第9話 ムーナとユリエッティ


「──そっち行きましたわよっ!」


 木々の合間を縫うようにして、ユリエッティの声が響いた。


「わぁかってるってッ……!!」


 返すムーナのもとへ、彼女の倍以上の長身を誇るモンスターが迫り来る。白い毛むくじゃらの、細長い手足。一割人型九割化け物といった風貌のそいつ──『手長足長仙骸白狒々』は、笑顔の髑髏でも被っているかのような不気味な顔をカクカクと揺らしながら、骨ばった指先を褐色の獣人少女へと伸ばした。


「チッ……!」


 身体強化魔法の乗った長剣ひと振りで、その魔の手を弾くムーナ。異形のモンスターに力負けするほどではないが、その反応はいつぞやの『爆霊鮫』戦と比べて明らかに鈍く、表情にも疲労が滲み出ていた。ヒヒヒっ、と生理的な嫌悪感を誘発する鳴き声をあげながら、白狒々が長い手足を続けざまに繰り出す。日も傾き始め、いっそう薄暗い雑木林の只中で、ムーナはどうにかその攻撃を凌いでいた。十秒と経たず追いついたユリエッティが加勢し、化け物を押し返す。


「ムーナさんっ!」


 ──そろそろ準B級から“相当”の文字が外れるのも近づいてきた、今日この頃。

 ここ一週間足らずで二人は、それなりの難度の討伐依頼を三つ連続で受けていた。ギルドの魔動車をレンタルしての、日帰り突貫モンスター討伐三連チャン。準備に一日、討伐に一日。休息がてら次の準備に一日、討伐に一日。再度次の準備に一日、そして討伐に一日。

 どれも突発的かつ急を要するもので、それゆえに報酬は割増しとなれば、ムーナが食いつかないはずもなく。例によって折半してもなお旨味が大きいと判断した彼女が依頼書をまとめて引っ掴みディネトの受付へと突貫し、追従するユリエッティが緊急性の高さをダシにうまいこと交渉して格安で魔動車の貸与を取り付けた。それらを受領するディネトの判断まで含めて、非常にスムーズな流れであった。


 というわけで、近頃すっかり勢いに乗っているユリエッティとムーナは、一件目“森林火災の影響で“焔纏い”へと変異した『七刃爬竜』の討伐”及び、二件目“冬眠中のところを起こされ気が立っている『鈍色蛇熊』の討伐”を無事に達成し、そして今、最後の依頼である“今年の農作物の出来の良さに味を占め近隣の農村を荒らしまわっている『手長足長仙骸白狒々』の討伐”に挑んでいる真っ最中……なのだが。


「くそ……、っ、助かったッ……」


「いえいえ、ですわっ……!」


 軽く頭を振るムーナの様子は、どう見ても万全なそれではない。連日の討伐依頼の疲れが抜けていないのは明らかで、さらに、同じ日程をこなしているはずのユリエッティがいつも通りのパフォーマンスを発揮しているのを見て(不甲斐ない自分自身に)苛立っているようでもあった。

 賢しさ厭らしさでも知られる『手長足長仙骸白狒々』は、形勢不利と見て一旦樹上へと退避している。こちらからは見えないがあちらは各個撃破の隙を狙っているのだろうと、ユリエッティは神経を研ぎ澄ませながら拳を握り直し。


「ぅぉ……っ」


 同じく剣を構えようとしたムーナの体が、疲労からかふらりと傾ぐ気配を感じた──その次の瞬間には、斜め後ろからヒヒヒっと嗤う声を聞いた。


「──バカがよぉッ……!」


 そして同時、全身に力を入れ直し振り向く、ムーナの勝ち誇った呟きも。


(──今っ!)


 反射的に歩調を合わせ、右回りに振り向くムーナと対になるよう、左回りで体を捻りながら強烈な右フックを繰り出すユリエッティ。見事に誘き出された『手長足長仙骸白狒々』は、胴の中程までをムーナの剣に断ち切られ、首をユリエッティの拳にへし折られ、瞬時に絶命した。


「……はんっ。賢いっても所詮はサルよ…………はぁぁぁっ……」


 白狒々の胴に埋まったままの剣を手放し、死骸もろともどさりと地面に落ちるのを確認してから、今度こそムーナはよろけ尻もちをついた。溜め息は深く長く、髪は乱れ、帽子で覆われた耳もへたれているように見える。


「お疲れ様ですわ、ムーナさん」


「……ん」


 死骸を回収し、車に戻り、そして王都まで帰る。この後の行程すら億劫だというように、ムーナは仏頂面で頷いた。


 


 ◆ ◆ ◆




(──この疲れ方は…………十中八九、寝不足ですわね)


 帰り道、小さく四角い灰色の魔動車で野道を走りながら、ユリエッティはそう結論付けた。

 

 ちらりと見やる助手席の少女の瞳はどこか虚ろで、その下には薄っすらと隈が浮かんでいる。いつもよりピリピリとした雰囲気も、十分な休養が取れていないがゆえだろう。今は戦闘直後で神経が張り詰めているからか、眠いけれども眠れないといったふうにも見えた。


「……僭越ながら、ムーナさん」


「んぁ?」


「最近、よく眠れていないのではなくて?」


「……あー……まぁ、ちょい」


 何かを思い出し露骨に顔をしかめるムーナの表情は、どう考えても“ちょい”程度のものではないのだが。弱った様子の同乗者の言葉の続きを、運転手は穏やかな沈黙でもって促す。


「…………宿の隣室のやつが、このところ毎日のように娼婦を連れ込んでてさ」


「あらまぁ」


 その情報だけで、ユリエッティは概ね全てを理解した。

 何度か見たことのある外観だけでも、ムーナの寝泊まりする宿が極限までコストをカットしていることは容易に察せられた。きっと隣室からの嬌声やベッドの軋む音が、毎夜毎晩、彼女の部屋にまで筒抜けになっているのだろう。いやさあの安宿の雰囲気からして、そもそも寝具自体が粗悪で睡眠の質を落としている可能性も高い。そんな環境で十全な休眠が取れるわけもなし。いくら獣人が体力に優れた人種と言えども、その体力を支える睡眠を妨げられては、今の彼女のような疲れ果てた顔つきになってしまうのも無理からぬことであろう。


「ムーナさんが何やら資金を貯めているというのは理解していますが……居住環境への投資を怠るのはむしろ、高難度の依頼をこなす上でマイナスになってしまうのではないかしら?」


「ぅっ……」


 ムーナ自身、パフォーマンスが落ちているという自覚はある。今回の三件連続討伐はどうにか達成できたが、このまま切り詰めた生活を続けていけば体を壊すか、最悪戦闘中に命を落としかねない。そう、分かってはいるのだが。我慢すれば。慣れれば。そんな気持ちが捨てきれず、それで数字を増やしていく貯金額に妙な快感を覚えているのもまた事実。つまるところ、一人では現状を変えられない精神状態に陥っている。


 なればこそ。


「……ねぇムーナさん」


「……なにさ」


「今日はわたくしの利用している部屋に泊まってみませんこと?」


「はぁ?」


「真っ当な居住環境というものをお見せして差し上げますわ」


 相方として、ユリエッティが手を差し伸べる。

 無論、それなりの下心はありつつも、だが。

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