おねえさんはなかま
世界を飛び越える反動なのか、幻想世界に到着すると激しい眩暈を覚える。
眩暈に対抗するべく地面を力強く踏みしめると、隣からキャッという可愛らしい女の子の悲鳴が聞こえた。
驚いて目線を下げると、少女がギュッとスカートの裾を掴んで金森の顔を覗き込んでいるのが見える。
年齢は五、六歳くらいだろうか。
まん丸の瞳に丁寧に編まれた二本の三つ編みが可愛らしい。
また、少女は真っ白いワンピースを着ていて、どことなく既視感のある姿をしていた。
「ごめんね、足ふんじゃった?」
ウルウルと涙を溜めた少女に慌てるが、彼女はフルフルと首を振った。
金森だって、もう何回も幻想世界に来ているのだ。
いくら理屈で物事を考えることが苦手なアホの子だとは言え、流石の金森も、うっかり門を踏んでしまって幻想世界に来てしまったのだと気が付いていた。
しかし、今回はいつもと違って一人も知り合いがいない。
場所だってよく分からないし、帰るための門がどこにあるのかも、そもそも移動できる範囲に存在するのかさえ、よく分かってはいなかった。
広大な砂漠の真ん中に食料も飲料も無いまま、急に置き去りにされたかのような孤独と恐怖を覚える。
通常ならばパニックになり、
「誰かいませんか~!?」
と、大声を出しながら当てもなく辺りをうろつき始めるところだが、今回は友人の代わりに自分と同じように幻想世界に紛れ込んでしまったと思われる少女がいたため、土壇場で踏みとどまった。
『大丈夫。私は意外と運がいいから、何とかなるはず。大丈夫、大丈夫』
金森は大きく深呼吸をして混乱しがちな脳内を少し落ち着かせると、軽く屈んで少女と目線を合わせた。
そして、励ますようにニコッと笑う。
「こんにちは、私は金森響っていうんだ。あなたは?」
少女は少し考えるそぶりを見せたが、やがてフルフルと首を横に振った。
「わたし、わたし、なまえわかんない。でも、ゆうちゃんってよばれてるよ。おともだちのおねえさんがね、わたしのこと、ゆうちゃんってよぶの。わたし、ゆうれいだからかなぁ?」
子供の感情は乙女心や秋の空なんかよりもずっと移ろいやすい。
先程は泣きかけていたというのに、今ではニコニコと笑って首をかしげている。
大変可愛らしい様子だが、聞き捨てならない言葉があった。
「え!? 幽霊!?」
目を丸くして驚く金森を、少女がキョトンとした顔で見つめた。
「うん、ゆうれいだよ。わたし、おばけなの。それでね、ひびきおねえさんもゆうれいなんだよ。だって、わたしがみえるんでしょ? わたし、ゆうれいのおともだち、はじめて! うれしいなぁ。いっしょにてんごくにいこうね!」
約束だよ! と小指を差し出し、指切りげんまんを迫る少女だが、金森の方からすれば堪ったものではない。
第一「一緒に天国へ逝こう」という言葉自体が恐ろしい。
ニコニコ笑顔で無邪気に言う少女に得体のしれない恐怖が強まり、狂気を感じるばかりだ。
「いやいやいや! 死んでないよ!? ゆうちゃんはどうなのか分からないけど、私は死んでない!」
その証拠に、自身の手首に指を当てればキチンと脈があることを確認できるし、死因となるような出来事に遭遇した覚えもない。
金森は門を踏んでしまっただけだ。
そのためブンブンと首を振って否定する金森だが、少女の方は口を尖らせて不満そうな表情になった。
「え~? でも、やっぱり、おねえさんはしんじゃってるとおもうな。だって、まえもわたしのことがみえたでしょ? それに、ここは、しんだひとがくるばしょだから」
善も悪も灯らぬ幼い声で告げられ、金森の背にゾクッと冷たいものが走る。
妙な焦りを感じて、慌てて周囲を見回す。
赤い彼岸花が咲き乱れる野原では三途の川を思わせるような煤けた丸い石ころが転がっていた。
また、彼岸花以外の植物と言えば丈の短い枯草か真っ二つに裂けている上にボロボロになった枯れ木が所々に立っているばかりで、その他には目新しい自然も人工物も存在しない。
赤とモノクロに支配された異様で寂しい空間は、確かに死後の世界を表現するのに相応しい場所だった。
「え? でも、私……生きてる、よね? 気がつかない内に死んじゃってる、なんて……」
確信の籠った少女の言葉に心を揺らされて不安になる。
口内がカラカラに乾き始めた。
元ネタは不明だが、幽霊は自分にとって都合の良いものしか見えないという、ホラーでは常識の如く浸透している考え方がある。
この考え方を元に物語では度々、死を受け入れられなかったり、死んだことに気がついていなかったりする幽霊が登場する。
金森がつい最近触れた物語にも、そのような哀れな幽霊が登場しており、その幽霊が自身の死に気がつき涙したという切ない描写が脳によぎって、そのまま貼り付けられた。
嫌な想像を肯定するが如く、
「ひびきおねえさん、かわいそう。でも、おねえさんはしんじゃってるんだよ。きっと、まえに、おまつりであったときから」
と、少女は眉を下げて金森を哀れがる。
少女の声は真直ぐで、諭すような調子がいっそ無情ですらあった。
「お祭りって、花火大会?」
「うん。まえね、きゅうにじぶんのことがわからなくなって、ぼーっとして、いなくなるのがいやで、ちかくのあたたかいぬのをギュッてしたの。そしたらね、ひびきおねえさんがわたしのことをおしえてくれたのよ。うれしかった。そのときから、わたし、ひびきおねえさんのことがだいすき! またあえてうれしい!!」
少女がキャーッと可愛らしい悲鳴を上げて金森にギュッと抱き着く。
だが、確かに触れているはずなのに、本来ならば布越しに伝わるはずの温かな体温を感じない。
興奮して言葉を捲し立てている少女の口元から呼吸や熱を感じることも無かった。
なにより、抱き着かれている感覚はあるのに一切の質量も厚みも無かった。
まるでホログラムだ。
『この子、本当に死人なんだ。お祭り……もしかして、あの時の?』
金森の脳裏によぎるのは、花火大会の会場で少しだけ会話をした幽霊の少女だ。
『確かに声も似てるし、姿も……』
言葉をかければかけるほど姿を明確にしていったモヤと目の前の少女姿がピッタリ重なる。
既視感の正体を知り、スッキリとした金森だったが、ボーっとしている場合ではない。
少女と比較することで自身が生きていることを確認し、安心することの出来た金森だったが、少女の方はすっかり金森が死んだものだと思い込んでいる。
おまけに「いっしょにてんごくへいこう」などという心中めいた言葉すら発しているのだ。
一見すると無害そうに見える少女だが、金森の鋭敏な勘が早く誤解を解くべきだと強く訴えかけていた。
『そう言えば博士、憑りつくことはできないけど、何だったかはできるとか、子供は力が強いからどうだとか言ってたわね。特に、幻想世界で何かあるって言ってたのよ。門がどうとか、マボロシがどうとか……ダメだ! 思い出せない! こんなことになるんだったら、ちゃんと話を聞いておけば良かったわ!』
怖いからと幽霊の詳細な情報を拒否していた金森だが、耳を塞いでいたわけではなく、ただひたすらどうでもいいことを考えて情報を追い出していただけだったので、多少は話を聞いてしまっていた。
おかげで、幽霊が「幻想世界」でならば何かをすることができるということは分かったのだが、逆に言えば分かるのはその部分だけで具体的なことは全く分からない。
『役に立たないどころか逆に怖いわよ! ほんと、何ができるって話なのよ! うう、本当に何も知らない方が、いや、それが一番危ないか』
自分の勘に従うにしても博士の言葉をほんの少し思い出すにしても、相手が子供だからと油断せずに行動する方が良いだろう。
『それにしても、どうしましょうか。とりあえず誤解は解くけれど、ゆうちゃんが現実世界に帰る方法を知っているわけがないでしょうし、門って、踏んだことはあるけれど見たことがないからよく分からないし、当てもなく歩くくらいしかできることがないわ。客観的に見ても状況は詰みよね。もちろん、諦めないけどさ』
思わずため息が漏れ出る。
少々弱気になっていると、金森の胸に抱き着いて顔をグリグリと動かしていた少女がパッと顔を上げ、
「そうだ!」
と、明るい叫び声を出した。
「わたしが、おともだちのおねえさんのところにあんないしてあげる! そしたら、ひびきおねえさんも、しんじゃったことにきがつけるよ! ついてきて!!」
「え!? 待って、そもそも死んでな……」
金森の返事を聞く前に少女は駆け出し、百メートルも先に進んだところで、
「早く早く!」
と、大きく手を振る。
困ったことになったが、気味の悪い花畑に独りで取り残されるのもごめんだ。
それに、「おねえさん」とやらは現実世界に帰る方法を知っているかもしれない。
少女の「ひびきおねえさんも、しんじゃったことにきがつけるよ!」という言葉が大変不穏だが、それでも金森は希望を見出し、慌てて少女を追いかけた。
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