第10話 ムーナとユリエッティ 2


 ──これはもしかして、連れ込まれたというやつなのでは?


 ユリエッティの泊まっている宿を訪れてすぐ。受付番をしている中年女性が、“お、新顔か”みたいな顔をしながら慣れた様子で来客用の折りたたみ椅子を貸し出してくるのを見て、ムーナはようやくそのことに気がついた。

 すでにいつもの革製装備一式は外してリュックに詰めており、念の為にと用意していた質素なシャツとズボンに着替えている。猫耳を覆う耳当て帽は被ったままだったが。


「ちょ、ユリ、やっぱアタシ」


「ふふ、安心しなさいな。別に取って食おうってわけじゃありませんわ」


 今日のところは。という部分は声に出さず、ユリエッティは柔らかな微笑を向ける。相方の睡眠事情を心配してというのもまた本心なものだから、その笑みの裏側を、ムーナは見抜くことができなかった。

 ついでに言えば、二人の手には今、ユリエッティの奢りで買った出来合いの夕飯たちが下げられており。食事もやはり切り詰めに切り詰めた限界自炊飯に徹しているムーナにしてみれば、この手のジャンキーな串肉だの揚げ物だのは、中々食べる機会もない贅沢品。今さらこれを放って隣室がうるさい自分の宿に帰るなどというのは、土台無理な話であった。


「さぁさ、こちらですわ」


 三階建ての中の二階、階段を登って一番奥の部屋へと、二人は連れ立って入る。


「おぉ……清潔感……」


 そこは、ユリエッティにしてみればもう一ヶ月以上も滞在している“まあ慣れれば中々快適”くらいの、しかしムーナにとっては第一印象からしてめちゃ良い感じと言うほかない一室。おそらく広さは自分の宿泊先と同程度だろうか。しかし板張りの壁床の状態といい、備え付けの机の小綺麗さといい、見るからに寝心地の良さそうなシングルベッドといい、小スペースながらも清潔な水回りといい……明らかなグレードの違いを感じ、ムーナは無自覚のうちに耳をピコピコとさせていた。


「ふふ、良い部屋でしょう?」


「まあ、そりゃぁ……」


 おっかなびっくり椅子を置き、ユリエッティと二人、机の上に夕飯を並べていく。串肉に、肉やら野菜やら何やらの揚げ物、白パン、デザートに柑橘系の果物。そして発泡酒まで。


「追い出された当初は食への不安もありましたが……今ではぼちぼち、この手の出来合いモノの良さも分かってきましたわ〜」


 などと笑うユリエッティの出自を、ムーナは未だ知らない。逆もまた同じく。


「さ、いただきましょう。今夜は女子会ですわっ」


「ゴチんなります」


 他人に借りを作るのはよくないが、ユリエッティが相手だともう、そんな気負いも少しずつ薄れてしまっている。疲れ・眠気・空腹で判断力が鈍っていることもあり、ムーナは素直に感謝しながら、自身のリクエストした猪肉の串焼きにかぶりついた。


「え、うま」


「うまですわ。この雑な濃い味がこう、わたくしの繊細な舌を破壊していくのが…………だんだん癖になってくるんですのよねぇ」


 普段ムーナが作っている質素ながらも最低限健康に気を使った料理とはまるで違う、チープな旨味の暴力とでも言うべき味わい。疲れた体に染み渡る。その濃いタレ味に加え、強行軍を終えどうせ数日は休もうと考えていたことも合わさって、発泡酒をあおる手も止まらない。


「っん、っ……あァあ〜っ……!そういや酒飲むのもめっちゃ久しぶりだわ……」


「見るからにストイックに過ごしていますものねぇ、ムーナさん」


「まあ、ねぇ」


 快適な睡眠の提供がいつの間にやら酒盛りに変わっていることなどもう意識する余裕もなく、飯と酒と疲労とが、ムーナの目尻をゆるりとほぐしていった。ユリエッティは良い機会とばかりに(なんのかんのと言って上品な仕草で飲み食いしながら)、そんなムーナへと少し踏み込んでいく。


「そんなにお金を貯めて、いったい何を欲していますの?」


 ムーナが身の上を語らなかった最初の『爆霊鮫』討伐以来、ユリエッティが彼女の事情に深入りすることはなかった。しかしさすがに、心身に負担がかかっているのを目の当たりにしてしまっては──それを慮って部屋へ招いた相手を無下にはしないだろうという算段もありつつ──、問わずにはいられない。


「ぁー……」


「気になりますわ。わたくし、ムーナさんのことが」


 本気の、純粋とも言える眼差し。

 こういう時のユリエッティは打算と下心と善性を渾然一体に駆使するし、そんなことなど知る由もないムーナはつい絆されてしまう。もうひと月以上も、それなりにやってきた間柄で。物心ついて以来他者との真っ当な交流が不足していたムーナにとって、そんな相手は貴重な存在で。生粋の女食いであるユリエッティの、何気ない言葉選び一つ一つが、鈍った脳に少しずつ沁みていく。


「……アタシさ」


「はい」


「隣の国に移住したいんだよね」


「……あぁー、なるほど……」


 短い言葉だけで察してくれる、その頷きが心地よい。酒をあおるムーナの面持ちは、どこかすっきりしたものになっていた。対して、つられて酒瓶に口を付けながら、ユリエッティは思考を巡らせていく。


 ……出生率の低下は、現ヒルマニア王国において公的に声明が出されるほどの国難として扱われている。

 貴族から市井まで産めよ殖やせよの気運が高まり、出産や子育てへの公的支援も興り、精力剤の利用すら推奨され、それでもなお人口の減少が続くこの国では今、隣国への移住には様々な制約が課されていた。分かりやすいところで言えば、“出国に際し特殊な税を納めなければならない”ことなどが挙げられるだろうか。


「金と、ギルドの後ろ盾が必要ってわけ」


「ですわねぇ」


 実績と金がいる、というムーナの言葉をユリエッティはもちろん覚えていた。国を跨ぐ機関である冒険者ギルドの言葉添えがあれば、出国移住の申請も通りやすくなるだろう。彼女が必要なものを手に入れるうえで、冒険者として高難度の依頼をこなしていくのはまさしく有効な手立てだと言えた。


「なぜ国を、とは聞きませんわ。重要なのは、そのために無理をしてはむしろ遠回りになってしまうかもしれないということ」


「…………ま、薄々分かっちゃいたんだけどさ」


 こうして酒盛りに興じ、快適な居住空間を見せつけられて。それを跳ね除けて清貧を貫けるほど、ムーナのメンタルは強くない。ぽつぽつと雑談を交えながら食事を終え、弱った心身に瓶一本程度の酒がよく回った頃にはもう、彼女の意識は白いベッドの上へと向かっていた。


「ふふ。お疲れのようですし、もう寝てしまいましょうか」


 ムーナが船を漕ぎ始めるのも時間の問題だろう。察したユリエッティは寝支度を整えるよう促しながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ムーナさんはベッドを。わたくしは予備の敷布団を借りてきますわ」

 

「え。なんかこう、一緒に寝る感じじゃないの?ヤりはしないけど」


 それくらいのことはしてくる……というか、そういう等価交換なのかと。そもそも借り主がベッドを使わないなどと。そう困惑するムーナを、視線と微笑みだけで制するユリエッティ。


「何をおっしゃいますの?今宵は快適な睡眠を提供するのが目的なのですから、シングルベッドに二人で寝るなんて窮屈なことはさせませんわ」


 それはそれで堪らなく良いものなのだが、理解わからせるのは今日でなくとも良い。という本心はやはり巧みに隠したまま、ただユリエッティは優しく言葉を重ねた。


「ほら、もうここまで来たのですから遠慮なさらずに」


「ぅ、む……じゃ、じゃあ……」


 もうまともな判断力も反骨心も働いてはいない。そんなムーナが、白いシーツの誘惑に勝てるはずもなし。満足げに頷いたユリエッティが部屋を後にし、少しして寝具を肩に抱えながら戻ってきたときにはもう、褐色の少女はベッドの上で丸くなっていた。枕元では、三角耳獣人用の細長い遠話器イヤーカフが、金とも銅ともつかない鈍い光沢を放っている。

  

「ふふ、猫ちゃんですわねぇ」


 すぅすぅと小さな寝息を立てるその様子は、いかにも猫系の獣人らしい。しかし寝るときですら耳当て帽を外さないのは、まだ完全には心を開いたわけではないことの表れなのだろうか。

 静かに布団を敷き、着替えながらそんなことを考えるユリエッティ。どこまで踏み込んでいけるかは今後のユリエッティと、そしてムーナ次第だが……一つの部屋で寝るところまでは漕ぎ着けられたのだから、全くの脈なしというわけではないのだろう。褐色の、獣人の、ワケありっぽい相方の、綺麗に整った寝顔をしばらく堪能してから、ユリエッティは部屋の灯りを消した。



 

 ◆ ◆ ◆



 

 その翌月、ムーナは悩んだ末、元の宿を引き払ってユリエッティの隣へと移り住むことになる。

 隣室の住人が頻繁に女を連れ込んでいる、という状況自体には変わりがなかったが……少なくとも喘ぎ声が漏れ聞こえてくることはなくなり、また清潔で良質なベッドのおかげもあって、彼女の睡眠事情は見る間に改善されていった。

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