照れ屋な浴衣で尊死
森川の喫茶店を出た金森は真直ぐに帰宅し、部屋に自分と清川の分の浴衣を用意して待機していた。
そろそろかな? と、スマートフォンの時計を眺めていると玄関のチャイムが鳴る。
金森の代わりに一階の茶の間でくつろいでいた彼女の母親がインターホンをとった。
それから、
「響ー、お友達よー。女の子が二人ー」
と、二階にいる金森に向かって大声で呼びかけてくる。
活発な金森の母親なだけあって声が大きく若々しい。
金森家のインターホンには録画機能がついており、モニターを通して玄関先の様子を見ることができる。
その機能を使って外の様子を確認した金森母が、何気なく「女の子二人」と述べたわけなのだが、金森には清川以外の女性が思い付かない。
思わず、誰だ? と首を傾げた。
『女の子が二人? もう一人は誰かしら? 守護者? でも、お母さんはマボロシを見られないはずだしな』
急遽、クラスメートでも誘って連れてきたのだろうか。
そんなことを考えながら建付けの悪い引き戸をこじ開けると、そこには清川と守護者、そして博士が立っていた。
博士の性別は男なのだが、彼は長く艶やかな黒髪を真直ぐに下ろしており、羽織っている白衣もふんわりとワンピースのようにたなびいているため、可愛らしい女の子のような外見をしていた。
そのため、博士の姿を見た金森母が彼を「女の子」と称したのだろう。
女の子二人という言葉に納得がいくと同時に、今度は何故、博士まで自宅に来たのかと首を傾げた。
「あのね、今日、用事があって、博士さんの洞窟に行ってきたんだ。それでね、折角のお祭りだから、皆で遊んだほうが楽しいかと思って」
小さな手を引く清川は和やかに微笑んでいるが、彼の方は困ったような、気まずいような表情を浮かべて曖昧に口元を歪めている。
唐突に現れた博士に驚いて目を丸くしていた金森だが、博士の飛び入り参加が嫌なわけでは決して無い。
むしろ、金森も清川と同じように遊ぶ人数は多い方が楽しい派だ。
赤崎も参加者が知り合いであるならば文句は言わないだろう。
金森はニッと笑って、
「久しぶりね、博士。というか、博士って外に出れたのね」
と、困惑がちな博士の頭を撫でた。
これに対して博士は恥ずかしそうに俯き、モジモジと白衣を握ったり、清川と握った手を揺らしたりしている。
数年ぶりに会った親戚の子供のような態度だ。
「まあね。だって、僕は元々こっちに住んでたし。この間だって海に、現実世界に来ただろう? 普段、あまり洞窟から出ないだけだよ」
口調は以前とあまり変わりがないが声はボソボソとしていて地面に落ちるような響きを持っており、緊張しているのかギクシャクとした雰囲気だ。
「なんか、前と様子が違くない? どうしたの? お腹、痛いの?」
しゃがんで目線を合わせる金森だが、博士はツイッと目をそらして俯いた。
「いや、高校生の集団に子供の僕がいたら迷惑だろうなって。花火大会って、子供が迷子になりやすいからさ。僕、自分でいうのもなんだけれど気が散りやすいんだ。会場で迷子になって、響さんたちに迷惑をかけるかもしれない」
これが、花火大会に誘われた博士が即座に頷くことのできなかった理由である。
金森は一瞬、目を丸くした後、
「博士、意外と遠慮しいで心配性なのね。思慮深いのは偉いわ。でも、ちびっこがそんなことをいちいち気にしなくていいのよ? 私なんて幼稚園ぐらいの頃、行く先々で毎回のように迷子になってたのに外出したいって騒いでたくらいだし。それよりも中においで。着付けしてあげる」
と、快活に笑った。
金森に招かれるまま清川たちは家の中に入り、廊下を進んでいく。
しかし、金森は三人を二階の自室へ連れていく前に茶の間に顔を出すと、
「お母さん、くつろいでるとこ悪いんだけど、私、藍の着付けをしなくちゃいけないからさ、この子の甚平を見繕ってもらえない? 確か、私の子供の頃のがあったよね?」
と、母親に声をかけた。
お願い! と両手を合わせると、パリパリとお煎餅を食べていた金森母が彼女たちの方を向く。
雰囲気は「母ちゃん!」という感じだが、艶やかな金髪が美しく、どことなく金森を思わせる綺麗な顔立ちをしている。
また、声だけでなく肌にもハリがあり、生命力の宿った力強い瞳をしているため、実年齢よりもずっと若々しく見えた。
「んー? いいけど、この子、女の子でしょう? 浴衣じゃなくていいの?」
「あ、僕は男……です」
博士の姿をまじまじと見つめる金森母に、彼は先程よりも更にモジモジとした態度で小さく言葉を出した。
頬をほんのりと染め、額に汗をかいて恥ずかしそうに手を組み、モジモジと揺らしている。
「あら、男の子だったの。ごめんね、あんまりにも可愛いから、おばちゃん勘違いしちゃったわ。じゃあ、僕、こっちにおいで。おばちゃんが素敵な甚平を着せてあげる」
笑顔で手招きをする金森母に対し、博士は「僕はこのままでも……」とか、「甚平汚したら申し訳ないから……」などといった言葉をゴニョゴニョと呟いている。
だが、声量と距離の関係で金森母には届いていないようだ。
金森がポスンと柔らかく背中を押すと、博士は指をすり合わせたまま茶の間に入って行った。
「ふふ、僕、お名前は? そう、———っていうの。———君には、どんな甚平が似合うかしらね」
「あ、えっと、僕は、何でも……」
照れて声を小さくする博士に対し、金森母が優しく話しかけて会話を試みている。
ぼやけてしまって上手く聞き取れない言葉もあるが、二人の関係は概ね良好なようだ。
『お母さん、めちゃめちゃ楽しそうね。声が弾みまくりだわ。まあ、何気に博士はかわいい子だしね、なんか面倒見たくなっちゃう気持ちは分からんでもないけれど』
金森母は金森と一緒で誰かの世話を焼くことが好きなのだが、親戚の子も自分の子供もかなり大きくなってしまい、あれこれと世話を焼くことができる年齢ではなくなってしまった。
成長を喜ぶとともに少し寂しく思っていたのだが、そこに大変可愛らしいちびっ子が現れたので、すっかり舞い上がっていた。
「それにしても博士、なんか今日はやたらとモジモジちゃんね。洞窟にいた時は、ふてぶてしいくらいだったのに。どうしたのかしら」
「基本的に博士は洞窟の中で閉じこもっていますからね、久々の外出に緊張してしまったらしいですよ。マボロシや子ども以外に接するのもかなり久しぶりなようです。なんでも、人見知りをしてしまうんだとか」
洞窟を出て人の多い砂浜を歩きだした時点で清川の手をギュッと握ったり、足にしがみついたりしていたため、心配になった守護者が事情を問いかけたら、そのように答えたのだとか。
外は嫌いではないが、活動するには少し勇気が必要になるらしい。
「へー、意外。結構、内弁慶なのね」
守護者の話を聞き、金森の庇護欲が静かに高まる。
金森は花火大会で博士の面倒を見、気を配ることを心に誓った。
時刻は夕方の四時。
花火大会の縁日が始まるのが午後五時頃からであり、祭りが活発化するのは午後六時頃で、花火の打ち上げが始まるのは午後七時からだ。
また、赤崎との待ち合わせ時間は午後六時である。
時間はそれなりにあるが、浴衣の着付けやヘアアレンジで想定以上に時間を取られる可能性があるし、ギリギリの時間に発車するバスに乗れば交通状況が悪化して待ち合わせの時間に間に合わなくなる可能性もある。
余裕をもって行動すべく、金森はテキパキと着付けを進めた。
清川に浴衣を着せ、軽く髪型を弄った後に自分の髪型も整え、浴衣を身に着けた。
「よし! 着付けおしまい! そんで、やっぱり予想よりも時間が掛かったわね。早めに準備して良かったわ。それじゃ、守護者たちがいる一階に行きましょうか」
守護者には明確な性別が存在せず、また保護者という特性を強く持って生まれたためか性欲が存在しない。
また、姿も中性的で性格はどちらかといえば女性的だ。
だが、声だけは明確に男性のものである。
加えて、大抵の人間は相手の性欲の有無にかかわらず性別の異なるものに着替えを見られると不快がるということも理解している。
そのため、守護者は万が一があった時に守護ができるよう、常に清川の近くで待機しているものの、彼女に第二次成長期が訪れた頃から風呂や着替えにはついて行っていなかった。
また、金森や赤崎などの他の人間に対しても同様の対応をとっている。
今回も例にもれず金森の自室から退出していたのだが、ただ廊下で待っているというのもつまらないし、緊張しきりだった博士の様子も気になるということで、守護者は一足先に茶の間へと向かっていた。
「藍、浴衣を着ていると足元がおぼつかなくなるでしょ。ウチの階段は古いし狭いし急だしで、とにかくバリアフリーとは程遠い造形をしているから気を付けてね」
暗く狭い階段でギシギシと音を鳴らしながら先を進む金森が後方の清川を振り返って声をかけた。
しかし、基本的におっちょこちょいなのは金森の方であり、彼女には焦りすぎて博士の階段を転げ落ちたという前科も存在する。
心配した清川が、
「うん、ありがとう。響ちゃんも気を付けてね」
と、眉を下げながら注意をかけた。
だが、これに対し金森は、
「ふふ、私は毎日この階段を使ってるんだから大丈夫よ。朝ね、大慌てで階段を駆け下りて派手に転んで、階段の上から下までをゴロゴロっと転がり落ちる羽目になった時に誓ったの。階段の下りは慎重に、そして手すりをフル活用するってね!」
と、盛大なドヤ顔を浮かべている。
過去の教訓がしっかりと活かされているようで、ガッチリと手すりを掴んでおり、よく見れば足の運びも慎重だ。
その集中具合は階段を下りきった時にフーッと息を吐きだすほどである。
一階に降りた金森が額の汗を拭っていると、不意に茶の間の方から楽しそうな笑い声が聞こえて来た。
弾みまくった声の主は金森の母親だ。
「おまたせー、随分と楽しそうね。どうしたの?」
ガラリと引き戸を開けると、櫛を持った金森母が二人の方を振り返った。
「いやー、あんまりにも可愛くてねー、お母さん、張り切っちゃった。ほら、響たちにも甚平姿を見せてあげて」
モジモジとしたまま正座をしていた博士だが、金森の母に背中を押され、ゆっくりと立ち上がると金森たちの方を振り返った。
そこにいたのは、桃色に頬を染めた花も恥じらう乙女。
紛うこと無き美少女である。
「えっと、どうかな? 似合っているかい?」
甚平と言えば紺色や黒などの大人しい色をしているイメージだが、元の持ち主が金森であるため、博士の着ている甚平は少しオレンジっぽい布地にストライプの柄が入った可愛らしく明るいデザインをしている。
また、長かった髪も丁寧に結い上げられており、所々に小さな花のピンがさされている。
相変わらずソワソワとしており、ほんの少し頬を染めているのも相まって、まるではにかみ屋さんな女の子のように可愛らしかった。
これは金森の母親でなくともテンションが上がってしまう。
可愛い存在が大好きな清川と金森がキラキラと瞳を輝かせて、
「わぁ! 博士さん、すっごく可愛いよ! 似合ってる!! 明るいお洋服が似合うのね。今度、私のお下がりをあげようか」
とか、
「本当ね、凄く可愛いわ。誘拐されないように、ちゃんと見てなくちゃね。ふふ、可愛い。なんか目に映る縁日の商品、全部買ってあげたくなっちゃうような魅力を持ってるわ」
と、口々に褒め称えると、博士はますます恥ずかしくなって赤い顔で俯いた。
モジモジとした口が、
「そんなに似合ってるかな? えっと、だって、その……お下がり、えっと」
とか、
「僕、男だから誘拐されないよ。そんなに実年齢低くないし」
などといった調子で、モソモソと言葉を紡いでいる。
見た目が可愛いのはもちろんの事、その態度や言動が可愛らしくて仕方がない。
金森と清川はすっかり博士にメロメロになっているし、金森母はそんな三人に何故かドヤ顔を浮かべて、
「甚平は着るの簡単だからね。時間が余っちゃったから、ついでに髪を結ってあげたのよ。それにしても、本当に可愛いわね。つるつるのお肌が羨ましいわ~」
と、しきりに頷いていた。
ちなみに守護者が一番控えめで、博士に、
「よくお似合いですよ」
と、微笑んだ後は特に何も言わず、楽しそうな四人を見守っている。
この場にいる生命体の中で最も大人である。
ひとしきりはしゃいだ後、金森母が今度は博士から金森と清川に目を向けた。
「ふふ、二人も浴衣、似合ってるわよ。可愛いわ」
言葉は簡素だが、声には温かな響きが宿っている。
博士の姿を整えたとドヤ顔をする時の声も誇らしげだったが、特に金森に向けられた声には母親として子の成長を喜び、育った姿を誇るような柔らかさがあった。
金森が身に着けているのは黒い浴衣だ。
オレンジの大きな花が所々で咲き誇り、裾の方では金魚がゆるりと泳いでいる優雅で大人っぽいデザインである。
帯は赤で、手には和柄の巾着が握られており、結い上げられた髪には赤い木の実のような飾りのついた簪がさされていた。
スラリとした身体の曲線が浴衣越しに美しく映し出されており、うなじも露出しているため、可愛らしいというよりも色っぽい雰囲気だ。
これに対して、清川の方は白っぽい桃色の浴衣を着ている。
デザインそのものは金森と似ているのだが、大きな花に金魚が泳ぐ金森の浴衣と比べて清川の方は花も金魚も小ぶりだ。
代わりに様々な色合いや柄の花が咲き誇る様子は鮮やかであり、金魚の数も多く、賑やかで可愛らしい雰囲気だ。
帯は紺色で、彼女も金森から借りた和柄の巾着を持っている。
なお、金森は清川の着付けをする時に思っても見なかった強敵と戦う羽目になり、大幅に時間を食ったのだが、その敵の正体とは清川の巨大な胸である。
キュッと帯で締めてしまうと大きな胸がバインとド迫力に飛び出して強調されてしまうため、気太りをしてしまったり、イヤらしい雰囲気になったりしないように調整するのが中々に大変だったのだ。
現在は全体的に愛嬌がある感じでまとめられており、ちまっとしているが可愛らしい雰囲気だ。
また、清川もヘアアレンジを行っている。
彼女は髪が短いため結い上げたりはしていないのだが、代わりに編み込みを入れ、大きな花の飾りがついたヘアピンで彩りを加えていた。
「ふふ、そうでしょう。私も藍も似合ってるでしょう。やっぱり、お祭りの時は浴衣着なきゃね!」
グッと親指を立てる金森の隣で清川がはにかんでいる。
「じゃあ、そろそろ行くわ。色々とありがとうね、お母さん」
改めて母に礼を言うと、金森は三人を引き連れて玄関へ向かう。
茶の間を出る時に博士がドアの陰から体を半分だけ出しながら、
「服と髪、ありがとうございました。あの、大事にします」
と礼を言い、頭を下げると、金森母はキュンと心臓を射抜かれて無事に尊死した。
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