スーパーマイペースお兄ちゃん
金森や清川の家が石英町の中心付近にあるのとは反対に、赤崎のアパートは石英町の端の方にある。
石英町が、ここ十数年の間に鉱物市の新たな住宅街として開発された町であるということが関係して、そこに並ぶアパートやマンション、住宅は新築であることが多い。
赤崎のアパートも比較的、新しい建物であり、駐車場や駐輪場が完備されていることからも中々に住み心地の良いアパートだった。
また、アパートは三階建てで各階に四つ建物があり、住んでいる住民の年齢は二十から三十代と若者世代が多い。
小、中学生くらいの子供も多く住んでおり、下校の時間になると周囲が彼、彼女らの明るい声で賑やかになる。
赤崎の部屋は一階の角部屋だ。
太陽と羞恥に蒸されて真っ赤になり、すっかり疲れ果てていた赤崎たちだったが、おかげで階段を上らずとも、すぐに家の中に入ることができた。
帰宅した赤崎たちの他には誰も家に居ないのか、室内は薄暗く静まり返っている。
長時間クーラー等がついていなかった室内は蒸し暑いが、それでも太陽に照らされ続ける室外と比べれば天国だ。
赤崎は金森を自室に招き入れると両手に持っていた重たい買い物袋を床に置き、クーラーの電源を入れた。
ピッとリモコンから鳴るスイッチ音から一拍遅れで電源が入り、ゆっくりと機械が動いて冷たい風を送り始める。
「赤崎、取り敢えず荷物はここに置くからね。それにしても、思ったよりも疲れたわね。ふー、風が気持ちいいわー」
金森も赤崎の真似をして床に買い物袋を置くと、グーッと背筋を伸ばし、ついでに冷風にも手を伸ばした。
「悪いな、ここまで運んでもらって。助かったぞ。少し待っていてくれ、今、麦茶を持って来る。そうだな、その辺にあるクッションでも出して座っていてくれ」
「あら、なんか逆に悪いわね。じゃあ、お言葉に甘えて……わ! ありがとう、ブーちゃん。ふふ、ブーちゃんは賢い猫ちゃんね」
赤崎の言葉を聞いてか、ブラッドナイトがクッションをくわえて引きずりながら金森の前へとやって来る。
金森が嬉しそうに顔をほころばせてクッションの上に座れば、少し崩れた正座の上に飛び乗って、どっかりと座り込み、「にゃふん!」とドヤ顔をした。
撫でればくるりと丸まって、通称アンモニャイトの形になりゴロゴロと喉を鳴らす。
猫の体温というものは非常に高い上に、ふわふわモコモコの毛皮を着ているので太ももを中心に体が温まってしまい、非常に暑苦しい。
だが、反対に金森のスベスベひんやりとした太ももで涼をとり、すっかりリラックスしたブラッドナイトを退かすことができず、彼女は、
「仕方がないな」
と、満更でも無く笑って扇風機をつけた。
そして、暇つぶしに赤崎の部屋を眺める。
部屋の広さは四から五畳といったところで、窓際にシングルベッドがあり、その隣には机が置かれている。
木製の机には引き出しや棚などの収納が多く用意されていて機能的だ。
机上にはノートパソコンが一台置かれており、端の方には怪獣やアニメキャラクターのフィギュアがいくつか並んでいる。
また、壁や棚の上など所々にも缶バッジやフィギュア、ポスター、お土産の武器キーホルダーコレクション等が飾られており、部屋は赤崎の趣味がギュッと詰め込まれているという印象だ。
だが、キチンとレイアウトされて作られた部屋であるためか、どことなく統一感があり、ゴチャゴチャとした雑多な雰囲気を感じない。
むしろシンプルで清潔だ。
『なんか、私の部屋の方が物が少ないのに、私の部屋の方が散らかってる気がするわね。なんでかしら? 収納の魅せ方? やっぱり、服を脱ぎ散らかすのが悪いのかしら』
箱に仕舞われているのか、そのまま置かれているだけなのか。
それだけで部屋の美しさは随分と変わってくるのだが、金森には、まだ少し早かったのかもしれない。
ともかく、ついでに収納技術でも学ぼうかと金森は近くにある棚を覗いてみた。
棚の一段目には手芸や造形のための道具や作りかけの作品が綺麗に仕舞われており、残りの二段には丁寧に本が詰め込まれている。
また、金森から少し遠いところにある二つ目の棚も本棚だ。
大量の本の中には教科書や参考書、辞書などもあるが、割合としては都市伝説をまとめた物や妖怪、モンスターの図鑑、鉱物や深海魚、恐竜の図鑑などが多い。
物を丁寧に扱う性格であるためか、多くの本は折り目や開いた形跡などを残しながらも新品に近しい美しさを保っているが、恐竜図鑑や昆虫図鑑は年季が入っている上に少し表紙が破れている。
また、それらには背表紙に「あかざきまさや」と書かれているため、兄弟か親戚から譲り受けた物なのだということが推測できる。
本同士の間には仕切りが入り、オカルト系、ファンタジー系、図鑑系など、ざっくりとした分類ごとに分けられているのだが、その中に大量のノートやファイル、書籍が並べられた部分があった。
仕切りに書かれた「秘匿 研究書」という言葉と、背表紙に書かれた「秘」の文字に興味をそそられた金森が、そっと分厚いファイルを引っ張り出す。
プラスチックの表紙を一枚捲って姿を現したのは、少し前に赤崎から送られてきたPDFと同じような内容の書類だ。
自身の経験や遠足で海に出かけた時に出会った少年、博士から学んだ内容をもとに、マボロシや幻想世界などについて現段階で分かっている事が簡潔にまとめられており、その上で考察したことなども書かれている。
その他にも守護者やブラッドナイトのこと、金森や清川、それに赤崎自身の能力などについても詳しい内容が載っていた。
金森響、とタイトルの打たれたページには、
「金森響は他者及び物体との感覚共有やマボロシへの攻撃、思念のようなものの目視などができ、導き手でもあるが、力が少なすぎるが故に幻想世界でなければ基本的に力の行使ができない。器用貧困」
と、書かれている。
『誰が器用貧困よ! 誰が!!』
イラっとした金森が人差し指でドスッと「器用貧困」の文字を突く。
丁度、このタイミングで赤崎が部屋に帰って来た。
彼は麦茶と氷の入ったコップが三つ並ぶお盆を器用に片手で持っている。
人の本棚を勝手に漁った上に何故かご立腹な様子の金森に始めは呆れていた赤崎だったが、彼女が読んでいるのが自分のファイルであることに気が付くとパッと表情を明るくした。
「ふっふっふっ! まさか俺の研究ノートを覗いてしまうとはな……『秘』の一文字が読めぬわけではあるまいに、好奇心に負けたな! 金森響!! よかろう! 人様の持ち物を勝手に物色し、秘匿を破るという罪を犯してまで深淵を知りたいと望むその気持ち、俺が買ってやろう!! 特別に俺の解説付きで閲覧を許可してやるぞ!!」
個人の歴史が羞恥を帯び、黒歴史へと転じるのは、歴史を生み出した張本人が過去を振り返り、当時の行為や思想を恥じた時だ。
現役の中二病であり、滅茶苦茶な考察やファンタジーマシマシな妄想ノートを書いていた過去の己を、
「当時の俺は、まだまだ青かったな。世界への理解が浅く、不十分な物ばかり書いていた。だが、当時から幸福を噛み締めていたな……」
と、微笑ましく思い、かつ誇りに思っている赤崎は無敵だ。
小学生の頃から書き溜めているノートを古い順に一つ一つ開示されても全く恥ずかしくない。
むしろ嬉しい。
考察の変化や、そのきっかけも併せて語りに語ってしまうくらい嬉しい。
特に、普段からあまりマボロシなどに興味を持たない金森が自主的にファイルを開いてくれたのが、嬉しくて堪らない。
赤崎のテンションは目に見えて爆上がりしていた。
ミニちゃぶ台の上にお盆を置き、満面の笑みを浮かべてスルリと金森の隣に入り込む。
片手は気合の入った握りこぶしを作っており、もう片手ではイソイソとファイルを叩くのだが、金森に、
「うるさい」
と冷酷な言葉を投げかけられ、手ごとバシンとファイルを閉じられてしまった。
まるで二人の間に境界線があって、そこから夏と冬に分けられているかのような残酷な温度差が生じている。
この世は無情だ。
「金森響が覗いた癖に! それはあまりにも横暴が過ぎるというものだぞ! 相棒!!」
天高く上がり切っていたテンションをへし折られ、地面に叩きつけられたためか、あるいは予想以上にファイルを閉じる力が強く、手が痛くなってしまったのか。
赤崎は涙目になって金森に抗議するが、彼女の方はどこ吹く風で、さっさとファイルを元の場所にしまい込んだ。
そしてコップの表面に水滴が浮くほどキンキンに冷えた麦茶を一気に飲み干す。
「ふぁー! うっまい! クーラーも効いてきたし、生き返るわぁ。麦茶ありがとね、赤崎」
コップの中に残る三つ重なった氷をカランコロンと鳴らし、金森はご機嫌な笑みを浮かべている。
これに対し、赤崎はグギギと歯ぎしりをすると、
「どうも!」
と、不満げに麦茶を飲んだ。
本来は少し休憩をしたら真直ぐ帰宅する予定だったのだが、ブラッドナイトと戯れ、部屋の模様替えを手伝い、赤崎とケンカという名のじゃれ合いをしながら彼のオススメのアニメを観ている内に辺りはすっかり暗くなっていた。
「あらら、結構、時間が経ってたのね。最近は夕方でも明るいから、すっかり油断してたわ」
午後七時というには明るい空とスマートフォンに表示される時刻を交互に見比べて、金森は目を丸くした。
「お、本当だ。俺の感覚をも騙すとは、やるな、夏の夕方! 金森響、門限の方は大丈夫か?」
「あー、大丈夫だと思うけど、一応連絡しておこうかな」
シャカシャカと指を動かして画面を操作し、母親にMOTINでメッセージを送っているとコンコンとドアがノックされる。
そして、赤崎が返事をする前にスッとドアが開かれた。
随分な無礼者だが、バーン! と扉が全開に開かれるということは無い。
むしろ人間が一人、通れるか否か程度の隙間が開くと、そこからヌッと這い出てきた手のひらがドアの縁を掴み、ゆっくりと押し開けて室内に侵入してくる。
まるでB級ホラーだ。
室内に半分ほど体をねじ込んだ侵入者の顔面は水滴の滴る前髪で微妙に隠されており、やけに不気味な雰囲気を醸し出している。
初めは「誰だ!?」と身構え、土産物の剣を片手に戦闘態勢に入っていた赤崎だったが、スッと頭が持ち上がり、髪で隠れていた顔面が露わになると呆れた表情になって警戒を解いた。
「なんだ、兄さんか。言いたいことは色々あるが……まず、兄さん、部屋に入る前にノックしてくれるのは良いのだが、少し待たないと意味がないぞ。というか兄さん、完全にくつろぎモードに入っているようだが、いつの間に家に帰って来てたんだ?」
男性、赤崎正也は土産物の剣をポケットに仕舞い直して苦笑いを浮かべる赤崎に特に反応を示すこともなく、無表情のまま完全に体を室内に押し込んだ。
背の高い赤崎よりもさらにスラッと背が高く、赤崎の血縁を思わせる美しい顔立ちをしている。
また、着古した影響で襟がよれ、ガボッと首回りが開いてしまった部屋着を着ており、首にフェイスタオルをかけている。
しっとりと濡れた髪からは水滴が垂れており、それが白く長い首筋を伝って鎖骨に落ちて行くので、なんだか色っぽい雰囲気だ。
「俺は、大体、三十分前くらいに帰って来たんだ。今日は珍しく残業がなかったから。それで、道の駅によって、怜にお土産を買ってきたんだ。それを渡そうと思って怜の部屋の前に来たんだが、何やら、キャッキャウフフな声が聞こえてきて、兄さん、怜は彼女さんとセクシーな事をしているんだと思ったんだ。そんなところに飛び込んだら、兄さん、怜にも怒られてしまうし、気まずいだろ? 回れ右をして、一度シャワーを浴びることにしたんだ」
無表情のまま、変わらぬトーンの声で淡々と言葉を紡ぎ、ワシワシとタオルで頭をかき乱す。
随分とマイペースな性格をしているようで、おもむろにポケットに手を突っ込むと銃身が紫に輝く安っぽい銃のキーホルダーを取り出し、赤崎の手に握らせた。
持ち手の所にドクロがついており、トリガーガードにはトゲトゲとしたメリケンサックの様な凶暴な装飾がついている。
また、ドクロは歯を剥き出しにしてイヤらしく笑っているのだが、綺麗に並ぶ歯は全て金歯だ。
パッと見で浮かぶ感想は一言。
悪趣味。
しかし、赤崎は手の中にある銃に心から感動している。
「おお……流石、兄さん、とてつもなく格好良い武器だ。ありがとう。あ、じゃなくて! 俺と金森響は付き合っていない! 付き合っていないからな!! 今日はこんな事ばっかりだな!」
貰ったキーホルダーをギュッと握り締め、顔を真っ赤にして憤慨する赤崎だが、これに対して正也は至って冷静だ。
「そうなのか。だが、金森響さんが、『キャッ! やめてよ、くすぐったいってばー、もう!!』とか言っていたのが聞こえたんだが。怜、別に隠さなくていい。兄さんは怜が彼女を作ったり、ちょっとイチャついたりしたくらいでは咎めない。一線を守って、楽しい青春を送ろう、怜」
無表情のまま、スッと親指を立てている。
赤崎の脳裏にブラッドナイトと楽しく戯れていた金森の姿がよぎった。
「いや、だから本当に違っ! ブラッドナイトが!」
「ブラッドナイト? 強そうだな……もしかして、金森響さんは怜の不思議な趣味に付き合ってくれているのか? 素敵な人だな。兄さん、怜に理解者がいて嬉しいよ」
赤崎の血縁だが、正也には力が無いためブラッドナイトの姿を見ることができない。
そのため、正也は赤崎の中二病的な行動や発言を変わった趣味と捉えている。
赤崎の趣味を否定するつもりは無いものの、それが原因で周囲から孤立してしまい、寂しがっていることを知っていたので、彼の趣味を認めてくれる者がいるのだと知り、密かに舞い上がっていた。
某女性店員の如く、正也の中でも赤崎と金森が付き合っていることが確定してしまっている。
ブラッドナイトを指差し、大慌てで否定する赤崎も正也の中では彼女とイチャついているところを見られて、
「兄ちゃん! あっちに行っててよ!!」
と、ガチギレする思春期のかわいい子供である。
大人の余裕を見せつけるかのように大仰に頷く彼と赤崎では会話がかみ合わない。
埒が明かないと感じた金森は、
「あー、そうですね。赤崎の彼女じゃないですけど、彼とは一応ともだ……知り合いなので一緒にゲーム? してたんですよ」
と、否定を織り交ぜつつザックリと話を合わせた。
冷静な金森の態度に正也はひとまず誤解を解いたようなのだが、今度はスッとスマートフォンを取り出し、
「ところで、金森響さんはまだ家に居るのか? うちでご飯食べていくなら、兄さん、出前を取るぞ。寿司、ハンバーグ、フライドチキン、ケーキ。全部でも大丈夫だ。兄さん、お仕事が忙しくて、生活費とか以外にお金を使っていないから。さあ、どれがいい?」
と、注文を取る構えに入った。
既にデリバリーサービスの飲食店のサイトが開かれており、から揚げやエビフライが並ぶオードブルセットを購入しようとしていた。
相変わらず正也の表情は無だが、長年、彼と兄弟として生きてきた赤崎は気が付いている。
正也のテンションがかつてないほどまでに爆上がりし、ただでさえマイペースで軌道修正が難しい彼が大暴走を引き起こしているのだということを。
「何故そのようなパーティー状態になっているのだ!? い、要らん! 要らんからな!! 仲間を連れてきたくらいではしゃがないでくれ! それに、金森響は母親がご飯を作ってくれているから、そろそろ帰るところなのだ」
パシィッと素早く正也のスマートフォンを奪い、サイトを強制的に閉じて返すと正也は心持ち寂しそうに視線を落とした。
「そうか……金森響さんの家は遠いのか?」
「え!? あ、ああ、まあ、ボチボチですね。でも、バスを使えばすぐですよ。えーっと、次のバスは何時に出るのかな……っと」
急に話を振られた金森は驚いて肩をビクッと跳ね上げると、苦笑いでスマートフォンを操作し始めた。
どうやらバスは一分前に出たばかりで、次のバスが来るまでには少し時間が空く。
キリの良い時間になるまで家に滞在させてもらえるよう頼むか迷っていると、正也も無表情なまま顎に手を当て、何事か考え始めた。
「バスか、懐かしいな。俺も昔はよく使っていた。バスは、便利だ……でも、女の子の一人歩きは危ないな。よければ俺が送って行ってあげよう」
「え!? あ、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる金森に正也はゆっくりと頷いている。
どうやら正也、部屋着のまま出発するつもりらしい。
車のカギを指先でクルクルと回す兄にツッコミを入れるべきか。
見知らぬ他人と二人きりでは気まずいだろうから、自分もついて行くべきなのか。
迷った赤崎は何とも声を掛けられずにモジモジとしている。
「どうした、怜、モゾモゾして。おトイレは我慢するものじゃないぞ。あ、もしかして金森響さんと離れたくないのか? 大好きなんだな。ついて来てもいいぞ」
「はぁ!? 誰が!! というか、兄さんはいい加減、金森響を彼女扱いするのを止めてくれ。まったく、俺はついて行かんぞ! 家で晩御飯を作る」
どうやら拗ねてしまったらしく、赤崎は腕を組んでプイッと顔を背けている。
己を睨む赤崎の視線をものともせず、正也は玄関へ向かって歩いていたのだが、不意にクルリと振り返った。
「怜、晩御飯は何だ?」
「……麻婆豆腐だ。いいから早く金森響を送ってやってくれ」
呆れてため息を吐き、額に手を当てる赤崎に正也はマイペースに頷いていた。
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