第24話 日本神話の信憑性
世界にたくさん存在する神話。はるか昔、人類誕生と共にそれを見守って来た神々の存在をうたってきました。なかには人類の未来に警鐘を鳴らしているような物語さえあります。そんな中で日本は『神の国』として、建国された時代から“神である天皇が治める国”として続いてきました。実際、日本には神様を大切にお祀りしている神社が数多く存在しています。そこで日本にどのような神がおられたのか興味が沸き上がり、正史と呼ばれている記紀の研究解説書や地方の風土記を含めた歴史書の類、それに“偽書”と呼ばれてしまっているものなども含めながら読み漁り、ネットもフルに活用して自分なりに解釈を試みたのです。結論としては、その時代に行って自分の目で実際に見てきたわけではありませんので、果たして何が、どれが“真実”なのかはっきりとした判断が出来ませんでした。言うなれば当然の結果と思います。何千年も前の出来事など過去にワープでもしない限りは誰にも知る由はないのです。時間を掛け自分なりに追いかけて調べ導き出した結論を含めて、日本神話の信憑性を今一度考察してみたのです。
その前に個人的に驚嘆させられた精査性の高い中国歴史書について調べてみました。一説には聖君五帝の一人である顓頊(せんぎょく)が本来の先祖らしいですが、通説では紀元前316年以上前の秦代から続いた司馬錯(しば さく)が祖とされている司馬一族の子孫で前漢時代に太子令(たいしれい)であり歴史にも関わっていた父・司馬談(しば たん)の後を継いで史官となった司馬遷(しば せん)が長い年月を掛け、当時残存していたあらゆる歴史資料を集めて編纂した正史の第一と言わしめた歴史書の『史記』を完成させています。
内容は現代では神話扱いされている三皇五帝の時代を始めとして前漢の武帝までの二千数百年に渡る歴史が描かれています。司馬遷の力の入れようは疑問が生じると、事実確認のため地方に足を運んでまで歴史の検証をしていたそうです。古代中国を描いたドラマや映画がリアルなのは多少の演出が入ったとしても、そのほとんどはきちんと歴史書に沿って制作されているためです。
春秋時代、『崔杼弑君(さいちょ しくん)』という話がありました。斉の国君主の荘公(そうこう)が重鎮である崔杼(さいちょ)の後妻を気に入り、関係して何度も通って来ることに腹を立てた崔杼はあろうことか兵を使って主君を殺害、その事実を史官である太史が斉国の歴史書に記載したため、太史をも殺害、さらに太史の弟が記載したため弟も殺害、それでも事実を隠すことなく三人目の弟が記載したためやっと殺すのをあきらめたという。その頃、太史兄弟が殺されたと聞きつけた別の史官が『崔杼其の君を弑(しい)す』(=殺す)と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実はきちんと記録されたと聞いてそれを持ち帰ったという話です。相手が重鎮であろうが何であろうが事実は事実として記録を残す、命がけで職務を遂行してきた史官たちが中国の真の歴史を支えてきました。弱肉強食の世の中、長いものに巻かれることなく責務を全うしてきた姿勢は見習わなくてはなりません。
それに比べて“勝者や強者の歴史”が当たり前になっている国…例えば日本の歴史書の場合、飛鳥時代以前のお話はどうにも胡散臭いというかきな臭いという印象を受けてしまいます。奈良時代に編纂されて712年に献上された『古事記』と720年に献上された『日本書紀』の二つは、国内に存在する最も古い記録であり、皇紀を軸として編纂されているため日本の正史として扱われてきました。どちらも天地開闢(かいびゃく)と神代から始まり、『古事記』は第33代推古天皇まで、『日本書紀』は第41代持統天皇までが描かれています。古事記は古来からの伝統を重んじてきた天皇家の歴史書であり、日本書紀は中国や他国を意識して編纂された対外要素をもった国家の歴史書といえるものです。
どちらも天地開闢後の神の系図を意識して編纂されていますが、それぞれ登場する神々に食い違いが生じているのです。つまり編纂している時点でどちらかになんらかの『強い力』が働き、それに対する『保身』や『媚びる』気持ちが働いてしまったのでしょうか…嘘に嘘を重ねると最後には収拾がつかなくなるように、顔色をうかがいながら無難に無難につじつまを合わせようと、存在しなかった神様をいたように、または入れ替えをしたりなどで編纂した結果、双方の歴史書に登場する神々に差異が生じることになったと思われます。当時の中国を意識した割には残念な結果を生んでしまったといえるでしょう。もっとも歴史書が1冊しか残っていなければ食い違いは生じていなかったとも考えられますが…。
その歴史書の編纂に携わった者が何かの意図に基づき書き変えてしまった神々を
含め、日本は八百万神(やおよろずのかみ…たくさんのたとえ)というほどおおぜいの神々が関わったため、歴史書から神名自体はずされてしまった神々がたくさんおられます。
そのほかで酷い例として男性神であるにも関わらず女性神にされてしまった神々がおられます。まず蛭子神(ひるこのかみ)、金屋子神(かなやのかみ)、神名に“子”がついていたためなのか分かりませんが、二神とも男性神でした。また、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)、菊理媛尊(くくりひめのみこと)、浄河姫命(きよかわひめのみこと)のように“ひめ”がつけられてしまった神と、女性神扱いを受けている保食神(うけもちのかみ)などの四神も歴とした男性神でした。
また、数を増やされてしまった神もおられます。宗像三女神の市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、田心比売命(たごころひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)は本来、宗像二女神が正しく、いろいろ調べたところ多岐都比売命の存在はありませんでした。さらに住吉三神と呼ばれた上筒之男命(うわつつおのみこと)、中筒之男命(なかつつおのみこと)、底筒之男命(そこつつおのみこと)は本来、上筒之男命の一神のみであり、こちらもいろいろと調べたところ中筒之男命と底筒之男命の存在はありませんでした。
神の頂点であり皇祖神(こうそしん)とされている女性神の天照大御神(あまてらすのおおみかみ)はそのモデルとなった男性神がおります。多くの呼び名を持ち、その中の『天照御魂神(あまてるたまのかみ)』や『天照皇御魂大神(あまてらすすめみたまのおおかみ)』が元になったと考えられます。
そしてその男性神こそがまたの名を『大物主神(おおものぬしのかみ)』とも呼ばれた『饒速日命(にぎはやひのみこと)』と想定するに至りました。
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