階段の正体

「えっと、幻想世界が二重構造になっているのは知ってる? 人に影響を受けやすい部分と、私たちカクリツが住む部分があるの。勿論、カクリツが住む方が二層目に当たるから、そっちが幻想世界の奥の方ってことになるよ。私たちが今いる部分は二層目だけれど、比較的一層目に近い部分だね。本格的に二層目に向かうためには、響ちゃんが上った階段を上りきる必要があるんだ」

 鈴木は階段についての説明を始めるための前提条件として、幻想世界やマボロシについての基礎知識を金森と共有していた。

 いくらファンタジー的な知識を飲み込むことが苦手だとはいえ、これまで散々、守護者や博士から幻想世界について説明されてきたのだ。

 赤崎からのPDFにもザックリと目を通していたので、幻想世界やその住人についての基礎中の基礎知識くらいは持っている。

 そのため、詳しくは理解していなかった部分に、

「ああ、そうだったのね」

 と頷きつつも、前提条件の話はアッサリと済んでしまった。

 今まで、幻想世界についての知識を有する迷子をあまり見たことの無かった鈴木だ。

 金森の様子に驚愕すると同時に、彼女は結構、幻想世界に詳しい人として認識してしまった。

 故に、新たな説明を追加する鈴木の舌がよく回る。

 一瞬、おいて行かれそうになった金森だが、今日は頼れる中二病こと赤崎がいないので気を引き締めて彼女の話を聞き、理解に努めていた。

「えっと、それならやっぱり天国への階段は嘘だったってこと?」

 ゆっくりと情報を理解しながら確認すると、鈴木がコクリと頷いた。

「そうだよ、あれはただの長い階段なんだ。ゆうちゃんの成仏に利用しただけ。響ちゃん、幽霊が成仏するための条件って知ってる?」

「多分だけど、自分を失うこと?」

 即答だったが、事前に博士や赤崎から説明を聞いて知識を得ていたわけではない。

 成仏する時の少女を見て、なんとなくそう思ったのだ。

 金森の予想は正解である。

「そうだよ。よく知ってるね。じゃあ、幽霊はどうすると自我が無くなっちゃうのか分かる?」

 金森は当然に首を振る。

 それから鈴木は幽霊が自我を失う条件に付いて丁寧に説明した。

 彼女の言葉をまとめると次のようになる。

 幽霊が成仏するための条件は自我を失うことだ。

 そして、自我を失うには生前から持っている魂のエネルギーを使い切る必要がある。

 エネルギーは門を作成したり、導き手として他者を幻想世界や現実世界に引き込んだり、化け物やカクリツに転じる時など、様々な場面で使われる。

 また、少し不思議な話だが、エネルギーは自己を保つためにも用いられるため、存在するだけで幽霊は緩やかに力を失い、成仏に向かって行くとこになる。

 要するに、幽霊の置かれた状況というものはエネルギーの供給源を失ったマボロシのようなものなのだ。

「子供って、大人よりも持っているエネルギーの量が桁違いに多いから、成仏するのに結構時間がかかったりするの。ゆうちゃんは、色んなことをしたでしょ? だから、大分枯渇してたんだと思うんだ」

 実際、元気に見えていた少女だったが化け物から幽霊に戻った時点で存在をほとんど失っていた。

 そのため、誰かに存在を認識してもらうことで自分自身の存在を確かめていなければ、存在を保つことができない状態になってしまっていたのだ。

 放置をすれば勝手に成仏したのかもしれないが、下手な方法を選べば一人を寂しがって再び金森に危害を加えようとするかもしれない。

 それに、化け物のようになった状態で自我や力を失えば、何者にも成れなかったナリカケのように消滅してしまう。

 鈴木の「仕事」の関係からも、できるだけ幽霊を安全かつ確実に成仏させた方が好ましい。

 そのための手段として選んだのが、例の方法だった。

 金森には長いだけの階段も、消えかけの幽霊にとっては上りきることすら困難な代物だ。

 おまけに、唯一の同行者である金森に無視をされ続ければ、消えかけの子供は自分を確信するための鏡である他人の目を失い、自己すらも消滅させることになる。

 これが、鈴木が金森に少女と階段を上るように指示した理由だった。

「といっても、成功するかは分かんなかったんだけどね。多分、そんなに力が残ってないだろうって感じで提案しただけだったし。響ちゃんがゆうちゃんに話しかけちゃった場合もだけど、二人揃って上りきっちゃったらって思うと、怖かったよね~」

 鈴木は両腕を組んでしみじみと頷いた後、ナイスファインプレー! と、金森へ向かって親指を立てた。

「あのさ、何で上りきっちゃいけないの? 入ったら死んじゃうとか、一度上りきったら最後、帰って来れなくなる! とか、そういう事情でもあるわけ?」

「んー、ちょっと近いけど、ハズレかな。あのね、幻想世界は精神的な存在が優位に立つ世界だから、現実世界でマボロシたちの立場が弱いみたいに、幻想世界では人間の立場が弱くなっちゃうんだ。現実世界では物理的な攻撃を与えられないマボロシも、こっちでは普通に人を傷つける。もちろんカクリツには善良な人も多いけど、たまにすごく悪い人もいるし、訳わかんない怖い化け物みたいなのもいたりするから、人間には危ないんだよ。入っただけでどうこうなるってわけじゃないんだけれどね」

 現実世界に樹海やジャングル、深海などの危険で未知な領域があるように、幻想世界にも危険が蔓延るおぞましい場所が存在する。

 また、カクリツの中でも犯罪者はいるし、化け物となった悪霊が見境なく周囲を襲っていたりもする。

 そのため、力が弱いカクリツは二層目の中でも比較的浅い方で暮らしているし、奥の方に住んでいるカクリツでも立ち寄らない場所というものが複数存在していた。

『犯罪組織にスラムに労働問題、そして悪霊問題にエネルギー格差の問題……なんか、生々しいような、ファンタジーなような、変な感じね。でも、一つだけわかるわ。この話、赤崎は大興奮する』

 無事に帰ることができたら、赤崎は金森の体験を一から十まですべて聞き出そうとすることだろう。

 金森が知り得た情報だって知りたがるだろうし、鈴木にだって会いたがるに違いない。

『仕方がないわね。この金森響が、ちゃんと事態の説明を……あれ?』

 ファンタジー系の出来事を理解することが苦手で、普段ならば脳が情報の受け取りを拒否する金森だが、今回は自分一人しかいないため、気合を入れて鈴木の話を聞いていた。

 金森は赤崎や清川に比べれば頭の回転が遅い方だが、かといってバカという訳でもないし、一定以上の理解力も持っている。

 鈴木の話の内容もザックリとは理解しているのだ。

 だが、他者に説明しようと話を組み立て直し、言葉にしていくためには更なる理解力や文章構成能力などの別の力も必要になる。

 金森にそこまでの力はなかった。

『今回は一生懸命聞いてたのに、上手く話が出てこない! え!? 私、そこまでおバカさんだったの!?』

 厳密には内容を整理してアウトプットをする能力が足りないだけでインプットは人並み程度にできていたのだが、金森はショックを受け固まった。

 そんな金森の隣で鈴木は、

「それにしても響ちゃん、幻想世界について詳しいよね~。マボロシだけじゃなくてナリカケやカクリツのことも知ってるみたいだったし! 響ちゃんっていったい何者!?」

 と、妙に感心した様子だ。

 鈴木が会ったことのある現実世界の住人は幽霊か、誤って幻想世界に迷い込んでしまった子供ばかりだ。

 生きているJKも珍しいが、幻想世界などについて一定以上の知識を持つ一般的な人間もかなり珍しい。

 ふむふむと好奇心の輝く瞳で金森を眺めていたのだが、急にハッとした表情になると、

「もしかして、警察の人? あたしの仕事ぶりを抜き打ちでチェックしにきたとか!? 女子高校生を使うのは卑怯だよ~! セクハラでボーナス差っ引かれたらどうしよ~!!」

 と、頭を抱えだした。

 鈴木は、「でも仕事は頑張ったし、大丈夫だよね!?」と涙目で震え、絶望と希望を繰り返している。

 金森は身に覚えのない話題で怯え始める鈴木に首を傾げた。

「何の話? 私はごく普通の女子高生よ。ただ、昔からマボロシとナリカケが見えたっていうのと、何回かこっちに来たことがあるだけ。ともだ、同級生の赤崎なら、もっと詳しいんでしょうけど、私はあんまりこういうの得意じゃないから皆に比べると知らないことだらけよ」

「なるほど~。ただの珍しい人ってだけかぁ。良かった~、佐倉さんの息がかかった人じゃなくて。あの人、すぐ怒るんだもん。巨乳だけど、おっぱいじゃなくて雄っぱいだから意味ないし! お給料減らすぞって脅すし! あたしは幻想世界の住人だから人権がないんだって。半分は人間の血が流れてて、一生懸命お仕事してるのにさ~!」

 詳細はよく分からないが、何やら世知辛い事情があるらしい。

 随分と鬱憤も溜まっているようだ。

 それからも鈴木は「人使いが荒い」だとか、「無茶な要求ばかりする!」と愚痴を吐いてプクッと口を膨らませた。

 怒りで興奮した彼女は頬を真っ赤に染めている。

「とにかくさ、『幻想世界対策課』なんてロクなもんじゃないよ! あたし、困らされてばっかりだもん! ぜ~んぜん、現実世界に連れてって纁ないしさぁ! 酷いよ! ね! 響ちゃんもそう思わない!?」

「いや、私は『幻想世界対策課』? に詳しくないから何とも言えないけど。それより、何で抱き着いてるの?」

 愚痴り、怒りながらグイグイと近づいていた鈴木が、今ではモギュッと金森に抱き着いている。

「だって、怒ったら疲れちゃったんだもん。嫌な気分になったしさ~。そしたら可愛い存在に癒されたくなっちゃうよね~、響ちゃんの控えめちっぱいとか、キュッとくびれた柔らかい腰とか、いい匂いにさ~。何か香水とか使ってるの? シャボンの良い匂いなんだけど」

 金森が大人しくしていたのは、鈴木の怒りのマシンガントークに割り込めず、どさくさに紛れて抱き着かれてしまったために上手く対処ができなかったことと、彼女が抱き着くだけでセクハラはしていなかったことが理由だ。

「香水は使ってないわよ。いいから嗅ぐのを止めなさい! この妖怪嗅ぎ回しが!」

「ええ!? 香水とか使ってないのに良い匂いなの!? 女の子ってイイなぁ。あ! ちょっと! 押さないでよ! ヤダヤダ! 離れない!! ヒビちゃんにもっとギューッて抱き着くの!!」

 スンスンと鼻を鳴らす変態の肩を掴み、当然のごとく遠ざけ始める金森なのだが、今回は鈴木も諦めない。

 さらにモギュギュッと金森に抱き着くと嫌々と首を振った。

「何がヒビちゃんよ! 急に馴れ馴れしいわよ! コラ! ちょっと可愛いの止めなさい!」

 ブンブンと首を振る姿が幼子の駄々に重なったのだろう。

 不覚にもキュンとしてしまった。

 それでも気を引き締めて肩を掴む両手に力を込め、無理矢理に鈴木を引き剥がして彼女の抱擁から逃れる。

「だって、もうお喋り終わっちゃったから、ヒビちゃんのこと、お家に帰さなくちゃいけないんだもん! ヤダヤダ! もっとJKと一緒にいたいよ! 人間のお友達のことをあだ名で呼ぶっていう夢があったんだから! そうだ! せめて、ちゅーしよ! ちゅー!」

 逃げられてしまった鈴木は涙目になって不満そうに口を尖らせると、両腕をバタつかせてさらに駄々をこねた。

 すっかり甘える姿がちょっと可愛い。

 まあ、金森は一切要求をのむつもりがないので、両腕を組んで威圧的に鈴木を見下ろすのだが。

「駄目に決まってんでしょ! おバカ! ていうか、ふざけてないでサッサと変える方法を教えなさいよね!」

「あ! なーに、その言い方! そんな横暴なヒビちゃんには、帰る方法なんて教えてあげないんだから! そしたら、一生あたしの家で過ごすんだからね! ヒビちゃんは、あたしのお嫁さんなんだからっ! イテテテッ!」

 鈴木の方も腕を組んでフン! とふんぞり返っている。

 その姿にイラっとした金森は、バカなことしか口走らない口はこれか!? とばかりに鈴木の唇を指で挟みこみ、みょいんと引っ張った。

 意外と痛いようで、鈴木は涙目のまま金森を睨んでいる。

「ね~え、じゃあ、せめてハグしてよ~! そしたら、お家に帰る方法を教えてあげちゃう!」

 すっかりダル絡みモードに突入してしまっている。

『面倒くさいわね! まあ、ハグくらいならいいか』

 両腕を広げて早く! 早く! と、ハグを迫る姿にうんざりとした金森は一つ舌打ちを打つと、

「仕方がないわね。大人しくしてなさいよ。ほらー、ぎゅー。これで満足でしょ」

 と、鈴木の身体をふんわり抱き締めた。

 ムギュッと柔らかく力を入れると鈴木の瞳がパァッと明るくなる。

「うん! ハグされるのっていいね。ついでに匂いを嗅いで揉んじゃったり! 痛い痛い! 分かったよぉ、案内するってば」

 ワクワクとしていた鈴木だが、頬を抓られ、睨まれてしまったので諦めて道案内をすることにした。

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