温かいハンバーグ
とある昼下がり、清川はワクワクと嬉しそうな笑顔を浮かべてリビングの椅子に座っていた。
五センチも厚みのある本を開いて紙面の文字を追うが、一分と待たずして顔を上げ、チラチラと台所のドアを見つめており、とても読書に集中しているようには思えない。
『もうすぐかな?』
物音を立てぬようにそっと席を立つと、静かに台所の方へ向かった。
慎重にドアノブを回し、ゆっくりと扉を開けて隙間から中を覗き込む。
すると、空中に浮いてテーブルの方を向いていたエプロンと三角巾がくるりと振り返って清川の方を見た。
テーブルの上にはミンチ肉の入ったボウルや何度か汚れを拭きとった布巾、調理動画を再生する清川のスマートフォンなどが置かれている。
また、空中浮遊するエプロンの前には同じく宙に浮く大きなハンバーグのタネがあった。
インターネットに流せば大バズリ間違いなしの怪奇現象を引き起こしているのは、得体のしれない化け物などではない。
清川の能力によって生み出されたマボロシであり、生まれた瞬間から今日まで彼女の心と体を守り続けてきた守護者だ。
長年、名前らしい名前も無かったのだが、金森があだ名のようなノリでつけた「守護者」という名前をいたく気に入り、自分の名前として使用している。
守護者にとって清川は己の子供のような存在だが、彼女にとっても守護者は親のような存在だ。
守護者は清川にとって唯一の気兼ねなく甘えられる存在であり、現実世界では姿を見ることも触れることもできぬ守護者を決して気味悪がることなく、受け入れている。
守護者は自分の声を聞くことが出来ない清川のために髪を二房ほど動かしてメモ帳とペンをとり、サラサラと文字を書き始めた。
『藍、どうしましたか? もしかして、ハンバーグをペチペチしたくなったのですか? 藍、ハンバーグペチペチの動画を熱心に見つめていましたものね』
数日前に二人は「清川が食べてみたい手料理」を探すべく、動画投稿サイトMotiTubeを使って料理動画を視ていた。
肉じゃがにナポリタン、グラタン、回鍋肉と実に様々な料理があったのだが、その中でも特に清川の心を奪ったのがハンバーグだった。
両手の間で肉の塊を往復させ、ハンバーグのタネから空気を抜いているところを清川はキラキラと輝く瞳で楽しそうに見つめていた。
子供っぽい彼女の姿を思い出して穏やかな笑みを溢していると、メモ帳の内容を読んだ清川が顔を赤くしてブンブンと首を横に振った。
「ち、違うよ、守護者さん。そろそろ出来たかなって、気になっちゃっただけなんだ。だって、今日は、作ってもらうって決めたから! ペチペチは、また今度なんだ」
両手で作った拳をギュッと握り込む清川の姿からは、何やら覚悟のようなものを感じる。
やけにアツい清川の様子に守護者は、
『それならばよいのですが』
と書きつつ、コテンと首を傾げた。
「それにしても守護者さん、ハンバーグをペチペチしながらメモも書けるなんて、凄いね! どうやっているの?」
『私の手は翼なので細かい動きには使えませんが、代わりに自由自在に動く髪がありますから。あ! ちゃんと髪をしっかり洗ってから調理を始めたので、ハンバーグは汚くないですよ』
マボロシの多くは基本的に汗を掻かないし排泄もしない。
よって、髪が自らの老廃物で汚れるということもないため、守護者の言う通り、丁寧に洗って埃などの表面に付いた汚れを落とせば髪は素手よりも清潔な状態になる。
さらに二房ほど髪の束を動かし、蛇口を捻ったり液体石鹼の入ったボトルを持ち上げたりして見せれば、清川がクスクスと笑った。
「ふふ、心配してないよ、大丈夫。でも、ありがとうね、守護者さん。ハンバーグ、楽しみにしてるね」
ヒラリと手を振り、清川は再びリビングに戻って行く。
テーブルに座ってワクワクとしながら待っていると、ジューッと肉を焼く音が聞こえ、香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。
ハンバーグを最大限に楽しむために! と、朝食を抜いていた清川の胃袋が刺激され、グゥ~ッと大きな腹の音が鳴る。
口内に唾液が溜まり始めた頃、ガチャリと台所のドアが開き、
「お待たせしました、藍。ハンバーグができましたよ。一緒に食べましょう」
と、ハンバーグの乗った皿を二枚、サラダの小鉢と粉末のコーンスープが入ったマグカップをそれぞれ二つずつ、それに麦茶と氷の入ったグラスも二つずつ持った守護者がリビングに入って来た。
急いで駆け寄って料理の乗った食器類を受け取る暇もなく、次々と料理がテーブルの上に並べられていく。
清川の目の前に置かれた大皿の真ん中にはデミグラスソースがたっぷりと掛かった大きなハンバーグが乗せられており、端の方にはニンジングラッセが三枚ほど添えられている。
目の前で広がる光景に清川はパァッと瞳を輝かせた。
「わあ! 守護者さん、凄い! マジックみたい! それに、ハンバーグが綺麗に焼けてて美味しそう! あ! ニンジングラッセは、お花の形にしてくれたんだ! ありがとう! ねえ、さっそく食べても良い?」
清川、語尾が弾んでいて大興奮である。
今日のためにと購入したナイフとフォークを持ち、ワクワクと問いかける彼女に、対面に座っていた真っ白い鳥のぬいぐるみがコクリと頷いた。
守護者は基本的にメモ帳などを使って文字で意思を伝えている。
しかし、勝手に動くぬいぐるみというメルヘンな存在に清川が喜ぶということもあって、ごく簡単なやり取りの時にのみ白い鳥を使って意思疎通を図っていた。
清川の主な趣味は読書記録をつけることと、ぬいぐるみを集めることだ。
小さな頃からぬいぐるみが好きだった清川だが、例の一件以降、母親から与えられるぬいぐるみの量も増えており、お小遣いをもらうようになってからは自分でも購入するようになっていたため、部屋には相当な数のぬいぐるみが溜まっていた。
その勢いは、所狭しと並べられたぬいぐるみが室内にやって来た者を四方八方からジッと見つめるほどだ。
既に持っているぬいぐるみも大切だが、可愛い子を見つけると、ついお迎えしてしまう。
そのため、いかにしてぬいぐるみを収納しきるかが重要な課題となっていた。
小さい物も合わせると何十個とあるぬいぐるみだが、その中から白い鳥が選ばれたのは単に守護者が鳥に妙な親近感を抱き、気に入ったからだ。
守護者は親近感の理由を、ぬいぐるみと自分との間で共通している真っ白い翼だと思っているが、実際は少し異なる。
守護者が守護者として存在を確立される前、つまり曖昧な自我しか持っていなかった頃、守護者の前身は真っ白い鳥に影響を受けて姿を真似ていた。
自我を確立する前の記憶は全く残っていないが、実際に使用できる翼を持っているわけだし、身体か心のどこかには記憶の欠片が残っているのだろう。
これが、守護者が白い鳥のぬいぐるみを始めとする各種の鳥に妙に親近感を覚える理由だった。
「ありがとう! いただきます!」
丁寧に手を合わせた清川が慣れぬ手つきでハンバーグにナイフを入れ、少し形を崩しながら一口サイズの肉の塊を作る。
そして、底の方に溜まったソースをたっぷりとつけると大きな口で頬張った。
何度も捏ねることで、かなり柔らかくなった肉が口内で解け、コクのある肉汁の甘みとデミグラスソースの酸味が一気に広がる。
噛めば噛むほど旨味が口の中で広がっていき、清川は夢中で咀嚼した。
途中でニンジングラッセを齧って野菜とは思えぬ甘味に目を丸くし、脂っこくなった胃を温かいコーンスープで中和してホッと心を落ち着かせる。
「藍、ちゃんと野菜も食べなくちゃだめですよ」
守護者が鳥のぬいぐるみを使ってサラダの器を揺らすと、清川はハッとした表情になり、慌ててサラダを食べ始めた。
「どうやら料理は美味しかったみたいですね。良かったです。さて、私も食べましょうか。といっても、私には、あまり『美味しい』が分からないのですが」
味覚がないわけではない。
砂糖を舐めれば甘いと感じるし、酢を飲めば酸味に顔を歪める。
だが、守護者はあまり料理に対して関心がなく、今一つ美味しいという感覚を理解できていなかった。
そのため、ハンバーグは特にアレンジなどを加えること無くレシピ通りに調理し、味見では食べられる味であるかのみを確認した。
清川が美味しいと感じる料理を作れる自信が無かった守護者は、彼女が夢中になって料理を頬張る姿にホッと胸を撫で下ろしていた。
一緒に食べようと誘われていたから、守護者も器用にナイフとフォークを使ってハンバーグを口に運ぶ。
『温かいですね。あと、焼いた肉と炒めた玉ねぎの味がします。他にも色々と複雑な味がしますが……やはり、よく分かりませんね。美味しいとは複雑怪奇な感覚です。私たちマボロシに食欲という欲求がないから美味しさを理解できないのでしょうか? ですが、ブラッドナイトさんは食べることがお好きなようですし、う~ん……』
鳥のぬいぐるみをテーブルに乗せ、考え事をしながら黙々と料理を食べ進める。
気が付けば清川よりも先に食べ終わっていた。
「守護者さん、ハンバーグ、凄く美味しかった。あのね、コンビニであっためるハンバーグよりも、お弁当に入っているハンバーグよりも、お店で食べたハンバーグよりも、どんなハンバーグよりも美味しかったよ! 本当に、ありがとう!」
少し遅れて食事を終えた清川が口の端にデミグラスソースを付けたまま、熱心に対面の空間にお礼を言う。
斜め横にいた白い鳥が頷いた。
『それは良かったです。今日からは、できる限り私がご飯を作りましょうか。カップラーメンもコンビニ弁当も美味しいですが、食べ過ぎは健康に良くないようですから。可能な限り、藍が美味しいと思うものを作りますよ。美味しい物を食べながら健やかに生きて欲しいというのが私の願いですから』
清川の口元をウェットティッシュで拭いながらサラサラと紙面に美しい文字を書いていく。
「ありがとう、守護者さん。私、守護者さんのご飯が大好きだから、嬉しい。でもね、一個、相談があるんだ。あのさ、私もご飯を作っても良い? 守護者さんと一緒に料理を作ったり、守護者さんにご飯を作ってあげたりしたいんだ。どう、かな?」
問いかける清川は、どこか不安げだ。
白い鳥の翼がポンと清川の頭を撫で、再びペンがシャカシャカと動く。
『もちろんですよ。藍が料理に興味を示してくださって嬉しいです』
喜ぶ守護者だが、実は清川の言葉が少し意外だった。
清川はインドア派だ。
引っ込み思案で怖がりな彼女は友達も少なかったのだが、眠る瞬間まで一人きりの家では寂しくてつまらなくて仕方がない。
そのため、清川は室内で楽しむことが可能な娯楽ばかりを追求していた。
ゲーム、お絵かき、読書、手芸、時にシックスパックになろうと筋トレにまで励んだ。
テレビばかり見ていた時期もあった。
家事に勤しんで家中をピカピカにした時だってあった。
しかし、そんな清川は「料理」だけはしなかったのだ。
火や刃物を扱うのは危ないから一人きりの時は料理をしてはいけないと注意され、代わりにカップラーメンやカップスープ、白米さえあれば食べられるフリカケやなめ茸が常備されていたのは小学校四年生の頃までだ。
それ以降は母親から料理を解禁され、頼めば材料食らいそろえてもらえる環境にあった。
だが、それにもかかわらず清川は炊飯以上の料理を一切行わず、家庭科の時間以外には原則、包丁もフライパンも握らなかった。
守護者はその様子を見て、単純に清川が料理を嫌っているか関心が全く無いだけだと考えていたが、実際には他者、特に母親のような保護者から作ってもらう、おにぎり以外の手料理に強く憧れていて、
「誰かに自分のための料理を作ってもらうまでは、絶対にお料理をしない!」
と、意地を張っていたからだ。
しかも、決意という名の意地は非常に強く、成人してからも誰かから料理を作ってもらえるまではインスタント食品だけで過ごすつもりだった。
そして時折、
「私は一生、インスタントを食べる人生なのかな? ファミレスにも行こう……」
と、変な方向に落ち込み、就職後のグルメを妄想したりもしていた。
綺麗に焼かれたハンバーグは確かに美味しかったのだが、そんな事情もあって守護者のハンバーグが何よりも美味しく、愛おしく感じられていたのだ。
胃と心の空腹が満たされた清川はホクホクとしていて、心臓の底から元気が湧いてくる。
今ならば大抵のことは何でもできるような気がして、ちょっとした悩み事にも踏ん切りがついた。
「よし! 私、今日はお出かけするんだ! あの子に会いに行かなくちゃ!」
トートバッグに図書館で借りた分厚い本やスマートフォンなどの荷物を入れ、勢い良く肩に引っ掛けると玄関へ向かった。
素早く戸締りを確認した守護者が隣に並ぶ。
そして、二人揃って外へ出た。
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