幽霊

 似たような雰囲気を持っているためか、清川と博士は非常に相性が良い。

 花火大会以降、清川は気軽に博士の元へ遊びに行くことが増えていた。

 博士の家では清川が持参したお菓子を一緒に食べたり、カードゲームやボードゲームで遊んだりして楽しい時を過ごしている。

 また、休日には博士が清川の家に訪れて、三人で料理をしたり読書を楽しんだりもしているようだ。

 最近は二人でマルチエンディングのRPGゲームをプレイするのにもはまっているらしい。

 今日も清川は花火大会の写真を通学鞄に詰め、ついでに暇を持て余していた赤崎も連れて博士の元へ遊びに来ていた。

 博士の部屋は大切な友人たちを招くことができるように改良が施されており、以前よりもずっと広くなって、皆のための家具もいくつも増えた。

 寛ぎにくかった背の高い丸テーブルと椅子は取っ払い、代わりに背の低い長テーブルや体に合わせて形を変える、人を駄目にする系ソファなどが並んでいる。

 すっかり居心地がよくなってしまって、座っている内に寝転がりたくなってしまうような空間は博士のおもてなし心の成果である。

 加えて、金森母から貰った甚平や金森から貰ったリンゴ飴なども大切そうに飾られており、博士が持ち込んだ物や作り出した物以外も随分と増えていた。

 他にも、清川から貰ったぬいぐるみがベッドの上で堂々と寝転がっているし、既に物がゴチャゴチャ物がと乗った机の上には赤崎と共同で制作している研究ノートが散らばっている。

 空の写真立てには、これから清川に貰う予定の花火大会の写真を入れるつもりであるし、皆と撮った写真を収納するアルバムなんかも存在する。

 随分と賑やかになって静寂の減った自室を博士は気に入っていた。

「はい、この辺が、花火大会の写真で、これが、海に行った時の写真だよ。来年の夏は博士さんも入れて、皆で海を楽しもうね」

 早速テーブルいっぱいに写真を並べた清川が嬉しそうに笑う。

「うん。今度は僕も、海で遊んだり皆で砂遊びをしたりしたいな。約束だよ」

 博士が差しだした小指に清川が自分の小指を絡め、指切りげんまんをする。

 それから写真を一枚、一枚手に取り、思い出話をしながらアルバムに収納し始めた。

 海での話題を中心に四人で雑談を楽しんでいたのだが、そこから話の中心が花火大会での出来事に切り替わり、金森の見たという幽霊の話になった途端、赤崎にギアがかかった。

 前回は立ち話であったしメモを取ることもできなかったからと改めて幽霊について問い、記者のように聞き取った内容をノートにまとめ、質問を重ねていく。

 そして、大興奮で早口になる赤崎につられて博士のギアも上がりだした。

 まあ、要するに「いつものやつ」だ。

「ふむ、幽霊がマボロシに成ることもあるのか」

 他の生物については不明なことも多いが、少なくとも人間は死ぬと精神だけの存在である幽霊になる。

 精神体というものは脆くて強い。

 明確な自己が存在していれば己の形を永久に保っていられるが、何らかの要因でアイデンティティを失えば消えてしまう。

 このことはマボロシとナリカケで確認済みだろう。

 幽霊の場合は少し特殊で、なった直後には自我があり、生前の未練を元に大切な人間を見守ってみたり、復讐を実行しようとしてみたりと活発に動く。

 だが、時が経つにつれて少しずつ自我を失い、ナリカケのように、ただ存在するだけの「何か」に変わってゆく。

 そして、そのまま自我が消え切った時にモヤや光の塊となって静かに天へと昇って行く。

 一見するとナリカケやマボロシの消滅と同じように見えるが幽霊に起こるソレは成仏であり、彼らは消えるのではなく、どこか別の場所へと行くのだ。

 そのため、幽霊になった先に待っているのはナリカケのような、マボロシとなって存在を維持するか、あるいは消滅するかの過酷な二択ではなく、穏やかな成仏である。

 だが、稀に例外というものが発生する。

 それが、幽霊からマボロシやカクリツに転じるというパターンだ。

 ナリカケ、マボロシ、そして幽霊の三者は、自由に現実世界と幻想世界を行き来することができるのだが、幽霊が幻想世界でいくつかの条件を満たすとマボロシやカクリツに成れる。

 条件は幻想世界に長期間、留まり続けることや体内に爆発しそうなほどの強力なエネルギーを大量にため込むなど、様々だ。

 また、似たようなことは生きている人間でも起こりうる。

 博士の年齢が止まったのも、彼がカクリツに成りかけていることに起因している。

 ただし、どちらも条件がかなり厳しく、人間側には生まれついての高い素質が求められるため、簡単には成功しないようだ。

 しかも、生きている人間の場合は体質が変化して人としての肉体を失ってしまうだけだが、精神体で幻想世界の影響を受けやすい彼らが長い間その世界で存在し続けると、自我を失った化け物になってしまう可能性が高くなる。

 そのため、博士は幽霊を見つけると速やかな成仏を勧めていた。

 なお、金森が花火大会で出会った少女も、本来であれば自己を失い、成仏するはずの存在だった。

 それが金森と会話をすることで自我を取り戻してしまい、成仏までの時間を無駄に引き延ばしてしまったので、博士は「仕方がないことだけれど、ちょっぴり残酷だね」と話したのだ。

 博士が自分では見ることの出来なかった「女の子」に思いを馳せていると、膝の上にピョンとブラッドナイトが飛び乗った。

 気分屋なブラッドナイトは、今は甘やかされたいらしい。

 博士の小さな膝の上で仰向けに寝転がり、腹を見せながらゴロゴロと寝返りを打っている。

 じっと瞳を見つめられて「うにゃん」と鳴かれると、博士は知らず知らずのうちに笑顔になった。

「ブラッドナイトさんは可愛いね。響さんがメロメロになっちゃう理由も分かる気がするよ」

 自身もかなりメロメロになってブラッドナイトの伸びる顎を撫で、お触りに寛容な肉球をモチモチと揉んだ。

「そう言えば、この間は言いそびれちゃったんだけど、多分、ブラッドナイトさんは元幽霊だよ」

 確信は無いんだけれどね、と付け足す博士だが、それでも声には一定以上の自信が籠っている。

 ノートにとった内容を見返しながら考察という名の妄想を重ねていた赤崎がバッと顔を上げる。

「ブラッドナイトが元幽霊!? 清川藍の力は幽霊にも行使できるのか? 実は巫女ではなくネクロマンサーなのか!?」

 赤崎は相棒のルーツに大興奮してズイッとテーブルの上に身を乗り出すと、鼻息を荒くし、「それはそれで熱い展開だな!」と一人で舞い上がっている。

 頬は上気しており、キラキラと輝く瞳が獲物を見つけた猫の瞳のようだ。

 ちなみに、当のブラッドナイト本人はあまり自分のルーツに興味がないらしい。

 今は博士の太ももの上で香箱座りをしており、背中を撫でられてご機嫌に目を細めている。

 さて、好奇心の瞳を真直ぐに向けられた博士だが、

「いや、藍さんの力は幽霊には使えないよ」

 と、首を横に振った。

 清川の力は曖昧な存在の曖昧な行動に判定を下して、その存在を消滅させるか、あるいはそこから新たな存在を作り出す能力だ。

 既にある存在を作り変える能力ではないので、自我が強く自分の意志に従って行動する幽霊には力を行使できない、というのが博士の見立てだった。

「さっき、基本的に自我を失った幽霊は成仏をして、そこから外れた人が例外的にマボロシやカクリツに成るって話したんだけどさ、実は、例外はもう一パターンあるんだ。これは、かなり切ないパターンだけれどね」

 それが、強すぎる未練が故に自我を失っても昇天を拒んで現実世界に留まり続け、成仏すらできぬほどに存在を弱めてしまうというパターンだ。

 この時、存在としてはナリカケとほとんど同一になり、成仏ではなく消滅を待つ身になってしまう。

 博士の力はそれなりに強いため、自我の薄まった幽霊は見ることができない。

 ましてや、ナリカケのようになりつつある幽霊など声すら聞くこともできないため、彼らの消滅は見たことがない。

 しかし、ナリカケが消滅するところは何度も見ている博士だ。

 幽霊にも彼らを重ねてしまって、表情には切なさが浮かんだ。

「まあ、実際はどんなに薄まっても自我が残っていて、生前の望みを果たそうとしているのかもしれないけどさ。でも、それはブラッドナイトさんになる前の存在にしか分からないことだから」

 これがどのようにしてブラッドナイトの誕生に繋がるのかという話だが、実は、幽霊はこの時には自我など一滴も残っていないはずなのに、強すぎる未練が故に「それらしい行動」をとり続ける状態になっている。

 そうするとナリカケの割には自我があるが、幽霊と比べると自我もアイデンティティも薄い、妙な存在になってしまう。

 その結果、マボロシに成るための条件である「アイデンティティを得るための行動」をとることができており、ナリカケにしか使えないはずの清川の能力も通用したのではないか、というのが博士の推測だった。

「多少は自我のあるナリカケでも一人に執着して側に居続けるなんてことないから、ブラッドナイトさんの前身が怜さんに付きまとってたって聞いた時から違和感があったんだ。それで、幽霊の話になった時に、もしかしたらそう言うことなんじゃないかって推測を立てていたのさ」

 博士の言葉通りならばブラッドナイトの前身は、きっと赤崎と縁の深い人物だったのだろう。

 話題が話題なだけに一通り話を聞き終えた赤崎は「なるほど……」とだけ呟いて、静かにブラッドナイトの近くまでやって来た。

 ブラッドナイトの小さな額に手を置き、赤崎はゆっくりと目を閉じる。

 きっと、脳内では可能性のある人物を探っているのだろう。

「父さん、だろうな。自我を無くしても、ずっと俺の側に居ようとしてくれる故人なんて父さんくらいしか思い浮かばない」

 ポツリと言葉を出すまで、そう時間はかからなかった。

 ゆっくりと額を撫でるとブラッドナイトが薄目を開けて手の主を確認する。

 金色の瞳が柔らかく赤崎の姿を捉えると静かに閉じて、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 それから、頭はもういいから顎を撫でろ! とばかりに耳をパタパタと動かしてミョインと顎の下を伸ばす。

 気ままで空気など読まない様子が実にブラッドナイトらしい。

「お前は相変わらずだな。まあ、お前は父さんじゃなくてブラッドナイトだもんな」

 気ままなブラッドナイトに小さく笑いを溢して顎をかいてやる赤崎の目つきは優しい。

 幽霊から直接マボロシやナリカケに成る場合は記憶や人格が継承されるが、ナリカケを経由する場合はいわゆる転生のような状態になってしまうため、人格などが継承されない。

 また、そもそもナリカケ状態になった時点で過去の人格は失せ、父親ではない存在になってしまっているため、ブラッドナイトは決して赤崎の父親ではない。

 だが、それでも、ブラッドナイトを見つめる赤崎の瞳や声には少しだけ追慕が浮かんでいた。

「元がお父さんで、今は相棒って素敵だね」

「ああ、そうだな。しかし……父さんが亡くなったのは俺が小学生の頃だから何年も前だ。幽霊というものはそんなに長く居られるものなのか?」

 清川の柔らかい笑顔に頷いた後で不思議そうに首を傾げた。

 興奮はしていないものの、好奇心の混ざる様子で問う赤崎の姿はいつも通りだ。

 即座にノートを取り出す様子も同様である。

 湿っぽいような生温かい雰囲気に変化をつけたかったのか、あるいはブラッドナイトの姿を見て気持ちを切り替えたのか、赤崎は快活に笑って博士の言葉を待っている。

「普通の幽霊はそんなに長く持たないよ。素質があって、力が大きい子でも一年程度が限界じゃないかな? でも多分、怜さんのお父さんは怜さんから力を分けてもらうことで存在を保ち続けることができたんだと思う。血縁者で桁違いに力が大きい怜さんが相手なら、それが可能になるから。それに、昇天に抗うには強靭な意志と相応の力が必要になるから、多分、怜さんのお父さんも通常よりずっと強い力を持っていたんじゃないかな?」

 赤崎の父親自身の力が相当に強かったことや、その血縁者である赤崎の力がさらに大きかったことがうまく作用し、ナリカケのようになっても何年も存在できたのではないかというのが博士の予想だ。

「ただ、そうやって存在を引き延ばしたとしても消滅は免れられない。限界があるのさ。本来なら海に来るよりもずっと前に消えていたんだろうから、藍さんの件がきっかけで響さんに見つけてもらえたのは幸運だったね」

 博士が話す通り、ブラッドナイトは赤崎に飛んできたティッシュを叩き落した時に力を使い切って消えてしまうはずだった。

 だが、極端に力の弱い金森だからこそ消える寸前のブラッドナイトを見つけることができた。

 そして、彼女がブラッドナイトを「赤崎に纏わりつく謎の猫」と一時的に定義づけて認知し、心に留めることで少しだけ延命させていたのだ。

 ブラッドナイトがマボロシに成るためには様々な条件が必要であったが、特に大切だったのが定期的に金森に見つけてもらって延命し続けることだった。

 清川や赤崎のように強い力を持っていたり特殊な能力を使えたりすることは相当に珍しいが、金森のように極小の力を持ち続けるというのもかなり珍しい。

 おまけに彼女は器用貧困で使える能力が多いから、非常に力の弱い存在には短期間の延命を施したり、攻撃したりすることができる。

 実は金森自身も清川たちに並ぶ希少な能力者なのだ。

 まあ、それを告げても金森は微妙に嫌そうな顔をするだろうが。

 ところで、普段の赤崎ならば、自分の父親が少なからず力を持っていたと知ればはしゃぎ回って、父親から継承されし力がどうとか、父も自分のように悪性マボロシを倒して冒険をしてたんじゃないかと楽しい妄想の世界に入ることだろう。

 だが、父親も強い力を持っていたんじゃないのかと問われた赤崎は妙に歯切れの悪い様子で、

「そうだな。多分、そうだ。そうだったよな。だから……」

 とだけ呟いて、少しだけ目線を下げた。

 右手が無意識に左腕を包帯の上から擦っており、その後の会話もなんだか沈んだような雰囲気がある。

 勘の鋭い金森でなくても分かる赤崎の急な落ち込みだが、意外と感情を隠すのが上手い彼は自分に集まる視線に気が付くと、ニッと笑い、堂々と胸を張り、

「頭脳明晰、運動神経抜群、イケメンな闇に選ばれしナイトの類稀なる能力は父さんから来ていたわけだな! 父さんも仲間と共に幻想世界を巡ったに違いない! きっと、世界を二度くらい救ったはずだ! 俺は三度救うぞ!!」

 と、ドヤ顔をした。

 それからブツブツと妄想を呟けば、周囲は、

「なんだ、妄想に夢中になり過ぎて無口になってただけか」

 と解釈し、雰囲気が明るくなる。

 きっと、赤崎の様子がおかしいことを見抜けるのは金森かブラッドナイトだけだ。

 今は金森がいないから、ブラッドナイトは仕方がないな、とでもいうように長く太い尻尾を左腕に巻き付けて慰めるように撫でていた。

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