見慣れた洞窟

 辺りには静寂が満ちていて、鈴木の小さな息づかいとトン、トン、トンという鈍い足音だけが辺りに響いている。

 鈴木の集中を途切れさせまいと終始無言を貫いていた金森だが、ひんやりとした空気や温かくて安定感のある背中、優しい鼓動の音色に癒され、居眠りをしてしまった。

 人間は眠るとすっかり脱力してしまい、全体重をすっかり相手に預けてしまうようになる。

 そうすると起きていた頃に比べて、とんでもなく強い負担を相手に強いることになるのだが、散々子供を運んで慣れているらしい鈴木はズシリと重くなる金森の身体を難なく受け止めて何事もなかったかのように歩き続けた。

「んぇ、もう、食べられないって……」

「JKの寝言っていいなぁ。モギューッと抱き着いてくるのが幼子みたいで尊いし。ふふ、ヒビちゃん可愛い」

 体重の軽い子供ですら眠っているのを運ぶのは大変だというのに、鈴木は寝言と背後からの力強いハグに笑みを溢すという余裕すら見せている。

 それもそのはず、彼女は可愛らしい女性の姿をしているがカクリツという人間とは全く違いを持った生命体であるため、人間と比べて力が極端に強い。

 彼女にとって金森は、人型の巨大マシュマロビーズクッションも同然だ。

 綿のようにとはいかないが、数十分間、抱き上げ続ける程度のことは余裕である。

 結局、階段を下りきるまで金森は夢の中で羽を休めていた。

「着いたよ~、ヒビちゃん、起きて~」

 すやすやと眠る中、金森は鈴木の明るい声でゆっくりと意識を取り戻した。

 鈴木の背に乗ったまま、ムニャムニャと欠伸を噛み殺して目を擦る。

『結局、寝ちゃった。それにしても、どのくらいかかったのかしら? 随分と歩かせちゃったみたいで悪い事をしたわね。ちゃんとお礼を……ん?』

 寝惚けた頭でボーッと考え事をしていた金森だが、自分の太もも付近をしっかりとホールドしていた鈴木の両手が何やら不穏な動きをしていることに気が付くと、無言で彼女の角を殴った。

 鈴木は「いったぁい!」と悲鳴を上げると、金森を地面に下ろす。

「おはようが拳なんて酷いよ、ヒビちゃん! 起きたなら、おはようくらい言おうよぉ!」

 殴られた角を抑え、鈴木は涙目になっている。

 だが、彼女に金森は冷たい視線を浴びせると、ほんのり赤く染まった拳を軽く振って睨み返した。

「うるさい。ったく、私の拳だって痛いわよ! ほら、赤くなってる! 大体、痴漢したのが悪いんでしょうが。他にはどこも触ってないでしょうね!」

「太もも以外、触ってないもん! うう、起こすための軽~いジョークだったのに! ヒビちゃんの効かん坊!」

「変態が厚かましいわよ。で、ここは……」

 周囲をクルリと見まわすと、やはり妙に既視感のある風景が目に飛び込んできた。

 凹凸の少ない岩壁で取り囲まれた洞窟には糸のような小川すら流れていないというのに、そこかしこで水面が反射して揺らいでいる。

 灯り代わりに設置された青い煙によって周囲は青っぽく染められており、洞窟は厳かな海を詰め込んだかのような姿をしていた。

「やっぱり、博士の家……よね?」

 金森がポツリと言葉を溢すと鈴木がコテンと首を傾げた。

「あれ? もしかしてヒビちゃんも博士のこと知ってるの? なあんだ、それならあたしは必要なかったかな?」

「いや、流石に二層目からここにくる方法は知らなかったから助かったけど、そっか、友達って博士だったのね」

 階段にしろ、洞窟内にしろ、道理で見覚えがあるわけだ。

 また、博士の元にたどり着いたということは金森の安全な帰宅が保障されたと言っても過言ではない。

 金森は納得すると同時になんだか安心してしまって、ホッと胸を撫で下ろした。

「これ、どっちに進んだらいいの? 博士の家って看板とかないし、奥の方を見ても、前も後ろも両方とも同じような真っ暗闇が広がってるだけだから、どうすれば部屋に行けるのかってよく分からないのよね」

「ああ、これ? 何回も来てるけど、私にもよく分からないや。多分、ちゃんと洞窟内を理解しているのは住んでる本人だけなんじゃないかな? なんか、博士は洞窟を管理する力? を持っているから、来客にはすぐ気が付くみたいだよ~。だから、待っていれば向こうから来てくれるみたい」

 ほら、と笑う鈴木の言う通り、廊下の奥の方から二人を目指して見知った人間がやってくるのが見えた。

 しかし、その人物が近づくにつれて鈴木が「あれ?」と首を傾げる。

 それもそのはず、砂埃を巻き上げながらパタパタとこちらへ駆けてくる男性は博士ではなく、肩にブラッドナイトを乗せた赤崎だったのだ。

 どうやら赤崎、博士に幻想世界の奥へと迷い込んだ人間がいると聞き、いてもたってもいられずに迷子の様子を見に来たらしい。

「む! 迷子とは金森響のことだったのか? 一体なぜ、幻想世界に迷い込む事態に? 詳しく話を聞かせてもら……角の生えた女性!? す。凄いぞ金森響! 凄く格好良い人がいるぞ!! 知り合いか!?」

 赤崎の中で金森は相当な大冒険をしたことになっている。

 博士に話を聞いて以来、幻想世界の二層目に並々ならぬ関心を寄せていた赤崎だ。

 兎にも角にも金森の話を聞いてみたくて仕方がない。

 あわよくば自分も幻想世界の二層目に行ってみたい。

 そんな思いで疲れ切った金森を質問攻めにしようとキラキラの瞳を向けたのだが、鈴木を発見すると一層、目が輝いた。

 赤崎に同調したブラッドナイトの瞳もまん丸かつキラキラだ。

 これに対し、赤崎の存在そのものを面倒がった金森が嫌そうに表情を歪める。

「げっ! 赤崎! なんでアンタがここにいるのよ!」

「それは本当に俺のセリフだがな。俺は元々、清川藍に連れられて遊びに来ていたのだ。だが、幻想世界の奥に迷い込み魑魅魍魎に襲われた幼子が覚醒して凄まじい能力を手に入れ、命からがら博士の家へと辿り着いたと聞いたから、様子を見に来たのだ。だが、結局来たのは金森響か……経った今考えた俺の予想では、覚醒した能力でカクリツを痛めつけた金森が力に溺れ、闇堕ちしかけているのだが、実際はどうだ? 闇堕ちした相棒を救うのが俺の役目だからな!」

 頼ってくれ! と胸を叩く赤崎だが、もちろん話のほとんど全てが彼の妄想劇、すなわち捏造である。

 単純に闇堕ちしかける親友を救うごっこがしたいだけだ。

 疲れているとツッコミはおろか怒る事すらままならない。

「赤崎、どうでもいい」

 頭痛を堪えるように額を抑える金森だが、彼女の冷たい態度ごときで行動を改めるようならば、それはもはや赤崎ではない。

 むしろ金森の冷ややかな態度に得た能力を抑えきれず苦悩する主人公を重ね合わせ、一人で大興奮していた。

 現在も、

「己を見失うな!」

 とか、

「しっかりしろ、俺がついている! だから、金森響は向こうで起きた出来事を話してくれ!」

 などと鼻息荒く問いかけており、大変にウザったい。

 金森が半分以上の話を聞き流しながら適当に赤崎の対応をしていると、洞窟の奥の方から清川たち三人が金森たちを目指して歩いてくるのが見えた。

 金森の表情がパッと明るくなる。

「あら、皆も来てくれたのね。ほら赤崎、バカな話はおしまいにして皆の所へ行くわよ」

 強引に話を切り上げ、赤崎の腕をグイグイと引っ張って三人の元へと向かう金森だが、それよりも先に鈴木が、

「あの制服! ヒビちゃんとお揃いだからJKだよね! しかも、可愛くてオッパイパイが大きいし。あ! お隣の高身長お姉さんも美女だ! あたし、かわいい子も美人さんも大好き!!」

 といった調子で容姿の整った清川や守護者に大興奮すると、一目散に二人の元へ駆け出していった。

「へい! そこの可愛い美人さんたち! お姉さんとお喋りしな~い?」

 ヘラヘラとダル絡みする態度は非常に軽い。

 鈴木は特にJKを好むというだけで、美人であったり可愛らしかったりすれば割と何でもいいようだ。

 警戒して翼の中に清川を隠す守護者に対しても、やたらとデレデレしている。

「ハスキーボイスが素敵だね。それに綺麗な髪やスレンダーな美しさが神々しいや。その姿をしてるってことは、お仲間かな? ねえねえ、お姉さん、ぜひともあたしと親睦を深めない~?」

「私に性別はありませんから、お姉さんではないですよ。どうぞ、守護者とお呼びください。藍に危害を加えないのであれば仲良くするのは構わないのですが、あの、私の胸とお尻付近、というか、体全体を眺め回すのはやめませんか? 翼が生えていますし、珍しい造形をしているので気になってしまうのは分かるのですが、その、何だか、邪悪な気配といいますか、妙な感じがして……なんだか居心地が悪いような?」

 守護者には性欲がない上に他者から性的な目で見られたことがないので、居心地の悪さの原因に気が付かず、首を傾げながら身じろぎをした。

 鈴木は変態なので美人の困り顔も美味しく頂ける。

「わぁっ! 天然さんって感じで可愛い! 女の子じゃないのか~。でも、生えてないなら守備範囲内だなぁ。生えてないよね? 骨格も綺麗だし、胸骨の片鱗を感じながら固くて柔い板状のパイパイを堪能するのも……いったぁい! もう! ヒビちゃんにはセクハラしてないんだからいいでしょ~」

 背後からゴツンと頭を殴られ、涙目になった鈴木が非難がましく金森を睨みつけた。

 しかし、金森の方は両腕を組んで、

「駄目に決まってんでしょ! 私の目が黒いうちは友達相手にセクハラなんてさせないわよ!」

 と、鈴木を見下ろしている。

 本日、何度か繰り広げられたアホ犬と厳しい飼い主の図である。

 非常に教育に悪い。

 金森たちの可愛いちびっ子こと博士が、セクハラをした挙句に鉄拳制裁を食らう鈴木を物悲しい目で見つめていた。

「そっか、律さんって変態だったんだね。知らなかったよ。いや、でも、確かに女子高生の話題になると鼻息荒かったからなぁ」

 鈴木はJK以上の年齢の女性には変質的だが、守備範囲外であり可愛いだけの子供にはセクハラ等を行わない。

 そもそも、性的な目で見ない。

 そのため、迷子を連れてくる鈴木は優しくて明るい憧れのお姉さんオーラを身にまとっていたのだ。

 その幻想がちょっぴり傷ついて博士は何とも言えない表情を浮かべた。

「わぁ! 博士、久しぶり! 相変わらず、ちっちゃくて可愛いね。ふふ、頭を撫でちゃう!」

 スーッと浮きながらやって来る博士に気が付くと、鈴木はニコッと明るく笑って優しく頭を撫でた。

 博士は完全な子ども扱いに照れて頬を赤らめ、少し俯いている。

 モジモジと擦り合わせる指先が大変可愛らしい。

「律さん、僕は確かに子供の姿をしているけれど、本当は大人なんだよ。それなのに撫でられたら恥ずかしくなってしまうよ」

「その初心な感じがかわいいよね~」

 モゴモゴと思春期のような不満を溢して眉を下げる博士の姿に鈴木の心臓が射抜かれ、デレデレとしだす。

 何か飴玉の一つでも渡してやれないかとプリーツスカートのポケットをゴソゴソし出した。

 そんな鈴木の隣で当然ながら金森もハートを射抜かれ、クッキーが入っていなかったかとリュックサックを漁り始めている。

 博士を中心に和やかな雰囲気が流れる中、ずっと金森に無視をされて不満な赤崎が彼女の頭にノスッとブラッドナイトを乗っけた。

 金森の頭がズシリと重くなって沈む。

「おい! さっきから俺を無視するんじゃない、金森響! まだ角の生えた眷属や覚醒した異能力、闇堕ちまでの過程を聞かせてもらってないんだからな!」

 赤崎、涙目である。

 振り返った金森が赤崎を見て面倒そうに眉根を寄せた。

「力になんか目覚めてないし闇堕ちもしてないっての。あと、律はただの変態よ。まあ、カクリツではあるらしいけど」

「カクリツ!? マボロシではなくカクリツなのか!? 彼女が!? す、すごいな!」

 キラキラの真っ黒い瞳がくたびれた金森から、再び清川たちにセクハラをしに行った鈴木の方へ向く。

 赤崎はかなり人見知りをする方だが、人数比では圧倒的に知り合いが多く、また鈴木は人間ではないため難なく声をかけられるらしい。

 意気揚々とそちらへ向かって行った。

「律だけでもグッタリ疲れちゃってたのに赤崎の相手までさせられるとはね……私を癒してブーちゃん!」

 頭上には赤崎が置いて行った愛らしいお猫様ことブラッドナイトがいる。

 少々重く、頭皮に爪が食い込むが、それを差し引いてもやはり猫が最上級の癒しを誇る生き物であることには変わりがない。

 金森はひょいッとブラッドナイトを持ち上げて腕に抱き抱えるとモフモフの腹に顔を埋めた。

 耳に直接届くゴロゴロ音が最高である。

 たっぷりと癒されていると、急にクイックイッとスカートの裾を引っ張られた。

 いじらしくて少し不安そうな引っ張り方。

 嫌な既視感がする。

 ドクンと心臓が跳ね上がった。

『え? だって、あの子は成仏したはずじゃ』

 背筋をゾワリとさせながら恐る恐る手の主を見る。

 真っ白な手の持ち主は例の幽霊少女ではなく博士だった。

「もう、ビックリさせないでよ、博士! どうしたの? 私に用事?」

 冷や汗をかく金森に博士は何の話だ? と首を傾げると、彼女から手を放して気まずそうに目線を下げた。

「いや、大したことじゃないんだけれどさ、僕も響さんがどうして幻想世界の二層目に迷い込んでしまったのか気になるから、だから、良かったら今度、遊びに来てくれないかい? そして、話を聞かせて欲しいんだ。暇な時でいいからさ」

 照れた博士は、はにかみ笑いを浮かべている。

 いつもニタニタと笑う博士は繊細だ。

 諸事情から洞窟に引きこもり続けている彼は自分の心情、願いを表に出すのが極端に苦手である。

 以前ならば恥ずかしくて、怖くて言葉に出せなかった遊びの誘いは、ほんの少しだけ自分に似ている清川の勇気を見て、ようやく口に出せるようになったものだった。

 笑う心の裏で心臓をドコドコと鳴らして金森の返事を待っていると、彼女はアッサリと笑って、

「いいわよ、出来るだけ近いうちに来るわ。でも、今日は流石に疲れちゃったし、サッサと帰って寝ちゃいたい気分だわ。博士、悪いんだけど会談まで案内してくれる?」

 と、お願いをした。

「うん! 大丈夫だよ、響さん。それに皆もおいで。外では結構遅い時間になっているから、早く帰った方が良いと思うよ」

 ホッと安心した博士がポケットから取り出した懐中時計で時間を確認し、屈託のない笑顔になった。

 ワイワイと騒がしかった赤崎たちだったが、博士の言葉をきっかけに全員で帰宅する運びとなった。

 さっさと帰宅してすぐさまシャワーを浴び、ベッドに潜り込んで熟睡した金森は、後日ちょっとした面倒ごとに巻き込まれることをまだ知らない。

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