結界の意味

晴れ渡った青空の下、澄んだ空気を切り裂くように馬車が走っている。

その御者台に座り、馬車を操っているのは幼い少女。

右手に手綱をグルグルに巻き付け、手から離れないようにして、腕ではなく、肩で操作していた。

その表情は、苦痛に歪んでいたが、そんな事は気にしていられないと、真っ直ぐ前を睨み付けていた。


「狭也、変わるわ。」

「ん、運転できるの?」

「ずっと見ていたから大丈夫よ。」

「・・・本当・・・?」


狭也は取り敢えず、馬車を街道の脇に寄せて止めた。


五百年もの間、地下の村に閉じ籠っていたミーナは、地上のあらゆる物に興味を持っていた。

特に、初めて馬車に乗った時は、「貴女、誰?」と言いたくなる程だった。

興味津々で、瞳はキラキラさせ、キョロキョロと見回し、ソワソワと落ち着きがなく、普段の“冷静で穏やかなお姉さんは、何処行ったの? ”と完全にキャラ崩壊していた。


それを目の当たりしていた狭也は、ジトッと疑いの視線を向けた。


「だ、大丈夫よ!馬車に乗る時は、ずっと御者さんを観察していたからっ!!」


視線を外して焦るミーナ。


ミーナはずっと一人で精霊魔法や武術の修練を行ってきた。

精霊魔法は地の精霊達に教わっていたものの、精霊の教えは感覚的なものが多く、精霊の力の行使を目で見て覚える方が殆どだったらしい。

また、各種武器に関しても、村に残されていた教練本から学び、精霊を相手にその腕を磨いていた。

精霊には物理攻撃では基本、ダメージを与えられない。

しかし、魔力を通すことで当てることはできる。

精霊の動きはすばしっこく、当てるにはやはり動体視力等の能力が必要だった。

そうやって精霊魔法を使いこなせるようになり、矢を精霊に当てる事も出来るようになったミーナは、地上に出て、初めて自分の身体能力の高さに気が付く。

ただ“視る”だけで相手の技を真似出来る様になっていた。

魔力の流れ、その使い方までも視ることが出来るようになっていた。


だから、ずっと御者の動きを観察していたのなら、馬車も運転できるようになっていても、何らおかしな事ではなかった。

実戦となると、勝手は違うだろうが、その事を思い出した狭也は、御者台をミーナに譲ることにした。


「ありがとう。本当は結構辛かったから、助かるわ。」


狭也は右腕をさすりながらミーナにお礼を言った。

実際、狭也の操舵は危なっかしかった。

スピードが出る前は安定していたが、街の外に出た時点で狭也は、馬車を飛ばし始めた。

速度が乗る程、狭也の右腕にかかる負担も大きなものとなって行き、馬車は左右に蛇行する様に進んでいた。

街道は、他にも馬車や歩いている旅人もいる。

暴れ馬宜しく、荒っぽい運転には、少なからず周囲に迷惑を掛けていた。


「気にしなくて良い。正直、やってみたかっただけだし・・・。」


後の方はぼそぼそと言って良く聞こえなかったが、狭也は気にしないことにした。

ミーナは手綱を握ると、馬車をゆっくりと走らせ始めた。


馬は好くミーナの意思を理解し、その手綱捌きに素直に従っているようだった。


「少しずつ飛ばして行くわね。このままじゃ時間が掛かり過ぎるわ。」


その言葉の通り、ミーナは徐々にスピードを上げていった。

狭也の操舵よりも遥かに安定して、しっかり真っ直ぐ進んで行った。



-----



やがて、ミーナは馬車のスピードを落として、周囲を見回した。


「どうしたの?」

「狭也、何も感じない?」


ミーナの言葉に狭也は、同じように周囲を見回した。


好く晴れた空は快晴で、爽やかな風が気持ち良い。

しかし、そこには先程まで聞こえていた鳥や動物の声が聴こえず、その気配も無くなっていた。

そして幽かに感じる威圧感。


「既に敵のテリトリーに入ってるみたいね。」


ミーナは馬車を街道脇に停めて、地図を広げた。


「まだ結構、距離があるわね。」

「ん。でもお馬さんを巻き込みたくないわ。さっきあった休息所に置いて行こう?」


狭也の提案にミーナは頷いて、馬車を回頭させて通り過ぎた休息所に戻って行った。



休息所には、他にも行商人らしき一団が居た。


ミーナは邪魔にならないように、休息所の隅っこの停車場に馬車を停めた。


「ミーナ、ここに餌があるよ。念の為、食べさせておこうよ。」


狭也は荷台の棚を見つけてそこに餌が入っていた。

離れれば、いつ戻って来れるか解らない。

既にお昼の時間帯は過ぎていた為、餌を与えるには丁度良い。


行商人の一団は、狭也達を気にしていたが、停めた馬車の血痕を見て警戒しているようだった。


「あんたら、大丈夫か?」


行商人の護衛なのだろう、武装した体格の良い男性が近付いてきた。


「ミーナ、これ。」


狭也はミーナに馬の餌を渡して、行商人の護衛に向き合った。


「私たちはこの先のキュリア市の冒険者だよ。」


狭也はギルドカードを相手に見せた。


「驚いたな、あんたが噂のサヤか。」

「噂・・・?」


ギルドカードを見た護衛は、狭也を驚きの目で見た。


「見た目、子供の冒険者が居る。ギルマスも認める凄腕だってな。商人の間では、キュリア市に行けばその子を護衛に雇った方が良いって言われている。」

「そんな噂が立っているの? やめてよ。私、行商人の護衛の仕事なんて受けたことないわよ。」


狭也の言葉に、護衛の男性は意外そうな顔をした。


「そうなのか? なんで受けないんだ?」

「ちょっと事情があってね、遠くへは行きたくないの。」


姉の情報を求めている。

一分一秒でも早く情報を手に入れたい狭也は、余り遠くへ行く気はなかった。


「それにしても、本当に子供のまんまなんだな。凄腕なんて信じられねぇ。」


幼い見た目だけではなく、狭也はいつも通り、カッターシャツにフレアスカートと、戦闘には向いていない格好をしている。

腰に提げているロングソードだけが、彼女を冒険者と気付かせる要因だった。

その言葉に、狭也は少し頬を膨らませて、


「ごめんなさい。今は余り相手している時間は無いの。急いでいるから。」


狭也は会話を打ち切る為に相手に謝った。

機嫌を損ねたと思ったのか、護衛の男性は、決まり悪そうに頭を掻きながら言葉を返した。


「あぁ、そう言えばさっき猛スピードですれ違ったのは、もしかしてあんたらか?」


「引き返して来たのは、馬車を置いて行く為か?」と停めている馬車に目を向けた。


「血だらけだな・・・。ただ事じゃなさそうだが。護衛の仕事を受けてなきゃ、力になったんだがな。」

「ん、ありがとう。だったら、冒険者ギルドに戻ったら、馬車をここに停めている事を伝えて貰えると助かるわ。」

「わかった、伝えておこう。気を付けろよ。」


行商人の所に戻って行く護衛の男性に、狭也は手を振った。

馬の餌遣りを終えて、弓を荷台から取り出しているミーナの許に戻る。


「行ける?」

「ええ、行きましょう。」


狭也は腰に提げているロングソードを、ミーナとは逆に荷台に置いた。



-----



二人はやがて、先程、引き返した場所まで戻って来た。

あれ以降、街道では誰ともすれ違っていない。


「えと、一応、謝っておくね。」

「何、突然?」


狭也の突然の謝罪にミーナは首を傾げる。


「私、周囲の気配って、気を付けていないと感じられないの。」

「それって、もしかしてさっきの事?」


馬車に乗っていた時、馬車を真剣に操るミーナの顔に見惚れていた。

その為、周囲への警戒を怠っていた。

ミーナに指摘されなければ、狭也は気が付かないままだっただろう。


「大丈夫よ。一緒に仕事をするようになって、何となく気付いていたから。」


ミーナは狭也の頭を撫でて、笑顔を向ける。


「・・・原因は、この結界?」


ミーナの言葉に、狭也は頷いた。

ミーナの目にも、狭也の身体を覆う薄い結界を見ることが出来た。

本当に気にしていないと気づかない程のその結界は、常に狭也を包み込んでいた。

触ってみようと魔力を通した手を伸ばし見るが、結界に触れることは出来ない。


「うん。お姉ちゃんの結界。良く解んないけど、“悪いヤツ”から私を守ってくれるって。」


狭也曰く、悪いヤツというのは、ユアが以前、思ったような所謂、悪いムシでは無く、毒や混乱といった状態異常を引き起こす外的要因の事であった。

それ故、周囲からは常に隔絶されている状態となり、意識して周囲を気にしていないと、気配を感じることが出来なくなっていた。

以前、お屋敷で、狭也の武器のチイが勝手に反応して村人の幽霊達を弾き飛ばしたのも、それが要因だった。

幸い、悪意は感じられなかった為、チイは幽霊の身体を弾くことしかしなかったが、場合によってはその刃が牙を剥く事もある。

この結界は、こういったチイの過剰防衛を防ぐ為の修行の意味も含まれていた。


「身体もそれが原因?」


ミーナは聞くつもりはなかったのだが、つい、そう口を突いて出ていた。

狭也は、少し目を見開いてミーナを見つめ返したが、直ぐに顔を俯かせた。


「身体は・・・成長に関しては、また別の問題・・・。」


俯いた横顔には、後悔や悲しみ、怒り等の複雑な表情が読み取れた。

その視線は、右手を見詰めていた。

以前、ロアナから聞いた狭也の大まかな事情。

それに要因していると思われ、ミーナは目を細めた。


「ごめん、辛いなら言わなくて良い。話せるようになったら、教えてくれると嬉しい。」


ミーナは辛そうな狭也をそっと胸に抱き締めた。

ただ、狭也を囲う結界が、狭也に悪影響を与えているものでは無い事に、安堵して一つ息を吐いた。

狭也も、素直にミーナの腰に手を回して、少しの間、その身を預けた。



それから少し進むといよいよ以て、辺りは魔物の気配に包まれて行った。

狭也は、右手にチイを出現させて、腰に差した。


「ん、あれは?」


二人が見上げた先に、空に向かって打ち上る光が見えた。

その光は一定の高さまで打ち上ると、分裂し輝きを放って狭也達に無数の光の弾になって翔んで来た。


「【存在力】よっ!!」


狭也は、二人の前に黄色い結界を張った。

光の弾丸は結界に当たり爆発を繰り返す。


「これは、まさか妖煉華の攻撃ッ!?」


狭也の結界に身を隠しながら、ミーナは光の打ち上った方角と憶えた地図を照合した。

その方向は正に、今、向かっている妖煉華のいる筈の方向だった。


「まだ距離があるのに、こんな遠距離攻撃が出来るなんて。」


歩けばまだ半時は掛かる程の距離。

テリトリーの広さと云い、攻撃範囲の広さと云い、今まで戦ってきた敵の中では群を抜いていた。


「このまま、ここに留まっている訳にも行かないから、突っ切るよっ!」


狭也の提案に、ミーナも頷いた。

ミーナは弓を手に取り、向かって来る光の弾を、その矢で撃ち落として行った。

狭也も目を水色に光らせて、龍牙を放つ。

飛び出した光の龍は、牙を剥いて光の弾に襲い掛かる。


「その技、剣術ってわけじゃないのね。」


チイを抜かずに龍牙を放った狭也を見て、ミーナは驚いた。


「基本的には、どれもチイが無くても使えるよ。ただ、制御が難しくなるけどねッ!」


二人は数を増す光の弾に、進行方向に飛び退すさりながら、それぞれの攻撃を放った。

空の攻撃に対応していると、前方の地面が膨れ上がり、幾本もの植物の根が飛び出してきた。

地中からだと、街道の魔除け灯も何の意味も持たなかった。


「狭也っ! 根っこをお願いっ!! 空は私がやるわっ!!!」


ミーナの言葉に狭也は、チイを抜き放ち、迫りくる植物の根を斬り裂いて行く。

少しずつ進んではいるものの、その歩みは遅くなっている。


「このまま街道で戦っていたら、他の人達の邪魔になるわっ!目の前の森に入って最短距離を進みましょうっ!!」


ミーナは遠方から馬車が近付きつつあると、地の精霊から警告を受けた。


「了解。私が敵への攻撃を引き受けるわ。ミーナは地の精霊に言って、街道の安全確保をお願い。」


たとえ狭也達二人が森に入ったところで、街道の安全は保てない。


「地の精霊よ、我が意に応え、この地に加護を。」


そこでミーナは地の精霊にお願いして、この周辺の街道に精霊の加護を与えた。

すると街道は地の精霊の力により、地面が盛り上がり、一種のトンネルを形成した。

これは地の精霊にとって、大きな負担になるため、ミーナの精霊魔法の威力は少し落ちるものの、街道を利用する人達の安全には変えられない。


「行きましょうっ!」


トンネルは三六〇度、地の精霊の力で包まれている為、上空からの攻撃を防ぎ、根もその地面から飛び出してくることはなかった。


狭也とミーナは、安全を確認すると、目の前の森に飛び込んでいった。



-----



この時、近付いてきていた馬車は冒険者のもので、隣町のユーライ町から戻って来たニルス達だった。


「さっきから先の方で、戦闘の音が聞こえるが・・・。」

「ニルス、精霊たちが騒いでいる。」

「何を言っているか解るか?」


ニルスは馬車を停めて、カインを見た。

カインは目を閉じて、精霊の気配に耳を傾けた。


「どうやらミーナ達が魔物と戦っているらしい。」

「ミーナ達ということは、サヤも一緒か。」


ミーナは精霊使いであり、地の精霊に育てられたようなもの、精霊達が必要以上に騒いでいてもおかしくはない。


「どうするの? 援助に向かう?」


ニルスのパーティーメンバーの一人、女性剣士のクレイが馬車から顔を出して空を見上げた。

その先には光の弾が少しずつ移動していくのが見えた。

おそらく狭也達を追っているのだろう。

街道から外れ、森の中に入って行っているようだ。


「ルーナ、この場は任せる。俺たちは、サヤを追うぞ。」


ルーナと呼ばれた女性は結界術師である。


「久し振りにサヤに会いたいけれど、良いわ。ここで待ってる。」


三人が狭也を追って森に入った後、馬車の守り番の為、他の旅人の通行を引き留める為、ルーナは街道を塞ぐように馬車を移動させた。


「それにしてもあのトンネル。精霊の力よね? ミーナだっけ? 想像以上にすごそうだわ。」


ルーナとクレイは、狭也と共同受注による依頼は何度か受けていて、その力の一端は目にしているが、ミーナとはまだ面識がなかった。

カインから精霊魔法使いの上位職である、精霊使いと聞いているが、地形を変えてしまえる程の力に、畏敬の念を憶えていた。






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