悪性マボロシ

 金森はテキパキと着替えを済ませると丁寧に日焼け止めを塗り、軽く化粧をして家を出た。

 室内はクーラー天国だが室外は熱気地獄だ。

 太陽がギラギラと照っている上に湿度も高いので蒸し暑く、立っているだけで汗が噴き出した。

 手に持っている小型の扇風機では、とても太刀打ちできそうにない。

 金森の脳裏に、夏場に少しだけ流行る一人用の焼き肉グリルがよぎった。

 気分は網の上でジリジリと焼かれるバーベキューの肉だ。

『分かってたけど、本当に暑いわね! でも、暑いと分かってても家にいると外にいきたくなっちゃうのよね……』

 少しでも涼しいところに行きたい。

 その一心でアスファルトを踏みしめ、クーラーの効いているだろうバスに飛び乗った。

 残念ながらクーラーの冷たい空気は大勢の客によって温められ、ぬるくなっていたが、それでも外よりはずっとマシだ。

 太陽光を遮る天井だってありがたい。

 車内の環境に癒されている内と、あっという間にバスが赤崎との待ち合わせ場所であるMOTIタウンの最寄りのバス停へと到着した。

 MOTIタウンは、金森たちの住む石英町の隣にある翡翠町の大型ショッピングセンターだ。

 普段、金森たちが利用しているキラキラマートとは異なる種類の店舗が多く存在していて、ホームセンターやペットショップ、家具屋やゲームセンター、可愛らしい雰囲気の雑貨店などがある。

 本日、買う予定となっているものがペット用品や雑貨であるからMOTIタウンにしたわけなのだが、実はこの店、金森や清川の家からは少し遠いが、赤崎の家からは結構近い。

 そのため、赤崎は自転車を利用して金森よりも一足先にMOTIタウンに到着しており、バス停で彼女が到着するのを待って来た。

 上手いこと街路樹の木陰に入り込んで不安そうにバスを見守っていた赤崎だったが、金森が降車したのを確認すると嬉しそうに手を上げ、大股で歩み寄って来た。

「急に悪いな、金森響。だが、助かった。流石は俺たちの相棒だな。頼りになる。ブラッドナイトも礼を言っているぞ」

 赤崎の肩の上では、ブラッドナイトが嬉しそうに「うにゃーん」と鳴いている。

 キラキラと輝く丸い瞳と愛らしく鳴く高い声にすっかりと魅了されてしまい、金森はデレッと表情を崩してブラッドナイトの額を撫でた。

 ブラッドナイトは甘えん坊な性格をしているため、わりと誰にでも懐くが、金森のことは特に気に入っており、自分たちの仲間だと思っている。

 そのため、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし、ガッツリと甘えだした。

 今日も肩の上で寝転がって腹を出し、うねるという器用さと謎のバランス感覚の良さを見せつけている。

「相変わらず可愛いわね、ブーちゃん。ふふ、今日はブーちゃんのお買い物だもんね。せっかくだから、素敵な物を買おうね」

 男性の肩よりも少し上の空間を満面の笑みで撫でまわす女性、金森響。

 周囲から見ると微妙に狂気的な行動をとってしまっている金森だが、悲しいことに本人や赤崎はそのことに気がついていなかった。

 金森は赤崎と関りを持ち始めて以降、ほんの少しだけ周囲から浮き始めている。

 まあ、積極的に赤崎と関わっている時点でどうしても周囲からは浮いてしまうし、金森本人がそのことを大して気にしていないので良いのかもしれないが。

「金森響、お前、やたらとブラッドナイトに対しては甘いよな。いや、清川藍にも優しいから、金森響が厳しいのは俺だ……んん! と、ともかくだな、少ないが、これは報酬だ。暑い中、ご苦労!」

 定期的に気が付いてしまう悲しい真実を今日も今日とて咳払いで誤魔化し、赤崎はパンパンになった肩掛けバッグからペットボトルの飲み物を一本取り出した。

 ちなみに、肩掛けバッグには真っ赤なビーズでドラゴンが描かれており、それ以外の布地は全て黒いビーズで埋め尽くされている。

 小学校高学年の男子が好みそうなデザインをギャル風に再現したバッグはダサいだけでなくビカビカと輝いており、非常にやかましい。

 正に赤崎の好みといった様子だ。

 私服ですら作り出す赤崎だ。

 このバッグも、おそらく彼の自作品だろう。

「おおー、ありがとう。ちょうど喉乾いてたのよね。私が結構好きなやつだし」

「そうだろう。金森響がよく飲んでる印象があったからな。闇の勘は当たっていたか」

 勘というよりも日常的な観察の賜物だろう。

 何でもかんでも「闇」とつければいいものではない。

 実は中二病としての行動がガバい赤崎は、割と適当に「闇」「炎」「錬金術」などといった言葉を多用する。

「闇の勘? まあ、いいけど。ありがとねー。ふうー!! 生き返るわ!! 赤崎は何も飲まなくて平気? 制服で来いって言ったのは私だけどさ、なにも学ランまで羽織ってこなくてもよかったのに」

 金森はバチバチとした刺激が楽しい炭酸ジュースで一気に喉を潤すと、赤崎の姿に目をやった。

 赤崎は学校指定のワイシャツとズボンを身に着け、更に制服ではない学ランまで肩に引っ掛けている。

 真っ黒な学ランが効率よく日光を集め、保温することだろう。

 また、両手両足にはいつもの包帯を巻いており、季節外れのロングブーツまで履いていて非常に暑苦しい姿をしている。

 当人どころか赤崎を見ている金森すら、なんだか暑苦しくなってしまう。

 このイタくてダサい、百害あって一利なし! な格好こそが、高校での赤崎の制服姿であり、このままでも十分に人目を引いてしまうだろう。

 しかし、赤崎の私服の酷さは制服の比ではない。

 隙あらば衣服にデカデカとしたドラゴンを描き、太陽光やLEDライトを、ラメにスパンコールを駆使して可能な限り光り輝こうとする男だ。

 私服の暴走機関車を一人では受け止めきれなかったため、金森は事前に赤崎に制服で来るよう注文していたのだった。

 なお、一人だけ制服というのも気まずいかと思い、金森も制服を身に着けている。

「やはり、これがないと格好がつかないからな。闇に選ばれている以上、漆黒を身につけなければ礼節に反する。それにな、ブラッドナイトのおかげで上着がずり落ちなくなったのだ! ありがたいな!! お! あんなところに野生の悪性マボロシが!」

 赤崎は胸ポケットから土産物屋でよく売っている剣のキーホルダーを取り出すと、器用に柄を持って素早く電柱とアスファルトの境の辺りを突き刺した。

 はた目から見ると非常に短い木の棒で電柱の生え際に悪戯をしている危険な男性だ。

 あまり関わりたくはない。

 一発で悪性マボロシを仕留められたらしい赤崎は、得意げな表情を浮かべて金森の隣に帰って来た。

「いつも思うけど、悪性とかって、どうやって決めてるの? それに今回のは強かったってことなのかもしれないけれど、私の目には見えなかったし。たまに見えても黒いモヤとかにしか見えないのよね」

「モヤ? ああ、俺とお前とでは見える範囲が異なるからな。俺には体中に棘の生えた丸い泥の塊みたいなマボロシが、デロリデロリと周囲から釘をかき集めて、そーっと道路の方に転がそうとしているように見えたな。悪性は基本的に見た目が汚く、知能がないわりに周囲に攻撃的だから、見ればすぐに分かるぞ」

 悪性マボロシの行動は一見するとせこいが、下手をすると死人が出るほどの大事故にまで発展する危険な行為だ。

 想像以上に悪質なマボロシに、金森の背にゾクッと怖気が走った。

「そう言えば、漫画とかでよく見る都市伝説がもとで生まれたマボロシとかっていないの?」

 全てではないが、多くのマボロシは一人、または複数人の感情や願いによって生まれ、それに基づく行動をとらなければ消えてしまう儚い存在だ。

 そうであるならば、複数人の噂が元となっている都市伝説からマボロシが生まれていても不思議ではない。

 珍しく冴えた金森の発言に、赤崎は「う~む」と口元に手を当てて眉間に皺を寄せた。

「あー、どうなんだろうな。俺は見たことがないが、マボロシの発生条件を考えると全くあり得ないということもないのか? いるのならば是非! この眼で見てみたいが。そして、闇に選ばれしナイトたる俺が、世の平和のためにも退治してやろう」

 キーホルダーの輪に人差し指を入れてクルクルと回し、楽しそうに高笑いをしている。

 頭の中では楽しい妄想が花開いているようで、中々キーホルダーを仕舞わない。

 無駄に高身長で顔の良い男性のよく通るイケメンボイスは周囲の関心を一気に集めるようだ。

 道行く人々が赤崎と金森の姿を交互にチラチラと見てくる。

 いたたまれなくなった金森は無言で赤崎から距離をとった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る