祈り
私は今、ニケを連れてナーム山の中腹にあるお屋敷に来ています。
一目見て、そこは異常だと気づかされました。
「まさか、本当に幽霊が畑仕事をしているなんて……。」
「ふふ。すごいですよね。私も驚きました。」
横にいるニケの声は、弾んでいました。
「サヤさんたちは、まだ来ていないようですね。」
私は辺りを見回して、他の人影がないことを確認しました。
「巫女長さま。」
ニケの呼び掛けに振り向くと、ニケはお屋敷の玄関を見ていました。
視線を移すと、そこには二人の若い幽霊がいました。
「お知り合いですか?」
「はい、ミーナさんのお母さんのミリネさんと、このお屋敷の元持ち主のロアナさんです。」
ミーナさんとは、この間、サヤさんのお家で打ち合わせしたときに紹介された、この家の住人ですね。
まさか、このような所に人が住んでいるとは思ってもいませんでしたが、随分、落ち着いていて、頼りになりそうな方でした。
私が気が付くと、お二人がこちらへやって来ました。
ふわふわと浮いたその姿は、なかなか面妖で、つい警戒して杖を構えそうになってしまいます。
元々、幽霊はアンデッド系の魔物の一種です。
畑仕事をしている幽霊を見ていると、感覚がズレてしまいそうですが…。
「だいじょうぶですよ。巫女長さま。」
ニケが私の杖を握る手に、ふわりとその小さな手を置き、安心させてくれます。
「いらっしゃい、ニケちゃん。」
「
お二人はニケに挨拶した後、私の方を見ました。
「初めまして、私はミーナの母親のミリネです。」
優しくふんわりした雰囲気の女性。
よくよく見れが目元や口の辺りがミーナさんに面影が似ている気がします。
「初めまして、
私はミリネさんに、巫女長としてお辞儀をします。
「初めまして、この屋敷の地縛霊をしているロアナ・グリーンスターです。」
もう一人の妖艶な女性が、背筋をしっかり伸ばした見事なカーテシーをして挨拶をしてきました。
「初めまして、アイシャと申します。お見事なカーテシーですね。グリーンスターと言えば、今でも商業ギルでは伝説的な商人だったと聞き及んでいます。ロアナ夫人とお呼びしても?」
「昔の話です。グリーンスターはこの地で滅びてしまいましたから。」
「あと、ロアナで良いですよ。」とロアナ夫人は私に、手を伸ばして来たのでつい私も「ではロアナさんと。」と答えながら手を伸ばしてしまいました。
当然、お互いの手は擦り抜けてしまいます。
「ありゃ、そうだった。」
ロアナさんは苦笑いしながら、ご自分の頭をぽんぽん叩きました。
その砕けた態度は、豪商夫人とは思えないほど、親しみがあり、この中では私が一番、性格が固いのでしょうと感じます。
「ふふ、幽霊でしたね。」
私もついおかしくなってしまい、小さく笑い声が漏れてしまいました。
ニケは、私の笑い声が珍しいのか、驚いているようでした。
私って、それほど、この娘の前で笑っていませんでしたか?
大事な娘として育てて来たこの娘に、あまり笑顔を見せていなかったと思うと、少し落ち込んでしまいそうになります。
「巫女長さま。」
ニケが満面の笑顔で、私に振り返りました。
「大好きですよ、巫女長さまの自然な笑顔。」
顔が熱くなるのを感じました。
今頃、耳まで赤くなっているかもしれません。
「そ、それより、他の方たちはどうしているのでしょうか?」
誤魔化すように、私は周囲を振り返りました。
「あら、すみません。ミーナとサヤさんは、家の中でお待ちですよ。」
ミリネさんが申し訳なさそうな顔で答えてくれました。
「ああ、そうだったのですね。時間には遅れないように来たつもりでしたが…。」
「大丈夫ですよ。あの娘たちは、というか、ミーナが気持ちに整理をつける為に、泊まり込んでいただけですから。」
ロアナさんの言葉に、少し引っ掛かるものがありましたが、個人的なことをあまり聞くわけには行きません。
取り敢えず、お二人に案内されて私たちはお屋敷の中に入ることになりました。
「私も中に入るのは、初めてなんです。」
少し不安そうなニケに、私は手を差し伸べます。
それを見たニケは、おそるおそる私の手を握りました。
「大丈夫ですよ。一緒に行きましょう。」
この娘は、今では私よりも遥かに強く、上位の魔法すら使えるのに、その弱気な性格は変わっていません。
戦巫女の修練で、少しは自信を持てるようになるかと思っていたのですが、引っ込み思案なままでした。
いつものように抱き締めて上げたくなりますが、ここは外です。
我慢します。
先の妖煉華との戦闘で、何体もの妖花を短剣で斬り伏せていたと、冒険者ギルドのマスターからは聞いています。
短剣術が苦手と言っていたこの娘が、短期間でそこまで実力を伸ばしていることは喜ばしいのですが、やはり危険と隣り合わせの生活になってしまうことは、心配で仕方ありません。
神殿長様は、この娘が、サヤさんの為に神殿に預けられたと言われました。
それは、予言者様のお言葉。
予言者様のお言葉は、抽象的なこともあれば、今回のように確信的なものもあります。
私も神殿長様も、ニケの生まれに関して、以前、調べた事があります。
しかし、手掛かりは全くつかめず、彼女がどうしてあの森に捨て置かれていたのか、結局、今に至るまで分からずじまいです。
そんな中、予言者様からもたらされたお言葉は、ニケのすべてを表しているようでした。
彼女は……
サヤさんの為に……
“何者かに産み出された存在”
なのでは、ないでしょうか?
身体機能などを調べても、他の人間と何ら変わるところはありません。
ごく普通の少女なのです。
けれど、そう考えればーー。
彼女の急成長ぶりも、納得できてしまうのです…。
更に、ニケは小さな頃から、夢の中で光を見ると言っていました。
その光は年々大きくなり、初めてのお仕事の時。
初めて会ったサヤさんに、夢の光と同じ温かさが身体に流れ込んできたと言っていました。
そして先日、予言者様からニケに下賜された神具【ヒャッカリョウラン】を、サヤさんの許に少し赴いていた間に、使いこなせるようになっていたのです。
まさかあの神具がサヤさんの国の物で、その使い方まで知っていらしたとは、神殿長様もその報告を聞き、とても苦い表情をされていました。
「巫女長さま? どうされましたか?」
思考の海に沈んでいた私を、ニケが心配そうな顔で覗き込んできました。
ミリネさんとロアナさんも、少し離れた位置で心配そうにこちらを見ています。
「……大丈夫ですよ。少し考え事をしていました。」
今は、
この娘がどのような産まれであろうと、どのような過酷な星の下に在ろうと。
この娘は、私の大事な娘です。
私の手が届くうちは、優しく包み込んで守って行こうと思っています。
そう遠くない未来、この娘は私の手から離れて、前へ進んで行くことでしょう。
その未来は、サヤさんという形で、既にそこまで見えているようでした。
ああ、女神よ、この娘の未来に、幸いがあらんことを。
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