創られし身体

皮膚のない両足、筋肉が再生しきれていない左腕、そして肩の根元から失われたままの右腕。

凄惨な姿を見せる狭也は、それでも穏やかな表情を見せていた。


「今から十年前、私のさとは鬼に滅ばされたの。」


狭也の口から、静かに語られて行く。


「私は、退魔師の一族で、子供から大人まで皆、『鬼』と戦っていた。」

「オニ…?」


聞き覚えのない言葉に、誰かが呟く。


「ん? えっと…、ちょっとニュアンスは違うけど、こっちの言葉で言えば悪魔? でも、この世界に生きている事を考えると、亜人族に近い魔族って感じかな?」


狭也は、皮膚のない左手の人差し指を頬に当てて、考えながら答えた。


古来より龍皇国に棲み、事ある毎に圧倒的な力で以って、破壊と殺戮を繰り返す存在。

人語を解し、策を弄す程の高度な知能を持つ。

基本、単独行動だが、徒党を組み、組織立って行動することもある危険な存在。

見上げれば山の如く巨大な体躯を持ち、大木のよりも太い腕を一振りすれば暴風を生み出す。

鬼神として神にも例えられる厄災。

それが『鬼』だった。


言葉を失い茫然としていたニケだが、一度、目を閉じると、静かに狭也に向けて歩き出した。


「ニケ、何をして…。」


巫女長は、ニケを留めようと彼女の肩を掴もうとするが、まるで重石を載せられた様に腕を動かす事が出来なかった。

視線に気が付き狭也の方を見ると、右肩に座っている【蒼姫そうき】と呼ばれた水色の精霊が、巫女長を睨み付けていた。

それはまるで-邪魔をするな。-と言わんばかりに。


「ニケさん?」


近付いて来るニケに、狭也は首を傾げた。

狭也の前まで来ると、少し身を屈め、狭也の未だボロボロの左手を両手で包み込んだ。


「…痛くは、ないのですか?」


ニケの問い掛けに、狭也は微笑んで答える。


「【蒼姫】の治癒術のお陰で痛くは無いよ。血も出てないでしょ?」


確かに狭也の身体を見ると、何処にも血痕どころか、血の滲みすら見当たらない。

左手を包み込むニケの手にも、一滴の血も付いていなかった。


「それに痛かったら、普段からこんなに動けてないよ。」


ニケは、ミーナ達と違い、まだ狭也の戦闘時の動きを見た事がない。

見た目だけで言うなら、どう考えても、激痛に襲われていてもおかしくなった。

狭也は、心配気な表情で、左手を包み込むニケの右手の甲にキスをした。


「心配してくれて、ありがとう。」


狭也の突然の行為に、ニケは少し驚いた表情を見せるも、柔らかく微笑むと、狭也の左手の甲にキスを返した。


「私の治癒でも、貴女を癒すことはできないのでしょうね。あの時の“女神に救済”の光でも、癒されてはいないのですから…。」


“女神の救済”は、ニケの力に呼応し、その力を得た【蒼姫】が引き起こした現象。

範囲内に居る魔を滅ぼし、全ての者を癒した、究極と言っても良いだろう力の奔流。


「そうだね。この身体はね、【蒼姫】がでね、完全に癒えるまでは、この娘の力以外は受付けないの。」


“女神の救済”は、攻撃は【蒼姫】の力が、癒しは【蒼姫】によって増幅されたニケの力が作用した賜物だった。

その為、癒しの力はニケのもので、狭也に効果をもたらす事は無かった。


「この身体が成長を止めているのもね、治癒の為なんだよ。」


狭也の身体は、十年前の八歳のままで成長が止まっている。

長期に渡る治癒の途中で成長してしまうと、骨格が歪み、筋組織や神経等にも歪みが生じてしまう。

そうなると、狭也は、生活すらまともに送れなくなってしまう。

それを防ぐ為、【蒼姫】により、成長が止められていた。

そして、余計な悪影響を少しでも与えない為にと、姉の手により、状態異常阻害の結界が張られた。


狭也は、ニケの手の温もりを感じながら、一度、全員を見回した。


-狭也、いい加減、身体を元にもどそうよ。-


話を続けようとする狭也の頬を、【蒼姫】がぺちぺちと叩いた。

その表情は少し怒っているようで、眉が吊り上っている。


-ちゃんと契約をする前から、死なれちゃこまるからね。-


狭也は【蒼姫】に選ばれては居るものの、まだ正しく契約を結んでは居ない。

【龍牙の精霊】が宿る武器の全力を発揮するには、その精霊との契約が必要だった。

契約を結ぶことで、お互いの力の流れをスムーズなものにし、武器の力を最大限に引き出す事が出来るのである。

狭也を死なせない様に、身体の治癒を行うことを優先した結果、精霊契約は後回しにされた。

狭也の身体はまだ不完全で、この世界に定着している訳ではない。

治癒を中断すれば、その身体は崩れ去ってしまうだろう。

それ故、完治するまでは中断出来ない。

狭也の身体が普通に動いてその実力を発揮できるのも、【千五百夢ちいほのゆめ】を具現化して使用できるのも、【蒼姫】が刀の力を利用して創り出した肉体であり、刀の分身である為。

【蒼姫】自身の力では無く、膨大な力を内包する【千五百夢】が狭也の右腕に形状変化しているからこそ出来る事だった。

これらの事から、【千五百夢】が実体を得て、右肩から離れている状態では、【蒼姫】の力の流れが弱まり、狭也の身体は本来の姿を見せていた。


-このままじゃ、治癒が遅れるよ。-


【蒼姫】の言葉に狭也が頷くと、ニケに視線を向けた。

視線を向けられたニケは、そっと狭也の左手を放した。


右肩に座っていた【蒼姫】は、すっと飛び上がると、狭也の横で浮かび続けていた【千五百夢】の中に戻って行った。

【千五百夢】が水色に輝き出すと、狭也の右肩に添えられる様に移動し、そのまま形態が変化して右腕に変わって行った。

それと同時に左腕と両足も光に包まれ、光が皮膚となり、誰の目にも傷一つない綺麗な手足が現れた。

偽物でも、出来る限り本物に近付けられた肌は、傷付くし血が流れる。

狭也がユアと初めて逢った時、腕や足に傷が残っていたのは、これらの理由から、少しでも力の反発や暴走を防ぐ為だった。


「この欠損した身体では、癒しの力はまともに使えません。」


狭也の欠けた身体部位は、【蒼姫】によって創られた、本来なら自然界には無い身体である。

同じ【龍牙力】とは言え、この不自然さの所為で、大自然そのものの力である【守護力】は反発してしまい、正常に発動する事が出来なくなっていた。

狭也が【守護力】を使うためには、この身体が完治するのを待つ必要があった。

十年でやっとここまで。

完治にはまだまだ時間が掛かるのは、誰の目にも明らかだった。


“普通”の見た目に戻った狭也は、再び巫女長を見て、龍脈の修復が出来ないと答えを返した。


「……。」

「巫女長さま。」


【蒼姫】の縛りは消えたものの、未だ動けずにいた巫女長に、ニケが小さく声を掛けた。


「あ…。」


その声に、巫女長には身体の自由が戻り、一声発してしまう。

そして、一度、深呼吸をし、頭の中で状況を整理する為、周囲を見回した。


「…解りました。では、もう一つお聞きしても良いですか?」


巫女長は、話を続ける狭也に、次の質問を投げ掛ける。


「どうして、ニケを指名したのです?」


ニケは巫女の仕事を始めてから、未だ一年も満たしていない。

龍脈の修復を頼める程の経験が有る筈も無く、本来なら、中央神殿に申し出て上位魔法を使用できる神官や巫女を、連れて来るべき事だった。

だが、狭也は頑なにそれを固辞し、ニケを指名した。


「……答えは簡単です。」


一瞬だけ小首を傾げた狭也は、ニケを見詰めながら答える。


「初めて逢った時、彼女の力の流れがとても綺麗で、その場に居た他の巫女さんも癒していたからですよ。」


「ニケさんの力はとても大きく、とても優しく、そして温かかった。」と、狭也は付け加えた。

狭也に見つめられながら紡ぎ出された言葉に、ニケは頬を染めて俯いてしまった。


「私が見る限り、ニケさん以上に【守護力】を…、いいえ、神聖魔法を上手に扱えている方は、居ないように感じます。」


冒険者ギルドと神殿に依頼を出しに行った際、狭也は他に適任者は居ないか、気配を探っていた。

それ故の、現在進行形の狭也の返事。

そこには今、目の前に居る巫女長も含まれていると云う事。

当然、戦巫女の修練で街を出ていたニケはそこには居なかったし、他にも外に出ていた巫女や神官も居ただろう。

それでも、狭也はニケ以外に、依頼を出す選択肢は無いと判断していた。



巫女長が暫く考える時間が欲しいと言うので、一度、この場は解散となった。





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