後悔混じりの淡い親愛
随分と昔の思い出だ。
小学校高学年くらいの頃、私には、お友達になりたい男の子がいた。
生まれつき両足が動かなかったから、気が付けば車椅子で生活していた。
両足を動かせる子が羨ましくないと言えば嘘になる。
けれど、それを願えば母が泣いてしまうから、私は黙っていた。
「本が好きなんだね」
「手芸が気に入ったのね」
違うよ。
でも、私は頷いていた。
子供は敏感だからね。
大人が思うよりも周りの空気に合わせられるんだよ。
私みたいに周囲の人間の顔色を窺いながら生きてきた子供は、特にね。
車椅子の私を見る奇異の視線には、いつまでも慣れることがなかった。
大人になっても慣れない。
だって「見るな!」とは怒鳴れない。
自意識過剰なのは分かっているから。
だから心を小さくして、大人しく微笑んできた。
言いたいことができたらお腹の底に沈めて、忘れるよう願った。
聞き分けの良い私に安心する大人の顔。
いつまで経っても忘れられない。
暗い性格を大人しい体に詰め込んだ私の子供時代はとても静かだ。
昼も放課後も、図書室の隅っこで本を読んでいた。
そうして過ごしていると、たまに「あの子」がやって来た。
学校で一番の変わり者。
だからといって、突如叫んだり、走り出したりするわけじゃない。
良い意味でも悪い意味でも注目を浴びていた「あの子」は酷く大人びていて、無口で冷たい雰囲気の男の子だ。
でも、図書室で分厚い本を読む「あの子」の瞳はキラキラと輝いていた。
穏やかな横顔に映る知的好奇心の輝き。
それが、とても印象的だった。
図書室に来る時、毎回のように隣に座るから、私は「あの子」が私と友達になりたがっているんじゃないかと思った。
けれど、それは違ったみたいだ。
だって、「あの子」は全然私に話しかけてくれなかったから。
黙々と本を読んではアッサリと何処かへ去ってしまう。
ふと校舎の窓から外を覗くと、「あの子」が熱心に何かのスケッチをしているのが見えた。
後ろ姿が随分と楽しそうだったから、スケッチブックを覗いてみたいと思った。
結局、やらなかったんだけれど。
暇な私は図書室を見回したり、窓の外を覗いてみたりして、ふとした瞬間に「あの子」探すようになっていた。
なんだろう。
特定のアイテムを探して遊ぶ、例の絵本で遊んでいるみたいな、隠れミ○キーを探すみたいな、そんな気分だった。
ダラダラと観察ごっこをして遊んでいる内に、「あの子」は日差しの強い夏の昼にだけ、図書室に遊びに来るんだと気が付いた。
あの日も日差しが強くて、帽子と水筒がなければ軟弱な私は三分で倒れ込んでしまうような、とにかく暑い日だった。
この日、私と「あの子」は少しだけ会話をしたんだ。
「何の本を読んでいるの?」
急に「あの子」が問いかけて来た。
読書をする時と同じ、穏やかで優しい声だ。
私は少しだけ緊張して、震える声を真直ぐにしようとお腹に力を込めながら、
「男の子と女の子の冒険の話だよ」
と、本の表紙を見せた。
すると「あの子」は「そっか」と呟いて、今度は自分が読んでいた本を見せてくれた。
分厚い深海生物の図鑑だった。
美しい生物も載っていたけれど、大抵はグロテスクな造形をした魚やムシばかり。
海も、ハワイのような綺麗な水色じゃなくて生臭くて暗い紺色。
紺というか、もはや黒に近かったかもしれない。
正直な話、興味は引かれなかった。
ついでに、「あの子」が棚から持ってきてテーブルに積んでいた他の本も眺めてみたんだけれど、植物の本とか、物理の本とか、難しそうなものばかり。
学校一の天才と呼ばれるだけはあると思う。
互いにペラペラとページを捲る。
セミの音が鳴り響くだけの、騒がしくて静かな五分が過ぎた。
「君と本の話をするのは難しそうだ」
ポツリと呟くように言われた。
その声には非難じみたものが入り込んでいる。
私は何だか小馬鹿にされた気分がして、ムッと口を尖らせた。
「そうだね。私も、そう思ってたとこだよ」
不機嫌な表情を浮かべる私に、「あの子」は何故か嬉しそうに微笑んでいた。
後になって気が付いた。
あれはきっと、小馬鹿にしたんじゃなくて、私と本の話を出来ないのが本当に寂しかったんだって。
でも、「本の話はできなさそうだね」って感想が同じだったから、「あの子」は喜んだんだって。
もっと早く気が付けば良かったな。
深海魚に興味を示せば、もう少しお喋りできたんじゃないかな。
なんで、大人になってから気が付いたんだろう。
分かってる。
嘆いても、もう遅いんだ。
とにかく、その日からしばらくの間、「あの子」は天気に関係なく図書室に来るようになった。
といっても「あの子」は猫みたいに気まぐれで、急に来なくなったりもするし、相変わらず私に話しかけるわけでもない。
私だって、話しかけてくれたらいいなってモジモジするばかりだった。
それでも「あの子」が側にいると猫と一緒に過ごしているみたいに心が和んで、妙に読書に集中できた。
私は「あの子」のいる図書室が好きだった。
友達になりたかった。
夏休みになっても学校の図書室は解放されていて、私も「あの子」も毎日のように通った。
友達みたいな他人の「あの子」を本物の友達にしたくて、天気予報が熱中症への危険性をしきりに訴えかけるような熱い昼に、私はあえて図書室に向かった。
絶対に「あの子」も図書室に来ると思ったから。
そして、思惑通りに「あの子」がやってきたら、トートバッグに仕込んだ花火大会のチラシを見せて、
「一緒に行こう」
って、誘ってみるつもりだったんだ。
「私は一人じゃいけないから、一緒に来て、車椅子を押してほしいな」
そんな、普段の私ではとても考えられないような図々しいお願いをしようと思っていた。
どうしてか、「あの子」は苦笑いしながら頷いてくれるって信じていたんだ。
今も、お願いをすれば苦笑いを浮かべながら頷いてくれたんじゃないかって思ってる。
でも、結局「あの子」は図書室に来なかった。
お昼を過ぎて、おやつの時間になって、夕方がやって来ても、「あの子」は来なかった。
そして、その日以降「あの子」は図書室に来なくなった。
花火大会が終わっても、夏休みが終わっても。
「あの子」は、町から姿を消してしまった。
そのことを知ったのは夏休み明けの始業式の日で、「あの子」の失踪を告げたのは当時の担任の静かな唇だった。
皆、やたらと騒いでた。
妙に同情する子や事件だと騒ぐ子、都市伝説の話をする子、色々だった。
でも、学期が変わる頃には誰も「あの子」の話はしなくなっていた。
まるで、最初から存在しなかったみたいになって、次第に「あの子」の話をすること自体タブー視されるようになった。
私も、あの日以降、図書室の中にある例のテーブルを視界に入れることができなくなってしまった。
苦しくなって、学校の図書室に行くことすら嫌になった。
それで、公民館に併設された図書館に通うようになった。
今でもたまに、過去のアルバムを振り返らないと「あの子」の存在を信じられなくて、奇妙な夢でも見ていたかのような気分になる時がある。
ねえ、私、もっと早くに話しかければ良かったよ。
あのチラシ、本当はずっと前から持っていたの。
でも、恥ずかしくて誘えなかったのよ。
だって、友達作るの初めてだったからさ。
ねえ、事情は分からないけど、貴方は自分で何処かに行っちゃったんでしょう?
攫われたんじゃなくて、「家出」なんでしょう?
一回しか、まともに喋ったことないけど分かるよ。
私も貴方も寂しい子だったから。
何処かに行きたい子だったから。
分かるんだよ。
分かるのに、声を掛けられなかったんだよ。
ごめんね。
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