妖煉華の許へ

ニケがルインの治癒を行ってから、幾許いくばくかの時間が過ぎていた。

この間もルインは目を覚まさず、眠り続けている。

何かあった時の為に、ニケは傍に付き添い、巫女長は他の神官や巫女達を纏める為にホールへ行っていた。


「サヤさん、大丈夫ですよね。」


ニケの脳裏には、現在、二人きりで妖煉華の許へと向かったという狭也の顔が浮かんでいた。

彼女が実際に戦っている所を見ている訳ではない。

それでも、先日、神聖樹に注いだその力は、自分より遥かに大きく優しかった。

あれを見ただけでも、狭也が簡単にやられる筈がないと確信できるが、絶対とは言えない。


今回の敵は妖煉華。

煉獄の炎を使う、上位種の魔物。その上、その妖煉華は黒魔毒を使うという。

黒魔毒から解放されたルインは、未だに目覚めない。

身体的には完全に回復しているものの、精神的ダメージがルインを目覚めから遠ざけている可能性があった。


そこへホールの方が俄かにざわつき始めた。


「ニケ、来なさい。」


巫女長が療養室の入り口からニケを呼ぶ。

何事だろうかと、ニケは急いで巫女長の後を追ってホールの方まで戻った。

するとそこには、冒険者ギルドのマスターが指示の声を飛ばしていた。


「ギルド長。」


巫女長の声に、ギルマスが振り向いた。


「巫女長、それにニケ。すまんな、ルインの黒魔毒を治してくれてありがとうな。」


ギルマスは優しい目でニケを見て、頭を下げた。


「い、いえ、気にしないで下さい。出来る事をしたまでですから。」

「相変わらずだな。ここに戻って来たってことは、戦巫女になれたんだな。」


ギルマスには第二試練の際、協力してもらう為に事情を話している。

ニケが最終試練の為に中央神殿に向かったことも知っていた。

頷くニケに、ギルマスは表情を引き締めて、巫女長を見た。


「すまないが、ニケを貸してもらえないか? 狭也達のサポートに向かわせたい。」


ギルマスの申し出に巫女長は僅かに表情を歪めた。


「わ、私でお役に立てるなら、行かせてくださいっ!」


ニケは躊躇いもなく申し出を受けようとするが、巫女長の反応が怖かった。

常にないその表情は、苦痛に歪んでいるようで。


「ニケ、解っていますか? 戦場に出る事になるのですよ。今までの様に守られながらではなく、今回は共に戦い、守り癒す役です。」


巫女長の言葉にニケは、唾を飲み込んだ。

これまでの様に守られながら戦うのではない。

場合によっては、ニケが狭也達を守る場面もあるだろう。狭也の前に立ち戦うこともあるのだろう。

その事に気付かされ、一瞬だけ顔を俯けたニケは、決意を固めた表情を上げた。


「行きます! 私はサヤさん達を守りたいっ!!」


狭也と、その相棒のミーナ。

たった二人だけで上位種の魔物に立ち向っているのならば、手助けをしたい。

そして、出来るのなら、自分の力で守り抜きたい。


元々、戦巫女になる事を了承したのは、その先に導かれる何かがあると感じ、その感覚を信じたから。

ニケは初めてのお仕事の時、その何かを狭也の中にも感じた。

ならば、狭也の許へ駆け付け、手助けすることに何の躊躇いがあろうか。


ニケの表情に、巫女長は一度小さく頷き、ギルマスに向き合った。


「ギルド長。ニケの事を宜しくお願いします。」

「あぁ、俺が直接、サヤの所まで送り届ける。」


ギルマスが任せろと言わんばかりに、その熱い胸板を拳で叩いた。


「キミア、敵は妖練華だけじゃねぇ。周辺に妖花も大量に湧いている筈だ。今動ける上位の冒険者を集めて後から出発させてくれっ!」

「はいっ!」

「神官と巫女は、希望者だけでいい、後から出る冒険者と一緒に現場に出て欲しいっ!!」


ギルマスは既に、神官と巫女の指揮権を巫女長から移譲されている。

冒険者を含め、彼らが相手をするのは、妖練華ではなく、妖花である。

それでも毒を吐き、混乱をもたらす妖花が大量に発生しているとあっては、苦戦することは必至。

神殿所属の彼らに強制することは出来なかった。


この場には騎士は一人もいない。

騎士団に掛け合ったものの、先日の出撃が痛手となり、まだ動ける騎士は居らず、

それでも、残った者を掻き集めて、後を追うと約束してくれていた。


騎士と、上位の冒険者が揃っていれば、数で妖煉華を倒す事も出来ただろうが、今は贅沢は言っていられない。


「行くぞ、ニケ。」

「は、はいっ!」


ギルマスとニケは、外へ走り出した。


「ニケ・・・、必ず戻って来なさい。」


巫女長は二人を見送って、女神キシンリュウにニケの安全を祈った。

それは巫女ではなく、母親としての願いだった。



-----



商隊の進む後方から、大きな音が聞こえて来た。

それも何発も。

商隊の面々が後方を確認すると、森の上空で、打ち上った光が幾つも別れて地上に降り注ぎ、爆発を起こしているようだった。


「サヤ達か?」


商隊の護衛である男性は、先程別れた狭也達を思い浮かべた。


「ドリス殿、宜しいですよ、行かれてください。」

「隊長さん、何を言ってんだ? 今の俺はあなた達の護衛が仕事だ。途中で投げ出せるわけないだろう。」

「しかし、心配なのではないですか?」


人の良い商隊の隊長とそうやって話し合いながらも、商隊は進む。

すると前方、キュリア市の方から、一頭の馬が、人を乗せて走ってきているのが見えた。


「あれは?」


人を乗せた一頭の馬は、商隊の前に来ると足を止めた。

馬上にはキュリア市の冒険者ギルドのマスターと、一人の少女が乗っていた。


「ドリスじゃねぇか。商隊の護衛か?」

「ギルマス。一体何があってるんだ? さっき噂のサヤと会ったが、その後から、光の弾が落ちて爆発してんだ。」

「サヤと会ったのか? どの辺りだ?」

「あぁ、この先の休息所だ。そこに馬車を置いて行っちまった。」


休息所と言えば、今ギルマスが乗っている馬なら、約半時で付ける場所。

妖練華のいる場所まではまだ結構あった筈。

ギルマスは地図を思い描きながら判断を下す。


「ドリス、後から、うちらの一団が馬車でやって来る。何名かにその馬車の回収を頼んでくれ。」

「あ、あぁ、わかった。」


そう言付けるとギルマスは馬を再び走らせて、過ぎ去って行った。


「後ろに乗っけてたのは巫女さんか? 本当に何が起こってんだ。」

「ドリス殿、急ぎましょう。ここはゆっくり進行している場合ではないようです。」


商隊の隊長の言葉に、ドリスは馬車の御者台の横に乗り込んだ。

商隊の馬車は多くの荷物を積んでいる。

その為、それ程速くは走れない。

だが、人間の足で走るよりはずっと速い。

ドリスは焦る気持ちを抑えて、手摺りを握る手に力を入れた。



-----



「どおりゃあぁぁぁっ!!!」


森の中に野太い声と共に、何かを叩きつける重たい音が響き渡る。


「ニルスっ!前に出過ぎよっ!!突っ走るなっ!!!」


女性剣士のクレイが、カインの詠唱を邪魔させない為に、周囲の妖花を倒している隙に、ニルスは一人で森の奥へと入っていた。


「うるせぇっ! サヤが危ねぇかもしれねぇんだぞっ!! ちまちまやってられっかぁ~~っ!!!」


クレイの制止も聞かずに、ニルスはどんどん奥へと入って行く。


「まったく、サヤの事になると見境なくなるんだからっ!」

「いつもの事だ。俺たちが急げばいい。簡単な魔法しか使えなくなるが、サヤの助けになるのが最優先だ。」

「・・・カイン、あんたまで・・・。」


カインはそう言うと、ニルスの後を追って走り出した。

二人は狭也の事になると、目の前が見えなくなることがある。

一人でキュリア市にやって来た狭也に、父親か兄のつもりでいるのかも知れない。


クレイにとっても、狭也は守ってやりたくなるような存在だ。

だが、彼女は自分たちですら、足手纏いになる程の力を有している。

男共より幾分か冷静なクレイは、暴走する二人の仲間を危険から守るため、剣を両手に持って駆け出した。


「私は、二人の母親か・・・。」


大斧使いのニルスが直情的なのは言うまでもなく、冷静な性格と思っていたカインまでもが、子供の様に危険に飛び込んでいくこの状況に、クレイは苦笑いを零した。



-----



狭也の刃が妖花を斬り裂き、ミーナの矢が妖花の花芯を貫く。

妖花からは、毒や混乱を付与する花粉や、種による射撃攻撃が返って来る。

狭也には毒や混乱は、大気を浮遊する限り効くことはない。

ミーナも森の中にも拘らず、弓矢による遠距離攻撃を行っている為、その範囲内から外れていた。


「それにしても、この数、厄介過ぎるっ!」

「同感ねっ!」


狭也の愚痴にミーナは同意する。


森の中に居るのに、上空からも、光の弾による攻撃は続いていた。

だがそちらは狭也が上空に結界を張り、防げていた。


ルイン達の当初の討伐目的は、今、相手をしている妖花。

そこに妖煉華の出現報告はなかった。

妖煉華が何処から現れたのか解らない。

だが、そんな事を気にする余裕はなかった。


「妖花の異常発生と、妖煉華、何か関係あると思う?」

「どうかな? 妖花にしろ、妖練華にしろ、どちらも生息地は岩場のはずなのよ。」


キュリア市周辺には、岩場は無い。

なのに妖花が異常繁殖をしていた。

二人は次々と襲い掛かって来る妖花を倒しながら、会話を続ける。


「え、そうなの?」

「昔、読んだ図鑑に書いてあったわ。本当なら、こんな森や草原にいるような魔物じゃないのよ。」


森に入ってから、根による攻撃は止んでいる。

妖花程度なら、二人の相手にはならず、進む速度は上がっていた。


ここまで進んで、狭也は上空からの攻撃が止んでいる事に気が付いた。

殆どの攻撃が狭也の結界によって防がれていたが、振り返ってみると、結界から外れた箇所は、至る所に爆撃の痕が見て取れた。


「妖煉華まであと少しよ。多分、自分が巻き込まれるのを考えて攻撃を止めたのかも知れない。」

「ミーナのスターライトシュートと違って、範囲が絞れないのかな?」


ミーナのスターライトシュートは、魔力を通した矢に、地の精霊の力を纏わせて、射ち上げた先で幾本もの光の飛礫に変えて攻撃をする。

基本は半径一キロメートルの広範囲を攻撃する。

しかし、その範囲をミーナは任意に絞る事が出来る。

絞れば絞る程、その範囲に射ち込まれる本数が増え、敵に与えるダメージは大きくなっていく。


「あれは私が師匠と一緒に考えたオリジナルよ。似たような技ってだけも気に入らないのに、そこまで出来ていたら、私、落ち込むわよ。」


師匠とは、ミーナに、中心になって精霊魔法を教えていた地の精霊の事である。

いつの間にかミーナの傍に来て付き纏っていたり、暫く何処かに行って姿を見せないこともある。

神出鬼没な彼女は、今はミーナの傍には居ない。


話をしている二人ににじり寄って来た妖花の群れを、狭也はチイを横に一閃することで一気に斬り捨てる。

その後ろから、連携でもしているように飛び出してきた妖花は、ミーナの矢で貫かれて、地面に落ちた。

続け様に、その奥から妖花の種が飛んできた。

狭也が右手を一振りして、黄色い光の結界を前方に展開した。

幾つもの種が飛来し、結界にぶつかり激しく爆発した。


「っ!? ミーナ下がってっ!」


爆発した種から粉末が霧状に飛び出した。

ミーナは慌てて後ろに下がる。

逆に狭也は前に出て、種を飛ばし続ける妖花に肉薄し、切り伏せていく。


大上段から振り下しで一体、横に一閃で三体、くるっと回り少し離れた妖花一体に向けて投げられたチイが深々とその体に突き刺さる。

チイの動きに併せて身を屈めて突進した狭也は、すぐさまチイを引き抜き、その後ろに居る妖花を左下から右上にかけて斬り上げてほふる。

その狭也に向けて迫る妖花には、ミーナの矢が突き立っていた。

視界が塞がれた状態で正確に妖花を射抜いたミーナに、狭也は心が沸き立つ。

左手に握るチイが水色の光を帯びた。


霧状に広がる粉末が晴れるのを待っていられないと、ミーナは霧に飛び込んだ。

皮膚がひりひりする感じに、精霊魔法を発動する。


「アースウォーム。」


無詠唱で発動させたその癒しの魔法は、ミーナを包み込み即座に癒して行く。

アースウォームの効果は、傷の回復と、毒・混乱・麻痺など、基本的と言われる状態異常の治癒である。

妖花に黒魔毒は使えないと踏んでミーナは飛び込んだが、どうして、それは正解だった。


「・・・無茶をする。」


粉末の霧から飛び出してきたミーナを見て、狭也は苦笑した。

ミーナが周囲を見渡すと、近くに居た妖花は全て片付いていた。


「慌てる必要なかったわね。」


一先ず、奥の方から感じる妖煉華のものらしき大きな気配以外、近場に敵の気配は無くなっていた。

上空からの攻撃も、再開する様子はなかった。


「それじゃ、ライサさんを助けに行きましょう。」


狭也はチイを血振りして、移動の邪魔にならないように鞘に納めた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る