もう一度抱き締めて

何処までも続く階段を降りて行く。

光る壁の正体は、精霊達の力の欠片。

優しく照らすその光には癒しの力も含まれているらしく、先程の戦闘の疲れが癒えていく。


三階程の高さを下っただろうか、目の前に歪みが見えてきた。

その手前で足を止め、その歪みに触れてみる。


どうやら空間が捻じ曲がっているようで、差し込んだ手は、その姿を消す。

痛みなどの違和感は一切ない。

狭也は思い切ってその歪みに頭を突っ込んでみた。


ギュッと閉じていた目を開いて見た先は、地階へ続く通路だった。

一度、頭を戻して、目を閉じる。

感覚を研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。


『どうやら、地階はもっと下にあるみたいね。これは縮地しゅくちというわけね。』


縮地とは、簡単に言ってしまえば二点間の距離を縮めて、移動距離を短くする技術である。

地脈を弄ることで実現するその技術は、地脈と直接繋がりのある地の精霊ならいとも容易い事であろう。


気配を探った限り、地階が存在する場所は、狭也の探索範囲内を優に越えていた。


一体この先にあるのは何なのか。

狭也は少し興奮を憶えながら、縮地へとその身を潜らせた。


縮地を潜り抜けると、そこは精霊の気配と、恐らく地上に出て来た幽霊達の気配で溢れかえっていた。

しかしその中に、かすかだが不穏な気配も感じられた。


-やっとここまで来た。-


すると精霊の一人が狭也に話し掛けて来た。


『貴方は?』


その精霊は、光の姿ではなく、少女のような可愛い姿で狭也の前に現れていた。

精霊が人前に、その姿を現すのは珍しい事である。

余程、認めた相手でもない限りは、見えたとしても光の玉でしかない。


『私は、狭也よ。貴方達の試練とやらを受ける様に言われて此処まで来たの。』


精霊に敬意を表すように狭也は、小さくお辞儀をした。


-ミーナは私を師匠と呼ぶの。だから師匠で。-

『シショーさんね、宜しく。』


狭也は少し小首を傾げて、もう一度小さく頭を下げた。


『そう言えば、言葉が通じているのね。』

-私たちに言葉は関係ない。-


精霊は、世界中に存在し、個であり多である。

同じ系統の精霊なら全員が繋がっている。

もともと、精霊の声は、直接、耳から聞いているわけではない。

所謂いわゆる、思念波である。

脳内に届いた時点で、知っている言語に変換されていた。


-狭也、ミーナを救って。あの娘はずっと独り。でも大地の精霊も認めるあなたなら。-


全ての地の精霊の頂点に立つ存在。

それが大地の精霊である。

この世を構成すると云われる四大精霊には、それぞれにそれを統べる者が存在する。

火なら業炎の精霊、水なら麗水の精霊、風なら舞風の精霊、そして地なら地母の精霊。

統べる者達の名を呼ぶことは恐れ多いとして、一般的にはそれぞれ火炎・水流・風花・大地と呼ばれていた。

この精霊達を更に纏める者が存在し、それは精霊神と呼ばれ、人間の信仰の一つである、女神キシンリュウと同一人物であるとされている。


『ロアナも貴方達も試練を課すくせに、その子を救えという。流石に身勝手過ぎない?』


狭也は、瞳に苛つきの色を覗かせつつ、髪を掻き揚げた。


-ずっと待ってたの。五百年間ずっと。やっと来てくれた。-

『シショー・・・。解ったわ。』


そのミーナという子が、普通の人間ではないことは、何となく理解していた。

しかし、五百年。

流石に亜人族でもなければ、そこまで長い年月を生き延びられる者は居ない。

狭也の知る限り長命の種族は、森人族エルフ族土人族ドワーフ族狼人族コボルト族、そして龍人族だった。


-ミーナは、吸血族。五百年前、人族にぜんいん、ころされた。-


吸血族、狭也は初めて聞く種族だった。

しかし、ロアナの台詞から気付いてはいたが、精霊にはっきりその言葉を聞かされ、狭也は一度、きつく目を閉じた。


(五百年、こんな地下でたった独りで・・・?)


ロアナや精霊達が居たとはいえ、彼女達は超常の存在。

その子の支えにはなったかもしれないが、胸の内の孤独を完全に充たせるとは、到底思えなかった。

狭也の胸の内にも、その孤独感は存在し、それを充たしてくれた存在が瞼の内に浮かび上がった。


(おねぇちゃん、何処に居るの? ・・・逢いたいよ。)


ずっと我慢してきた想いに、胸が焦がれる。


『それにしても、貴方、精霊の割にはお喋りね。』


狭也は、胸の内に感じた焦燥感を振り払うように、精霊に努めて明るく問い掛けた。


-待ちのぞんだ存在、ミーナを救う子。わたしたちの幼子をあなたにあずけたい。-


その為には、幾らでも喋ろうと、師匠は真剣な瞳を狭也に向けていた。

五百歳の人間を幼子と称する。

精霊は天地創造より存在すると言われている。

何億も長い年月に比べれば、五百年なんてあっという間。

精霊にとっては、この世界の誰もが幼子なのかもしれない。


『期待に添えられるかは、解らないけれど、私もその子に興味が湧いたわ。会ってみたい。』


狭也の言葉に、師匠が導くように前に進み出た。



通路の途中にある扉。

その殆どの部屋には、ただ、机と椅子があるだけで、ちょっとした休憩室か何かのようだった。


しかしその内の一つの部屋。

一番奥の大扉の一つ前の扉の中には、白い珠が残されていた。


『これは・・・。』


触れた途端、ある情景が狭也の脳裏に滑り込んできた。

五百年前の情景、胸に抱えた幼い少女は、不安な顔をしてしがみついている。

安心させるように微笑み囁くも、その少女の顔は晴れない。

少女を家に残し、地上に出た母親は、騎士鎧を着た襲撃者と戦い、その生命を落とした。


『・・・ミーナさんのお母さん。』


しかしこの珠には、少女を癒そうとするかのように、母親の優しい想いも刻まれていた。


-ミリネ、ミーナの母親が残した記想珠きそうじゅ。記憶と想いを籠めた最後の生者への贈り物。あなたたちの言う精霊珠。-


それは、精霊が認めた者が、死に臨んだ時、その記憶や想いを残される者へ贈る為の特別な宝玉。

この珠を残したミリネの、優しく温かい想いを、ミーナに届けないといけない。

狭也はその珠を大事に腰のポーチにしまった。


『でもどうしてこんな所にあるの? 本人に渡せなかったの?』

-ミーナは心を開かない。あの娘を想う心、村の入り口を通り抜けられなった。-


村自体が彼女の後ろ向きな気持ちで閉ざされていた。

そうい事なのだろう。


『ん、じゃぁ、ロアナは?』


彼女もミーナの事を想っていた。


-ロアナは、ミーナが認めた子。だから扉、関係ないの。-

『成程ね。赤の他人、それ故、村の入り口を通り抜けられたと。』


認識してしまえば、拒否も何もないと。

『行きましょう。』と狭也は、もう一度、何かないか部屋の中を見渡して、精霊に先を促した。

通路に出れば、すぐ横に、精霊の力で封印された大扉が見えていた。


『・・・・・・。』


そしてその大扉の向こう側に感じる、不穏な気配。

寂しくて絶望に沈んだ心の波長。


-ミーナ、ロアナが出て行ったから、失ったと思っている。だから絶望してるの。-

『もしかしなくても、私がお屋敷に来た所為ね。』


記想珠の中の、記憶の断片。

母親に置いて行かれた記憶。

彼女は眠っていたけれど、あの状況で目が覚めて、かつ、いつまでも誰も戻ってこなければ、幼くとも想像はつく。

そんな彼女が、私が来たことで、ロアナが目の前から去って行けば、過去の情景と重なってもおかしくはなかった。


-あの娘を哀しませたくはないの。笑っていてほしいの。わたしたちがあなたを試そうとしたばかりに、あの娘は・・・。-


どうやら精霊達は、自分達を責めているようだった。

精霊が試練を行おうとしなくても、どちらにしろ、ロアナは私を試そうとしただろう。

恐らく、結果は同じだっただろうと思われた。


『はっきりは約束できないわ。でも、私もミーナさんを助けたい。』


狭也は、目の前の大扉を見上げた。

その扉は本当に大きく、狭也の身長で近場に立てば、天辺を見ることは出来なかった。


狭也は少し離れて、大扉全体を見渡す。

大扉も、この地下道に通じる階段のを開く柱と同様、質素なものだった。

何の装飾もなく、大きさも相まって、剝き出しの地肌が、見る者に威圧感を与える。


『ん、あそこ・・・。』


狭也は大扉の柱の一部が窪んでいることに気が付いた。


『ここもか・・・。』


やはり狭也の頭よりも高い位置にその窪みはあった。


-大丈夫?-


師匠が心配そうに問い掛けて来た。

手が届くのかと、精霊にまで心配され、狭也は苦笑するしかなった。

柱の時同様、狭也は窪みに近付き、手の平に魔力を溜めて背伸びしながら触れた。


すると大扉にかけられていた精霊の封印が、パリンと音がしそうな感じで弾け飛んで、大扉が音を立てて開き始めた。


今まで狭也と精霊を遠巻きに見ていた幽霊達が、騒めき出し、大扉の隙間から中に入って行った。


『あの人達も、ミーナに拒まれて入れなかったのね。』

-うん。-


狭也の独り言に、師匠は短く頷いた。






-----



絶望に沈む心で、泣き続けるミーナ。

もうどれだけの時間、こうして泣き続けていたのだろう。

零れる涙はそれでも止め処なく流れ続ける。

ロアナは行ってしまった。

精霊達も応えてはくれない。

ここにはもう、ミーナだけ。


そんな昏い想いに沈むミーナの耳に、大きなものが動く音が聞こえて来た。

泣き続けて腫れた顔を上げたミーナは、目の前の大扉が少しずつ開いていくのを見た。


「え・・・何、で・・・?」


扉の隙間の向こう、誰かが立っているように見える。


少しずつゆっくりと開いていくその隙間から、大量の半透明な姿をした人達が流れ込んできた。

その人達は村の中へ各々飛んで行く。


ミーナはそれを茫然と眺める事しかできない。


「ミーナ。」


そんなミーナの耳に、懐かしい声が聴こえた。

恐る恐るミーナはその声のした方に振り向く。


「え・・・う・・そ・・・。」


そこには夢で何度も見た、愛しい母親の姿があった。


「やっと会えたわ、ミーナ。」


ミーナは母親のその透けた身体に手を伸ばす。

母親のミリネは、手を伸ばす愛娘を抱き締めようと、前に出る。


「あ・・・。」


二人は擦り抜けて、振り返った姿勢で見つめ合う。

ミーナは立ち上がり、ミリネと改めて向き合った。


「本当に、お母さん? 今までずっと待っていたのに・・・。」

「ここに入ってくることが出来なかったの。ずっと開いてくれる人を待っていたのよ。」


ミリネは開いた大扉を抜けて、歩いてくる狭也を見た。


まだ幼く頼りなげに見える相貌、それでもその歩みは自信に満ちているようで、堂々としていた。


「初めまして、私は狭也。一応、十八歳、だよ。」


二人の手前で立ち止まり、狭也はミーナに左手を差し出した。


「・・・十、八・・?」


ミーナはそっと手を差し出して、狭也の手を握り返した。

この見た目で十八歳と言われても、信じられないだろう。

握手するその手も小さくて、ミーナの手にすっぽり収まってしまうだろう。

狭也にとっては、もう慣れっこではある。


「ちょっと、きつい話。貴女、ここに閉じ籠ると皆、入れなかった。」


狭也の言葉に、ミーナは母親を振り返った。

言い出し辛かったことを狭也が、あっさりとバラしてくれて、ミリネは少し苦笑をして頷いた。


「ずっと待っていたのに、私が、拒んでいた・・の?」


ミーナは再度、母親に身体を向けた。

三人の周囲には、村中に散って行ったはずの、他の村人達が集まっていた。

皆、優し気で温かい表情をして、ミーナを見詰めていた。


「みんな、あなたを心配していたのよ、ミーナ。無事に大きくなって、嬉しいわ。」


驚きで止まり掛けていたミーナの涙が再び溢れ出す。


「ごめん、なさい・・。~~っごめん、なさいっ!!」


ミーナは溢れる涙を止められず、両手で顔を覆った。

ミリネが手を伸ばすが、娘の身体に触れられず、困った顔をする。


「ミーナさん、これ。」


まるで空気が読めないかのように狭也が、泣き続けるミーナにポーチから取り出した珠を差し出した。


「あ、それはっ!」

「これ、は・・・?」


ミリネが少し焦るよう反応するも、ミーナがそれを受け取る。

すると彼女の脳裏にあらゆる情景や想いが流れ込んできた。

ミーナの産まれる前から、ミーナの赤ん坊時代。

ハイハイ出来るようになり、周りの大人達が喜ぶ様子に、とまるでアルバムであるかの様に。

時代を追い、大きくなっていくミーナ。

そして、五百年前の残酷な情景と、ミーナの知らない母親の死の直前の景色。

しかしそこには、ミーナがミリネのお腹の中にいた時から連綿と続く、温かく優しい愛情に溢れていて。


「あ・・・あ・・・・。」


ミーナはその珠を抱いてうずくまり、大声を上げて泣き始めた。

抱き締めて慰めたいミリネは、もどかしくおろおろしていた。


「ミーナさんのお母さん。私の手を。」


狭也がそんなミリネに右手・・を差し出した。


「えっと、サヤさんでしたね。」


ミリネは躊躇ためらいながら、狭也の手を握った。

そう、握れたのである。


「えっ?」


ロアナが触れたように、ミリネも狭也の右手に触れることが出来ていた。


『【聖なる龍牙】よ、その権能により、一時ひとときの器を与えよ。』


狭也のその詠唱により、繋がれた手から、ミリネの身体に水色の光が広がって包み込んでいった。

その身体は、淡く水色に光りながらも、その向こうが透けることなく、実体を伴っていた。


「僅かな時間、触れ合える。」

「~~っ!? ありが、とう。」


ミリネは信じられないと思いながらも、お礼を言い、泣き続けるミーナの傍にしゃがみ、そっと手を伸ばした。

地面を歩く感覚、足下に着いた膝の触覚に動揺を隠せない。

そして先程まで通り抜けていた手が、愛娘の肩に触れた。


「ミー、ナ・・・。」


肩を触れられ、少しびくっとしたミーナは、呼び掛けられた声に顔を上げた。

そこには、ミーナの肩に手を置く母親の優しい顔があった。


「え・・・、お、母さん・・?」


信じられないと、肩に触れる手とミリネの顔を、何度もその視線が往復する。


「おか・・~~っ、マ、マ・・・ママぁ~~ッ!!」


ミーナは弾かれたようにミリネの胸の飛び込み、五百年前に戻ったように、その身体にしがみ付いて泣いた。



そこには、惨劇によって引き裂かれた、五百年前の母娘の姿があった。








大扉のすぐ外で、中に入ろうか、入るまいかと悩んでいたロアナの許に、狭也がテテテテと小走りで近付いてきた。


『ロアナ。』

「サヤ・・・。」

『何してるの? 入ればいいのに。』


狭也の言葉に、ロアナは少し困った顔を見せた。


「簡単に言ってくれるわね。五百年ぶりの再会よ。邪魔をしたくないわ。」

『でもミーナは、貴女が居なくなるって勘違いして泣いていたのよ。責任持って慰めてあげないと。』


狭也がロアナの腕に右手で触れる。


『【聖なる龍牙】よ、その権能を持って、一時ひとときの器を与えよ。』


ミリネの時、同様、その身体が質量を持ち、誰でも触れられるようになった。


「あなたは、本当に不思議な子ね。」


ロアナは確かめるように大扉の柱に触れてみる。


『長くは持たないよ。少しの間だけ、あの子、ミーナさんと触れ合ってあげて。』


狭也はそう言って、大扉の中に入っていった。

残されたロアナは、大扉の柱に手をついて、抱き合っている母娘をそっと眺めた。


「ミーナ。」


小さく呟いたロアナの声に、ミーナの肩がぴくっと反応した。

ミーナが母親の腕の中から顔を上げる。

その瞳がロアナを捉えた。


「あ・・・ロア、ナ・・・。」


ミーナの視線を追ってミリネも振り向く。

ミーナを抱いていた腕を解いて、少しロアナの方へ押し出す。


「大事な人でしょ。いってらっしゃい。」


ミリネの優しい声に、ミーナは少し頬を染めた。

母親に背を押され、ミーナの足が少しずつロアナへと向かう。


「ロアナ・・・もう、戻ってこないの、かと・・・。」


手を伸ばしたミーナが、恐る恐るロアナの服を掴む。


「~~馬鹿ね。どこにも行けるわけないじゃない。私は地縛霊よ。」


ロアナは震える手でミーナの頬を包んだ。


「ねぇ、憶えている? 以前、私が言った事。あなたが言った事。」


震えるロアナの手に触れ、涙が溢れて濡れる顔でミーナが頷く。


さわれるようになってから、説得してって・・・。」

「触れたわよ・・・。」


ロアナは、ミーナの額にキスをそっと落とし、そのまま腕を背中に回して。

抱き締めて、耳元で囁く。


「だから、もう一度言わせて。」


(もう言う必要は無いのかも知れないけれど・・・)と思いながらも、


「少しは地上に出ることも考えなさいな。」


ロアナは同じ言葉を紡ぐ。


「もう、時代は変わったのだから。」




出逢ってから約三十年。

言葉を交わす度、手を伸ばされる度、触れ合えることはないのだろうと諦めていた。

でも、今その温もりはこの腕の中にあり。

僅かな時間でも、これは至福の時間。




ミーナはロアナの言葉に、目を閉じてそっと頷いた。






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