仕込みドラゴン

 森川の喫茶店「喫茶みどりねこ」は気兼ねなくお喋りをして、たっぷりと長居することの出来る、のんびりとした雰囲気が売りの店だ。

 大繁盛とまではいかないが、店の雰囲気を気に入ったらしい複数人の常連客がおり、喫茶店は静かな賑わいをみせている。

 従業員は店主である森川と不定期でバイトに入っている金森の二名だ。

 金森は小学生の頃から森川の手伝いをしているので業務内容を熟知しており、素早く臨機応変に動くことができる。

 また、喫茶みどりねこでは客が自分で注文した品物をカウンターまで取りに行くというルールを課しているため、通常の飲食店に比べると従業員の負担も少なくなる。

 そのため、繁忙期であっても二人で何とか回していたのだが、つい先日、店の模様替えをすることとなり、急遽、力仕事の得意な従業員が必要になった。

 そこで金森は赤崎にバイトの誘いを入れてみることにしたのだが、そうすると彼は、

「よかろう! 先日の借りを返す時だ! 闇に選ばれしナイトの由縁たる漆黒の筋肉とセンスと手際の良さで、あっという間に喫茶店をお洒落でゴージャスな空間に変えてやる! 楽しみにしてろよ!!」

 と、かなり乗り気で引き受けてくれた。

 腹筋が割れていたら格好良い気がする! だって、ロメルドも腹筋割れてたし! と、中二病的な理由で常日頃から体を鍛えている赤崎だ。

 それなりに重量のある物も難なく持ち上げることができる上、意外と真面目な性格をしている彼は丁寧に荷物を運ぶので、家具の角で家具本体や壁などに傷をつけることもない。

 金森と協力してテキパキと模様替えを進めていき、三日かかる予定だった作業を二日で終わらせることができたので、森川も大喜びしていた。

 本来は事前に用意していた給料を渡してバイトを終わりにする予定だったのだが、森川自身がバイトを増やしたがっていたことや、赤崎の方もバイト先を探していたことが関係して、彼は夏休みの間だけバイトを続けることになった。

 そして、この赤崎が原因で、ここ数日間の喫茶店は騒がしく賑わっていた。

「兄ちゃん、兄ちゃん! シューティングブラック見せて!」

「シャイニーホワイトも!」

 四人掛けの席に座った三人の子供たちがキャッキャとはしゃぎ、赤崎のエプロンに期待の眼差しを送る。

 赤崎のエプロンは小学生男子が家庭科の時間に自作したかのようなデザインをしていて、真っ黒い布地に金色のドラゴンと「RYU」という文字が印刷されていた。

 とても、まともな高校生が身に着けるようなエプロンとは思えないが、LEDライトやラメ、スパンコール、ビーズがキラキラと輝かしい彼の私服に比べれば、随分とマシな部類に入る。

 ちなみに以前、金森に、

「エプロンは他の私服に比べると控えめね。いや、別にそれでいいというか、エプロンも相当ではあるというかって感じだけど」

 と、苦笑いで指摘された赤崎は、

「当たり前だろう! 料理にラメやスパンコールが混入してしまったらどうするのだ! 異物混入だぞ! 俺はTPOをわきまえる炎の使い手だからな。キチンと優先事項を分かっているのだ!」

 と、偉そうな口ぶりで憤っていた。

 そんなわけで普段に比べればかなりシンプルな赤崎のエプロンだが、実は一つだけ仕掛けがある。

 小学生男子たちの熱い眼差しを受けると赤崎は得意げな笑みを浮かべ、おもむろにエプロンの内側からポケットに向かって手を突っ込んだ。

「フハハ、良かろう! ほら、シューティングブラックとシャイニーホワイトだ! 怖いだろう! 格好良いだろう!」

 高笑いと共にポケットの内側から姿を現したのは、二体のドラゴンである。

 一体は黒いボディに赤いラメで模様が描かれているドラゴンであり、もう一体は白いボディに金色のスパンコールで模様が描かれているドラゴンだ。

 また、黒いドラゴンには悪魔の羽が、白いドラゴンには天使の翼が生えている。

 その他にもビーズなどの様々な材料でキラキラに飾りつけされており、模様も細かく凝っていた。

 ギザギザの歯や鋭い目もついているので一見するとゴージャスで格好良い雰囲気なのだが、ボディには柔らかな布が使われており、ふわふわな綿も詰め込まれているのでふっくらと丸みがあって、かなり可愛らしい雰囲気だ。

 ドラゴン二体はパペットのように動かせるようになっている。

 そのため赤崎は内側からパタパタと二体を動かして大口を開けさせ、銀のラメで装飾された牙を見せつけさせたり、両手を前に突き出させて「ガオー!!」と威嚇させたりしている。

「わー、可愛い!」

「もちもち!」

「もちドラゴンだ! もちドラゴン!」

 小学生男子といえば、約八割がドラゴンと恐竜を好むのではなかろうか。

 少なくとも彼らはドラゴンの類が大好きだったようで、二体のふっくらモチモチな腹をつついたり、パクパクと開閉する口の中に手を突っ込んだりして遊び始めた。

 金森にはジト目で見られ、

「技術は凄いし可愛いとは思うけど、何でここに仕込んだのよ」

 と、呆れられたドラゴンたちだ。

 喜んでもらえて赤崎的には大満足なのだが、一つ引っ掛かることがある。

「可愛い!? か、格好良いだろう? そうだよな! 金森響!!」

 子供たちにグイグイとぬいぐるみを引っ張られたまま、不安そうにカウンターの方を振り返る。

 金森はメロンソーダの入った細長いグラスの天辺に丸いアイスを乗せ、三人分のクリームソーダを作っているところだった。

「うるっさいわよ、喫茶店で騒がしくしないの! 大きいお兄ちゃんでしょ! 全く……ほら、皆ー、クリームソーダができたよー」

 出来上がったクリームソーダを木製のお盆に乗せ、カウンターの上に置くと子供たちに声を掛ける。

 すると子供たちはドラゴンから手を放し、小走りになってカウンターまでやって来た。

 ギュムッと無遠慮に握られたドラゴンは少しよれている。

 赤崎は、お前たちは格好良いもんなぁ、と慰めながらドラゴンの皺を伸ばして労わり、丁寧に折り畳むとポケットにしまい込んだ。

 赤崎の裁縫技術や工作技術は謎に高い。

 そんな彼に作られたエプロンは工夫の凝らされた優れ物であり、ポケット部分はすっかりペタンコになって膨らみすら消えていた。

 しょぼんと落ち込む赤崎を見て金森が呆れた溜息を溢すと、隣で一連の流れを眺めながらコーヒーを淹れていた森川がクスクスと笑った。

「そういう響ちゃんの声も大きいけどねぇ。いいのよ、今は他にお客さんもいないし、そもそもウチは、お喋りも長居もしていい喫茶店だから。普段のお客さんが物静かな人ばかりだから、静かなイメージになっちゃってるだけよ」

「姉ちゃんが良いなら良いんだけどさ、でも、だからって皆も、あんまり騒ぎ過ぎちゃ駄目よ。クリームソーダを溢したり、お店の物を壊しちゃったりしたら大変だからね」

 おっとりとした森川にも少し呆れつつ、金森はカウンターに集まって来た危なっかしい小学生たちに軽く注意を入れる。

 それから今度は二人分の軽食とコーヒーカップを二つ、それに冷たいミルクの入ったマグカップを一つ、器用にお盆に載せると二人掛けの空席まで運んだ。

 店の備品である薄茶色のエプロンを外すと椅子に引っ掛け、ストンと腰かける。

 身体を捻って後ろを振り返り、

「ほら、赤崎、お姉ちゃんがお昼を作ってくれたから一緒に食べるわよ。午後もキリキリ働くんだから」

 と、未だに切ない雰囲気でポケットの中を見つめる赤崎に声を掛けた。

「あ、ああ。一人で運ばせてしまって悪いな。おお! 今日も豪華な昼食だな、ありがたい!」

 着ている洋服が炎のプリントされた真っ白いノースリーブのシャツだから、食事で汚れがつくことを恐れたのだろうか。

 赤崎の方はエプロンを着用したまま席に座ると、用意された昼食にパッと瞳を輝かせた。

 テーブルの上に並んでいるのはミニサラダとボリューム満点なカツサンド、それにオニオンスープだ。

 お代わり自由のコーヒーもついており、かなり贅沢な食事である。

「お姉ちゃんの作ってくれるご飯は美味しいからね。特にカツサンドは私の大好物なんだ! よく味わって食べなよ~」

 自慢の「お姉ちゃん」を褒められ、金森が嬉しそうにニッと笑う。

 そして、大口を開けてカツサンドにかぶりついた。

 揚げたてサクサクのトンカツが美味しいのは勿論のこと、油とソース、それにマスタードを混ぜ合わせたマヨネーズが良く染み込んだ厚切りの食パンも非常に美味しい。

 みずみずしい千切りキャベツが脂とソースで濃くなった口内をサッパリとリフレッシュさせてくれるから、一口、また一口と飽きることなくカツサンドを食べ進めてしまう。

 互いに無言でカツサンドを頬張り、ミニサラダも完食し、オニオンスープで胃の中を落ち着かせる。

 金森が食後のホットコーヒーを嗜みつつミルクを飲んでいると、同じように食後のコーヒーを味わっていた赤崎が首を傾げた。

「前から思っていたのだが、何故、金森響はホットコーヒーとミルクを同時に飲むのだ? カフェラテではダメなのか?」

 赤崎の素朴な疑問に金森はドギッと心臓を鳴らした。

 小学生の頃から喫茶店に入り浸って森川とお喋りをしていた金森は、よくジュースやミルクを出してもらって飲んでいたのだが、ある日、唐突に大人ぶってブラックコーヒーを試してみたくなった。

 今も昔も思い付きで行動し、あまり後先というものを考えない金森だ。

 すぐに、森川に初心者でも飲みやすい薄めのアメリカンコーヒーを作ってもらったのだが、甘いものが大好きな子供舌の金森ではコーヒーの渋さと苦さを受け止めきれず、悶絶する羽目になった。

 すると、森川がコロコロと笑いながら砂糖のたっぷり入ったミルクを持ってきて飲ませてくれたのだ。

 その日以降、格好つけたい金森はブラックコーヒーを飲みながら甘いミルクを飲むようになった。

 カフェラテを飲めばいい、というのは、ごもっともな意見なのだが当時の金森には到底、受け入れられる選択ではなかったのだ。

『我ながらアホな子供だったわね。でも、私も今では高校生。あの頃と比べれば随分と大人になったわ。ミルクなんてなくても普通にブラックコーヒーを飲めるんじゃないかしら』

 ヒラメキを元にコーヒーだけを一口すすったのだが、舌の付け根に染み込んでくる苦みと渋さに意図せず眉根が寄っていく。

 あからさまに不味い! という表情をしてしまう前に、慌ててミルクを口の中に注いで中和した。

 なお、今の金森にもカフェラテを飲むという選択肢はない。

 あるのはブラックコーヒーのみを飲むか、あるいは現在の飲み方を継続するかの二択である。

 過去の己をアホな子供と評する金森だが、成長したはずの彼女も十分にアホなままだった。

「おい、唐突に無視をするな。流石の俺でも無視は傷つくぞ!」

 ムッと不機嫌な赤崎に声をかけられ、ハッと我に返る。

「ああ、ゴメンゴメン。でも、あれよ、ちょっと実践してみせてたのよ。コーヒーを味わった瞬間にミルクを飲む喜びってやつをね。言うなれば、そう、アレよ、白米とおかずを交互に食べるみたいな。こう、良い食べ方があるのよ」

「コーヒーゼリーを食べる時に、クリームを掬って食べる美味しさ的なやつか? まあ、分からんでもないが。というか、金森響、何か変じゃないか? 相棒たる俺に隠し事か?」

 取り繕うように高い声を出し、早口で言葉を重ねる金森に違和感を持った赤崎がギロッと鋭く彼女を睨む。

 金森の背中をタラ―ッと冷や汗が伝った。

 話せば「いや、普通にカフェラテを飲めよ」と、真顔で返されるに決まっている。

 赤崎に負けず劣らず金森も相当な格好つけで、意地でもブラックコーヒーを飲み続けたいのだ。

 しょうもない意地を元に、アホなコーヒーの飲み方をしているなどとは絶対に知られたくない。

 誤魔化したい金森は少々焦っていた。

「う、うるさいわね。何も隠してないわよ。大体、私は別に相棒じゃないし」

 平静を装うべく、ぶつくさと文句をつけながらミルクをすする。

 赤崎が追撃で言葉を重ねようとするが、その前に背後から、

「そうだぞ、怜。怜特有の言葉で話しても伝わらない。相棒じゃなくて、ちゃんと恋人と言いなさい」

 と、頓珍漢な言葉をかけられた。

 声の主は赤崎の兄である正也だ。

 正也はキッチリとスーツを着込んで、赤崎の後ろで仁王立ちしている。

 表情はもちろん「無」だ。

 急に出現した兄に話しかけられ、赤崎が驚いた勢いのままバッと後ろを振り返る、。

「に、兄さん!? いつの間に!? というか、俺たちは恋人じゃないってば! 清川藍のことは友達だと納得してくれたのに、どうして金森響のことはいつまでも恋人扱いするんだ! 兄さんの脳内はどうなってしまっているんだ」

 抗議の声を上げる赤崎だが、正也は非常に落ち着いた態度で頷くばかりだ。

 金森と出会って以来、彼女のことを頑なに赤崎の恋人扱いしてくる正也だが、さすがの彼も本当は二人が付き合っていないことを知っている。

「言わなきゃ叶わないからな、願いというものは。それに、兄さんは金森響さんを怜の奥さんや義妹として気に入っているから、つい」

 悪いな、と軽く手をあげるものの、表情や声に反省の色が見られない。

 なにより、この言葉も十数回目だ。

「つい、じゃない!! 恋人どころか奥さんにまで進化してるし! というか、なぜ兄さんは此処に現れたのだ? 仕事中だろう?」

「怜、確かに兄さんの会社は社員を馬車馬のように働かせる、休日出勤上等な濃いグレーの会社だが、休憩時間くらいはある。一応、休日という名の休みのようなものもある。そして、これが微妙に黒くなりきらず、法をすり抜けている由縁でもあるんだ。苦しいな……」

「に、兄さん……って、そうじゃなくて、なぜ此処に来たのかと問うたのだ、俺は!」

 呑気な兄弟漫才に自ら終止符を打ち、ギロッと正也を睨むと、彼は平然とした表情で両手を合わせた。

「ああ、兄さん、怜がここで働かせてもらってるって聞いて、挨拶しなくちゃいけないなと思ったから、来たんだ。怜と話していたら楽しくて、忘れかけていたよ。店主はどちらに?」

「姉ちゃんならカウンターの奥にいますよ。今呼ぶんで、カウンターの方に行ってください」

 金森が「おねえちゃーん、お客さんだよー、赤崎のお兄ちゃーん」と、大声でカウンターに向かって呼びかけると、森川が奥の方からひょっこりと姿を現した。

 正也は金森に礼を言うと、スタスタとカウンターの方に向かっていく。

 それからカウンターの外に出て来た森川に丁寧に頭を下げると、上等な菓子折りを渡し、二、三、言葉を交わす。

 そして、それが済むと金森たちの元へ帰って来て、

「仲良く働くんだぞ」

 と声をかけ、あっさりと退店した。

 マイペースで、静かにやりたい放題な正也にドッと疲れた赤崎は大きくため息を吐いて机に突っ伏した。

「全く、兄さんは……唐突に来るから驚いたぞ」

「相変わらずね、赤崎のお兄さんは」

 苦笑いを浮かべ、休息のぬるいコーヒーとミルクを啜っていると、今度は封筒を持った森川が二人の元へとやって来た。

「はい、これ。今日の分のお給料ね。中身を確認して、合ってなかったら私の所に来てね。それと、今日はもう上がって大丈夫よ」

 森川は厚さの同じ封筒を二人に一つずつ渡す。

 金森も赤崎も丁寧に頭を下げて自分の名前が書かれた封筒を受け取った。

「ありがとう、姉ちゃん。でも、流石にちょっと早すぎじゃない? まだお昼過ぎたばっかだし、私、まだ働くよ?」

 普段のバイト終了時刻は夕方の六時であり、現在は二時半といったところだ。

 何事だと首をかしげていると、森川が穏やかに微笑んで首を振った。

「ううん、大丈夫。だって今日は二人とも花火大会に行くんでしょ? 特に響ちゃんは自分で浴衣着るし、お友達の分も着付けしてあげるんだって張り切ってたから。だから、今日は特別なんだ。お祭り、楽しんできてね」

 パチリとウィンクをする森川の粋な計らいに金森の表情がパッと明るくなる。

「うん! ありがとう、姉ちゃん! 写真、いっぱい撮ってくるね。あのさ、姉ちゃんは本当に来ないの? 私、車椅子押すよ?」

 森川は金森の言葉に少し固まり、一瞬だけ躊躇した後、フルリと首を横に振った。

「いいんだ。私、花火は好きだけれど花火大会は苦手なの。人混みは得意じゃないし、それに……ちょっとだけね、苦い思い出があるんだ」

 言い淀んで少しだけ苦笑いを溢した後にポツリと呟く。

 奥底には深い後悔が滲んでいた。

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