戦巫女として

狭也達は、冒険者ギルドの入り口に横付けされていた馬車に飛び乗った。

それはルイン達が利用していた馬車で、ルインが瀕死の体で何とか街まで運転してきたものである。

至る所にルインのものと思われる血痕が付着している。

荷台には、薬草が入っていただろう箱があるが、そこには何も残されていなかった。


「傷は私が癒せるわ。黒魔毒は神聖魔法でしか治せないなら、補充はせずにこのまま行きましょう。」


ミーナの判断に狭也が御者台に乗る。

ルインの血がベッタリ付いていたが、こだわっている場合ではない。


「どいてっ!!」


周囲に群がる住民達を一括して、狭也は手綱を引いた。

馬は向きを変え、「はっ!」と狭也が掛け声を掛けると、一気に走り出す。


「馬車の操作なんて出来るのね。」

「えと、一応、十八歳だから運転ぐらいは。」

「・・・そう言う意味じゃないのだけど。」


真剣に前を見詰める狭也の見当違いな返しに、ミーナは苦笑する。

馬車はどんどん街中を疾走し、直ぐに正門が見えた。


「停まれッ!」


門衛の制止にミーナが叫び返す。


「緊急よッ!詳しくは冒険者ギルドに聴きなさいッ!!」


一流冒険者ですら、パーティーを組む事を嫌がる狭也と、その相棒のミーナの剣幕は尋常ではなかった。

門衛は気配を察し、また馬車の衝突を防ぐため、緊急用の出入り口をすぐさま開いた。


「ありがとうっ!」


狭也のお礼に、門衛は胸に手を当て、敬礼を返した。

狭也達が通り過ぎると、門衛は控えに居た者に、急いでギルドへ確認に走らせた。


「あれはさっき駆け込んで来た馬車か・・・?」


門衛も、最近、周辺採取地の異常な魔物発生の噂は聞いていた。

その上、全身傷だらけの魔法使いが馬車に乗って駆け込んで来た。

遠ざかる馬車の後ろ姿に、門衛だけでなく、周辺に居た者達ですら、いやが応でも不安が募る状況だった。



-----



突然礼拝堂に駆け込んで来た男性の申し出に、神殿内は騒然としていた。


「黒魔毒など、今、治癒できる者は居るのですか?」


普段は思慮深く、落ち着いた雰囲気の神殿長は、冒険者ギルドのもたらした依頼に焦りの色を見せていた。

神聖魔法を使用する巫女は多数在籍しているものの、殆どが魔毒まで。

黒魔毒以上の状態異常を治癒できる者など、大陸中の神殿を捜しても何人いるか。


神殿長の部屋に集まった、神殿の上層部の面々は渋面を浮かべる。

その中で、巫女長が声を発した。


「今はニケが治癒を施せます。戦巫女の修練を経て、最上位の神聖魔法を身に着けたとの報告も上がってきています。」


ニケは僅か数ヶ月前に巫女の初仕事をしたばかりの新人だが、初仕事前に戦巫女に選出され、この短期間で最上位魔法まで習得したという異例の新人だった。

その報告書を思い出し、神殿長は頷いた。


「では、急ぎニケの派遣を。あと数名、神官・巫女を選出し冒険者ギルドでの待機を命じます。」


他の者の選出を待っていては、手遅れになる可能性もある為、ニケの先行派遣を命じ、それに対し巫女長達は速やかに動き出した。



ニケは、おおよそ三ヶ月に及ぶ試練で流石に疲弊し、自室でゆっくり休んでいた。


先日、広場の神聖樹の下で見掛けた狭也を思い出していた。

久し振りに見た狭也は、相変わらず可愛くて、そして神々しかった。

何度か、第二試練の付き添いとして、狭也を指名しようとしたが、タイミングが合わず擦れ違っていた。

そうこうする内、ギルド側の補佐役が固定化してしまい、結局、先日まで会う機会を逸してしまっていた。

戦巫女として、魔と戦う力を手にしても、生来の引っ込み思案な性格は変わらなかった。


狭也を思い出して悶えたり、自分の性格に落ち込んで反省したりしていると、廊下の方から慌てたような足音が聞こえてきた。


そこへ何時もは楚々として、慌てる姿を見せない巫女長が、ノックもそこそこにニケの部屋のドアを開けた。


「巫女長さま? どうされましたか?」


椅子に座っていたニケは、常にない雰囲気に腰を浮かした。


「ニケ、お休み中にすみません。貴女に緊急の仕事が入りました。」


緊迫したその声にニケは、巫女長と正対した。


「戦巫女としてですか?」


ニケは、さっそく戦巫女の仕事かと身構えた。


「冒険者ギルドからの緊急依頼です。詳しくは道すがらお話します。礼拝堂へ一緒に来て下さい。」


巫女長の言葉に、ニケはベッド脇に立掛けている杖とベッドレストに置いていた短剣を手に取って後に続いた。


「黒魔毒に侵された冒険者がいるそうです。この神殿には、今、貴女しか治癒できる者がいません。」


ニケの胸の内には、とっさに狭也が思い浮かぶが、それを誤魔化すように首を振った。

冒険者は他にも沢山いる。

第二試練の時にも多くの冒険者に助けてもらっている。

彼女ばかりを思い浮かべるべきではない。

そして思考は黒魔毒へと移る。

神聖魔法を習う上で、その存在は知っていたが、教官もまず見ることは無いと言っていた。


「黒魔毒って本当にあるんですね。」


巫女長にしても、黒魔毒の患者は見た事が無い。

それがまさか、ニケが戦巫女として戻ってきた途端、発生してしまった。

少しでも時期がずれていたら、この街初めての黒魔毒の犠牲者を出すところだった。


礼拝堂に入ると、三十代と思われる事務服を着た男性が待っていた。


「ニケ、緊急事態です。今回は私も一緒に行きます。」


巫女長の言葉にニケは驚くも、本当の母親の様に自分を育ててくれた巫女長が同行してくれることに、内心、安堵した。


三人は外で待たせている冒険者ギルドの馬車に乗り、街を目指した。


遅れる事、半時後に他の選出者が、神殿の馬車に乗り出発した。



-----



ギルドに着いたニケは、キミアの案内で奥にある療養室に案内された。

ここは、身体を休めたい者が集まる場所である。


冒険者は基本、自己責任であり怪我をした場合は、自己で治すか北部にある治療院や、神殿の治癒所を利用している。

その為、ここは主に精神的疲労を抱えたギルド職員の、休憩場所に使われていた。


そのベッドの一つに、ニケが試練の最中にお世話になった冒険者の一人である、ルインが寝かされていた。


「ルインさんっ!?」


ルインは荒い息を吐き、苦しそうに呻いている。

その意識はない。


ニケは急いでベッドに駆け寄った。

掛け布団から出ている腕や鎖骨の辺りが、浅黒く変色していた。

幸い、首より上にはまだ症状は現れていない。


「確かに、これは話に聞く黒魔毒の症状ですね。」


巫女長は掛け布団を捲り、衣服の下の身体を確認する。


黒い斑点は身体中に拡がり、もはや斑点とは呼べず、足は膝上まで覆われていた。

「大丈夫、まだ間に合います。」と言う巫女長の見立に、ニケは恐る恐るルインに手を伸ばして、意識を集中する。


震えるニケの手に、巫女長が手を添えた。


「落ち着いて、ゆっくり深呼吸しなさい。動揺していては本領を発揮できませんよ。」


巫女長の優しい言葉に、ニケは何度か深呼吸を繰り返す。

手から、巫女長の優しい温もりが伝わってくる。

震えが治まったニケは、静かに詠唱を始める。


「聖なる守り人よ、その力を示し給え。」


ルインの額に翳されたニケの手の平に、周囲から白い光が集まる。


「病める者に癒しを与え、その心に安らぎをもたらし給え、ホワイトエンブレイス。」


ニケの手の平に集まった白い光は、ルインに向かって伸びていき、やがて身体全体を包み込んだ。

光が強く輝きだしたが、その光が目を射ることは無かった。


「なんて優しい光・・・。」


キミアの呟きは、正しくその場にいる全員の感想だった。


巫女長も、キミアも、休憩していたギルド職員も、そして野次馬で集まっていた冒険者達も、その光で身体の芯から癒されるように感じていた。


「・・・う・・ん・。」


光がルインに吸い込まれるように消えていき、その口から小さな声が漏れた。

身体を蝕んでいた浅黒い斑点は綺麗に消え去り、白い肌が露わになっていた。

巫女長が、そっと掛け布団を被せる。


ルインの額の上に掲げていた手をそっと握り、ニケは胸の前に持って行く。


「守り人よ、ありがとうございます。」


ニケのお礼を合図に、その手に集まっていた光が周囲に解けて消えた。


視線を戻すと、ルインの荒い息遣いが静まり、穏やかな寝顔を見せていた。

成功したことにニケはほっと溜息を吐いた。


「おつかれさまです、ニケ。」


巫女長の言葉に、ニケはふんわりと微笑んだ。


ニケの微笑みに、少し見惚れてしまったキミアは、はっとして周囲を見る。

全員がニケに見惚れているようだった。


「ほ、ほらほら、あなた達。今ので疲れも吹き飛んだでしょう。散った散った!」


キミアが周囲の人間を蹴散らしていく。


ルインの様子に力が抜けたニケに、巫女長は近くの椅子を勧めた。


「ニケ、まだこれからですよ。貴女には他の者たちと一緒に、このままギルドで待機をしてもらいます。」


ニケを椅子に座らせると、巫女長はキミアに振り向いた。


「キミアさん、ギルド長は今、どちらに?」

「ギルマスは、騎士団の詰め所に、援軍の要請に行っています。」


今回の敵が妖練華ということで、放置していれば、そのテリトリーは拡大し、溢れかえる妖花に埋め尽くされる可能性があり、余り時間を掛ける訳にはいかない。

当ギルド有力のライサが囚われ、ルインは重傷を負った。

狭也とミーナだけでは苦戦を強いられるだろうと、ギルマスは早々に騎士団へ要請に向かった。

それにしても結構な時間が掛かっている。

難色を示されているのかも知れないと、キミアは密かに思っていた。

先日の混成軍で冒険者ギルドも騎士団も結構な深手を負っている。

騎士団が派遣を渋っても仕方がなかった。


「これから、巫女も神官もギルド長の指揮下に入ります。何かあれば遠慮なく命令を下してください。」


巫女長の提案にキミアは驚いたが、緊急事態。戦闘に特化した冒険者ギルドの指揮下に巫女達のような回復・サポート役が入ることで、円滑な軍運用が出来るとの判断に、キミアは了解の意を示した。


二人のやり取りを見て不安気な顔を見せるニケを、巫女長はそっと胸に抱きしめる。


「・・・巫女長さま。私、がんばります。見ていてください。」


未だに不安が消えないその顔で、それでも決意の表情が滲み出ていた。


戦巫女になった今、ニケは他の巫女よりも命を落とす確率は確実に上がっている。

恐らく、今回の件でも最前線に立たされる可能性が高いだろう。

巫女長は、辛い現実に、それでもニケを元気づける為、慈愛に満ちた目で微笑んだ。





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