第1章 黒髪の少女

同居

その街には一つの伝説があった。


街の名前はキュリア市。創設者である英雄キュリオリシアの名を冠する都市である。


街の中心から外れた、海を遠くに臨める高台の下には、邪悪な魔獣が眠っているという。

数多の頭部を持ち、各々が吐くブレスは軽く山を穿つ程。

英雄キュリオリシアによって討伐されるも、その生命力を奪うまでには至らず、邪悪な力を吸収し浄化するという神聖樹を墓標とすることで、魔獣は深い眠りに就いた。

その監視の為、当時の王命によりこの街は築かれたのである。


既に八百年近く経つ今では、国王や市長など時代に流されて変り続け、大きな樹の立つ高台の下に、本当に魔獣が眠っていることを信じている者は少なくなった。

そこはただ、崖下に広がる緑の向こう、遠方に臨む海を楽しむ観光地となり、魔獣は語り部の紡ぐ伝説の中でのみ、存在するものに成り果てていた。



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「おはよう、サヤ。今日も良い天気よ。」


ノックをして部屋に入ってきたユアは、カーテンを開けながら狭也に呼び掛けた。


「ん、おはよう、ユア。」


狭也は、布団から起き上がり伸びをしながら答えた。

ユアが森で狭也に助けられてから、早二ヶ月が経っていた。

生命を救われたユアは、泊まる場所どころか街に入る手数料だけで持ち金がなくなった狭也を、自分の家に招き入れていた。

伸びをする狭也を見ながら、殆ど空になった財布を悲しそうな目で覗き込む姿を思い出し、クスッと微笑んだ。


狭也はこの見た目で十八歳だという。

(・・・・・反則でしょう・・・)と、自分と同い年ということに驚いたものの、それならばあの強さも少しは納得できるというもの。


多くの戦闘職が戦場に出られるようになるのは十四歳から。

騎士や軍人など国に属する職業でも十六歳で士官学校を卒業し各部署へと配属となり、一年の訓練期間を経て実戦を経験することになる。

冒険者を目指す者も、やはり十六歳頃までは先輩冒険者の従者や冒険者ギルドの修練場で腕を磨きながら、本格的に戦闘に参加するのは十七歳になってからである。

しかし、中にはセンスのある者などは、十四歳になった時点で既に戦闘を経験することもある。

十八歳なら、既に四年、戦場に立ち経験を積んでいてもおかしくはない。

狭也の力量の一端を、一度きりとはいえ、目の前で見ているユアにとっては何の不思議でもなかった。


その幼い身体に関しても、ユアは一つの仮説を考えていた。


自分の家に連れ込んだ日、腕や太腿など肌が露出した箇所には小さな傷がいっぱい付いていた。

大きな傷はないものの、ここに来るまでの戦闘や野営などで付いたものらしい。

薬草師として、一人の女性として、そんな傷を見捨ててはおけないと、恥ずかしがる狭也の全身をくまなく調べ、即効性の傷薬を塗っていった。

幸い露出している部分以外に傷はなかった。

そうしていくうちに、狭也の身体が薄い膜のようなもので守られていることに気が付いた。

狭也自身の持つ力に溶け込むように、その存在を隠すように張られたそれが、狭也の成長を妨げているのではないかと考えた。

それとなく狭也にその膜のようなものについて聞いてみると、


「『あぁ、それは・・・』それは、おねぇちゃんの・・・『結界』?・・・『えっと、』ちから。」


こちらの言葉でなんというのか解らなかったのか、一度、異国の言葉で呟いて小さく首を傾げた後、自分の身体を包み込むような仕草をして言い換えた。


「あ~、それって結界のことかしら?」


なんとなく判断してユアは自分の魔力で、窓辺の植物を包むようにして見せた。

それを見た狭也はブンブンと首を縦に振った。

同い年とは思いえないその可愛い仕草に、つい頬が緩んでしまう。


「私を守る・・・悪い、モノから・・・?」


頬に左の人差し指を軽く添えて首を傾げながら、狭也は言った。


「悪いモノ、ねぇ・・・。」


その悪いモノが何なのか、目の前の少女を見ていると何となく察しがついた。所謂いわゆる、害虫除けといったものだろう。

それが本当に狭也の成長を妨げているのかは解らないが、そういうものとユアは受け入れることにした。



翌日、狭也はユアに連れられて冒険者ギルドへ行き、冒険者として登録を行った。

外見からなかなか信じてもらえなかったが、船旅の際に取得していた身分証と、修練場でその力を見せつけることで、何とか職員の納得を得て登録に至っていた。

その際、練習用の切れ味の悪いロングソードを軽々と片手で持ち上げたうえ、一回の踏み込みだけで修練場の端から端まで移動し、目に見えぬ切り上げで、練習用の革鎧を着込んだ人形を真っ二つに断ち切っていた。

静まり返る修練場の中、狭也はトテトテと元の位置まで戻りロングソードを収納場所に返して、ユアの横に収まった。

この後、報告を受けたギルドマスターと面会をし、正式にギルド登録証を受け取ったのである。


この時、身分証から、狭也の出身国がリュウの国であることが知れた。


「リュウの国って、海の先にある国よね?」


ギルド登録証が出来るのを待っている間、待合室で待機していた二人。

ユアの疑問に狭也は一瞬、不思議な顔をした。


「リュウの国?・・・『あぁ、龍皇国』・・・』


「リュウコウコク?」


「龍皇国・・・正しい、の呼び方。」


正式名称・龍皇国、大陸から東の海上遥か先にある国。

亜人種の一つである龍人族が治める国として知られ、大陸の国々とは殆ど交流がない。

龍人族は寿命を持たないとされているが、その真偽は伝えられていない。

またその国に住む者は、殆どが普通の人族と言われている。

ユアたちと見た目が変わらない狭也も、龍人族ではないと言っていた。

大海を挟んでいるが為に、資源豊富な大陸から貿易船を出し、遭難や海の魔物を相手にする危険を冒してまで交流する必要はないと考えられていた。

ただ全く交流がないわけではなく、龍皇国からは大陸の資源を求めて、年に一、二度交易船が渡ってくることがある。

規模的に言えば、大きな商団船と言っていい程度であるが、そこには龍皇国の操船技術の高さと、海の魔物への対応力が窺い知れる。


キュリア市は崖上にある街。

とは言え、その南部の街道から続く先には漁業都市と言われるアーリア市が存在していて、龍皇国の情報は僅かながらもそこから伝えられていた。

龍皇国が唯一、交易先としてやってくる場所である。

龍皇国が持ってくる物は、殆どが龍皇国で採れる食材や魔物の素材。

魔物の素材は武器や防具の素材として使われ、大陸で採れる物とはまた別の特徴を発揮する為、手に入れば嬉しい程度には喜ばれている。

何故か、衣服やアクセサリーといった加工品はあまり持ち込まれることはなく、彼の国の服装や武器が、大陸に流通することは稀であった。



この日の帰り道、ユアはキュリア市内を軽く案内して回った。


大通りは人通りが多く、小さな狭也は押し流されそうになっていた。

慌ててユアが狭也の手を握り、出逢った時のように二人で並んで歩いた。


街の北部にある行政機関を兼ねた大きな市長邸、北東の街の外に延びる道とその先にある神殿、更にその道を南下した場所にある小高い丘の広場。

その広場の正面入り口から中央広場を抜けた先は、鍛冶屋などがひしめく職人街、更に通り過ぎれば隣街に通じるメイン街道に出る西門に辿り着く。

中央広場から南に大通りを下れば街の正門が現れ、狭也はこの門からユアに連れられてキュリア市に入った。

この二点間は、あらゆるお店がずらっと並ぶ商店街となり、街の人間だけでなく観光客などでも賑わっている。

中央広場の北西側に冒険者ギルドが、対角線上の南東側に商業ギルドがある。


ユアの家は東の小高い丘の広場の近くにあり、大通りから一つ外れた路地に建っていた。

大通りの喧騒が微かに聞こえる静かな場所で、一階が薬草師としての仕事場兼店舗となっており、二階が生活スペースとなっている。

家に戻ってきた二人がこの日一日で学んだことは、言葉の違いによる意思疎通の難しさと、狭也の珍しい服装が目立つということだった。

何よりも他にないその輝く黒髪は好く目を惹いた。

そこで日常会話と、冒険者ギルドの仕事で頻繁に出てきそうな言葉などを、ユアを講師として学び、近くの服屋でお色直しする事になった。


そうしてこの二ヶ月で狭也は言葉を学び、日常会話程度なら支障なく話せるようになり、冒険者ギルドの仕事をこなすことで家賃と路銀を稼いでいた。

狭也の旅はこの街で終わりというわけではなく、この先まだまだ続いていく。

今はギルドの情報収集班を通して、とある情報を探して貰っているという。


「何の情報か、聞いてもいい?」


危険な海を渡ってきてまで何を探しているのかと疑問に思ったユアに、狭也は素直に答える。


「おねぇちゃん。海を渡って、『えと』帰ってきてないの。」


アーリア市で何とか姉の足跡を辿って、キュリア市へやってきた狭也。

しかし、あくまで北方面へ向かったという情報しか持っていなかった為、その先の情報が必要だった。

不安な表情を覗かせる狭也の頭を、ユアはそっと抱き締めた。


「見つかると良いね。私もお客さんに聞いてみるわ。」


狭也に不思議な結界を張って姿を消した人。


ユアは、胸に少しモヤモヤしたものを感じたものの、狭也の不安を取り除いてやりたいとも感じていた。



因みに、黒髪を染めようとしていた狭也に対し、髪が傷むからとユアが激しく反対した為、髪はそのままとなっている。



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そうやって穏やかな日々を過ごしていたなか、狭也が冒険者ギルドからの依頼を持って帰ってきた。

新人とはいえ、その実力は既に冒険者ギルドのマスターにも認識されている。

最近は街の外での魔獣討伐にも出られるようになっており、こうしてギルドからも依頼を受ける事が増えていた。


「ユア、今度、神殿の『えと・・・』施し、の・・・『えっと』警備、が入ったよ。お昼もお弁当出る。夕方まで戻ってこれないと思う。」


日常会話に支障はないとはいえ、まだまだもどかしさの残る言葉使い。

(『えと』や『えっと』が口癖になってない?)とユアは内心苦笑した。


「警備場所は何処だかわかる?」


「中央広場、『えと』施しをする場所、だよ。」


神殿の施しとは、至高の治癒師と呼ばれる神殿に所属する巫女が行う奇跡の行い。

治癒大祭とも呼ばれ月初めに一度行われている。

病気や怪我を患っていても支払うお金がない貧困層に対して、無料で行われる治療会であり、街中で行われる一大行事の一つであった。

過去に何度か暴力沙汰もあった。

しかし神殿は、キュリア市からは独立した組織であり、行政とは一線を画している。

それを証明するように、神殿は街の外に建てられている。

その為、衛兵や騎士団などへ依頼を出すことはせず、冒険者ギルドに警備の依頼が出されるようになっていた。


「サヤなら大丈夫とは思うけど、怪我しないように気を付けてね。」


「うん、頑張る!」


二人で夕ご飯の準備をしながら、力む狭也にユアは微笑んだ。

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