5,どこにも行けない

 本を読み終わった三澤は、内容について佐伯と語り合った。そうしているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。

 

「ちょっと、買い物行ってくる」


 そう言い三澤は、家を後にする。

 ――今回は確認だけだ。とっとと済ませて家に帰ろう。

 バイト先のファミレスまで歩き、たどり着くと同時に引き返す。

 時間はほぼ昨日と同じ。ここから家までの間で、三澤は木原と出会うはずだ。

 

「……居ない」


 ――こうなると、木原さんも今日が2度目だと断定してもいいぐらいだ。

 一応、他の可能性としては、今日が2度目の誰かに連れ出されたという可能性もあるが、その可能性は限りなく低い。

 俺が繰り返しに巻き込まれた以上、原因となった人物は俺とかかわりのある人物のはずだが、俺と木原さんに共通の知り合いは居ない。

 

「……決まりだ」

「? 決まりって?」

「夕飯だよ」


 言いながら、三澤は野菜を切る。

 結局、三澤は買い物には行かなかったが、冷蔵庫の中身だけで、何とか今日は事足りる。

 夕食を終えると、二人ははゲームを始めた。

 三澤は佐伯と遊ぶとき以外にはゲームは触らないのだが、その頻度が高い。こうも頻繁に遊んでいると、ずいぶんと上達してしまった。今の勝率は3割ほどだ。


「……アイス、食べたい」


 どれぐらい時間が経っただろうか、気分転換を兼ねて、三澤はお使いを引き受けた。

 空を見上げる。

 月も星も、空には映らない。

 雲に塞がれた浅い空。光の届かない町は深い闇に包まれている。


 ——と、いっても、町は街灯に照らされている。歩く分には何の支障もない。

 人間は夜を克服したのだろうか。闇への恐怖は未知への恐怖だ。ここではまだ光が目立つほど暗いが、都会は一面光で溢れているのだろう。だとすると、何を恐れる必要もないかもしれない。

 否。

 そもそも、夜は人間の時間ではない。いくら明るくなろうと、人間が強くなったわけじゃない。

 俺はそれを知っている。未知からくる恐怖ではなく、もっと具体的なもの。

 恐怖はない。死なないから。

 なら俺は……どんなことを、感じているのだろう。


「……うーん、やっぱ、難しいな」


 結局、思考はどこにも行きつかなかった。

 三澤は目的のない思考というものが苦手だった。何度試しても、どこにも行きつくことはない。

 

「——あれ?」


 気付けば、三澤はずいぶんと遠くまで歩いて来ていた。

 近場のコンビニに行こうと思っていたのだが、スーパーまで歩いてきてしまった。

 値段的には、こっちのほうがいいのだが、家に帰るまでにアイスが溶けてしまう。

 三澤はアイスを2つ買い、店の外に出る。

 ――少し走ろうか。

 少年は硬い地面を蹴る。塀を飛び越え、他人の敷地を跨ぎながらの、最短距離の疾走。

 夜中だからこそできることだ。

 塀の上を走り、家の間をすり抜ける。

 視界が開け、小さな道に出る。


「————」

 

 三澤は目を丸くした。

 目の前には人が立っている。

 ――それだけじゃ驚かない。

 目の前の彼女は三澤の知人だ。

 ――驚くことでもない。同じ町に住んでいるのは、知っていることなんだから。

 目の前の彼女/木原は、服に赤い染みを作って、そこに立ち尽くしていた。


「……ちょっと、待て」


 ――木原さんと出会うのはいい。おそらく繰り返しの原因である彼女には接触しておくべきだ。

 ——だが、これは。


「……木原さん。——木原さん!」


 木原さんの正面に立ち、三澤は強く呼びかける。

 彼女は虚ろでありながら、はっきりとした表情でそこに立ち尽くしている。


「…………三澤、さん?」


 木原の虚ろな目が見開かれる。その表情からは、明確な恐怖を連想させられた。


「い、——嫌」


 赤く濡れた彼女はは振り返りながら、一目散に駆け出した。

 

「——待った」


 遅い。

 単純な男女差とか、身体能力の差だとか、それ以前。

 木原は、走り方すらままなっていない。健康男児である三澤が追いつくのには1秒もかからなかった。


「落ち着いて、木原さん。俺です」


 三澤は穏やな顔と声色で話す。。

 ――馬鹿か、俺は。

 彼女は俺の名前を口にしていた。血の付いた服、怪我一つない体。

 間違いなく、彼女は生き物を殺している。

 だからこそ、俺には、普通の人間には、見られたくない。


「捕まえようなんて気はありません。……ただ、そのままだと、危ないですよ」


 三澤は優しい声色で語り掛ける。

 血を浴びたまま夜に出歩くなんて、危険極まりない。


「……」

「とりあえず帰って、着替えないと」

「……帰れませんよ」


 木原は小さく、弱弱しく、そう呟く。


「……どうして?」

「……」


 沈黙が辺りを包む。


「やっぱ、心配ですよ。そんな死にそうな顔して」


 三澤は暖かな微笑みを浮かべる。彼女にとってはその温かさが痛いほど沁みることには気づかずに。


「……だめです」

「……アイス、食べますか?」


 俯く彼女はは無言のまま、首を振る。


「甘いもの、苦手でしたか?」


 首を横に振る。


「じゃあ、食べてください。元気出ますよ」

「…………食べられません」

「だめです。食べてもらいますから」


 ――元気を出すには、おいしいものを食べて、良く寝るのが一番。そう誰かが言っていた。

 三澤は袋からチョコレートアイスを取り出し、木原の方に突き出す。

 木原はそれに恐る恐る、確かめるように手を伸ばした。

 一瞬、触れあった指が、木原にとって、とても冷たかった。

 物理的な冷たさ。まるで氷でも触っているかのような。

 木原はその冷たさに、心から安心した。

 木原はアイスを口に運ぶ。

 

「……私、もう、だめなんです」


 その声に震えは無かった。

 三澤は隣に座る木原から目を逸らし、空を見上げる。


「私、……許されないことを、したんです」


 精一杯の、絞り出すような告白だった。


「許されないことなんて、ないと思いますよ」


 三澤は平坦な口調でそう語る。


「悔めるなら、償えると思います。誰かから許されなかったとしても、きっと誰かは許してくれる。そういうものだと、思います」


 思考の結論点は見えている。それはいつか、佐伯が話した言葉だった。三澤はそこまでの道筋を作るだけ。


「罪の反対は許し。……まあ、俺の言葉じゃないんですけど」


 意味のない言葉だったかもしれない。三澤にとって、言いたい言葉でもなかった。だが彼は、そうしたかった。目の前で蹲る誰かを、助けてやりたかった。


「きっと、いつか」


 そう言い終えた瞬間、視界が闇に包まれる。


 ——目を開けると、俺は自分の部屋で、本を片手に座っていた。

 時刻は12時、日付の切り替わるタイミング。


「……時間切れか」


 まあいい。やることは決まったんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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