第四章 龍脈の修復
花の由来
大通りから一つ入った路地裏にその薬草店はある。
通りを一つ跨いだだけで、不思議と大通りの喧騒が遠くなる。
神聖魔法で傷を癒せるニケは、使用したことは無いが、その薬草店から卸される回復薬は効果が高く、他の冒険者達には、良く利用されていた。
薬草の採取地での妖花の異常繁殖が収まり、回復薬の納入量も復活してギルドの販売窓口には、賑わいが戻っていた。
今日はミーナのお屋敷の面々との、顔合わせの日。
その手には、先日、神殿長に託された【ヒャッカリョウラン】が握られている。
妖煉華の件で、一躍、人気者となったニケは、気の弱さから、冒険者ギルドに入り
そこでユアが、自分の家を待ち合わせ場所にすれば良いと提案した。
既に龍脈の修復の件で、ユアの店舗の待合室が打ち合わせ場所に利用されていた為、ニケもユアの家の場所は把握していた。
路地裏に入って暫く歩くと、お皿の上に薬草の入った瓶が描かれた看板が見えてきた。
この並びには、他にも小さな服屋や雑貨屋等が有り、大通りとは違い、落ち着いた雰囲気が漂っている。
近所の子供たちが声を上げて遊んでいる。
猫や鳥達は、暢気に毛繕いをして、大通りとは全く違うのんびりした空気が流れていた。
(こういうの、良いな。)と思いながら、ニケは緊張した面持ちで、ユアの玄関のドアを叩いた。
「は~い。」
直ぐに中から、元気な声が聞こえて来た。
ユアは、ニケの三歳年上の優しいお姉さんといった感じで、初めて会ったとき、何故か狭也と一緒に抱き締められたのは、衝撃的だった。
「いらっしゃい、ニケちゃん。あがってあがって。」
「失礼します。」
以前、来たときは店舗側の方で、住居側は初めてとなる。
玄関を入った先は、小さなホールになっていて、右手のドアは店舗に繋がっている。
このホールは倉庫も兼ねている為、多くの箱が積まれていた。
ユアはそこでニケが来るのを待って、仕事の下拵えをしていた。
住居は二階で、突き当り中央にある扉を潜ると、階段から上がれるようになっている。
扉を開けると直ぐに階段になっており、上に向かう。
階段の踊り場には、ユアが毎日手入れをしている生け花が置かれている。
「可愛い。」とニケの小さな呟きに、ユアは「ありがとう。」と嬉しそうに答えた。
そのまま案内されて二階に上がると、そこは十二畳程のリビングとなっており、階段の左右にそれぞれ小部屋が三つと、奥にはキッチン、お風呂とトイレは個別でドアが付いていた。
階段は更に上に続いており、そこは倉庫として使われている。
一般市民の中でも、ユアは結構裕福な方なのかもしれない。
狭也とミーナはリビングで待っていた。
というか、戯れていた。
中央に置かれたテーブルの前の椅子に座るミーナの膝の上に、狭也が座っており、狭也は「お~ろ~せ~っ」と、何とか降りようともがいていた。
狭也の腰に手を回して、ミーナはがっちりとホールドしている。
「いい加減、諦めて、じっとして居なさい。」
「子供じゃないんだから、降ろしてっ!」
狭也がついに身体を捻って、ミーナの方を向く。
狭也の体の向きに併せて、ミーナの腕が少し緩んだ。
「今だっ!」
狭也は素早い動きで、後ろ向きに飛び降りる。
緩んだ腕は難なく解けて、狭也は綺麗に床に着地した。
「あ、あの……。」
「あなた達ねぇ…。」
ニケの戸惑う声と、ユアの呆れた声に、狭也が振り向いた。
二人に気付いた狭也の顔が、一気に真っ赤になった。
「あ…こ、これは~っ!?」
「いらっしゃい、ニケ。」
動揺する狭也とは対照的に、ミーナは落ち着いた雰囲気で、ニケに小さく手を振って出迎えた。
「気にしないで、いつもこんなだから。」
ユアは二人を無視して、ニケに近くの椅子を勧めた。
「あ、はい。ありがとうございます。」
ニケは苦笑しながら、入り口の横に杖を立て掛けて、勧められた椅子に座った。
狭也を後ろからまた拘束しようとするミーナに「ガルルッ」と唸りながら、狭也は隣の椅子に座った。
「残念。」とミーナは伸ばした手を、ワキワキして引っ込めた。
可愛くて格好良い狭也と、冷静で優しいお姉さんのミーナ。
それがニケの二人へのイメージだった。
だからと言って幻滅する訳では無く、完璧に見える二人でも、気を抜けば皆と同じなのだと、親しみを感じて、緊張していた心が少し
「えっと、今日来てもらったのは…。」
狭也は未だ赤い頬を両手で隠しながら、本題に入った。
「ミーナが今日、お屋敷に帰るから、ついでにニケさんとロアナ達を会わせようって訳だけど……。」
話しながら狭也の視線は、入り口の横に立て掛けられた杖に向いていた。
「狭也、どうしたの?」
ユアが首を傾げて、問い掛ける。
「えっと…、ニケさん?」
「はい、どうしましたか?」
狭也は杖を指差して、ニケを見た。
「あの杖、どうしたの?」
ニケは狭也の様子の変わり様に驚きながら、杖を取りに席を立った。
「これは昨日、神殿長さまに託されました。【ヒャッカリョウラン】て言う教会に伝わる由緒ある杖ですよ。」
「ひゃっかりょうらん…。」と口の中で小さく呟きながら、狭也はメモ用紙とペンを持ち出して、何かを書き始めた。
そこには、
【百花繚乱】
と書かれていた。
「この杖の名前は、私の国ではこう書くの。」
三人はメモ用紙を覗き込んだ。
「読み方はそのまま“ひゃっかりょうらん”。意味は、沢山の花が咲き乱れる。花の意匠が彫り込まれ、力を振るうと無数の
「…狭也の刀の名前は確か、【
ユアは以前、聞いた事を口にする。
「もしかして、この杖は、狭也の国の物?」
それを聞いてミーナは、狭也に視線を移した。
「え、ほんとうですか?」
不安そうにするニケの表情に、狭也は「多分…。」と言って頷いた。
【ヒャッカリョウラン】は、教会創立当時から女神像の傍に祭られていた杖。
「私達の国では、ずっと昔に行方知れずになっていて、その存在だけが伝えられていたの。」
大陸で唯一、世界そのものの力と云われる【龍牙力】の内の一つの力、【守護力】を神聖魔法として使う教会。
そしてニケの手に渡った【百花繚乱】と思われる杖。
偶然の一致とは思えなかった。
「えっと、ニケさん、教会関係者に、私と同じ特徴の人って居ない?」
黒い髪、黒い瞳。
ニケは少し考え込むが、そんな話は聞いた事は無かった。
なので首を左右に振る。
「私が知るかぎりではいません。狭也さんの髪と瞳が初めてだと思います。」
グレイの髪とか、限りなく黒く見える茶色や青い瞳を持つ者は居るが、狭也の様に真っ黒という特徴を持つ者は知られていなかった。
「私達の国に伝えられている【百花繚乱】は、今のチイと同じ刀だったの。」
狭也は、右手にチイを出現させた。
チイは、
そして黒い柄糸が巻かれ、鞘は
鞘に巻かれている下緒はくすんだ水色で、全体的に黒い刀に彩を添えていた。
「刀?じゃあ、別物なんじゃ…。」
「あ、もしかしてその刀と同じで、持ち主で形態が変わるとか?」
ミーナの疑問に、ユアはまたも以前、狭也に聞いたチイの特徴を思い出した。
それに狭也は頷いた。
「うん。言い伝えでは、そう言われてるわ。本名は【幻獣刀・百花繚乱】。」
前の使用者は薙刀だったと確固たる証拠がある【千五百夢】。
創立以来、杖として伝えられている【ヒャッカリョウラン】。
形態変化自体は、持ち主を変えてみないと証明しようがないが、龍皇国と同じ発音で、花が散りばめられた特徴は一致する。
【百花繚乱】と考えて間違いないだろうというのが、狭也の見解だった。
「どうしましょう、お返ししたほうがよろしいのでしょうか?」
杖を狭也の方へ差し出し、不安そうな表情が深まるニケ。
「ん~ん、関係ないよ。チイにしろ、【百花繚乱】にしろ、持ち主は飽く迄、今、その精霊に選ばれている人だから。それが他所の国の人でも気にしないわ。」
状況を考えても、以前の使用者が大陸へ渡たったと考えるのが自然だろう。
狭也の国では、持ち主の詳しい文献は残されていないが、教会の始祖を調べれば、何か解るかも知れない。
どちらにしろ、武器をどうするのかは、持ち主次第。
【千五百夢】ですら、
それが、狭也の先祖が選ばれて、狭也の一族に伝えられるようになったという経緯があった。
狭也の説明に、ニケは安心するが、今度は、説明の中に出てきた“精霊”という言葉に引っ掛かった。
「あの、“精霊”というのは、この杖に宿る“白き精霊”とか、この間、狭也さんの刀から出てきた水色の精霊さんらしき方の事ですか?」
ニケの力に呼応するように現れて、妖煉華に対してぶち切れ、“女神の救済”を引き起こした水色に光る小人。
カインは「自分達の知る精霊とは違う。」と言っていた。
そして【ヒャッカリョウラン】に宿ると云われている“白き精霊”。
「ん、そうだね。チイに宿る精霊は【
他の精霊とは違い、名前を持ち、独自で動き回る事は無く、武器に宿る精霊。
この世界そのものと云われている【龍牙力】から産まれたその存在は、【龍牙の精霊】と呼ばれている。
「選ばれた以上、ニケさんもいつか【花凛】とお話し出来るようになると思うわよ。」
チイを光に
「あぁ、そうだ。ニケさん、その杖に“姿を消して”って念じてみて。」
「あ、はい。」
ニケは目を閉じて、杖に向かって(姿を消して。)と念じた。
すると【ヒャッカリョウラン】は薄っすらと白く輝き花弁が散るように消えていった。
「あ…っ!?」
姿どころか、感触すらなくなり、ニケは驚いて手をにぎにぎして、存在を確かめようとした。
その可愛い仕草に、狭也は苦笑する。
「続けて、“出てきて”って念じてみて。」
狭也の言葉に従い、念じてみる。
すると【ヒャッカリョウラン】は、やはり白く輝きながら花弁を舞わせながら、その姿を再び現した。
しかし違いが一つだけ。
ニケの背丈よりも長かった杖が、身長とほぼ同じ長さになっていた。
「あぁ、形態変化だね。ニケさんに併せて短くなったんだわ。」
まさかの変化に狭也も少し驚く。
「でもこれで【ヒャッカリョウラン】は、【百花繚乱】で間違いないってことね。」
ユアの混乱しそうな説明に、一同は苦笑しながら頷いた。
それから暫く、ニケは【百花繚乱】を何度も出したり、消したりして遊んでいた。
ニケが満足するまで三人は、温かい目を向けて見守っていた。
それに気が付いたニケは、顔を真っ赤にして「く、訓練ですっ!」と言い訳していた。
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