ、ムーナだけど」


 通話するたびに言ってくるよく分からないフレーズを聞き流し、炒め物を皿に移しながら、ムーナはもうすっかり慣れた様子で話し続ける。


「そろそろ戻る?」


〈ええ、今ギルドで完了報告を終えたところですわ〉


「んじゃ悪いんだけどさ、帰りに石鹸買ってきてくんない?」


〈お任せくださいな。ムーナさんに合うような芳しい香りのものを──〉


「一番安いのでいいっての」


 ユリエッティの勧めで生活環境にはしっかりと投資するようになったが、だからといって何でもかんでも贅沢しようというわけではない。削っても大丈夫なところは削る。“それはそれ、これはこれ”というやつである。


〈あら残念……ところで、今日のお夕飯はなんですの?〉


「フツーの野菜炒めだけど。あと切れ端とか放り込んだスープ」


 食材の品質は、ムーナが買い求める値段相応ではあるが。スープだってじっくり煮込んだというわけでもなく、まあ食すに不足はないと言った程度。なればこそ告げる声音も自然、淡々としたものになる。だというのに遠話器イヤーカフの向こうの女は、妙に楽しげに言ってくるのだ。


〈それはちょうど良かった。わたくし、今日はでっけぇロースト肉でもキメようかと思っていたところですの〉


 ですがそれ一品というのも、寂しい話でしょう? などと問いかけてくるその言葉は、ある種の符丁のようなものだった。隣に住むようになってから毎日とは言わずとも(ユリエッティはたびたび女を連れ込んでは晩酌からおセックスまで楽しむことがあるため)、この手のはそれなりの頻度であり。


「……つまり?」


〈お互いに持ち寄って、晩餐会ですわっ〉


 大仰な物言いだ、というツッコミを放棄したのは、はたして何回目からだったか。

 金額面での負担という点では明らかにユリエッティの方が大きく、しかし引っ越して日も浅いうちに言われた「手間暇はムーナさんの方が圧倒的に上ですわ」というセリフもまた、紛れもない事実。そうやって押し切られるままに、ユリエッティの部屋で夕飯を共にすることも、随分と増えてきた今日この頃。

 とにかくこの、善意とも好意とも施しとも下心とも捉えられる晩餐会とやら──日によって晩酌だったり女子会だったりもする──の誘いも、どうしてだか悪い気はしない。まるで、最初に彼女の部屋を訪れて以降、逃れ得ぬことだったかのように。

 

 ムーナはため息をつきながら、しかし無意識のうちに右耳をピコピコと揺らしながら、これもまたすっかりいつもの流れになりつつある言葉を投げかける。なるべく不承不承に聞こえるように。


「……アタシの分の酒も買ってきて。安い中瓶一本でいいから」


〈かしこまりましたわ〜!ちょっぱやで買って帰りますので、今しばらくお待ちくださいなっ〉


 毎度毎度、嬉しそうに返してくるものだからタチが悪い。今にもスキップの音が聞こえてきそうな声で通話が終了し、ムーナの耳に静寂が戻ってくる。皿に盛られた野菜炒めと、スープの入った小さめの深鍋に保温の魔法をかけてから、ムーナはようやっと、きっと誰が見ていても気付かない程度の笑みを浮かべた。


「アイツといれば、金が早く貯まると思ってたんだけどなー……」


 実際、順調に目標額に近づいてはいる。その上で、こんなにも余裕のある毎日を送れるとは正直思ってもみなかったのだから。多少ペースは落ちたとて、なかなかどうして悪い気はしない。などと言ったらあの相方は調子に乗りそうだから、当然、口にすることはないのだが。



 

 ◆ ◆ ◆




 またまたある日。

 行き帰りに一日ずつをかけた商会護衛依頼の、帰り道での一幕。


「──何事もなく終わってよかったですわねぇ」


「いやあっただろ。野盗の襲撃がよ」


 心配性のとある商会会長が高位の冒険者を要求しディネトが二人へ斡旋した、ほとんどボーナスステージのような依頼。ムーナの言葉通り一度だけ野盗に襲われたものの大した相手でもなく、移動先の街の番兵に預けて追加報酬まで貰い、商会の金で一泊。帰り道はこうして王都付近に至るまで何事もなく。もちろん最後まで油断はしないが、しかしもう、実質的に依頼は達成したようなものであった。

 だもので二人の座る魔動車──商会の用意した黒塗りの軽量型──の後部座席では、仕切られた運転手席には聞こえないのを良いことに、気の抜けそうな会話が繰り広げられている。


「ま、今夜──七の日の夜までに帰れて良かったんじゃない?」


「おや、気づいておりましたのね」


「そりゃあ、ねぇ」


 もう隣の部屋を借りてから二ヶ月近くが経つし、それくらいの期間があれば、色々と分かってくることもあった。例えば、“毎週七の日だけは女を連れ込むことがない”だとか。いや別に、それ以外の日は毎夜毎晩連れ込んでいるというわけではないのだが。しかし見る限り、ユリエッティは七の日の晩だけは必ず一人で過ごしているようで、そこに何か意味があるのではないかと、ムーナは薄っすらと感じ取っていた。

 

 車内が静かになったのはほんの一瞬のことで、ユリエッティはすぐに、変わらぬ声音で語り始める。


「……実はわたくし、恋人がおりまして。まあ、もう会うことも叶わないのですが」


「……ふーん」


 その言葉だけで、どこかしらから追放される以前の話だというのが察せられる。ムーナも同じく、努めていつも通りの調子でそっけなく続きを促す。


「彼女と、最後の日の夜に約束したのですわ。離れていても恋人同士。会えなくともせめて、その日と同じ七の日の夜に、想いを通わせ合いましょうと」


「……つまり?」


「毎週七の日の夜にお互いをオカズにオナるのですわ。遠距離相互オナニーですわ。つまり実質おセッ──」


「あーもういいもういい」


 一瞬でも真面目な話かと思った自分がバカだった。そんな気持ちをこれでもかと乗せて、手を振り会話を終わらせるムーナ。対するユリエッティの顔には、思った通りの反応が返ってきたと言わんばかりの、満足げな笑みが浮かんでいて。


「おっと、これは内緒ですわよ?」


「……べつに、アンタのセフレたちとは話す仲でもないし」


 唇に指を当てるその仕草は、ムーナをして(なるほど、これが女を惑わせる女の色気かぁ……)と思わせるほどに、艶めいたものだった。

 ……しかしまあ、それはそれとして。二人だけの秘密というのは、中々どうして気分が良い。いや別にそういうアレではないけど。いやいや“そういうアレ”ってなんだよ。などと、一瞬浮かびかけた自問を、ムーナはすぐさま思考の端に追いやる。それすらもユリエッティの手のひらの上なのではないかなどと、一瞬の疑心暗鬼も過ぎりつつ。


 王都に帰り着くまでのあと四半日ほど、二人の会話は終始、ゆるい雰囲気で続いた。

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